第42話𓇋𓎡𓇋𓂋𓍢〜生きる〜

「これで満足?」 

 水路を作る大仕事を終えたトトとマギルは霊安室の前に佇むアヌビスに声を掛ける。


「流石トト様。半日どころか1時間で終わらせてしまうとは。」

 感心するマギルを尻目にアヌビスは眉間に皺を寄せ、じっと何かを見つめている。


「——何見てんのさ?」

 渋々請け負った作業を早々に終わらせ、わざわざ報告にまで来たとというのに、労いの言葉どころかこちらを見向きもしないアヌビスにトトは不満気な声を漏らす。


「中に入らないのですか?」 

 入り口に立ち尽くしたまま呼びかけにも応じないアヌビスを不思議に思ったマギルは、部屋の中を覗く様に足を一歩前に踏み出した。


「待て——。」

 アヌビスが叫ぶのとマギルが床に膝を付いたのはほぼ同時だった。


「マギル!」

 意識を失っているのか名前を呼んでも反応がない。マギルは目を見開いたまま膝立ちのまま硬直し、まるで雷に打たれたかのように痙攣している。


「ちょっとどいて。」

 動揺するアヌビスを押し退けるようにしてトトが彼の体に触れる。


 すると硬直していた体が徐々に緩み、脱力する様にその場に倒れ込んだ。アヌビスがその体を慌てて抱き起こすと、強張っていた顔は穏やかな表情を取り戻していた。


「出来るだけの処置はしたよ。少し休めば回復するだろうから安心して。」


 トトの言葉にアヌビスはほっと胸を撫で下ろす。結界を解く事に気を取られて、彼の命を危険に晒してしまった。


 気になる事があると周りが見えなくなってしまうのは自分も同じか。

 

 ホルスの放浪癖を咎めていた割に自分もそういう所があるのだと分かると、アヌビスは何故かほっとした。やはり自分達は血の繋がった兄弟なのだと実感するのだ。


「結界が張られてたのか。厄介だね。それにこの術は……。」

 言いかけて、トトはアヌビスの方を振り返った。


「彼はもうこの計画から外れた方がいい。」

 

 その言葉にアヌビスははっとしてトトを見る。その顔はいつにも増して真剣だった。


「分かるでしょ? もう人間の出る幕じゃないんだ。相手がセトであるなら尚更。彼がいても足手纏いになるだけ。」


 トトの言葉に反論できないアヌビスは俯くしかなかった。


 トトの言う通りだ。マギルの献身には感謝しているが、ここから先、情だけではやっていけない。自分の命を守る事さえ難しいこの状況で、守るものが増える程に不利になる。

 

 自分まで死んでしまったら誰がホルスを弔い、父の無念を晴らせると言うのだ。


「……そうだな。マギルは部屋に残そう。」

 そうしてアヌビスがマギルを背負おうとするのをトトが制した。


「彼は僕が運ぶ。君はここにいて2人を待ってて。」


 トトの言葉にアヌビスははっとする。ハトホルとエゼルがいない。そんな事にさえ気づかぬとは。やはり人の事は言えないのかもしれない。


「いないって、エゼルはあんたと一緒にいた筈だろ。当然ハトホルも一緒に——。」


 そこまで口にしてアヌビスは言葉を飲み込んだ。


 まさか、またエゼルが——。

 いや、生身の人間が神に敵う筈がない。

 

 有り得ないと分かっていてもアヌビスの頭の中で最悪のシナリオが展開される。


 しかしそんなアヌビスの耳に入ってきたのはやけに親し気な男女の声だった。


「思いの外話が長引いてしまい、遅れてしまいました。申し訳ありません。」


 その声の主は今ほど話題に上がったばかりの2人。そして彼らが纏う雰囲気はさながら男女のそれだった。この緊迫した空気の中、一体何を考えているのか不審に思ったアヌビスは彼らを問い詰める。


「何のつもりだ。一体どこで何してた?」

「そんな怖い顔しないでくださいよ。私達だって遊んでた訳じゃないんですから。」


 エゼルが弁明する横で、先程とは打って変わって神妙な面持ちのハトホルがすっと前に進み出る。迷いのない足取りでアヌビスの横を通り過ぎ、霊安室の前に立ったハトホルは、あろう事か先程マギルが気を失った結界に手を伸ばす。


 流れるような一連の動作にアヌビスは彼女を止める事も忘れ、その様子をただ眺める事しか出来なかった。


 また犠牲者が出る、そう思ったが結界に触れても彼女が倒れる事はなかった。


「どういう事だ。」

 不審に思うアヌビスの横でトトが何か思い出したように声を上げる。


「それ!」

 トトが指差したのはハトホルが身に着けているアクセサリー。鮮やかなターコイズブルーが映えるトルコ石の首飾りだった。


「……ラーが持ってた。」

 何か嫌な事でも思い出したのか。トトは苦虫を噛み潰したような顔で呟く。

 

「そうです。これは父上が普段身に付けているもの。この首飾りには特別な力が宿っています。」


 ハトホルの言葉にアヌビスは眉をひそめる。

 

 一体何故そんなものがここにある?だがあのラーという男が敵に売り渡した娘にそんな物を譲るとは思えない。大方、盗んだか或いは——。


「奪い取ったとでも言いたいのですか?」

 眉間に皺を寄せ、訝しげな表情のアヌビスにハトホルが不満げな声を漏らす。


「違うのか?」

 別段それを咎めはしない。むしろあの男から物を強奪したその実力を褒め称えたいくらいだ。


「——いえ。否定はしません。確かに奪い取ったも同然ですから。でもこれはセトを倒す為、そしてわたくしが父上の呪縛から解放される為の切り札なのです。」


 一体どうやってあの男からそんな物を奪い取ったのか、その一部始終を聞いてみたいところだが、今は計画を進める事が最優先だ。


「切り札——。まさか、その首飾りが結界を消滅させたのか……?」


 ハトホルが無傷の所を見ると、首飾りにその様な能力が宿っていてもおかしくない。だとしたら確実にセトを倒す為の切り札となるだろう。アヌビスは暗闇に一筋の光が差し込むのを感じた。

 

「いいえ。消滅させたのではありません。この首飾りを身に着けている間だけ、魔術を無効化できるのです。——ですから。」


 ハトホルは自分の身に着けていた首飾りを外すと、アヌビスの首に手を回した。


「——これを貴方に託します。」


 耳元で囁かれたその言葉にアヌビスは一瞬金縛りに遭ったように動けなくなった。


「さぁ、中へ入って。今やセトを倒すのも、ホルスを守れるのも貴方だけ。」


 ハトホルに背中を押され、アヌビスは霊安室の前で大きく息を吐いた。


 俺はお前の兄としてお前を守る事を決めた。


 ——ホルス、生きてくれ。

 










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