第15話𓅓𓇋𓇋𓂋𓄿 〜木乃伊〜
「アアトへ送るって……」
「見れば分かるだろ。ミイラにするって意味だ。遺体は損傷しているが可能性はゼロじゃない。出来るだけの事はする」
アヌビスは淡々と言って部屋の中を見回す。ここは安置していた遺体が消えた場所。防腐処理を行う為の道具は一通り揃っている。
アヌビスが彼をここへ移送したのは、セクメトから遺体を守る為だけではない。メリモセの体に自らの手で防腐処理を施す為だった。
人をミイラにする為に最も重要なのは、その体から一切の水分を取り除く事だ。頭から足にかけて緩やかな傾斜になっているこのベッドは、徐々に染み出してくる体液を床に流す役割を担っている。
アヌビスは血で汚れた彼の全身を水で清めるとホルスに向かって言った。
「そこにある鉢全てにこの液体を注いでくれ」
棚の上に置かれている陶器の鉢は全部で十一。ホルスは言われるまま鉢の中に液体を注いだ。
アヌビスは棚から小型のナイフを取り出すと、何の迷いもなく遺体に刃を突き立てる。続いてその切れ目に手を突っ込み、中の臓器を次々と取り出していく。そしてそれらをホルスの用意した鉢に漬け込むようにして収めていった。
ホルスが声を上げる間もなく、アヌビスは淡々とその作業を続け、心臓だけを残して傷口を閉じる。
アヌビスは最後に脳を取り出す作業に取り掛かった。鼻から器具を入れ、脆い部分から最低限の骨を砕いてそれを取り出す。中の髄液を傍にある砂山に流し捨て、最後に鼻から詰め物をしてなるべく元の状態に近づける。
これにはさすがのホルスも目を逸らさざるを得ない。中々に凄惨な光景だった。
「……お、終わったのか?」
ホルスは顔を背けたまま問いかける。
「ああ。後は数十日乾燥させて布で巻き、開口の儀式を済ませたら棺に入れる」
終始淡々としているアヌビスには驚きだが、人をミイラにするというのは相当な労力と精神的苦痛を伴う。一連の作業を目の当たりにし、ホルスはそれを痛感せざるを得なかった。
「手慣れてんな。それに何でそんな事知ってんだよ?」
「まぁ……見様見真似ってやつだ。」
神官が作業しているのでも見たのだろうか。それに見様見真似でここまで手際良く、しかも平然と作業する事が出来るのか、それも疑問である。だが冷静で聡明な彼ならばあるいは可能なのかも知れないとホルスは思った。
「とりあえずこれで遺体が腐敗する心配はなくなった。埋葬は神官達が戻ってからでも問題ないだろう。皆、別れも言いたいだろうしな」
「メリモセには家族もいたんだろ? セクメトに脅されたっていう」
そうだ。とアヌビスは思った。天界にいるという事は、メリモセと同じく彼女も聖職者という事だ。別の神殿に仕えているならどこかで接触する事も出来るだろう。別の場所で働く父親の事をどれだけ把握しているかは疑問だが、それでも何か手掛かりが掴めるかもしれない。
やるべき事は山積みだ。しかし夜通しの戦闘と作業は予想以上に二人の体力を奪っていた。半神とはいえ、疲労が溜まらない訳ではない。
「なあ、少し休まねえ?」
「……そうだな」
メリモセをワアベトへ安置した後、二人は近くの椅子にぐったりと腰を下ろす。ずっと気を張っていたせいで、疲労が溜まっている事にも気付かなかった、
しかし少しの沈黙の後、ホルスは突然あっと声を上げ、椅子から飛び起きた。
「そういや宿舎に向かってる途中、妙なもんを見た。空からだと白い塊にしか見えなかったけど今思えばあれが……。」
メリモセと神官達だ。
言い終わる前に今度はアヌビスが飛び起きる。
「彼らはどこへ向かってた?」
「正確な位置は分かんねえけど、川を越えた辺りに採石場があるだろ? 確かあの辺だった」
「採石場? まさか神殿でも建てようとしたのか?」
だが天界では採石や加工など、建設に関わる労力を一切必要としない。それが神殿だろうと記念碑だろうと、各々が自身の霊力を用いて建てるものだ。それは下界においても同様で、神官が行うような仕事ではなかった。
下界についてあまり詳しくはないが、本で読んだところによると、それらの作業は非常に過酷であり仕事を請け負うのは一般の民衆の他、犯罪者や他国からの捕虜である事も多かったようである。
「他に気づいた事は?」
「いや、特には」
手掛かりはそれだけか。
アヌビスは糸が切れたように脱力した。依然目的は謎のまま。だがおおよその足取りが掴めたのは収穫だ。
「ホルス、お前に頼みがある」
「採石場へ行けって言うんだろ? 確かにあそこに行けば何か手がかりが残ってるかも知れねえ。もしかしたら出て行った神官達もその近くにいたりして」
滅多に頼る事のない兄からの依頼にホルスは嬉々としてそれを引き受けた。
「で、お前はどうするんだ?」
ホルスが問うとアヌビスは再びメリモセに目を向ける。
「この神殿の管理を任されたのは俺だ。そして彼は事件解決の為の重要な証言者。ミイラが完成し、無事に安置するまで誰にも奪わせる訳にはいかない。俺はここで遺体を見張りながら別の手がかりを探す」
こうして二人は再び別行動をとる事になった。
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