夢幻 ③オカルトと化学の話

『口の中に血の味がする』

『朦朧とした意識が捉えるその痛みは、今では酷く曖昧だ』

『目の内にちらつく小さな火花のような光は、次第に手足の力を奪い、三半規管の処理する平衡感覚を狂わせてゆく』

『ぬるま湯に浸かったまま感電するような感覚が、足元がふらつく度に身体中に襲いかかってくる』

 

『……上出来だな。血清をブチ込んでからというもの、こんだけ打擲いたぶっても、歯の一本も折れやしねえ。出血はあるがな。No.7……もしかしたらこいつは、最高傑作になるかもな』



『豚共』

『豚共』

『豚共』

『豚共』



『豚共が私の数値データを取っている』

『豚共が私の身体を弄り回して、振り回して、嬲って、今日も思い通りの数値データを手に取っている』

『拘束具に縛り付けられた私は、その豚共を眺めることしか出来ない』

『私は縛られたプロメテウス』

『被検体No.3』



『壁をちょこっと凹ますだけじゃ足りない』

『念じただけで、あいつらの頭を爆発させたり出来たらいいのに』

『どうやら、私の力はまだ足りない』

『頭の中で具体的にイメージ出来ないことは、まだ出来ない──』



『部屋から追い出された後、何時ものように檻の中から、紙のコーヒーカップを片手に持っている見張り番の顔を見つめながら念じた』

『殺す殺す殺す、と念じた』


『念の塊』

『念の塊』

『念の塊』

『念の塊』


『頭を爆破どころか、動かす事も出来ない』

『しかし、今日は違った』

『指導員、見張り番の男の腕が少し左へと動いて、その手に握っていたコーヒーを床に落としそうになったのだ』


『見張り番の男は、黒く熱い液体の掛かった作業着を手で拭いながら吐き捨てた』

『ああ? 何だよクソ!』


『私は自分自身に新たな可能性を感じた』

『こうやって、少しずつ希望の糸を手繰り寄せよう』

『少しずつ』

『少しずつ』



『さて、私たちがそもそもどうやって、この超能力というか、神通力のような祝福ギフトを授かったかの説明をしておこう』

『この広大な訓練施設ブートキャンプには幾つか、旧時代の迷信を色濃く反映した、殆どオカルトともいえる部署がある。それはこの国を統べる論理的な思考を持つ人工知能が、唯一選出した超自然的な実験オカルトだった』


『昨日の演習はライフルだかマシンガンだかで何時も通りに死刑囚を撃ち殺し、採血や注射、各種ソフトな拷問器具での身体耐性チェック、メディカルチェック、解剖、縫合 etc……を経た後に、世界各地から取り揃えられた呪物に彩られた小部屋で洗礼を受けるコースだった』


『その儀式……のようなものの内容は、部屋の床中央に描かれた大きな魔法陣のようなものに全員が並ばされて(No.1,2,3,7,8,10,11)、祈禱のようなものを読まれた挙げ句、分かりやすく魔道士みたいな格好をした中年男性が聖書の引用のようなものを唱え、私たち全員に灌水礼を執り行うという、それはそれは旧時代的でくだらないものだった』


『問題は、その奥にある大部屋だ』


『種々多様な最新式の加速器が立ち並ぶ──』

『分厚い硝子扉越しに、それはあった』



『(いやーいつ見てもグロいですねーこれ)』



『中空に浮かぶその異次元世界へのゲートは、何処まで辿っても堅牢な質量を湛えた、流動する漆黒の世界へと繋がる釜の蓋だった』

『開けたのは人間と、他ならぬ人間が創り出した知能だ』

『私たちは地獄を見つめていた』

『地獄も私たちを見つめている』



『─鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う─』

『─卵は世界だ。生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない─』

『─鳥は神に向かって飛ぶ。神の名はアプラクサスという─』



『恐らく昔に目にしたであろうヘルマン・ヘッセのデミアンの一節が、私の頭の中に去来する』

『未知の領域から飛んでくる新たな鳥を、私たちはこうして今も流暢に待ち構えている』



『今時、神通力を開くのに穿頭トレパネーションも必要ないんだよ。知ってる? 中世ヨーロピーナでは瀉血をやってたよね? この国だって昔はサウナっていうくだらない施設があちこちにあった。心臓に急激な負担を掛けるだけで、医学的根拠は何もないのに。科学はこうして、今も進歩している。別次元の宇宙の新元素の正体を突き止めるまでにね』



『明らかにラリっている指導員の一人が私たちに話しかける。いや、正確に言えば私たちの立っている場所の斜め後ろ、虚空に向かって一人呟いている。いまいち焦点の合わない目線を投げかけながら……』


『彼はどうやらこの区域エリア全体に隣接された巨大なタワー、国民総監視塔オール・アロング・ウォッチング・タワーに自由に出入り出来る身分であるらしい』

『彼らが大麻、コカイン、ヘロイン、LSD、DMT等の実験の果てに辿り着いた究極の娯楽ドラッグがこれなのだ。きっと、国民の監視だって娯楽ドラッグなのだろう。ヤク漬けになった人間を使う、論理的な人工知能。彼らは何時かきっと、それらの通過儀礼ゲートウェイを潜り抜けた後に、次はメタンフェタミン漬けになって、死ぬまで働かされるのだろう。そういえば聞いたことがある。この国の軍人も昔はそうだったと──』


『努めて古人を読むべし、ってね。古代インディアーラ人は偉大だよ、君。まあショーペンハウアーはインディアーラじゃないけど。あとはね、ルース・モンゴメリーとかかな。ある大陸側で焼夷弾だの枯葉剤だの大っぴらにばら撒かれてた時代に、誰よりも早くこの空間の目に見えない波動について論じてた訳だからね。じゃ、そろそろ行こうか。いずれは君たちにも、あの空間の中を探索してもらうからね。今はまだ、時期尚早さ。まだ、現代のラジウム・ガールズになられるはこっちとしても、困るからね……』


『彼らがトリップしている東洋思想の幻想と、タキオン粒子の流動を利用した最新式の機器類。空間と空間を繋げる実験などは、既に推し進められているらしい』

『これは、この列島を統べる全知全能の神の、唯一の誤算なのだろうか?』

『それとも、私たちにこの福音トリップを敢えて授けられたのだろうか?』


『どちらでも、構わなった』

『今の私たちに必要だったのは、この力だった』



『(……キッショ。今殺そうかな、これ)』

『(……まだ我慢ですよ。ルカちゃん)』



『私たちはその大部屋を後にした』

『前を歩くチエの以前まで艶やかだった黒髪は、今やボロ雑巾のようにチリチリになって、無数の脂ぎった光沢を放っていた』


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