夢幻 ①映画の話

『(ねえ、バレずに人を殺す方法があるって、知ってる?)』



『私がそう言うと、遠い向こう側の檻の中にいた例の女の子は、不思議そうにこちらを見つめ返した』

『暗闇の中でもその表情は、目を凝らさずともしっかりと感じることが出来た』

『水洗便所と簡易ベッド付きの、四方を取り囲む子供一人用の檻の中から覗く外の世界は、たまに行われる昼間の演習や人体実験の時に見るのとは違って、なんだかとても小さく、無機質なものに見えた』


『ついこないだまで、被検体No.3という名前しか知らなかったその少女は、やや大きめのサイズの灰色の患者衣の袖を振り、黒い長髪の天辺を掻いた』

『その腕には、大小含めてありとあらゆる殴打と切り傷、そして手術痕があった』



『(そんなのあるわけないじゃないですか、No.7ちゃん)』


『(だからルカだって、玉依ルカ。ちゃんと名前で呼んでよ。せっかくまだ、私ら完全に記憶消されてないんだからさ。それにもう仲間なんだよ?)』


『(変な名前ですね)』


『(うっさいな。チエちゃん、君はハフでしょ? フルネームは何ていうの?)』


『(山田・キートン・チエです)』


『(……何それ)』



『私は思わず吹き出した。この小柄で猫目の可愛らしい女の子にはとても似つかない、なんだか間の抜けた名前だ。どこか伝説の喜劇役者か、第三列島の有名ナレーターのような響きがある』



『(うーん。そんな可笑しいですか? 山田でいいですよ、山田で)』


『(いやチエちゃんだろ。山田なんてこの国じゃ、腐るほどいんだからさ)』


『(腐ってるのはこの施設ですよ。さっきから、匂いエグくないですか? なんで清掃の人まだ来ないんですかね?)』


『(……んなことどうでもよくて! いやどうでもよくないけど……バレずに人を殺す方法!)』



『こうやって頭の中だけで会話出来るのは、何とも便利なものだ』

『およそ百坪ほどの被検体保管フロアーの人口密度は、こうして今やスカスカになってきたけれど、それでも用心しないといけない』

『奴等はすぐに、何だって嗅ぎ付けてくるのだ』



『(うーん、正直見当も付かないですね。私たちが打たれた血清は関係ないんですか?)』



『チエちゃんは、横目で隣の檻に横たわっている男の子を見やった』

『初めて此処に連れてこられたNo.1。その更に隣にはNo.2。奴等の開発している血清は、何故か男の子には適正がなかったようだ。三度目の正直に選ばれたのがこの子だった。本当は、そんな奇跡は誰も必要としていなかったけれど』



『(大有りだよ。ほら! 見てて)』



『私は暗い闇が色濃くかかった、数十メートル向こうの灰色の壁を凝視した。凹め、と頭の中で念じただけで、その堅牢な冷たい壁は、静かに小さな窪みを作り出した』

『私は得意気に、チエちゃんに向かって微笑みかけた』



『(どう? どうよ?)』



『するとチエちゃんは、灰色の患者衣のズボンの裾を少しだけめくり、スッと伸びた裸足の親指を檻の鉄格子にあてがい、そのままそれを、難なく曲げてしまった』

『上目遣いで、こちらを見つめてくる』

『頬は赤らんでいて、少しだけ息も弾んでいるのが、ここからでも感じられた。それを見て何故だか、私の胸はドキドキと脈打っていた』



『(凄い……)』


『(ふん! 確かに今日の昼間に駆り出された演習中、こっそり見せてもらいましけど、確かにNo.7……ルカちゃんのその力は凄いですよ。でもですね、やはり政府が欲している戦闘マシーン、真の超能力スーパー・パワーを備えた人間というのは、こういう単純シンプルパワーこそパワーであって……)』


『(ねえ! でもそれ、元に戻しといてよ? 計画の日までにバレたら台無しじゃん!)』


『(ああ、そっか)』


『(壊さないように! ゆっくりね!)』



『チエちゃんはいそいそと目の前の檻を紙粘土のように曲げて、器用に細工を始めた。やがて、曲がり切っていた鉄格子は元通りになった』



『(あーあ、自由に空でも飛べたら、楽勝でこんなとこ、脱出出来るですけどねー。スーパーマンみたいに。いや、どっちかっていうとあれか、何だっけ……ウインターソルジャーだったかな、状況的には……)』


『(え……それって、閲覧禁止されてる昔の映画じゃん。名前、聞いたことあるよ)』



『チエちゃんはだだっ広いフロアーの、何処までも果てしない宇宙が広がっているかのような天井を見上げた』

『そこには大きなファンが二つ、私たちに風を送り込むために回転していた』

『もうすぐ7月が来るらしい。No.2が昨日、確かそんなことを言っていた』


『その天井は今夜もささやかな風の音以外、冷たく静まり返っていた』

『虚空を司る天蓋だ。あれを突き破れば、もしかしたら自由があるのかもしれないと思った』



『(んー、親が多分、海外の映画会社勤務だったんだと思います。もう殆ど記憶ないけど、これだけは覚えてるんです。一緒にソファーに座って、ヒーローの映画を観ているような、ぼんやりとした記憶。お父さんと、お母さんと……もしかしたらただの妄想なのかもしれないですけど。もしかしたら、だからアメリカーナとのハフだったのかもしれないですね、私)』



『私は頭上高くで廻り続ける二つのファンを見ていた。それ以外には、やることがないような気がした』



『(でも、ヒーローなんかいないですよね。現にこんなことになっても、私たちを助けに来てくれないし)』


 

『私は立ち上がった』

『すると景色は変わって見えた』

『私は、この小さな世界を変えたのだ』

『自分自身の力で』

『なんだ、こんなに簡単なことだったのだ』

『大変なのは一歩、踏み出すその最初の一歩だけで』



『(チエちゃん、さっきは名前笑ってごめんね。素敵な名前だと思う、本当に)』



『私は、この子のためのヒーローになりたいと思った』



『(これから皆で此処を出て、政府の禁止している色んな映画を観て、色んな音楽を聴こうよ。そんで色んな美味しいものを食べよう。これから、どんな手でも使って、必ず! この力は、神様から私たちへの祝福ギフトなんだから)』



『闇の向こう側で──』

『チエちゃんが微笑んでいるのが見えた』


『広いフロアーの四方八方には、手術台や拘束器具、様々な鋼鉄の機械の周辺に、昼間の実験で弾け飛んだNo.4、No.9、No.12の女の子たちの血と肉と皮が散乱していた』

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