指定認可地区 ④ハイ・アンド・ドライ

 鋼鉄の模造人間シミュラントは活動を停止した。

 ──と思いきや、全身の蝶番から一斉に螺子が飛び出したかのように激しく律動し、やがて緩やかな痙攣を開始した。

 そして先程までとは違う、か細い声が虚空を切った。


「……元気デス。アリ……ガトウ……ドウイ、タシマ……シテ……」


「チエ、下がって!」


 こちらが声を発する前に、彼女は既に後方数十メートルへと退避していた。やれやれ。私は後方を振り返り、走った。遠くで如何にも無骨な銃を構えている、私服の機動隊の面々の内、何人かと目が合った。

 

 後頭部で鳴り響く轟音の中で、ふと視界の左端に除くビルの屋上を見やると──見下ろしていた。

 あどけない、だがどこか達観している、この世の全てに諦念を抱いているような、虚ろな表情をした黒髪の少女が──いた。琴音ナナだった……私は口から声にならない声……ただ肺から押し出されたような、空気の泡が漏れ出る音を聞いた……自分の……その少女はこちら側へと暗い表情を落としたまま、爆発中のガン・クラッパーを一目見やると、次の瞬間に文字通り姿を消した。

 まるで最初から其処には存在しておらず、それを確認するために刹那、現世に姿を表したかのように……「顕現?」……何となくこんな単語ワードが頭に浮かんだ……爆風……衝撃……後ろから押し寄せてくる……私はそれに抗えない……ブラフマーもそれに抗えない……私はこの身を吹き飛ばされる……琴音ナナは何処かに消えた……どうにも、ならなかった……


 そして広場に、時間が戻った──


 私は中央部の噴水近くに設置されたベンチに、結界バリアーごと埋め込まれていた。周囲を確認。ガン・クラッパーが最後に放ったその一撃は、マウジッヒ・ストラッセの一画に甚大な被害をもたらしていた。

 

 こうしてみると、ブラフマーに出来ることなど、何も大したことはないのかもしれない。

 無作為に拡散された弾丸を、そして鉄塊を……自爆する際にそれらがもたらした悲劇を、何も止めることが出来なかった。これは、私たちのせいなのか? 左手に違和感を感じ、掛けていたベンチの手摺を見ると、肺と腸の露出した少女がいた。


 真っ赤に染まった、かつて憩いと交流の場──吹き飛んだ左手を探して泣きながら歩き回っている少年、老若男女、大人たちの首、首、手足、内蔵……脳幹、脳漿……もういい。終わりだ。やめにしよう。私はもう何も見たくない。私はもう、何も言いたくない。聞きたくない。

 どうしたらいいのか、分からない。


 戦争は海外でなく、他でもないこの国で起きている。秘密裏に、「演習」という名目で。増えすぎた人口の「間引き」も兼ねての一石二鳥、論理的かつ合理的な、ワンネスの命令によって……


 しばらくベンチに座っていた。

 放心したまま、指定認可地区サーティファイドの青空を見上げる。突き刺すように、鋭角だった。まるで物珍しい何かのように、私は自分の体感で、何時までもそれを眺めていた。

 指定認可地区サーティファイドの青空……非指定地区アン・サーティファイドと何が違うのだろう? 塵と埃、廃棄物を全て非認可地区向こうに流しているから、こんなに透き通る程に青いのだろうか? 本来、何処までも空は繋がっていて、何処までも青いはずなのに。

 

 自由が──其処には在っていいはずなのに──


 何度か深い呼吸を繰り返す内に、周囲では待機していた私服の機動隊が担架と諸々の医療器具を持って、まだ辛うじて息のある人間を、そして躯を──糞の詰まった袋を回収してゆくのが見えた。極めて迅速に。通信社の追手が現れる前に。


 そうだ。科学やガジェットは、このために使われるべきだ。散々こき使われるべきだ。権力の悪意に押されれば、一瞬で裂けてしまう人間という容れ物を治して、一人でも多くの魂を、其処へ留めろ。


「ルカちゃん……」

 肩に優しい感触。チエの手、私より少し小さくて、触れると何時でも温かい手があった。紛れもない生き物の手だ。私のよく知っている、私をよく知っている人の手だった。

 私はチエに力強く抱き付いた。頭がおかしくなりそうだった。何かに縋りたかった。助けてほしかった。

 あの頃、3.7.部隊の訓練施設ブートキャンプから抜け出した時と同じ、私はまた誰も、救えなかった。

 

 

 目の前に散る鮮血。

 大人たちが放つ鉛の弾。

 倒れてゆく仲間たち。

 だから嫌いなんだ、銃なんて。

 


「お見事でしたねー。じゃ、予定通りに当該模造人間シミュラント駆逐を完遂出来ましたんで、後の処理はこちらに任せてくださいー」


 私服が一人、何か言っている。知らない顔。魚面の若い男。多分、「デリンジャー」から派遣された諜報員スパイ。私たちグループの男ではない。

 多分顔を合わせるのはこの作戦一度きり、後は何処かへ姿をくらます存在。


「あ、自分、谷川マクロっす。宜しくですー。ま、もう合わないでしょーけど」


 男は間髪入れずに滔々と喋り続けた。


「いやー強力な神通力……じゃねーわ、ブラフマーを持つルカ様と、それによって人間の身体能力の限界を超えたチエ様の……素晴らしき連携コンビネーションでしたねー」

「うるせえよ気狂きちがい。これのどこが任務完遂ミッション・コンプリートなんだよ。これ見て、何とも、思わないのかよ」

「そうです! 足はルカちゃんの方が速いです!」

「いやそうじゃなくて」

「私はハッキングも出来るので、知力と体力が両面的アンビバレントに優れていて……」

「ごめん、ちょっと黙ってて。今」


 チエは少しだけハッとした表情を見せて、すぐに顔を伏せた。真っ白だったワンピースは既に血塗れ。可哀想に。私はチエの顔を抱き込んだ。


「(うん、分かってくれたらいいから)」


 男は小さくモゴモゴと呟いて、やや斜め上の方向を向いて頭を振った。私は今になって急に、こんな連中に使われているのが恥ずかしくなってきた。


「さっきセコセコどっかにしまったあのガンでな、出来れば自分たちだけで駆逐して欲しかったよ。超能力スーパー・パワーを持つ小娘に頼り切っきりじゃなくて。だって大人なんでしょ? 私らには無理だったよ、ほらこの通り」


「何がっすか? こうして、模造人間シミュラントは倒せたじゃないすか。今回、上から御達しの任務ミッションはそれなんでー」


「だからイカれてんのかお前らはよ、この被害状況で、どこが任務完遂ミッション・コンプリートなのかって……」

「え? だって、指定認可地区サーティファイドの人間っすよ? 別によくないすか? いくら死んでも」


 私は絶句した。

 異次元を通り抜ける最新型の模造人間シミュラントよりも、まず先に駆逐せねばならないのは、この男だったような気がした。


指定認可地区こっちで数十年に一度、たまーに起こるのは、この手の突発的な事故だけ。非指定地区向こうでは日々、これ以上に粛清されて死んでます。知ってますよね? 『陸地のジェニー』っす。そもそも、この列島は人工過多だとワンネスが考えているので、毎日どっかしらで無実の人々がバンバン殺されてんのが普通です。お二人みたいに特別な力を持たない俺なんか、もう明日と言わず今日中に何かのきっかけでぶっ殺されてもおかしくないっす」


 私たちは何も言わず、抱きあったまま、その男を見上げていた。


「まあ別にいいんすけどね、死ぬのは。覚悟の上なんで。でも何も働かないまま取り敢えず娯楽でも何でも与えられてて、食うに困らない生活が保証されてる指定認可地区サーティファイドの人間より、毎日老人から子供まで過酷な肉体労働を強いられてて、『お上からの引き締め』のために今この瞬間にも、殆どが無実の罪で粛清されてる、非指定地区アン・サーティファイドの人間の命の方が、どう考えたって優先されるべきじゃないすか? 片方が生産の全てを任されて、もう片方がその上に乗っかったままなんてどう考えてもおかしいし。その乗っかったままの人間なんてクズみたいなもんだし、別にどうなってもいいじゃないっすか」


 私はもう、二の句が継げないでいた。これ以上、何を話しても無駄だろう──

 すると隣でチエが、冷たい声で

言い放つのが聞こえた。


「あなた、もうあの通信社の人間や、模造人間シミュラントと変わらないですよ」


 男は静かに微笑んだ。


「そもそも血の通った人間は、諜報員スパイになんかなんないっすよ。俺の血はなんかもう、一滴残らず干上がりました。とうの昔にね。それじゃ、もしまた会う機会があればよろしくです。『元気です。ありがとう。どういたしまして』」


 そして踵を返し、後処理をしている私服機動隊の中へと紛れていった。

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