指定認可地区 ②元気です。ありがとう。どういたしまして。

 窓の下では街路樹に等間隔で植えられた針葉樹が、十二月の枯れた風に揺られているのが見えた。

 よく目を凝らすと、道行く人々の吐く息が白いのが伺える。非指定地区アン・サーティファイドと違って週に最低限度の労働で、揺り籠から老後までその生活が保証されている人々。娯楽も過剰なほどに供給される。死んで灰になり、政府の養分として価値がなくなるまでの、暇つぶしのお供に。

 なのにそれらの表情は、何時も虚ろなものに見えるのは何故だろう。でもこれは、もしかしたらただの偏見バイアスなのかもしれない。

 自分が昔、あんな目にあったから。そして自分が今、こんなことをしているから……


 暫しの沈黙の後、最初に口をついて出たのはチエからの言葉だった。

「その、仮想空間ヴァーチャルの檻を一点突破して、ワンネスに到達する力が、私たちのブラフマーにはあるということですか? もしかして仮想空間に精神を、もしくは身体ごとダイブする的な?」

「秋組/金曜日」は返答する。

「そうだ。元々君たちの言う3.7.部隊の行っていた人体実験の数々は……反吐が出るような鬼畜の所業そのものだったが、ひとつだけ極めて神秘的なものがあった。それは──」

「古代インディアーラの秘術。かつて宇宙との交信を試みた、とある大魔道士が残した黒魔術」

「そうだ」


「秋組/金曜日」このディアンジェロさんは続ける。

「その実態については未だ解明されていないが、ひとつだけ言えることがある」

 どこかの窓の隙間から差し込んだ一陣の風が、少しだけ私たちの髪を揺らした。


「そもそもこの宇宙は、陰と陽の力、それらの相互作用として神から発せられた、ありとあらゆる場所に時間と空間を生み出し続ける、謂わば巨大過ぎるエネルギーの波形そのものだ。それは常に完璧で、調和的な釣り合いを形成している。そして重要なのは──それは常に、『流動』している。まるで隆起しては時間の経過と共に崩れ去る、移ろいゆく砂のように。この宇宙は絶えず膨張していると同時に、星々を動かし続けている」


 またいつものよく分からない禅問答、哲学、天体物理学の迷路に入り込んでいこうとしている。

 私たちは確かにブラフマーの修行をした。

 しかしそれは手段として、大宇宙がもたらす神秘の力をあくまで一時的に借りているだけに過ぎない。

 それそのものや、宇宙の成り立ちについて究明するのは私たちの役割ではない。

 というか、正直、全く興味がない。

 なのに周りの人たちはいつもこうして、その謎に迫ろうとしている。

 私はその神秘とやらには興味がないのに。

 ブラフマーという宇宙の意思も。

 アートマンという個人の意思も。


「しかし、その完璧といえる調和の中にも、ごく稀に僅かな綻びが生じることがある。大仰にいえば、『非合理的な存在』というべきものが、均衡の取れた調和のハーモニーの中へと混入し、紛れ込むのだ。それを……」


 うんざりだブルシット

 私は窓の外を見ながら、返答する。


「その『不浄』を正す。意のままに、この宇宙の物理法則とかを操って。要は、何でも出来ちゃう。心で念じれば」

「何でもじゃないですよ、ルカちゃん。例えば今すぐに、このビルをぶっ潰せるかといわれても……」

「無理だね。てか、そもそもそんなことやろうとしないでね。一般人巻き込むのは厳禁よ」

「はーい」


 それがブラフマーなのだ。

 宇宙の状態を「非合理的な存在」や「不浄の異物」が混じり込む前に戻す。

 それこそがこの宇宙の本来の意志を借りた、奇跡の超能力。


 分かっている。くだらないオカルトそのものだ

 だが、確かに私たちに宿っている。私たちはそれを、心身で感じることが出来る。

 まあ、その通りなのだろう。


 その後もディアンジェロさんのブラフマーへの崇拝トークは続いたが、それらは全てチエの咄嗟の一言によって雲散霧消した。


「まあ、要は『スター・ウォーズ』のフォースですね!」


 誰もが一番最初に思いついて、心の奥底に仕舞い込むような、とても人前でするには憚れるような発言。

 でもそれを臆面もなく言えるのは、きっとこの子の良いところなのだろう。


「うむ……確かにそうだな。しかしそこまでメジャーかつ偉大なる過去の娯楽作の中で、単純化された概念と比べてしまうのは……」

「『スター・ウォーズ』は今でこそ大ヒットシリーズとして記録されていますが、かつては監督ジョージ・ルーカスが自ら立ち上げた会社で独自に制作された、極めてインディペンデントで作家性の強い、謂わばカルト映画と呼んでも差し支えない作品であり……」

「はいはい。もういいから。あっすみません。いちごパフェふたつ下さい。ほら、チエも食べて食べて。長時間のドライブでお腹空いてるでしょ」

「いちごパフェ? やったー! しかもルカちゃん! 私の代わりに注文してくれたんですね! 流石、生涯の伴侶!」

「誰も追加注文していいなんて言ってないぞ……というか君たちは既に挙式済みなのかね?」

「いいえ、勝手に言ってるだけです。事実婚、事実婚」

「そうか、それでいい。今じゃ同性婚は、いくら指定認可地区こっちでも死罪になり得るからな。まあ、とにかくだ!」


 秋組で金曜日のディアンジェロさんは右手に、有事通信社社員専用のスマートフォンを掲げながら笑う。

 その銀色はディアンジェロさんの黒い肌をバックにすると、やけに近未来的なガジェットのように見えた。実際は旧世代の遺物だというのに。

「こういう、全てが物理科学等のロジックで解明されるものに、興味がないだけだ。私は」


 ウェイターがいちごパフェを2つ、テーブルに運んできた。

「宇宙の神秘は、何時だって科学の力を超克する。それほど、我々人間の生み出した科学なんて脆いものだ。この広大かつ深淵なる宇宙に比べれば。ただひとつ、分かっていることは……何ひとつ、分かっていないということだけだ」

 

 もしかしたら私たちの頭の中は、既にイカれているのかもしれない。

 この国よりも、とっくの先に。



「琴音ナナに関しては……こちらも未だにその全容を掴めていない。まさに偶像そのものだ。まるで周囲を巧妙に煙に巻くホログラムだな。誰にも触れられない……」

「いや、こないだ私、記憶データ盗んできましたけど」

「……は?」

「……え? 聞いてないんですか? 部署違うから分かんなかったんですか?」

「……ランボーさん、あの人は本当に読めないな……あの人は昔から、指令系統を隠す癖がある。しかし、盗み出す際の大容量電波発信はなかったと思うが……」

「それも、ブラフマーのおかげです」

「そうか……内容は?」

「データはバグだらけで禄に読み込めなかったです。今のとこ、それらしい手がかりはなしです」

「その後の向こうの動きは?」

「帰りに来ましたよ。車爆弾カー・ボムの遠隔操作で」

「……帰りに?」

「はい」

「……それで今日、普通に指定認可地区ここへやってきたという訳か……」

 ディアンジェロさんは首をポキポキと鳴らした。


「まあ、日常茶飯事なんで。そんなのは」

「まあいい。その程度ならあくまで自動探知だろうからな。まだワンネスには届いていない。本当にあいつの怒りを買ったなら、即時君たちに向かって核ミサイルでも何でも落とすだろうからな。その件で、本格的に上が動き出すのはまだ先だろう。これからも彼女の調査は続けるのか?」


 私はパフェをつつきながら、胸の奥底のつっかえを取るように息を吐き出した。

「実態についてはまだ分かってなくても、直感で感じることはあります。それこそ、深淵なるブラフマーのお告げでね。きっと琴音ナナには何かあります」

「そうか。では、また連絡する。既に援軍は用意してある。この後は予定通りに頼む。『元気です。ありがとう。どういたしまして』」


 ──元気です。ありがとう。どういたしまして──


 指定認可地区サーティファイドの人間は、一通りの会話の終わりに何時もこう言う。軽い挨拶みたいなものだ。まさか、これを言い忘れた時には罰則がある訳ではないだろうが……

 ワンネス指定認可地区サーティファイドの住民に日々、履修を強制させている「思考制度法」は、論理的帰結の名の元に、全ての「クエスチョン」を最終的に排除するのだ。


 その思考法の中に「クエスチョン」の概念はない。

 政府の施行する政策に、何人たりとも疑問を抱いてはならないからだ。

 彼が完全な洗脳ブレインウォッシュを免れているのはまさしく、日頃信仰している宇宙の神秘によるものなのかもしれない。

 


 およそ四十分後。

 私たちは「秋組/金曜日」との短い会合(久々のスイーツをついつい食べ過ぎてしまったので、そこまでは短くなかったが)を極秘裏に終えた後、手筈通り次の任務ミッションへと向かった。

 通信社側が現実リアルを巧妙な搦め手で牛耳っているのは、琴音ナナの件についてもそうだ。もしたらあれは、ただの氷山の一角に過ぎないのかもしれない。


「マウジッヒ・ストラッセ/110番街」の大広場。

 私たちの街の110番街とは別世界だ。

 どこまでも鮮やかできめ細やかな光のプリズムの中に、最新鋭の情報が洪水のように流れ出てゆく。

 見渡す限りの人、人、人、恐らくは模造人間シミュラント……模造犬、模造猫たち……

 この人々を守らなければならないのは、至極当然のことだ。いくら無味無臭の生活を装っている有象無象、張子の虎の群れだからといって、真に叩くべきは悪徳都市バビロンそのものだからだ。

 いや、こうやって彼らのことを精神的に下にみてしまう私は、やはり根っから反体制の思想イデオロギーに毒されているのだと思う。

 ただの偏見バイアス

 それでも今は、自分に出来ることをしようと思う。


「(……で、どの辺に現れるんです? その新型模造人間シミュラントは)」

 

 チエが何時もと違った、明瞭で鋭い声を思念サインに乗せて発した。いざとなったら頼もしい子だ。


「(それだけは分かんない。時空間転送の実験らしいから。本当は転送元まで分かればよかったけど、ディアンジェロさんは監視塔ウォッチング・タワー勤務だからそこまでは分かんなかったって。何ならそのまま失敗して、何も起きてくれないのが一番いい。当たり前だけど)」

「(……マサフミさんのところを嗅ぎ回ってたのも、こいつなんですかね?)」

「(……多分ね)」


 午後の陽射しが視界の隅にちらついた。広場には続々と人が集まってくる。中央部に設置された大きな噴水がサラサラとした音を立てている。


 有事通信社が数十年おきに実施する、新兵器の「抜き打ち実技演習」──謂わば逃れられない天災だ。 

 如何なる状況下シチュエーションでもその場の人命の救助は優先されず、全ては事故死や自然死として事後処理に回される。この国の人間全てが知っている常識だ。

 ワンネスの下す論理的な判断は、何時でも論理的で正しいのだから。

 しかし今回の、ここまで露骨で大量の死者数が予測される卑劣な計画は初めてだった。


 今回実施されるのはタキオン粒子の操作を利用した、新型時空間転送装置搭載模造人間シミュラント、通称「ガン・クラッパー2号」の転送能力と、その機体と全搭載火器類の射程距離、破壊力の実施テストだ。

 

 広場中央の椅子に座っている私たちを包囲するように、ディアンジェロさんの用意した私服の機動部隊が置かれている。必要とあれば、私たち諸共ぶっ放してくれて構わなかった。銃に撃たれことなど、生まれて一度もなかった。

 何時でも弾丸は、私たちを避けてくれるからだ。

 

「(ねえ、久々に『レベルガール』、一緒に聴こうよ)」

「(えー。パンクはもう飽きましたよ)」

「(あれ聴いてると上がるし、より『深く繋がる』んだよね。一緒に聴こうよ)」

「(……分かりました)」

 宇宙の神秘には興味がないと言っておきながら──私は心の奥底で、人知れずそれを渇望しているのかもしれない。



 実施時間である14時が迫る。

 10、9、8、7、6、5、4、3、2、1……



 広場に面した一番巨大なビルの壁面に、時計を模した子供向けアニメのキャラクターのホログラムが現れ、その現在時刻を告げた。

 そして、そのキャラクターを背後から笑顔で抱き抱える、容姿端麗な少女が広場に大きく投射された──

 琴音ナナだった──


 彼女は私に向かって笑い掛けた──

 その刹那、私はこめかみの奥に鋭い痛みが走るのを感じ、思わず地面にうずくまってしまいそうなほどの不快感に襲われた。


「(ルカちゃん!)」


 チエに肩を抱かれて、辛うじて留まった。

 周囲を見渡す。

 

 何も起こらない。

 実験の失敗か、中止か──


 数秒後、約20メートル先の通行人の一人、二十代男性の首から下が消失しているのに気が付いた。

 緩やかな歩行速度に合わせて、血の赤が滝のようにコンクリートの地面の上に落下し、ビチャビチャとした不快な音を立てている。


「(あれだ)」


 やがてその首は、ひとりでに地面へと落ちた。5〜6キロほどある成人男性の頭部は、コンクリートの上で鈍い破裂音と共に、鼻先から目元に至るまでの小さなヒビ割れを起こした。左側の眼窩から白い組織が勢いよく飛び出して、地面の上を滑り抜けていった。


「(クソ、『向こう側』から出てくるんじゃなくて、『向こう側』へと引き摺り込んでる)」


 とある年配の女性から始まり、やがて広場全体へと伝播してゆく、甲高い悲鳴──


「(次来たら、全力で引っ張るよ)」

「(はい!)」


 そして数秒後──

 逃げ惑う人々やロボットの中に、一瞬だけこの空間の中に混入した異物……「非合理的な存在」を、私たちのブラフマー感知キャッチした。

 すると後方約40メートル、現実空間リアルの中空に時空の穴が開き、一人の中年の模造人間シミュラント──ガン・クラッパー2号の右腕が其処から出現した。

 その手は走り回る少年の首を狙っている。


「(今──)」

 

 私たちはそれを捕捉する。手の指先は目標地点を失って静止。しばし中空をユラユラと漂った後、「マウジッヒ・ストラッセ」の大広場へとその全身が引き摺り出された。

 

 グレーのスーツを着込んだ、でっぷりと太った中年男性。真っ黒で大きなサングラスを掛けている以外は、どこにでもいるような──


「(もし私が先にあれ倒したら、ラーメン奢ってくださいね)」

「(いや、ラーメンはそもそもお前が奢る予定だったろ。この前の大食い対決で)」


 私たちは走り出した。

 ビキニ・キルの「レベルガール」が爆音で脳内に鳴り始める。


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