指定認可地区 ①マウジッヒ・ストラッセ/72番街

 車窓を流れる指定認可地区サーティファイドの景色。

 無機質なビル群が蜂の巣状に建ち並ぶ。そして、朝焼けの冷えた空気が当たり一面に充満していた。

 

 確かに、此処は光に満ちている。

 それでも何故か、この風景は無味無臭だ。私はこの街へ秘密裏に訪れる度、何時も不思議な気分になる。


 多種多様な電磁波と空飛ぶネット回線、塵ひとつなく区画整理ソフィスティケイトされた街並み。監視員、清掃員、一般通行人、etc……一体どれが赤い血の通った人間で、どれが冷酷無比な模造人間シミュラントなのか分かりはしない。

 誰もが、人間の皮を被って生きている。

 日々、余りある娯楽と余暇を享受しながら。


 ありとあらゆる壁面に映し出される広告、生放送番組ブロードキャスティング・プログラムの雨露、乱反射を繰り返しては煌めくプリズム、機敏な動きで街を歩き回る人、人、人々の群れ。

 ニュース番組の中年男性アナウンサーのホログラムが、時計台のある中央広場に大きく飛び出しながら言う。まるで神の顕現かのように。


「本日もトーキョーラマは平和でした。そして明日も、これからも。安心、安全の指定認可地区サーティファイド。提供は有事通信社」

 

 次は容姿端麗な女性アナウンサーだ。おそらく二十代後半ぐらいだろうか。

「──提供は有事通信社」

 また次は若い男性アナウンサー。

「──提供は有事通信社」

 

 どいつもこいつも目に光がない。

 こちらを真っ直ぐに凝視し続ける、ふたつの漆黒の空洞が顔に付いているだけに見える。



「−労働、生産、消費、繁殖−」

「−全てのサイクルは貴方の為に、貴方は全てのサイクルの為に−」

「−全ては、論理的な帰結の名の元に−」


 

 また聞こえるワンネスの音声。監視カメラと同時に、至る場所に設置された盗聴用のスピーカーから……

 片側の全ての人間たちの労働力レイバーが、もう片側の人間たちの安寧な生活を支えている。

 それがこの国、この列島が選んだ「論理的な帰結」の道だった。

 

 私は、かつて3.7.部隊に連れ去られた幼少期に想いを馳せた。あれは確か、「ポープ・マテリ」の路上で遊んでいた頃……


「(あの、いっつも思うんですけど。何で私らのブラフマーは、車の運転はしてくれないんですかね?)」

「(知らん。あと運転中に思念サインはやめてくれ。気、散るんだよ)」

「(じゃあ、代わりましょうか?)」

「(何が『じゃあ』なんだよ。また事故って、面倒いことになるだけだろ)」

「えー」

「(声、出すなよ)」

「別に大丈夫でしょ、車ん中なんだし」


 チエが隣の席から猫の視線を投げかけてくるが、それどころではない。

 指定認可地区サーティファイドの「都市開発知能A.I.」は、人間や車の歩幅というもの全く考慮していなかった無能なのか、此処はやけに道幅の狭い二車線が多い。路肩を走行車スレスレで早歩きしている有象無象の人々の動きは、まさしくロボットのそれである。


 我等がグループの備える技術は優秀だ。

 非指定地区アン・サーティファイドとの唯一の連結部であるレナード橋、そこから伸びる高速道路は偽造IDで楽々通過パス。そもそも私たちにはブラフマーが付いているから必要ないのだけれど、念には念を。

 しかしこの、久々の運転は──

 

「(あーイラつく!)」

「(まあまあルカさんや、落ち着いて。どれ、ここは私が人肌脱ぎましょうか……)」

 横から身を乗り出したこの''パートナー''は、ハンドルに手を掛けようとする──

「やめろ!」

 大きく横道へと逸れては、危うくビルの側面へと衝突しそうになった。



「……というわけで、先月扇動した小規模プチ・ストライキのおかげで今、此処に監視の目はない。思う存分、羽を伸ばしてくれ給え。非指定地区アン・サーティファイドの若き革命戦士よ」

 

 大型ショッピングモールの二階にある喫茶店。

 指定認可地区サーティファイドの有事通信社社員、そして国民総監視塔オール・アロング・ウォッチング・タワー勤務のディアンジェロさんがテーブルの上に、大きなパンケーキとコーヒーを一組ずつ差し出す。肩まで伸びた長いドレッド・ヘアーが揺れている。

 そしてその裏の顔は、ランボー先生を頭首とする私たちグループが放った諜報員スパイ、「秋組」リーダーである「金曜日」だ。


 私はコーヒーに口を付けると、窓の下に広がる「マウジッヒ・ストラッセ/72番街」を見下ろした。生活雑貨屋や服飾店の建ち並ぶあの通りや、流行のスイーツ店に蟻のように群がる行列……

 

「秋組/金曜日」、ディアンジェロさんの黒い肌に西日が当たっている。優雅な手付きでフォークとナイフを操り、口元へと運ぶ。

 正真正銘の、指定認可地区サーティファイド育ちの作法だった。

 隣の席でガチャガチャと音を立てながら、必死に目の前の獲物に喰らいついているこの相棒とは違って。


「んー。悪くないですけど、やっぱ前に差し入れで貰ってた、和菓子の方がよかったですね!」

「……そんだけガッツいといてよく言うわ。奢りなのに」

「ハッハッハ。チエちゃんの食べっぷりは何時見ても気持ちいいねえ」

「その調子で、虫のフライも片付けてよ、ほんと」

「嫌です! 私は虫以外の、甘いもんと辛いもんを好みます! これぞ両面性アンビバレンス!」


 私はパリっとした白いワンピース姿のチエを横目で見る。どうやら、この前の琴音ナナに影響されたようだ。ミーハーな奴。それに何だかここ最近、更に肉付きが良くなってきて──

 いや、そうじゃない。そんなことは今、どうでもいい。


「その、『革命戦士』ってのやめてくださいよ」

 ディアンジェロさんは不思議そうに首を傾げた。

「何故だ?」

「『革命』ってのは古い世代の言葉なんですよ。ランボー先生もよく使うけど」

「……じゃあ、何という言葉で代替出来る?」

「……それは……」

 私は二の句が継げなかった。


非指定地区向こうにはカフェはあるのか?」

「……昔はあったのかも」

「上の連中に潰されたか」

「多分そうですね、はい」

「ところで、今日は君らデート気分なのか?」

「え? 何でですか?」

「いや、傍から見て、凄いお似合いだったからさ」


 私は何時もの赤いジャケットに黒のカーゴパンツを合わせているだけ。何処から仕入れているのか、頻繁に服装を変えるチエとは違う。ここぞという時にしか着ないと言っていた、何時も箪笥の奥底に閉まっている、あの黒いチャイナ・ドレスを思い出す。

 私は、何時も思う。心の奥底で。チエは本当は、私から離れて、「こんなこと」から離れて何処か遠い国へ行った方が幸せなのではないかと。

 しかし、逃げ場はない。今時、全体主義が敷かれていない国なんてない──


「あのーすみません! おかわりください!」

「ハッハッハ。よく噛んで食べろよ」

「で、そろそろ本題に……」

「あっ! ルカちゃん。食べないならください。気付きました? さっき少しも挙動不審キョドらずに、凄い自然ナチュラルに、店員さんに声を掛けられました! やっぱりこういった食育は人を育む……」

「本題に入ってください!」



「秋組/金曜日」は静かに話し始めた。

「『デリンジャー』のマルコムと平田の件は残念だった。こちらとしても極秘裏に開拓したルートで助け舟を出したつもりだったが、手遅れだった。現実リアル仮想空間ヴァーチャルの双方から立体的に調査を進めていたが、どちらも向こうの迅速な動きには付いていけなかった。本当に申し訳ない」

 するとディアンジェロさんは深々と頭を下げた。

「じゃあ彼らは、ワンネスの末端組織へアクセスしようとしたところを、黄金網目ゴールデン・アイに補足されたということでいいんですか?」

「そうだ」

 

 私は目の前にあるコーヒーを飲み干した。

現実リアル仮想空間ヴァーチャルの双方を、攻守共に固めようとしているのは向こうも同じだ。しかし現実リアルではどうしても軍勢の差がある。そして黄金網目ゴールデン・アイは、謂わば仮想空間ヴァーチャル内を統べる太陽だ。深部への侵入者を確実に補足し、地獄の業火で焼き尽くす。奴等は仮想空間ヴァーチャルの警護をそれひとつで賄い、日々巻き上げている財力の殆どを現実リアルに注ぎ込むことで、その鉄壁の牙城を更に堅牢なものにしてきた」

 

 ディアンジェロさん──「秋組/金曜日」は鋭い眼差しをこちらへ放った。


「我々がそれを唯一打開出来ると信じているのは、君たちの持つブラフマーの神秘だ」



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