ザ・フィーディング・オブ・ザ・ファイブ・サウザンド

 黒い作業服に身を包んだ老若男女の群れが、巨大エレベーターに詰め込まれてゆく。

 赤子と重度の病人以外は食いっぱぐれることのなくなった世界に、灰色の陽が降り注ぐ。指定認可地区サーティファイドのビル群から発せられる強力な電磁場が、陽光を屈折させるのだ。

 

 街全体に降り注ぐ小さな埃と灰も、高地に位置する向こう側の世界の化学薬品工場や、再生エネルギー処理場などで焼却された廃棄物が、煙突から立ち昇る雲となって間接的にこちらへ降り注いだものだった。

 

 濁った朝日が地平へ降り注ぐ。

 私たちはブラフマーの静謐なる深部へと交信チャネリングし、完全な気配断ちをしながら、砂利道を歩いている。

 十一月の肌に噛み付くような冷気と粉塵に塗れた景色の中で、私とチエは彼らの働く強制労働施設へと歩を進めていた。

 一昨日の罰ゲームに負けたチエは、物資のパンパンに詰まった袋を6つ、両肩に乗せながら歩いている。


 昨日は昼過ぎに起きて、さらに琴音ナナの脳内データの解析に時間を費やし、結局午前二時過ぎに床に就いた。ここ数年ずっと不規則な生活で、眠りは浅くなっていく一方だった。横にいるこの怪力女とは違って。

 

 昨日は、無理にせがまれたが断り切れなかった。

 なるべく寝る時だけは、チエと同じ布団の中は避けたかったのだが。その寝相の悪さには定評があるから。

 年々、私の睡眠の質は下がってゆく一方だ。目覚めた頃にはチエの足の裏が目の前にあった。


「あー怠いわ、マジで」

「わ! ルカちゃん! 息コオロギ臭いです! しばらくの間キスはやめてくださいね!」

 

 わずか数時間の眠りで日々全快出来るこいつは、私と一体どこが違うのだろう。身体と、精神の作りのどこが。


「うるせえ。揚げ昆虫に基本匂いなんてねえ。コンソメのいい匂いだろ。ラーメンに卵とかトッピング付けるから」

「え? それは話が違くないですか?」

「はいはい。違くないよー」


 昨日の運転ライドは、何時と違って奇妙な感覚だった。

 まるで頭蓋を丸ごと入れ替えられたような体験。通常、記憶映像の疑似体験はメタ思考が併走する俯瞰的なものだが、本当に琴音ナナの頭の中へと入り込んだかのような臨場感があった。

 それが今日のこの、異常な程の倦怠感へと繋がっているのか──


「ああ、ルカちゃん。今日はあの日だった……」

「違えよ馬鹿。うちら『操作』してんだろいっつも。仕事の前に入れねえよ。プロなんだから」


 街の外れに掘り返されている巨大な炭鉱と、併設された簡易宿泊施設。無作為ランダムに選出されたこの町の労働者プロールの大多数が、此処で強制的に期間工の職を充てがわれている。

 

 金曜の昼。

 皆が血の赤が滲んだ作業着を身に纏い、それぞれが岩場などに腰掛けて休憩していた。束の間の自由。私は彼ら、彼女らの表情のひとつひとつを注視した。

 この人たちが収穫した石炭は中華連邦/第三列島の鉄鋼業の要となる。第三次世界大戦後の国内炭業は我が列島唯一の資源であり、輸出産業だった。 

 

 近くの自動工場オート・ファクからは鉄と鉄のぶつかりあうキンキンとした衝突音、そして残響音。産業音インダストリアルロックだったら、かつてミニストリーが出していた金属音だ。遠くの方から微かに聞こえてくる。

 しかし、あれほど整頓された快活な響きではない。むしろ死神同士が鎌を擦り合わせているような、不快で悪夢的な摩擦音だ。思わず耳を塞ぎたくなる。

 私はその不協和音を掻き消すように、人々に向かって叫んだ。


「はーい皆さん! お疲れさまでーす!」


 何時もの皆がこちらへ気付き、少しずつ集まってきた。余所者エイリアンである私たち二人は、こうして温かい声に迎えられた。

 およそ500人の労働者たちが密集するこの炭鉱スポットB-2。今日、監視員が一時的に現場を離れるのはこの昼休憩のタイミングだけだ。

 私たちは持ってきた袋を広げて、パンや果物などの物資を人々に分け与えてゆく。


「本当に申し訳ないねえ。ありがとう、ありがとう」

「いいえ、大丈夫。最近どっか悪いとこある?」

「ああ、最近腰をやっちゃってね……」

「大丈夫? 無理しちゃ駄目よ、絶対。たまにはバレないようにサボっちゃえばいいんだから」


 そう言うと、今年67になるサキちゃんはニッコリと笑った。

「チエちゃんも、いつもありがとうね」

  

 横を見やると、丁度チエは地平線の彼方へと逃走オン・ザ・ランしているところだった。

 私は全速力で地面を蹴りつけ、その首根っこを掴んでは元の場所へと引き摺り出した。


「いっつも思うけど、何でお前の方が人見知りなんだよ!」

「やっぱりなんか、他者との交流コミュニケーションって、動的ダイナミックでありながら、どこか静的スタティックな感じもするというか、この両面性アンビバレンスが気まずいというか……」

「はいはい……」


 私はチエをサキちゃんの目の前へと連れ出した。挨拶、他愛の無い世間話。

 炭鉱の人々と話す機会はそれほど多くない。私は彼ら、彼女らの

普段の日常生活や悩みの種について、どんな小さな事でもいいから教えてくれと言って調査ヒヤリングしていった。



「近頃はやっぱり、労働時間が増えたのと、税金のやりくりが……」

「ご飯、いっぱい、食べたい。虫じゃなくて」

「テレビ、面白くない。もっと違う映画や、音楽が聞きたい」

「町中でただ歩いてただけなのに、有事通信社の人間に拘束されて……」

「ネット上に書いてた普通の日記が、通信社への反逆にあたるとかで親戚が……」



「……この前、公園に……『デリンジャー』の人が……」

「知ってる。怖かったよね、ごめんね」

「……ルカちゃんが謝ることじゃないよ」

 


 私はユウスケとケンイチの兄弟を抱きしめた。

 彼らの父親は数ヶ月前、通信社によって粛清されたらしい。チエは母親の手を取って、何か言葉を掛けている。辿々しい調子で、顔を赤らめながら。


「あ、あの……こんな時に、何の慰めにもならないかもしれないけど、私の好きな昔のラッパーが言ってました……彼はフューチャーって言って、同時代のケンドリックとかと比べて良い意味で適当で、ラフなバイブスとリリックが持ち味で……」

「おいやめろ。酒だの金だの女だの、ろくなリリックがねーぞフューチャーは。一体どんな言葉パンチラインを掛ける気だ」

「あっ……あの、ボブ・マーリーっていうジャム・ファーミリアの伝説的なレゲエ・シンガーが、『きっと、全て良くなるさエブリシング・イズ・ゴナ・ビー・オールライト』って歌ってました!」

 

 すると彼らの母親は、静かに微笑んだ。

「それなら知ってる。うちのお爺ちゃんが好きだったよ」



「本当に、いつもありがとうございます。僕は今月いっぱいで脱けれるんですけど、次のチーフに引き継いでおきます。また向こうの動きが分かったら、その都度、情報を送りますので……」

 

 短く髪を刈り上げた、精悍な顔付きの青年。 

 チーフのマサフミさんがそう言うと、人々は食べ残した物資を衣類等に隠して、それぞれの持ち場へと帰ってゆく。もうすぐ休憩も終わりだ。

 私はマサフミさんの作業着……両腕に付着している血の赤を見やる。

 

 私とチエの髪の色と同じ赤。

 赤は濃淡含めて、結局は血の色でしかない。人間の身体に流れる赤。精神と精神を繋ぐ赤。

 そして暗黒の世界を、最も鮮烈に切り裂くことの出来る色。それが赤。黒い作業着の上にポツンと浮かんだ……

 私は束の間、今まで殺してきた指定認可地区サーティファイドの、有事通信社の人間が流していた血の赤を思い出していた。


「それで、最近少し気掛かりなことがあるんですけど……」

「何ですか? 何でも言って下さい」

「近頃、この辺りに変な人が見回りに来てて。何時もの監視員以外の人で、全身鎧まみれの、炭鉱入口の通行IDデータを見るに、多分通信社の人間ではないと思うんですけど……」


 恐らく奴等が開発した、新型の模造人間シミュラントだろう。模造人間シミュラントであれば所属部署の登録を切り抜けられる。

 私はマサフミさんの両肩に手を掛けた。

「分かりました。とにかく炭鉱ここを出たら、真っ先にランボー先生のグループと合流して下さい」

「はい。今後も警戒を怠らずにいきます」


 

 帰り際、ユウスケとケンイチがこちらへと走ってきた。

 二人は少しモジモジしながら、照れくさそうに笑い掛けた。

「ねー。この前聞いたんだけど、おねーちゃんたち、付き合ってんの?」

 少しだけ、周囲に緊張が走った。

 静寂。

 ピンと張り詰めた空気の中で、まず先陣を切ったのはチエの方だった。

「そうだよー」

 二人の兄弟は不思議そうに問いかけた。

「それって、犯罪じゃないの? 女同士で」

 チエは笑った。

「犯罪じゃないよ。私たちはずっと、昔からこうだから」

 

 

 私たちは皆に手を振りながら、炭鉱を後にした。

 私はチエの手を握りながら言った。

「じゃ、他の隠れ家セーフ・ハウスで食料受け取って、次は隣町。早く行くよ」

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