目一杯の祝福は、君にあげられないけれど

 

 −なんだこいつ、思考が極端すぎんだろ−

 −過去に何かあったのか?−

 


 明け方四時過ぎ。

 四回目の運転ライドが終わった。

 そしてヘッドギアを外すと、何故か私はリビングの方へと移動していて、汗だくになって突っ立っていた。

 目の前には怪し気に笑う17歳の天才ハッカー兼脳内記憶データ解析班の少女がいる……レジスタンスにのみ支給される特製のスマートフォンを手に構えていた。

 私は自分の四肢の関節が、先程まで激しく駆動していた感触を察知した。

 全てを、察した。


「ああ……身体が同調シンクロしてたのね、ずっと」


 チエはホクホク顔で、端末に先刻まで録画していた映像を眺めている。


「そうですねー。たまにあります、こういうの。対象者への共感エンパシーが高まれば高まるほどに……えへへへへ」


 私は全身の肌が粟立ち、冷や汗が湯水の如く湧き出るのを感じた。

「あの……すみません。削除しては頂けませんでしょうか?」


 チエは顔を赤らめながら、中空にかざした端末画面を覗き込んでいる。

 そして音声が、私の声が、聴こえてきた……


「あなたは私のムーンライト」

「せめて今夜だけ」

「この宇宙を漂っていたい」


「永久保存版だー! へっへっへ。なーんだルカちゃんも実は、こういうのに憧れあったんですねー。でもダンスは上手いのに、歌は酷いもんで……」


 私はチエに、大外刈りからの廻し蹴りを叩き込んだ。

 チエは首尾よくそれをガードし、得意な大振りのストレートを私に向けて空中から繰り出した。



『シーッ……』

『何の音?』

『太鼓でも、音楽でもなかった』

『本当に?』

『あれがそれなの? 間違いなく?』

『そうだ!』

『戦争が始まった……!』

 

 

 −この描写、マヤコフスキーの「戦争と世界」の模倣パクリみたいだな、と私は思った。−



『まるで人気のない、まるで一年中眠りこけているような、静かな森の中』



 −「静かな森の中」だけでいいよ馬鹿野郎−

 −やっぱりなんだかいけすかない奴だ、琴音ナナ……−



『あなたはきっと将来、知ることになる』

『ヴォネガット先生の懐かしい声がした。私はほっと胸を撫で下ろす』

『声が聞こえても、答えてはいけない。自分の中の宇宙に、世界の形を変えるだけの答えなんてないの』

『私は先生のふとっちょな腕や、使い古した黒いワンピースに手を伸ばす』


 

 −ヴォネガット先生?−

 −場面が飛び過ぎている。−

 −一体誰の事だ?−


 

『しかし指先は虚空を横切って、周りの景色は激しい閃光と共に一瞬で吹き飛んでしまった』

 


「これは多分、マヤコフスキーの詩からの影響インスパイヤなんでしょうね。多分このヴォネガット先生とやらが徴兵からの帰国後に通っていた寺子屋? の師匠で、詩の読み書きの才覚から本格的なブラフマーが発現したと……」

「え? 教養アピール? あたしだって気付いてたし!」

ブラフマーはその人の元来兼ね備えていた神通力、ありとあらゆる才覚、宇宙の意志に選ばれた存在そのものなので、私たち特殊な生体実験の被験者でなくても、ひょんなことから発現することはあります。ごくまれですけどね」

「だから知ってるよ! てか時系列グチャグチャ、一つの場面の中でも飛び飛びで、全然潜れてないじゃん。原生記憶。何かプロテクトでも掛かってんの?」

 

 チエは肩をすくめて言った。

「分かんないです……取り敢えず、ルカちゃんの耐性を考えて、今日はここまでです。あまり一度に深く潜ると、ウイルスに感染する可能性もあるので。次は何か決定的なものが見付かれば……」


 本日最終となる5回目の運転ライドが終了した。リビングの窓には既に朝の陽射しが微かに降り注いでいる。

 卓袱台の上に投げ捨てられたヘッドギア。チエは未だに卓上に展開された、何やら訳の分からないパネルや見取り図、立体図等のホログラムを凄まじい勢いでタップし、データのさらなる解析を続けている。自分にはない技術に私は素直に感服した。ピンクの髪がタイピングの振動で微かに揺れている。

 私はそれに触れようと手を伸ばしたが、すんでのところで思い留まった。


 テレビのニュース番組では(勿論、提供は有事通信社)、今月の粛清者や、自殺、他殺、病死、餓死などを包括したありとあらゆる「自然死」を遂げた人物の名簿が淡々としたBGMと共に流れている。

 そして指定認可地区サーティファイドを支えるための労働を推進する、子供向けのアニメの放送が始まった。一昔前の古臭いプロパガンダ。

 

 それも終わった。

 最後のテロップが流れる。

−この番組は、有事通信社の提供でお送りしました−


「テレビつまんないですね、やっぱ。昔は大陸で、テレビもネットも沢山見られたのに」

「まあ暇だったしね、あん時。もう一生分のエンタメは接種したからいいでしょ。メジャーどこからマイナーどこまでさ。先生の趣味で古いの多かったけど」


 3.7.部隊の訓練施設ブートキャンプ、そして人体実験室から抜け出した後、私たちは行く宛もなく大陸側へと流れ着き、ランボー先生が指揮を取っているレジスタンスに拾われた。

 非指定地区アン・サーティファイドへの「侵入」には公的書類の偽造など含めて、およそ3年もの月日を要した。私たちはその間、人里離れた小屋で先生のお弟子さんたちの元、みっちりとブラフマーの研鑽を積んだ。

 私たち2人にだけ使える、秘密の力だ。

 しかし、修行といっても基本は一日に数時間瞑想するだけで、後は殆ど遊んでいただけだ。

 ブラフマーは何時も、私たちを見守ってくれていたから。



「この国が現在関与している紛争、そして来るべき戦争などの有事に備え、有事通信社は常に、あなたたち国民の側にいます」

 A.I.音声が流れている。

 

 一体この国は現在、何処の国と戦っているのか?

 これからどのような戦いが待ち構えているのか?

 その答えを知っている者は、誰一人としていなかった。

 有事通信社の経営理念を妨げる存在は、この世に必要ないからだ。


 午前八時過ぎ、放送は中断される。

 これから労働の時間だからだ。

 

 指定認可地区サーティファイドを、非指定地区アン・サーティファイドを、そしてこの国……「中華連邦/第三列島」を統べる全知全能のA.I.である、ワンネスの音声が流れる。



「−労働、生産、消費、繁殖−」

「−全てのサイクルは貴方の為に、貴方は全てのサイクルの為に−」

「−全ては、論理的な帰結の名の元に−」

 


 スクリーン画面はブラックアウトした。



「……ちょっと、休憩しようか。ご飯取ってくるね」

 私はキッチンへ今月の支給品を取りにいった。

 明日、配給品に回すパンや葡萄、林檎、バナナ等のフルーツ類は別に冷蔵庫の中に保存してある。

 今月はコオロギのフライだ。それらが山盛りに詰められた銀色の防菌ケースと、冷蔵庫から豆乳と野菜ジュースを取って卓袱台へと戻る。

 味付けはコンソメだった。

「先月のバター醤油の方がよかったですねえ。ましなのは最初だけで、飽きがくるのが早いですこれ」

「……ていうか豆乳との相性最悪、野菜ジュースも……」

「ルカちゃん。どうせ食べるもんはどこにも売ってないんですから、ドリンク選びは重要ですよ。もっと気を配らないと」

「いやお前だろ豆乳買ってこさせたのは」

 

 私たちは机上の風味よく揚げられたコオロギたちに、静かに齧り付いていた。

「ていうか煎餅何枚食べたの?」

「うん、いや……まあ」

「食べすぎじゃない? あたしまだそんなに食べてないよ」

「まあ、その……そこそこですよ。それより! 野菜ジュースって栄養あんまないのって本当ですか?」

「……まあ、基本糖分だからね、あれ。飲むとしたらトマトジュースよ」

「へえ。じゃあ、今度外出た時に買ってきて下さい!」

「で、煎餅何枚食べたの?」

「嗚呼! 早くあっちでラーメンとか寿司とかステーキ! ラーメンとかラーメン! あとはラーメンとか食べたいですね!」

 チエは仰向けに倒れ込んだ。

「まあ、次の任務ミッションで機会があれば、ね」

 私は防菌ケースの中にあったコオロギたちを見下ろした。まだまだ山のように残っている。労働者階級プロール・クラスはなるべく飢えさせずに、労働力として搾取する政策。そして支給品の無断廃棄は厳罰……私は溜息をついた。


「久々にあれ……やっちゃいます?」

 チエが、不敵な笑みを浮かべながらそう言った。

「……やっちゃいますか! 次は負けないから」

「じゃあ負けた方は、指定認可地区サーティファイドでラーメン奢りで」

「オッケー」

 私たちは二人分の皿を用意し、香ばしく揚がった残りのコオロギたちを等分に分けた。

 そして、熾烈な早食い競争の幕は切って落とされたのだった。




 

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