琴音ナナ

『十二歳で、外は戦場だった』

『頭が上手く回らない。身体が硬直して動かない。ありとあらゆる光景が、目の内側を高速で駆け抜けてゆく。まだその名前も知らなかった、何処かの異国の地で……』

『銃声』

『暴発』

『跫音』

『悲鳴』

『やがてその回転は止まり、ぼやけた風景の中に微かな輪郭が浮かび上がる。そこは少年少女十字軍の捕虜が収容されていた第5屠殺場だった。耳を聾する轟音は既に過ぎ去っているのに気付く。既に辺りは暮れかけていた』

『太陽は跳躍を止めて、切ない引力に引き摺られて、やがてあの地平線の向こう側へと……』



「ちょっと待って! 何だよこれ!」


 

 私はヘッドギアを外し、卓袱台の上に置いた。

 チエは机上の左端に小さく展開された、ホログラムのタッチパネルをカタカタと叩くのを止めて、私を睨みつけた。

「もう! 途中で強制ログアウトはやめてくださいよ! 機器がバグるんですよ。それやると、たまに」

 私は肩で息をしながら、頬を膨らませている''パートナー''に詰め寄った。

「何でこんな! いきなり戦場の記憶から始まんのよ! 聞いてないよ!」

 チエは大きな嘆息をついて、ランボー先生のお弟子さんが差し入れた煎餅の残りに手を伸ばした。

「あれ? 言いましたよ? 始める前に。大分、幼少期の頃から遡って始まる記憶だって」

「言ってなかったよ!」

「そうでしたっけ?」

 

 チエは頬をのまんまるに脹らませながら、バリバリと煎餅の咀嚼に勤しんでいる。

 そして魅惑の猫の目でこちらを見つめてきた。単なる目線だ。それ自体に意味はない。

「……何だよ。自分には耐性がないからってさあ……」

「……怖いんですか?」

「……そりゃ怖いよ。だって、みんな嫌な思いしたんでしょ? 第三次世界大戦は。まさか『十字軍』に入れられてたなんて……まあ、今では軍事拡張の名目で、ヤラセで続けてるだけらしいけど」

「……はい、まあ」

「大体なんか描写がキモいんだよ。『太陽は跳躍を止めて』とな、『切ない引力に引き摺られて』とかさあ。なんか無理して詩的ぶってるみたいな……」

「……ルカちゃん」

 チエがゆっくりとこちらへ寄ってきた。

 私はまた、その胸の中に抱かれる準備をした。

「……はいはい」


 するとチエは、私の両肩を思い切りに鷲掴みにして、まっすぐにこちらを見て言った。

 口元には煎餅の欠片が付着していた

「仕事なんで! ちゃんとやりましょう!」

 そして元の位置へ戻り、再度机上にタッチパネルを展開し始める。


「……なんだよもう。分かったよ」

 この子は、なんで仕事となると途端にドライになるのだろう。まあそれも、有能である証か。

 私も再び、前頭葉に当たる箇所にUSBが差し込まれたヘッドギアを装着し直した。

 

 それは指定認可地区サーティファイド第一等管理局にある、各種媒体メディア出演者たちに提出が強制されている記憶情報保管室から、先程私がダウンロードし、盗み出したものだ。

「大体自分の記憶をデータ化するのも、他人の記憶に違法に侵入するのも、私は嫌なの? 後で頭痛くなるから!」

 

 するとチエは、機敏なタイピングをしながらこちらも見ずにボソッと呟いた。

「私は知ってますから。ルカちゃんが、これぐらいの事でへこたれる子じゃないって」

 私は目線で合図を送り、再び標的ターゲットの脳内へと記憶旅行の旅を始めた。


 今や飛ぶ鳥を落とす勢いだ。

 地下マイナーアイドルグループ、「KATSURAGI DOLLS」の不動のセンターだった琴音ナナは最近、待望の単身ソロメジャーデビューを果たし、人類初の超能力アイドルとして日夜メディアに多数出演し、指定認可地区サーティファイドの産業を賑わせていた。

 彼女は私たちレジスタンスが、古代インディアーラの思想に基づいて長年に渡って開発してきたブラフマーの力を、初めて大衆の元へと晒したのだった。

 

 それらの殆どは初級の技術で単なる子供騙しでしかなかったのだが、こちら側としては調査を進めない訳にはいかなかった。


「すごーい! ナナちゃん! 本当にスプーンが曲がってますよ!」

「ありがとうございます! でもこんなのは全然序の口で、他にもとっておきがあるんですよー」

「ええー? 本当に? 是非見てみたいですー!」


 スタジオで中年の女性アナウンサーが、わざとらしく応対している。

 違法受信したテレビ電波。画面の中で、白いワンピース姿の少女が笑っていた。

 

 黒く艶々としたキューティクルが短く波打つショート・ボブ。

 ジャン・リュック・ゴダールの初期作に出てた頃のアンナ・カリーナみたいな。

 輪郭のやや丸い、幼い顔立ちにカチっと合致している。まるで最後のパズルのピースみたいに。

 溌剌とした表情。宝石のように輝いて、クリクリとした丸い目。血色の良い頬と薄紅の乗った唇が、またハキハキと喋り出した。


「それは今日の新曲で披露します! お楽しみにー!」


 絵に描いたような偶像アイドル

 チヤホヤと持て囃されるのは当然だろう。あの愛嬌の良さと、圧倒的かつ完璧な魅力の前では、誰だって惚れ込んでしまうはずだ。

 資本主義の豚共、傀儡政権の兵隊共、そして無辜の一般市民、ティーンエイジャーたちも。

 指定認可地区サーティファイドの打ち出す「商品」としては、珍しくまともな代物であった。

 それは認めざるを得ない。


「まあ、チエほどじゃないけど……」

「え? 何ですか?」

 チエがタイプを一時中断し、こちらを向いた。

「何か言いました?」

「……何でもない」

「いやーでも、本当に可愛いですよねー。ナナちゃん」

「……はあ?」

「え、だって。可愛いじゃないですか。昔のルカちゃんみたいで」

「どこがだよ」

「顔が」

「……違うよ」

「うん、まあ、違いますね」

「……どっちだよ!」

「……何がです?」

「顔! 似てんの? 似てないの?」

「……誰と?」

「昔の! 私と!」

「うーん。まあ、似てると言えば似てるような……」

「似てるんだな! そんで可愛いんだな!」

「えっ? あっ、はい」

「そんで! 何だかんだで、総合すると今の私には叶わないんだな!」

「あっ、まあ、はい」

「……よし!」

「まあ、でも、いいなーと思います。私も生まれ変わったら指定認可地区サーティファイドのアイドルになりたいです。あんな風に飛びながら歌って」

「……あっそう」

「てか凄くないですか? あんな風に飛べるの。どうやってんだろ」

「さあ……きっと『イメージの力』が強いのかな。私たちよりさ、もしかしたら強いかも」

「ルカちゃんも、飛びたくないですか? あんな風に」

「うん、まあ……出来れば……それより準備終わった? 次の運転ライドの」

「もうちょいです。最後はもっと深い原生記憶まで、長い時間潜れると思います」

 

 ブラフマー交信チャネリングした指定認可地区サーティファイドの産業アイドル。

 政府側の動きを掴むには、確実に摘んでおかねばならない不安要素だった。

 

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