個人的な革命

「……では、先日の市長選の結果と合わせて、こちらはまだ、静観を保つしかないねえ。特に『秋組』の『月曜日』から『金曜日』は警戒態勢を怠らないようにい……特に、『金曜日』君はあ……」

 

 ランボー先生が、和室の中央部の卓袱台に置かれたモニター越しに喋っている。画角はいつもの顔のアップ。白く染まった年季が入った長髪の間で、痩せ細った顔が静かに揺れている。

 かつては非指定地区アン・サーティファイドを代表するパンク・バンドのドラマーを務めていた伝説のミュージシャンであり、「脱東後」には中華連邦/第一大陸の秘境で極秘裏に研鑽を積んで、この戦地へと帰還した修験者だ。

 

 非指定地区アン・サーティファイドで音楽の娯楽が容認されていた時代のアイドル的なルックスとは打って変わって、その渋面には厳しい修行を耐え抜いた初老男性の、深い皺の年輪が刻まれている。

 しかし、その性格は真逆だった。


「玉依君、今日はありがとうねえ。いつも君にはよく動いて貰ってるう……」


 元ヒッピーらしい、心此処に在らずでのんびりとした喋り方。もう少しテキパキと話せないものかと思う。ドラッグなどは使用しないらしいが、大陸側で修行した者は皆このようになると聞いたことがある……''私たち''以外は。

 思念サインを飛ばせない人間にとっては盗聴は命取りだ。違法改造された端末でIPアドレスの出処を攪拌させた上で、この定時報告はいつも5分程度で迅速に終わる。

 

 しかし今夜は、3分ほど超過していた。

 私たちはモニターを囲っている。チエは隣で先生のお弟子さんたちが定期的にくれる差し入れの中から、特にお気に入りのおかきにポロポロと齧り付いていた。


「はい……そうですね、分かりました」

「というか古いですよね、その『秋組』とか季節で括るやつ。『春組』、『夏組』、『秋組』、『冬組』って。そんで各エージェントは『月曜日』から『金曜日』。一体いつの時代のコードネームなんですか?」

 横からチエが口を挟んだ。私は苛立ちながら彼女を受け流す。

「多分フランス。19世紀とかの」

「あれですか? 若松孝二とかの映画は関係ないんですか?」

「はいはい。ないよ」

「えっ? でも、なんかそういうのありませんでしたっけ?」

「だから、ないって」

「確かありましたよ! 何だっけな……あっ! そうだ! 『胎児が密猟する時』ですよ!」

「ありますねえ。『天使の恍惚』ですよお。あれから取りましたあ、私があ。チエさん、気付いて頂いて幸いですう。でも、今はなるべく、私語は止めてください。時間が勿体ないのでえ」

 ランボー先生が、無造作に伸び切った白い長髪のサイド部分に、軽く手櫛を通しながらながらそう言った。


 クソがビッチ

 どの口が言ってるのだろう。

 早く、通信を切り上げなければならないというのに。いつ何処で当局の監視の目プローブが現れるかは分からない。近頃では国民総監視網は更に強化され、黄金網目ゴールデン・アイと呼ばれる新たな(表向きには)軍事目的の通信傍受シギントシステムが投入されたとの噂もある。もはや仮想空間の裏路地に安息の地などはない。


「え? やっぱ凄いですね先生は! それって多分、一世紀以上前の映画ですよね? え? やっぱり目の付け所が……」

 

 私は卓袱台を叩いた。

 チエは一瞬、体を震わせてこちらを見た。私は捲し立てた。それ以外にやるべき事が見付からなかった。

「『デリンジャー』の社員が狙われ始めたのは、通信社の連中はこっちの動向にもう勘付いているという事ではないでしょうか? 最近の、加速度的な『ジェニー』の増加を鑑みるに」


 ランボー先生はモニター越しにかぶりを振って返答した。

「それはないねえ。前の定例会で仕入れた情報の通りだよお。何より一掃の手入れが入るなら、もっと派手に動いてるはずだからあ、うん」

「元よりの想定からアクションが遅れてるという事は?」

「それもないねえ。向こうの決定や動きは機敏だからねえ、いつも」


 ランボー先生は落ち着き払った様子で、いつものように手元にある湯呑みに口を付けた。前髪を弄くりながら。

 いきすぎた深謀遠慮か? 

 私にはよく分からなかった。この状況で、未だに受け身寄りの静観を保ち、具体的に攻め込まないでいられる事が。

「でもっ……このままじゃ……!」

「落ち着いてくださいね、ルカちゃん。ね?」


 気付けば私はチエの胸の中にいた。

 いつもの甘ったるい匂いと、か細い指先。前髪を優しく撫で付ける感触。最近の疲労がどっと全身から滲み出ては、濾過され体内へと新鮮な空気が循環してゆくような感覚。

 日常のブラフマー


 私はチエの腕の中からゆっくりと逃れ、モニター越しのランボー先生と再度向きあった。真横にいるチエにもアイ・コンタクトを送った。単なる目線だ。それだけが意思の疎通となる。

「……落ち着いたあ? ねえ? ルカ君。」

「……はい」

 ランボー先生はまた、粗茶を白い髭の生えた口元へと運んだ。

「いいねえ、若いってのは」

 6畳の狭っ苦しい和室の中に、しばし沈黙が舞い降りた。

「例えばねえ、私は何度聴いても、『美しく青きドナウ』と『花のワルツ』の違いが分からんかったりするんだよねえ」

「……何の話ですか?」


 ランボー先生は粗茶を口元へと運んでは軽く咳払いをした。私たちはそれをじっと見守っていた。

「だってあれ、なんか似てるじゃない。曲調とか、メロディやリズムがあ」

「全然違いますよ」

「勿論、知識では知ってるんだよお。でも、感覚が追い付かないんだよお。先に『美しき青きドナウ』があって、数十年後にチャイコフスキーがパクったんだよねえ」

「パクってないですよ」

「……まあ、どっちでもいいんだけどお」

「どっちでもいいんですか」


 ランボー先生は口元の湯呑みに目線を下げながら続けた。どうやら出涸らしの粗茶は当に空になっていたようだ。

「……要は知覚の歪みなんだよねえ、それってえ。知識と感覚のズレ。そういうノイズは、人間誰だって抱えてるう。それが、この宇宙に生きてるって事だからあ。この宇宙そのものは、何もかも不完全な、『非合理的な存在』に侵入された領域だからねえ。皆を救うような神様はいない。逆に皆を苦しめる『非合理的な存在』だけがある。大袈裟に言えばあ、生来、我々が個人レベルで抱えている矯正しようのない欠陥。そういうものを敢えて受け入れてこそ、この人生には未だ知り得ない未知の光が指すもんだよ。『欠落こそ君の哲学』ってねえ。この国の昔のとある吟遊詩人も唄ってたねえ。宇宙規模で考えても一緒。それを学んでこそ、この宇宙を司るブラフマーと、自分の中にある宇宙を司るアートマンを、繋げる事が出来るんだよお」

 

 また始まったか……

 私は師匠の、このよく分からない説法には飽き飽きしていた。

『美しく青きドナウ』と『花のワルツ』の違いなど、今すぐにでもこいつに知識を叩き込んでやりたかったが、この老いぼれた師匠の顔を見ていると、何故だかその気も失せてきた。

「……つまり、何が言いたいのかと言うとお、今夜の定時報告は君の心身に眠る、この宇宙そのものと繋がったブラフマーにとっては13分の体感時間だったけど、私の中にあるブラフマーにとっては、いつもの5分間だったって事。そういう知覚のズレに惑わされてはいけないよお。それはいずれ、内宇宙インナースペースアートマンと、外宇宙アウタースペースブラフマーとの均衡バランスを狂わせるからあ」

「……いや、それはあくまで個人個人が自己の内で完結してる感覚の話であって、先生と私との間のズレなんて関係なくないですか? そもそも時間なんて、普通に客観的に観測出来るものなのに。それは結局、いつも通り先生が時間にルーズになってるだけじゃ……」

「はっはっは! それでは失礼するよお。例のデータの解析を宜しくねえ」

 

 しばしの沈黙。

 ランボー先生は再び口を開いた。

「つまりね、身心の知覚のズレ。それはいずれ、己のアートマンと宇宙のブラフマーを狂わせる。まあ唐突に聞くけど、君らにとって革命とは何かね?」

 急に毅然とした態度で話し始めた先生にやや面食らいながらも、私たちは返答した。

「まあ……結局、強気を挫き弱気を助ける、ってことですかね」

 とチエが先に答えた。

「……体制システムではなく、常に人間精神ヒューマニティーの側に立つことです。時として体制システムの奮う圧政フォースに対する唯一の対抗手段である、暴力バイオレンスの行使を惜しみません」

 

 先生は少し俯きながら、少しだけコクンと頭を垂れた。

「……それだけでいい。この先にある現実を知って、自分の中の理想との間に軋轢ズレが生まれても、その最初の純粋な動機を、どうか忘れないでおくれ……特に玉依君、冥府魔道には堕ちないように」

 通話は途切れた。


 私は革命に携わる人間の中で、ここまで心身共にいい加減で、チルアウトな人物を見た事がない。

 そしてここまで掴みどころのない人間も。


「……『冥府魔道』って何?」

「『子連れ狼』じゃないですか?」

「ああ……」

「ルカちゃん! 私の『くるみ割り人形』は、ルカちゃんだけです! 一緒にこの『中華連邦/第三列島/トーキョー・ラマ』という、不思議の国のディストピアを旅しましょう! 有事通信社をぶっ潰しましょう!」

 

 初老の哲学家の禅問答めいた話法を真似た、私とは''人目を忍ぶ関係''である17歳の少女がまた腕に抱きついてきた。

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