オープン・セサミ(ランボー先生と2人のテロリスト)

「ルカちゃん、訓練施設ブートキャンプでのあの地獄の日々をもう忘れたんじゃないんですか?」

「うっさいな。うちら速攻で人体実験室送りだったでしょ。寒いからはよ開けて」

「嫌です。開けて欲しかったら誠意を見せてください」

 

 チエはくすんだ黒のジャージ上下を着て、舌っ足らずな調子でモゴモゴと喋った。口をあまり開かずに。その癖声はやけに大きい。まるで昔のマンブル・ラッパーだ。

 黒子のような格好と対象的な、ピンク色の長髪が腰の辺りまで垂れている。

 

 私より少し背の低い、華奢な体格。長い睫毛の先で、いつでも私をやっかいな魔法にかける。潤んだ青い瞳は母親からの授かり物。少しだけ吊り上がった猫のような三白眼が、私を見つめている。最近では珍しい、第三列島とアメリカーナとのハフというやつだ。

 最も、今や私たちに両親の記憶は殆どないのだけれど。3.7.部隊の豚共が大脳皮質を弄くり回したのだ。

 私にとっての唯一の''家族''は、この山田・キートン・チエだけだった。


「何に対してのよ」

「今夜、''愛しのフィアンセ''である私を一人寂しく、このボロ小屋に残した事に対してです。この寂れ切った、荒廃した世界の果てにある、まるでチベタンマリーの修道僧モンクがこの宇宙の真理の淵に初めてその手を触れた後に、小屋を建てて人里離れて暮らしている高原の、淡い紫と黄色のフラワームーンが静かに風に吹かれている場所のような、この誰も存在しない寂寞の世界で……」

「知らねえよ。あんたが任務ダルいって言ったからだろ。家で他にやる事あるって。大体暇なら、また隣の部屋のチンピラ叩き起こして徹マンでもやりゃいいじゃん。そんで指定認可地区サーティファイドまで行ってさ、ああ徹夜明けに食べる牛丼は最高だ! つって……」


「ルカちゃん! 今は厳戒態勢を取ってて、そうホイホイと向こうまでいけません。そして彼らはチンピラなどではなく、この国古来の侠客、歴史と伝統あるYAKUZAなのであり……」

「分かってるよ! 冗談よ冗談」

 

 まあ、現実はこんなものだ。

 所詮、表向きからみれば、私たちはこの社会をコソコソと這い回るネズミでしかない。

 築42年、ボロの一軒家。木造の軋みが足元から全身に伝わる。チエは今にも蝶番が弾けて飛んでいきそうな扉の向こう側で、顔を半分だけ見せていつものように微笑んでいた。

 私は片手に持っていたビニール袋を差し出した。


「はい。買ってきたよ豆乳」

「わー、ありがとうございます! ああそうだ、納豆ごはん食べます? 納豆はまさしくマジカル・ビーン。東洋の神秘。釈迦が物心付いた頃から好んだ暗黒物質ダークマター。ザイオンの畑でアメリカーナ1950年代のニューヨークの無法者ヒップスターたちが育てた宇宙の記憶アカシック・レコード……」

「はいはい。分かったから。誰もピンとこないややこしい隠喩メタファーはいいから、早く開けてよ」

「駄目です! 合言葉パスワードをちゃんと言ってください!」

 

 チエは目の下まで伸びた長めの前髪を指先でいじりながら、悪戯っぽく笑った。その目は人懐っこさと同時にどこか裏のある、狡猾な様相も持ち合わせている。

 

 夜風に揺られる艶やかな髪。こんな生活では毎日ろくに日光にも当たっていないだろうに、何故こんなにもキラキラした髪質をしているのだろうか。私は自分のパサついた赤髪の襟足を少し触り、疲労のこもった深い溜め息をついた。

 

 全く律儀な奴だ。ランボー先生の教えを未だ忠実に守っている。まだ此処の場所がバレている気配はない上に、私が偽物であるかどうかは、時間はかかるが脳を透視スキャンすれば良いだけだというのに。


「やっぱり、暗号とかあった方がテロリストっぽくて格好いいじゃないですか!」

 

 チエはまた悪戯っぽく笑っている。リスのように頬に空気を溜めて膨らませて、私を少しだけ見上げている。

 腸が煮えくり返る。早くしてくれ。こっちは一仕事終えて疲労困憊だと言うのに。


「ちょっとルカちゃん、顔怖いんですけど!」

「分かった! 分かったから早くして!」

「はい。それじゃ第一問……」

「第一問? 何問あんの? てかそれ合言葉パスワードじゃなくてクイズじゃん!」

「いいから、いいから! えっと……第一問!」

「何問あるの! 寒い!」

「一問だけ! えっと……セルジオ・コルブッチの『続・荒野の用心棒』で、窮地に追い詰められた主人公ジャンゴがラストシーンで言い放った……」

「『土に還るべし』!」

「え? 凄い! 何で分かったんです?」

「前、話してた、それ! あの台詞ヤバい! 格好いいって! マカロニ・ウェスタンの話! 本当に早く入れて! 誰かに見られたらヤバいじゃん!」

「はい! おかえりルカちゃん!」

 

 ルカの手が私の手首を引いた。その感触は確かに温かかった。

 私は、クスクス笑い続けるチエによって中へと迎え入れられた。

 

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