有事通信社
「(いや、納豆は美味しいですよ! あの粘り気はまるでシヴァ神の垂らした涎であって……)」
遅延して届いたチエからの
そして脳内BGMをかける。今宵も尊大で慈悲深い、偉大なる
先程から脳内でリピートしているのはボビー・ウーマックの「アクロス・ザ・110th・ストリート」。この辺りを歩く時は決まってこの曲だ。
昔チエとよく聴いたレコードが
だが、それがいい。何だか風情があると思う。音楽が聴く者の情動に訴えかけるものである以上、その周波数の質自体で良し悪しが決まる訳ではない。今まで生きてきた中で一番温かい思い出に直結したこの音こそが、結局私を何よりも癒やし、そして奮い立たせてくれる。
私は「ポープ・マテリ/110番街」の裏通りを歩いていた。
まるで辺り一面が煤を被ったように黒く濁り切った路上。
体内時計は午前三時七分。こんな時間帯には人っ子一人いない。
南東に細く伸びる錆びたシャッター商店街の窓に、乾いた寒風が静かに吹き抜ける音がする。
そしてあの鼻につく匂いを、腐敗した風が運んできた。
それは血の香りだった。
細長く伸びる高架下。リニアはとうの昔に廃線している。そこを抜けて大通りの殺風景な広場の左手に出ると、視界の片隅に映る小さな都市型公園のブランコに、亡骸が二体乗せられていた。
ブランコはキイキイと錆びた金属片の歌を静かに奏でている。薄い月明かりの下で、ゆっくりと揺れている。
顔見知りだ。
恐らく週末の「見回り」によって粛清されたのだろう。
片方は「デリンジャー・コーポレーション」の役員であるマルコムで、もう片方は平社員の山田だった。
二人の男は古風なスーツ姿のまま頭を垂れて、そこに座っている。
まるで胸部をレーザー銃で撃ち抜かれた以外には何事も起きなかったかのように。
これから待ち人でも待っているかのように。
鮮血の垂れた白いシャツの首元にはこんな文字の書かれたプラカードが掛けられている。
「第二級犯罪(違法文書図画の蒐集、及び
「
「
これが所謂、「陸地のジェニー」と呼ばれる死体だ。
私は脳内で流れる音楽を止めた。
そして、歩き続けた。
今の自分には、それ以外の選択肢がなかったからだ。
夜明けにはきっと市の回収業者がやってくるだろう。
広場を過ぎて角を曲がると、無人のコンビニエンス・ストアが見えた。
コートに付いていたフードを深く被って、店内に入る。
そして監視カメラの位置を確認。
丑三つ時、こんなに狭っ苦しい無人の空間にも、壁一面にモニターで本日の粛清者一覧の文字列がゆっくりと上下にスクロールされている。
数分程度の映像は終わった。
提供はもちろん、有事通信社。そしてまた繰り返し流される。
私はそれをじっと見ていた。そんな事をしている場合ではないのに。外に出て、
店外のガラスには剝がれかけた知らないバンドやラッパーのポスター、素人目にも下手くそなグラフィティーが所狭しと敷き詰められていた。
それらの文字列や絵の模様の中には、私たちより以前に存在した反政府ゲリラの残した暗号がある。一昔前のサブリミナル効果を駆使したものだ。目の焦点をズラしながら浮かび上がらせると、
「W.A.R.A.G.A.I.N.S.T.W.A.R.(戦いを止める為の戦い)」
「F.I.G.H.T.W.A.R.N.O.T.W.A.R.S.(戦争で戦うな、戦争と戦え)」
「D.E.S.T.R.O.Y.P.O.W.E.R.N.O.T.P.E.O.P.L.E.(大衆ではなく、権威を破壊せよ)」
「T.H.E.R.E.I.S.N.O.A.U.T.H.O.R.I.T.Y.B.U.T.Y.O.U.R.S.E.L.F.(この世には、己以外の権力は存在しない)」
となっている。
未舗装の地面からは糞尿と嘔吐物、
最悪だ。
早く家に帰ってシャワーを浴びたい。
私は再び、脳内で「アクロス・ザ・110th・ストリート」を爆音でプレイする。
そしてこのファンキーで切ないリズムに乗って、この路上から一気に駆け出した。
この伽藍堂の世界から逃れて、何処か遠くへ行きたい。
雨風を凌いでくれる丈夫な家。
温かいスープと思わず踊り出してしまう音楽のある場所へ帰りたかった。
疾風のように走り抜ける。
流れる景色、ゴミ溜めみたいな街、此処が私のクソったれな故郷。
やがて光の渦に飲み込まれる。
視界の左端から右端、上下左右が反転する。
私は玉依ルカ。
神速の玉依ルカ。
何処までも飛んでいける。
この世の果てまで。
此処ではない何処かへ……
とにかく、温かい場所へ帰りたかった。
チエがいる場所へと……
「あっ。意外と速かったですね。でももしかして、少し鈍っちゃったんじゃないですか? ルカちゃん」
辿り着いたのは「ポープ・マテリ」の隣町、「ギャンズ・ベア/3番街」のいつもの
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