水晶騎士
突如として現れた上級幹部カンデラの実力は、並大抵のものではなかった。
「上級幹部…水晶騎士の一角、アメジストのカンデラの剣にかかって死ぬことを誉れとするがよい」
『百合香―――――っ!!!』
瑠魅香の叫びが轟いたその瞬間だった。
「む?」
いま剣を突き立てようとしていた百合香の全身を、青白い輝きが満たしていった。
カンデラは、まだ百合香に動く力が残っているのかと思った。しかし次の瞬間、百合香の姿は紫のローブをまとう、黒髪の魔女へと変貌した。
「なに!」
カンデラは、その現象に驚いて一歩引いた。黒髪の魔女、瑠魅香は血の流れる首を押して、懸命に立ち上がる。
「百合香、ごめんね…ちょっと身体、無理やりだけど借りるわ」
「きっ…きさまは、黒髪の魔女!」
「ふうん、まだ私の正体までは知らなかったのね」
「一体お前は!?」
カンデラは明らかに動揺していた。それまで、黒髪の魔女の存在は僅かに確認されていたが、それが百合香の変貌した姿だったという事は、城側も掴んでいなかった。そもそも、そんな魔女は存在しないという空気さえあったのだ。
その魔女が目の前に現れた事に、カンデラは驚愕していた。
「よくも百合香に…私の相棒に、こんだけやってくれたわね。許さない」
瑠魅香の全身に、かつてないほどに強力なオーラが立ち昇った。それは、百合香の真っ赤な炎ではなく、青白い、静かな炎だった。
瑠魅香は、杖をカンデラに向けて真っ直ぐに突き出した。
「『ブラッディー・バイガミー!!!』」
杖から無数の紅いリングが飛び出して巨大なリングとなり、カンデラの周囲を二重、三重に四方八方から取り囲んだ。カンデラが警戒する間もなく、それは一気にカンデラめがけて集束する。
「うっ!!」
カンデラの全身に、リングが食い込んで砕け散った。その装甲には傷一つついていなかったが、いくらか衝撃は与えられたらしく、カンデラはバランスを崩して一歩後退し、姿勢を整える。
「この力は…!」
「まだよ!!」
続けざまに瑠魅香は叫ぶ。
「『コア・クラッシャー!!!』」
杖から螺旋状のエネルギーが横向きに広がり、空間全体を埋め尽くすほどの巨大なドリルを形成した。カンデラには逃げ場がなく、そのままエネルギーに押されて、百合香と反対側の壁面に叩きつけられてしまう。
「うおおっ…!」
やはりカンデラの装甲には、全くダメージがない。しかし、カンデラは明らかに、瑠魅香に対して危惧の色を浮かべていた。
「こっ、こやつ…一体何者だ!?」
「でええあぁ――――っ!!!」
もはや名状しがたい怒涛のエネルギーが、杖どころか瑠魅香の全身から、カンデラめがけて襲いかかる。
「むっ…ぶおおっ!」
雷光を伴う暴風とでも言おうか、それはカンデラを壁面に押し付けたまま、凄まじい衝撃をその全身に与えた。
「ぐ…」
カンデラの兜に、ごく微かに亀裂が生じた、その時だった。
「がぼっ!」
瑠魅香は、喉から大量に血を吐いてその場に崩れ落ち、魔法はプツンと途切れてしまった。ドサリと、瑠魅香の細い身体が倒れる音が虚しく響く。
「まっ、まさか、このカンデラの装甲にヒビを入れるとは…」
たったそれだけの事に、カンデラはとてつもないショックを受けているようだった。
眼の前には、それを成し遂げた魔女が、もはや絶命寸前の様子で倒れている。すでに、手をかけずともその命の火は燃え尽きるように見えた。
「百合香…ごめんね…あなたと向き合って、お話したかった」
もはや痛みさえ感じなくなっているその喉から、瑠魅香は意識のない百合香にそう呟いた。
「……」
カンデラは迷っていた。それが彼のプライドなのか、情けなのか、それはカンデラにしかわからない事だった。
アメジスト色の剣を振り下ろす先がわからず戸惑っている、その時だった。
「はああ――――っ!!!」
唐突に、横の方向から青白いエネルギーの波がカンデラを襲った。
「なに!!」
咄嗟にエネルギーの盾を張り、カンデラはそれを受け止めた。しかし、これもまた半端なエネルギーではない。
「むっ…」
そのエネルギーが消え去った後から、ゆっくりと小さな影が歩み寄ってきた。
「俺の弟子が世話になったようだな」
「…貴様は」
それは、レジスタンスの"一匹狼"、片目の猫拳士マグショットであった。その後ろにはオブラがいる。
「瑠魅香さま!!」
オブラはとっさに瑠魅香に駆け寄ると、その脈を診た。まだ、ギリギリ生きてはいる。しかし出血の量が半端ではなく、どう見ても助かりそうになかった。
「どっ、どうしよう…」
オブラが慌てふためいていると、背後から野太い声がした。
「どけ」
「えっ!?」
オブラの背後から現れたのは、バットを構えた大柄な氷の戦士だった。
「さ、さ…」
「百合香を診ていろ」
「サーベラス!!」
それは、百合香が以前対決した氷騎士、サーベラスであった。彼は瑠魅香の存在をまだ知らないためか、多少姿は違えど、百合香だと思っているようであった。
「裏切り者どもが、わざわざ処刑されに出てきたか。殊勝なことだ」
カンデラは剣を斜めに構えて、右手と前方に現れたマグショットとサーベラスを交互に見た。
「ほざけ。処刑されるのは貴様やも知れんぞ、カンデラ」
「その不格好な得物でか」
「喰らってみるか」
サーベラスの左手に、氷のボールが現れる。それを宙に放り上げると、サーベラスはカンデラめがけてノックした。甲高い打音が広い空間に響く。
それは、ただのボールではなかった。
「ぬっ!」
剣で難なく弾いたと思ったカンデラだったが、そのボールは異様なスピンがかかっており、カンデラの剣をかすめると、そのままカンデラの左足首を直撃した。
「くっ!」
ダメージこそなかったが、カンデラは大きく姿勢を崩す。そこに、マグショットが横から、エネルギーを帯びた蹴りを放った。
「あたぁ!!」
「ぐおおっ!」
剣を振った直後のガラ空きになった腰に、マグショットの背中からの蹴りが入る。さすがに腰はダメージが大きく、カンデラは前のめりに倒れ込んだ。
「どけ、猫拳士!ノックの練習の邪魔だ」
サーベラスがバットを肩に載せて怒鳴る。
「貴様こそ、俺の稽古台にちょっかいを出さないでもらいたい」
「ふん」
「その娘を助けたいというのであれば、話は別だがな」
マグショットに言われて、サーベラスは後で倒れている瑠魅香を見る。
「そうだな。それなら話は別だ」
「水晶騎士に対して、幹部クラスの二人がかりか。ちょうどいいだろう」
奇妙な共闘を結んだ二人は、ヨロヨロと立ち上がるカンデラに、二方向からジリジリと歩み寄る。
「笑わせるな。裏切り者ふぜいが何人束になろうと、俺に勝てるものか」
「ごたくはあの世で言え!!」
サーベラスは、バットを片手にカンデラめがけて猛進した。その迫力に一瞬だけ怯んだカンデラだったが、すぐに剣を構えて迎え撃つ。
ガキン、と激しい打音がして、両者の剣とバットが交差した。
「くっ…馬鹿力め」
「どうした、水晶騎士!!きさまの力もその程度か!!」
「ほざけ!」
カンデラは、全身の力を込めてそのバットを振り払う。しかし、またしてもその隙をついてマグショットが攻撃してきた。
「極仙白狼拳奥義!」
マグショットの突き出した両手の手刀に、エネルギーが満ちる。
「狼爪輪斬!!」
十字に交差するように振り払ったマグショットの両手から、リング状のエネルギーが放たれて、カンデラの首を挟撃した。
「ぐあっ!!」
さすがに首の直撃はカンデラといえど耐え切れなかったようで、僅かだが亀裂が入った首をかばうようにカンデラは後退する。しかし、そこへサーベラスがバットを振り回して追い打ちをかけた。
「ぬりゃあああああ―――!!!」
「ぐおおおおっ!!」
容赦ないバットの連撃がカンデラの全身を襲う。さすがにサーベラスのパワーには、カンデラもただでは済まないと思ったのか、カンデラは跳躍して大きく後ろに距離を取った。
「裏切り者どもめ。いずれ、その首ラハヴェ様の御前に晒してくれよう」
「ぬっ、待て!!」
サーベラスは逃すまいと追撃をかけたが、カンデラは魔法のようなエネルギーの障壁を張り、サーベラスがそれを破る間にどこかへ走り去ってしまったのだった。
「卑怯者め!出てこい!!」
「おい、でかぶつ。あんな雑魚はどうでもいい」
マグショットは、すぐさま倒れる瑠魅香の横に駆け付ける。
「瑠魅香を…いや、二人を助けなくては」
「ルミカ?…なるほど、以前百合香と対面した時、ときどき妙な女の声がしたと思っていたが、そういう事か」
サーベラスは、ようやく百合香の中にもう一人の人格がいたという事を理解したようだった。
「だが、俺たちに人間の傷を癒す術などなかろう」
「一人だけ、アテがある」
「なに?」
サーベラスは、マグショットを見た。オブラも、すがるような目で見る。
「ほんとですか、マグショット様!?」
「うむ。ただし、絶対に助かるという保証はない」
「ええい、情けない事を言うな!俺が担いでやる、案内しろ!!」
サーベラスは瑠魅香を左肩に抱えると、杖をポイとオブラに投げ付けた。
「ぶっきらぼうな人ですね!」
「やかましい。行くぞ」
サーベラスの合図で、マグショットは頷いて歩き始めた。サーベラスの巨体に較べると、瑠魅香の細い身体は、まるで紫のマフラーか何かをかけているように見えた。
「なんだと!?」
またしてもヒムロデは、部下の報告に驚く事になった。カンデラが勝手に兵を動かし、百合香討伐に動いた事が、兵士たちの間で明るみに出たのだ。
「あの馬鹿が。実力はトップクラスのくせに、プライドが高いせいで余計な事をする。して、決着は」
「はっ。なんとか意識だけ残っていた兵士の、今際の際の報告によりますと、侵入者のユリカなる人間の剣士は、全身にカンデラ様の攻撃を受けて致命傷を負ったそうです。しかし、その後現れた黒髪の魔女や、裏切り者2名の乱入で、死体の回収はできなかったと」
「なんという事だ」
ヒムロデは椅子にもたれるようにして、机に片肘をついた。
「ラハヴェ様のお耳には」
「先に、ヒムロデ様にご報告しようとこちらに参った次第です」
「そうか、わかった。この件、私が預かる。お前達は忘れろ。いいな」
「はっ」
「カンデラをここに呼べ。ヌルダの件は後回しでいい」
「承知いたしました。失礼します」
兵士が立ち去るのを待って、ヒムロデは立ち上がった。
「どうしたものか」
そう呟いたあとで、ヒムロデは傍らのメイドに向かって言った。
「いや、考えようによっては、奴の責ひとつで侵入者を始末できたのかも知れん…ラハヴェ様の不興は致し方ないが」
ヒムロデは、メイドの顎にそっと指を当て、顔を近付けて問いかけた。
「お前はどう思う」
「ヒムロデ様のお考えのままに」
「そうか」
ヒムロデは振り返ると、窓から空を睨んだ。
「だが、死体を回収できなかったのは厄介だな。侵入者の死を確認せねばならぬ。よいな」
「かしこまりました」
メイドは恭しく礼をすると、部屋にかかったベールの裏に静かに消えて行った。
「噂には聞いていた」
通路を進みながら、サーベラスは言った。
「わけのわからん拳法を使う、レジスタンスの変わり者がいるとな」
「変わり者はお互い様だ。人間の何とかという競技にうつつを抜かし、第3層から降格された奴がいる、という話は聞いていた」
「ふん」
サーベラスは鼻息を荒くした。
「その変わり者の裏切り者どうしが、この小娘に入れ込んでいるわけだ」
「サーベラスとか言ったな。お前はこれから、どうする気だ」
マグショットは、隣で歩く巨体の顔を見上げようとしたが、担いだ瑠魅香の脚に阻まれて顔は見えなかった。
「どうもこうもない。せいぜい、裏切り者として派手に戦ってやるわ」
「やれやれだ」
「マグショットだったか。お前とて、要は俺と似たような立場だろう」
サーベラスは笑う。すると、オブラが会話に入ってきた。
「全員同じですよ。裏切り者です」
「そうだな。裏切り者3匹に、侵入者1人。なかなか面白い見世物ではある」
マグショットはカラカラと笑った。
「サーベラス様、よければこのまま、レジスタンスに加わってくださいませんか」
唐突にオブラが言うので、サーベラスは少し慌てたようだった。
「俺がレジスタンスに、だと?ははは」
「冗談で言ってるんじゃありません。あなたのような頼もしい味方は、他におりません」
「ふむ」
「正直、あなたが来てくださるとは予想外でした。ご自分の意思で百合香さまをお助けに参られたのなら、同じく百合香さまと行動を共にする我々と、手を組めない道理はないでしょう」
「お前、なかなか弁の立つ奴だな」
感心したようにサーベラスは言う。
「まあ、ちょっと考えさせてくれや。なに、ひとまずお前達の味方をするのに依存はない。今はそれでいいだろう」
「なるほど。そういう事でしたら、それでいいです」
「俺達のことより、今はこの娘をどうにか救うことだ」
サーベラスは左肩に担いだ瑠魅香を見る。まだかろうじて息はあるが、このまま放っておけば、確実に死が待ち受けている。
「マグショット、まだなのか」
「もうすぐだ」
マグショットは、通路を右に入った。しばらく歩いていると、壁の前でぴたりと立ち止まる。
「おい」
「待ってろ」
そう言うと、マグショットは何もない壁をコンコンとノックした。
「さっき見かけた薬売り、どこに行ったものか」
聞こえよがしに壁に向かって言うと、突然壁がガシャンと開いて、通路が現れた。
「!?」
一番驚いているのはオブラである。
「マグショット様、これは!?」
「レジスタンスのお前達にも秘密の場所だ」
そう言うと、マグショットは先に中に入った。
「ついて来い」
その中は薄暗く、天井や壁には古臭い装飾が施されていた。奥に進むと、さっき開いた壁がガシャンと、再び閉じられた。
「ディウルナ様のアジトみたいですね」
「ディウルナだと!?」
サーベラスが驚いたようにオブラを睨む。
「あっ、しまった」
「まさかお前ら、ディウルナと通じているのか!?」
「あっ、あのですね」
慌てるオブラに、サーベラスは呆れたように肩をすくめた。
「なんとまあ、お粗末な話だ。裏切り者だらけではないか」
「まあ、こっちとしては味方が増えるので、一向に困りません」
「いっそ、支配体制を転覆させた方が早いかも知れんな」
サーベラスが笑えないジョークを呟くころ、通路は行き止まりになり、引き戸の入り口が現れた。
「ここか。目当ての場所は」
「うむ」
ガラガラとマグショットは戸を開ける。中は、壁には書棚がひしめき、天井からは怪しげな物品がぶら下がる、異様な空間だった。並んだテーブルの上には三角フラスコやらビーカーやら、実験器具らしきものが並び、ガラス容器の中には得体の知れない、動物だか植物だかわからない物体が、青紫の液体に漬かっていた。
「ビードロ、いるか」
マグショットが、煙のたなびく部屋の奥に声をかける。すると、ゴソゴソと音がして、奥から一人の、人間の女性としか思えない顔の人物が現れた。前髪は左右に分けて垂らし、残った髪は異様なスタイルで後頭部にまとめてある。よく見ると、手足は氷魔の機械的なそれであった。
「あら、また来たのね。実験台になる事に決めたの?」
「誰がだ!」
怒鳴るマグショットの背後にいるサーベラスと、その肩に担がれた瑠魅香にビードロと呼ばれた女氷魔は気付いた。
「そっ、それはひょっとして…」
「人間の娘だ」
「解剖よ!!!」
「馬鹿やろう!!治してもらいに来たんだ!!」
マグショットは、嬉々としてメスやハサミを取り出したビードロに叫ぶ。
「つまらないわ」
「お前がつまる、つまらないは関係ない。この娘の身体を、治せるか」
「ふうむ」
興味深げに、ビードロは瑠魅香の太腿をさすった。
「奥の部屋に寝かせてちょうだい」
奥にある部屋は、診療室というよりは墓所じみた雰囲気であった。真ん中に氷の診療台があり、サーベラスは瑠魅香の身体をそこに横たえた。瑠魅香が載っていた肩に、赤い血がべっとりと付いている。
「治せるのか」
「やってみないと、わからないわね。なにしろ人間の身体を扱う機会は滅多にない。最後に扱ったのは、人間の尺度でいう、1500年ほど前になるかしら」
「おい、マグショット。こいつ本当に信用していいのか」
サーベラスは、瑠魅香の身体を弄りたくてウズウズしている様子のビードロを怪訝そうに見ていた。
「今、頼りにできるのはこの女だけだ」
マグショットは、腕組みしてビードロを見る。サーベラスはビードロの脳天を指差して言った。
「もしこいつが百合香を…瑠魅香を殺したら、この首を俺がへし折るからな」
「好きにしろ」
診療を依頼してきた相手から死刑宣告を受けたビードロは、憤慨してサーベラスにケリを入れた。
「ばかにしないでくださる。私、たしかに変人だとか狂ってるとか頭がおかしいとか殺されかけたとか言われてますけど、請け負った事はきちんとやりますわ。ほら、邪魔よ。出ていって!!」
ますます不安が増したサーベラス達だったが、頼れる者が他にいないため、仕方なく隣の部屋に戻るのだった。
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