錬金術師
「あいつは一体、何者なんだ」
座った椅子を体重で壊したサーベラスが、床に胡座をかいてマグショットに訊ねた。
「やつは…ビードロは、錬金術師だ」
「錬金術師だと!?」
サーベラスとオブラは顔を見合わせた。
「そうだ。上級幹部の一人、ヌルダという奴を知っているか」
「ああ、何度か顔を合わせた。いつも、笑ってるのか怒ってるのかわからん、けったいな研究に精を出す、気味が悪い野郎だ」
さんざんな言われようである。マグショットは続けた。
「あの女は…氷魔に性別はないが、とにかくあのビードロは、そのヌルダの弟子だった女だ」
「だった?」
「ヌルダは、あれで一応城に対する忠誠心は持っているらしい。しかし、ビードロは忠誠心などに興味はない。純粋に、ただ錬金術を追求している。そのため、ヌルダのもとを去って、ここで勝手に研究を続けているのだ。ある意味では、俺やお前と同じだ」
「俺とあの女を一緒にするな」
サーベラスは憤慨して腕を組みつつ話を続ける。
「なるほど。しかし、やつの性格はともかくとして、百合香たちを救えるのか」
「わからん。人間には医学というものがあるらしいが、錬金術というものはその医学にも通じるようだ」
「らしい、とか、ようだ、とか、不確かな話だな」
サーベラスの疑念をよそに、ビードロが人体研究もとい治療を開始して、20分くらいが経過した。ガチャリと音がして、ビードロがサーベラス達のもとにやって来た。
「どうだ」
マグショットが訊ねる。ビードロは複雑な顔をした。
「とりあえず、命を取り留める事はできそう」
「本当か」
「けれど、生きているっていうだけの話よ。まともに動けるかどうかは、わからない」
「どういう意味だ」
ビードロは、現在瑠魅香の肉体がおかれている状態を説明した。
「傷はとりあえず塞いだ。人間の身体は、放っておいてもある程度の傷ならそれで治る。問題は血液よ」
「血液か」
サーベラスは、肩に染み付いた瑠魅香、正確には百合香の血を見た。
「そう。人間というか、地上の肉体を持った動物の多くが、血液によって全身にエネルギーを供給している。いま、彼女の肉体からはその血液が大量に失われている。生きているのが奇跡、と言う方が早いわね」
「では、助かる術はないのか」
サーベラスが立ち上がって詰め寄る。
「そこよ。私の錬金術で、人間の血液を造る事は不可能ではないかも知れない」
「では造れ!今すぐ!」
「ああもう、黙って聞いてちょうだい」
ビードロはジェスチャーで全員に「座ってろ」と促した。サーベラスはおとなしく従う。
「血液を造る事はできる。けれど、それが彼女の身体に、適合するかどうかはわからない」
「適合だと?」
「人間っていうのは本当に面倒くさい生き物でね。合わない異物が身体に入ると、拒絶反応っていうのを起こすの。最悪、それで死に至る」
サーベラスたちは、氷の身体を寒気で震わせてそれを聞いていた。
「適合するかどうかは、やってみないとわからないって事ですか」
オブラが訊ねる。
「平たく言うとね。ただし、今回はその成功確率を高められるものがある」
「なんですか」
「それよ」
ビードロは、サーベラスの左肩に染み付いた血液を示した。
「その血液は彼女のもの。それを用いて、私の錬金術で限りなく同じ血液の錬成に成功すれば、理論上は彼女を救えるはず」
「こんな、へばりついただけの量で役に立つのか」
サーベラスは、左肩を怪訝そうに見る。
「やってみないとわからない。何度も言うけどね」
ビードロがそう言った時だった。
「…やってちょうだい」
その、弱々しい声は、診療台がある部屋から聞こえてきた。
「ま…まさか!」
全員が慌てて駆け込む。そこには、紫のローブの魔女ではなく、黒いワンピースの制服に身を包んだ百合香の姿があった。
「こっ…これは、どういうこと!?姿が変わっているわ」
「説明している時間はない。彼女は、さっきの魔女と同一人物だ。百合香、目が覚めたのか」
マグショットが不安そうに訊ねる。百合香は、弱々しく頷いた。目尻には、涙が浮かんでいる。
「サーベラス、マグショット…みんなが助けてくれたのね…ありがとう」
「喋るな。…今の話を、聞いていたのか」
棚の上に上がったマグショットが訊ねる。百合香はまた小さく頷いた。
「…人間のお前なら、拒絶反応とやらの危険性は、ここにいる誰よりも知っているはずだな」
「ええ」
「それでも、やれと言うんだな」
「みんな、聞いて」
百合香は、静かにひとつの説明を始めた。
「癒しの間だと?」
サーベラスが問い返す。
「そう…そこが、私が身を潜めている場所なの」
「そうだったんですか…どうりで、いなくなったり、現れたりすると思ってました」
オブラは驚きを隠さない。
「別に不思議じゃないわ。みんなそれぞれ、アジトを持ってるじゃない。私にもある。それだけの事よ」
「そこにさえ戻れれば、お前の身体は治るというのか」
「ええ」
でも、と百合香は言った。
「見て。今は、腕をまともに上げる事もできない。癒しの間へ至るゲートを、まず探さないといけないのだけれど、それは私か瑠魅香でないと出来ない…見つかったとしても、私が剣を、聖剣アグニシオンを使わないと、中には入れないの」
「…なんとも不便なアジトだな」
サーベラスが首をひねる。百合香は弱々しく笑った。
「だから、ビロードさん」
「ビードロ」
「…ビードロさん、お願い。ほんの少し動けるようになれば、それでいいの。もしできるなら、その血液の錬成っていうのを、やってみて」
「いいのね。一歩間違えば、死ぬわよ」
「黙って死ぬのは面白くないわ」
その言葉に、マグショットとサーベラスはつい声を出して笑った。
「さすが、俺の一番弟子だ」
「大丈夫そうだな、そんな根性があるなら」
百合香も笑う。
「嬉しい。こんなふうに、仲間ができたなんて。ずっと二人だけで戦ってきたから」
「泣くな。俺達は、ビードロに任せて待っているぞ。必ず、立ち上がってこい」
「わかった」
そう言うと、百合香はオブラを呼び寄せた。
「オブラ、あなたにやって欲しい事がある」
「はい?」
その頃、サーベラス達との戦闘でダメージを負ったカンデラは、ヒムロデに呼び出しを受けていた。
「無様だな」
開口一番、ヒムロデはそう言い捨てた。
「私は、侵入者が第1層を突破した時に備えておれ、と命じたはずだ」
「はっ」
「張本人のお前に仔細を問うても冗長なだけだ。申し開きがあるなら申してみよ」
「…ございません」
ヒムロデの前では、水晶騎士もまるで末端の兵士のようだった。カンデラは黙って、沙汰を受け容れる様子であった。
「聞けば、侵入者は渾身の一撃で、数十体の兵士を一瞬で薙ぎ払ったそうだな。プライドの高いお前が、その一撃を放って疲弊している相手と戦うとは、珍しい」
「…このカンデラ、功を焦りました」
それが、カンデラの正直なところだった。
「ふむ。しかし、仮に万全な状態であったとて、お前にあの小娘が肉迫できたかどうかは、わからぬがな」
「……」
「カンデラ。幸いというか何というか、今の所この件はラハヴェ様のお耳には入っておらぬ」
「…は」
「最近知った事だが、人間の世界には”毒を食らわば皿まで”という格言があってな」
「は?」
突然そのような話題を振られて、カンデラは困惑した。
「一度何かに背いたり、何かを破ったのなら、いっそ中途半端に反省せず、それに徹してしまえ、という意味だ。例の裏切り者どもがそれに当たる。奴らはすでに裏切った以上、どうせ命を狙われるのなら徹底して戦おう、と考えている。私は、許す許さないは別として、そういう潔さは好きだ」
「ヒムロデ様、いったい何を…仰りたいのでしょうか」
「わからぬか。お前はすでに命令を破ったのだから、このまま徹底して破ってしまえと言っているのだ」
「つ、つまり…」
「そうだ。あの娘を探し出して生死を確認し、まだ生きているのであれば、確実に止めを刺せ」
ヒムロデのその提言に、カンデラは驚きを隠せなかったが、やがて納得した。
「毒を食らわば皿まで…」
「そうだ。正直な所を言おう。私は、あの娘を早々に始末すべきだと考えてきた。その点に限って言えば、私はむしろお前の行動が最善とさえ思っている。お前の責任ひとつでそれが達成できるのであれば、むしろ今後のためには良いと思わぬか」
ヒムロデは、一切を包み隠さず言った。カンデラは、頷いて答える。
「仰るところ、よく理解いたしました。私は、命令違反の責を負いましょう」
「よく言った。この事はあくまでお前の一存でやったという事実を受け容れよ。もしラハヴェ様よりお前の処遇が問われたなら、私はそれとなく理由をつけて、お前に重い処分が科されぬように計らう」
「は。感謝いたします」
「私の配下の者が、すでに侵入者の捜索に動いている。彼女たちと協力して行動せよ」
「承知いたしました」
カンデラは立ち上がると、深く礼をしてその場を立ち去った。ヒムロデは呟く。
「そうだ。いっそ、突き抜けてしまえばよいのだ」
百合香は、夢を見ていた。
それは、ガドリエル学園に通っている夢だった。朝礼の時間らしく、担任が教壇につく。
『朝礼を始める前に。今日は、みなさんに転入生を紹介します』
教室がざわめき立つ。
『はーい、静かに。じゃあ、入ってきて』
カラカラとドアが開いて、一人の少女が入って来た。長い、黒髪の少女だった。
『それじゃ、自己紹介をお願い』
『はい』
少女は、自分の名前を黒板に書き記してから、みんなの方を振り向いた。
『●●◆◆香と申します。よろしくお願いします』
目が覚めると、そこは氷の診療台の上だった。
「…ん」
生きている。百合香が目覚めて最初に思った事は、それだった。手足を動かしてみる。
「…動く」
試しに、腕を上げてみた。まだ何か、軽い痺れのようなものはあるが、動いてはいる。全身に力が入らないのは眠りにつく前と同じだが、どうにか動かせるらしい。
生きているという事実に感謝して、百合香は微笑んだ。
「…うっ」
それと同時に、首や頭、背中がひどく痛む事に気が付いた。全身の感覚が戻って来たため、痛みもまた感じるようになったのだ。生きている証とはいえ、なかなかの苦痛だった。
そして百合香は、瑠魅香の意識が眠っている事に気が付いた。存在はしているが、眠っている。
「…無茶したのね、きっと」
癒しの間に戻ったら、前よりもっと美味しいものを振舞ってあげよう。そんな事を考えていると、ドアを開けてビードロが入って来た。
「ユリカ!気がついたのね」
「…ビロードさん」
「ビードロ」
「ごめんなさい」
ふふふ、と二人は笑った。
「手足の感覚はある?」
「はい」
百合香は、右腕をゆっくりと上げてみせた。
「さっきより、ずっと良好です。ありがとう、ビードロ」
「感謝するのはこっちよ。人間の血液の錬成という、偉大な錬金術を私は成功させたのだわ」
ビードロの言葉は照れ隠しなどではなく、完全に本心だと百合香は思った。自分は半分、実験台だったのだろう。しかし、それで動けるようになったのだ。
「あの。血液って、どうやって造ったんですか」
「説明してもわからないと思うわ」
「…そうですか」
「ひとつ言っておくわね。あなたが失ったであろう血液の全てを補うほどの量は、錬成できなかった。だから、あとはあなたが言っていた、癒しの間とかいう所で何とかしてちょうだい」
百合香は静かに頷いた。
「ひとまずは安静にしていることね。あのむさ苦しい連中には私が伝えておくから、眠ってなさい」
「…はい」
ビードロが出て行ったあとで、百合香はさっき見た妙な夢を思い出していた。
「何の夢だっけ…教室にいたのは覚えてるんだけど」
氷巌城第1層では、ヒムロデに命じられた隠密の女氷魔たちが、侵入者・百合香の行方を追っていた。カンデラがそこにこっそり合流した、そのタイミングだった。一人の女氷魔が、若干慌てた様子で駆けてきて、普段はヒムロデのそばでメイドとして仕えている氷魔に何かを報告した。
「まことか」
「はい」
すると、メイド氷魔はカンデラを振り向いて言った。
「カンデラ様、侵入者の死体らしきものが出たようです」
「なに!」
カンデラは、慌てて隠密たちについて行く。
そこは、水路の奥だった。そこには巨大な池があり、なぜいるのか誰もわからない、巨大な亀の怪物がいつものようにうごめいていた。
「あれを」
一人の隠密が、格子越しにその水面を指差した。そこには黄金の鎧をまとった、首が無い死体が浮かんでいた。
「あの鎧は…」
言っているそばから、池の怪物はその死体に食い付き、噛み砕き、飲み込んでしまった。
「あっ!」
もはや確認する事もできなくなった事実に、カンデラは愕然とした。水面には生々しい鮮血が浮かんでいる。
「…侵入者は、怪物に食われて死亡した」
「そのように報告してよろしいのですか」
「目の前で全員が見たのだ。それとも、あの氷騎士でさえ手のつけられない怪物の腹を裂いて、悲惨な状態の死体をラハヴェ様の御前に献上するか?」
隠密たちは、首を力強く横に振った。
「…剣で決着をつけられなかったのは不本意だが、こうなってしまったものは仕方あるまい」
カンデラは、無念ながらもどこかホッとしている自分に、嫌悪感を覚えていた。怪物に食い殺されたのであれば、誰の責任でもなくなる。保身ができた事に安堵している自分と、一人の剣士としての自分の間で葛藤していた。
「いずれ、こうなる運命だったのであろう」
そう呟いて立ち去るカンデラの姿は、どこか寂しそうに見えた。
「成功です!成功です!」
ビードロの研究室に戻ってきて一人で興奮するオブラに、サーベラスは「静かにしろ!」と精一杯の小声で言った。
「百合香が眠っている。いちおう、輸血とかいうのは成功したらしい」
「ほんとですか!」
「それで、お前の方はどうだったんだ」
「へへへ」
オブラは腰に手を当てて、偉そうに胸を張る。
「工作は成功しました。氷の兵士の死体を百合香さまの死体に偽装して、それを例の、水路の奥の怪物に食わせてきたんです」
「それだけじゃ成功とは言えんだろう」
「だから、百合香さまの行方を追っている奴らが来るのを見計らって、怪物に食わせたんですよ!カンデラも、百合香さまは死んだと思い込んでいます。ビードロさんが用意してくれた、リアルな血のりも役に立ちました」
「…お前、力はないけどなかなかやる奴だな」
サーベラスは、本当に感心した様子でオブラを見た。
「力がないなら頭で戦うのが、僕らレジスタンスですよ」
「うむ。認めてやろう」
「ありがとうございます。…ときに、マグショット様はどちらへ」
オブラは、姿が見えないマグショットが気になって訊ねた。
「あいつなら、見回りに出ている。万が一という事もあるからな」
マグショットは一人、城内の通路を警戒にあたっていた。ビードロの隠れ家は見つかる心配もなかったが、黙って百合香の回復を祈るのは不安だった、というのもある。
しかし、オブラの工作がそれなりに奏功したらしく、とたんに警戒が緩くなった城内は、いささか退屈気味ではあった。
「……」
立ち止ったマグショットは、左の目の傷を撫でる。
「…百合香が元に戻ったとしても。この目のケリは、俺一人でつけねばならん」
静かに呟くと、再びマグショットは警戒を続けた。
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