暗転

「報告いたします」

 一人の兵士が、ヒムロデの執務室を訪れて言った。

「地上に撒くために準備していた魔氷胚が、何者かの手によって大量に消失しました」

「なんだと!?」

 珍しく、ヒムロデが狼狽えた様子で、ガタンと音を立てて椅子を立った。

「行方は?」

「目下捜索中です」

「管理していた兵士たちは何をしていたのだ」

「それが…その兵士たちは侵入者の討伐に投入され、全滅した状態で発見された、との事です」

「どういう事だ…」

 ヒムロデは、顎に指を当てて考えた。

 魔氷胚とは、それを撒く事で地上の凍結を進行させるための結晶体である。世界各地の人類の軍事拠点を凍結させたのも、これによるものだった。

「人類の軍事基地を先に凍結させる計画だったため、魔氷胚がそちらに優先して回されたのは確かだ。しかし…」

 ヒムロデは、しばし考えたのち一つの結論に辿り着いた。

「レジスタンスどもの仕業か」

「は?」

「それ以外に考えられない。例の侵入者は人間の少女だ。彼女が、魔氷胚の仕組みを知っている可能性はない」

「では、レジスタンスが何らかの手引きをして、魔氷胚をどこかに持ち去ったと?」

 兵士もまた、慌てた様子で訊ねた。

「そこまで具体的にはわからん。それに、奴らにあれだけ大量の魔氷胚を保管できる場所などあるまい…だが、レジスタンスが関わっているのは間違いない。小ネズミだと侮っていたが、まさかこんな工作を仕掛けられるとはな」

 ヒムロデは、笑みのような表情を浮かべてそう言った。

「…ひとまず、消失した魔氷胚の行方は後回しでよい」

「よろしいのですか」

「小細工に足を取られる暇があったら、失ったものを補填する方が賢明だ。ただし、今後生産される魔氷胚の管理は厳重に行うよう、きつく通達せよ」

「はっ!」

「この件はとりあえずそれで良い。それはそれとしてだ。研究棟で遊んでいるヌルダを呼べ」

 その命令に、兵士はあからさまに嫌そうな声で「はっ…」とだけ答え、そそくさと立ち去った。

「ふっ、相変わらず煙たがられているな」

 ヒムロデがパチンと指を鳴らすと、メイドのような姿の氷魔が、盆に赤と白のワインボトルと、グラスを載せて現れた。

「どちらになさいますか」

「白を」

「かしこまりました」

 ヒムロデの横で、氷のグラスに薄い浅葱色のワインが注がれる。受け取ると、ゆっくりと傾け、口の中で転がした。

「もはやワインの味もわからなくなってきたな」

 自嘲気味にヒムロデは呟き、メイドを下がらせた。

「あの少女が現れてからというもの、城の反乱分子が勢いづいている…聖剣アグニシオンを手にしている事と、無関係とは思えん」

 ゆっくりとグラスを揺らすと、ワインの表面に行方をくらます前の、戦う百合香の姿が浮かび上がった。

「しかし敵ではあるが、美しい少女よの。まるで、お前のようだ」

 

 

 再び通路に戻った百合香たちは、オブラの案内で第1層中心部への抜け道を目指して進んでいた。その途中、オブラが立ち止まる。

「百合香さま、先程の水晶ペンを取り出してください」

「これ?」

 百合香は懐から、ディウルナの抽斗に入っていた、マドラーのような透明なスティックを取り出してオブラに手渡した。

「百合香さま、我々にコンタクトを取りたい時は、このマークを記してください」

 オブラは、壁に猫の頭そのままのマークを描く。

「これを記したら、そこからあまり遠くには行かないでください。我々の仲間が現れます」

「ふうん。でも、どうやってこの印を書いたってわかるの?」

「企業秘密です」

 なんだそれは、と百合香も瑠魅香も怪しんだが、オブラがそう言うのなら納得するよりなかった。

「ディウルナ様に会われる時も、私達を呼んでください。その時々の状況で、会えるかどうかはわかりませんが」

「城の幹部クラスと、レジスタンスの兼務だものね」

「基本的には、我々が情報伝達の役を負います。あるいは負傷された場合なども、すぐご連絡ください」

 百合香は頷いたものの、猫レジスタンスたちに人間の治療ができるのだろうか、という疑問はあった。

「ちなみに、ペンの反対側の頭で壁を叩くと描いたものは消えます」

 オブラが壁をコツンと叩くと、確かに描かれた猫マークは一瞬で消えてしまった。

「なるほど」

「第2層に行くと、性質的にここよりも厄介な敵がいます。また、城内の構造そのものも特殊で、単純ではなくなってきます。何かおかしいと思ったら、我々が調査しますので呼んでください」

「わかった。頼りにしてるわ、探偵さん達」

「へへへ」

 オブラは得意気に笑う。

「では、進みましょう」


 そこから数分歩いたところで、オブラは突然立ち止まって首をひねった。

「おかしい」

「どうしたの?」

 百合香が訊ねるものの、オブラは無言で周囲を見回した。

「百合香さま、気をつけてください。通路が変化しています」

「なんですって」

「エリア全体を変えるのはとても時間がかかりますが、壁一枚の配置を変える程度のことは、奴らにとって造作もありません」

 オブラはそう言うものの、正直百合香には今どこを歩いているのかさえわからない。

「今、どのへんなの?」

「水路のすぐ近くです。通路2本をはさんだ程度の距離しかありません」

「方角はわかるの?」

「こっちです」

 オブラは、壁がある方を指差す。

「確かに、ここには通路があったはずなんです」

 存在したはずの通路が見当たらず、オブラは明らかに狼狽していた。すると、それまで黙っていた人物が語り始めた。

『落ち着いて、オブラ』

 それは、百合香の中にいる瑠魅香だった。

『通路が変化してるっていうのは、間違いないのね』

「は、はい」

『なら、向こうの目的はひとつだ』

 瑠魅香に、百合香も同調して頷いた。

「わ、我々を迷わせるためですか」

「逆よ、オブラ」

 百合香は、真剣な表情で言った。

「迷うことなく、目的の場所まで私達を誘導するためよ。ディウルナが貼った新聞のようにね」

「あっ!」

「つまり、この先には敵がいるということ」

『そういうこと』

 百合香と瑠魅香が口を揃えると、オブラは感心したように肉球で拍手をしたのだった。

「オブラ、こういう罠を張れるような氷魔は、この第1層にいないの?」

「うーん…基本的には、肉弾戦中心の氷魔が多いです。それに、城の構造を変えるには、おそらく上の許可が要るはずです」

「なるほど」

「もっとも、この城の構造は、どうもトップクラスの階級ですら把握できてないようですが」

「…え?」

 百合香は、まさかという顔でオブラを見る。

「そんなこと、あり得るの?」

「以前、小耳に挟んだ話なので、まだ裏は取れていません。聞き流してください」

「ちょっと待って。そういえば、ディウルナが城内にいくつかアジトを持っている、って言ってたわよね。その事も、それに何か関係があるのかしら」

「ディウルナ様は、僕達が知らない情報も知っています。いずれ説明してくれるかも知れません。それよりも」

 オブラは通路の奥を睨む。

「今、ここからどう動くかです。百合香さまが仰るとおり、この先に敵がいるというなら、戦うか、迂回ルートを探すか、という選択になりますが」

 オブラの言う事はもっともである。百合香は、少し思案して瑠魅香に相談した。

「瑠魅香、どうする?」

『どうするって、百合香はもう決めてるんじゃないの』

「うん」

『じゃあ、それでいいと思うよ』

 二人の会話が、オブラにはよくわからなかった。すでに答えはあるらしいが、具体的に言っていないのに、なんとなく二人の会話は成立しているのだ。

「あのう…どうなさるおつもりですか」

「うん。このまま進んで、その敵を片付ける」

「本気ですか!?」

 オブラは驚いて訊き返した。

「迂回ルートは、探そうと思えば探せるかも…」

「そんな面倒な事、しないわ。それより、あなたに頼みたい事がある」

「え?」

 百合香は、オブラに対してごくシンプルな指示を出した。

「わ、わかりました」

「頼んだわよ」

 そう言うと、オブラは通路の奥へと走り去って行った。

「さて、行くとするか」

『私の出番、ある?』

 瑠魅香は訊ねる。

「さあ」


 水路手前の少し広い空間に、大量のナロー・ドールズと、一般兵が揃って陣取っていた。一体の上級兵士が指揮を執っている。

「いいか!侵入者は間違いなく、ここを通過する。現れたら即座に一斉に攻撃し、確実に息の根を止めろ!」

 兵士たちはあまり知能が高くない個体のようで、生返事ぎみに「了解」「了解」と返事をした。


 しばらくしていると、一人の兵士がどこからか戻ってきた。

「隊長、大変です。我々がここにいる事が、侵入者に勘付かれているという報告があります」

「なんだと?」

「報告によれば、我々が警戒している反対の方向から奇襲をかけるつもりのようです」

「ふっ、こざかしい。向こうから来るという事か」

 隊長と呼ばれた氷魔は、本来警戒していた方向と反対側の通路を睨んだ。

「ならば、裏をかくつもりの侵入者の、さらに裏をかくだけの事。全員、こちらに向けて陣を敷け」

 隊長は剣を構え、今までと逆の方向を指示した。兵士たちは、一斉に並んで侵入者を挟撃するような陣形を取る。


 しかし、待っていてもその方向からは、侵入者が来る気配はなかった。

「侵入者め、さては怖気づいて正規のルートにでも向かったか。ははは、バカめ。正規ルートを行ったところで、厚い防衛ラインを突破しなくてはならない。いずれにしてもお前の敗北は決まっているのだ」

「そのセリフ、そっくりそのままお返しするわね!」

「え?」

 背後から聞こえた、凛とした声に隊長は一瞬、何事かと振り向いた。


 すると。


「『スーパーノヴァ・エクスターミネーション!!!』」


 侵入者の奇襲を今か今かと身構えていた兵士たちは、背後から聞こえた声に振り向いたその瞬間、空間全体を燃やし尽くすかのような強大なエネルギーの奔流に晒され、悲鳴を上げる間もなく一瞬で、隊長もろとも哀れな塵芥と成り果てたのだった。


「瑠魅香、出番なかったね」

『最近あたし活躍してない気がするわ』

「おーい、オブラ。生きてる?」

 百合香は、自らの攻撃でズタズタになった空間に呼びかけた。

「げほ、げほん…無事です」

 氷の粉塵の中から現れたのは、氷の粉塵を頭から被ったオブラだった。

「怖かった?」

「怖いに決まってるでしょ!!頭の上をあんな強力エネルギーが通過するんですよ!!」

 探偵猫は全身のボディランゲージをまじえて、百合香の作戦のせいで恐ろしい目に遭った事を力の限り抗議した。

「とんでもない人ですね…僕を兵士に化けさせて、兵士たちを騙して背後から必殺技で一気に片付けようなんて」

『だから新聞に書いてたじゃん。悪逆非道、邪智暴虐って』

 瑠魅香は相方の悪辣さを指摘したが、当の百合香はケロッとしたものである。

「女の子ひとりに大勢でかかってくる奴らのほうが千倍非道だわ。だからこっちが何してもいいのよ」

『百合香、もう大丈夫だわ。あんた、氷魔皇帝に勝てるわ』

 瑠魅香が、そう断言した、その時だった。


「それはどうかな」


 空間の奥から、低い男性ふうの声がした。百合香は剣を構える。

「誰!?」

「ふっ、敵を罠にかけて背後から大技で一掃するなどと、聞きしに勝る非道ぶりよ」

「一匹残ってたか」

 粉塵の向こうから、ゆっくりと足音が近付いてくる。それは、今までの兵士たちよりもはるかに洗練された鎧に身を包んだ、謎の氷の剣士だった。

「あっ!!!」

 オブラは声を上げた。

「なに?オブラ」

「ゆ、百合香さま…」

 オブラは、明らかに動揺していた。

「何だっていうの」

「百合香さま、逃げてください。あいつには勝てません!」

「え?」

 オブラの断言に、百合香は一体何者なのかと相手の姿をみた。張り出した肩のアーマーや鋭利な兜飾りが、幹部クラス以上の威厳を感じさせた。

「奴の名はカンデラ…氷巌城、最上級幹部の一人です!!!」

「なんですって!?」

 百合香は驚きを隠さなかった。幹部の上のクラスがいるなど、初耳だったからだ。

「いかにも。私は最上級幹部の一人、カンデラである」

 そう言うと、カンデラはロングソードを縦にまっすぐ構えた。

「侵入者、名を名乗れ。せめて死ぬ前に名前くらいは憶えておいてやろう」

「バカにしないで」

 百合香もまた、聖剣アグニシオンを構える。

「私の名は百合香。上級幹部だか何だか知らないけど、邪魔するなら叩き斬るわ」

「いい覇気だ」

 二人の間に、とてつもない緊張が走った。オブラはそれを見て、どこかへ走り去ってしまう。

「ふん、逃げたか。いまのがレジスタンスだな」

『百合香、やばそうだよ。逃げた方がいいわ』

 瑠魅香は、百合香にだけ聞こえるようにそう言った。しかし、百合香に退く意志はない。

「こんな奴に負けるもんですか」

「ふっ、私に勝つ気でいるとはな。しかも先ほどの大技を放ち、力を消耗した状態で」

 一切の隙が見えないカンデラに対し、百合香は技を放ったあとの乱れた呼吸を整えた。

「行くぞ」

「来い!!」

 百合香が斬りかかる姿勢で、一気に間合いを詰めようとした、その時だった。

「えっ!?」

 一瞬の出来事だった。百合香が気付いた時には、すでにカンデラはその剣のリーチまで接近していたのだ。


 剣と剣が噛み合う、激しい音が空間に響いた。

「くっ…!」

「ほう。俺の剣を受け止めたか。なるほど、確かに驚くべき技量ではある」

 カンデラがそう言った次の瞬間、百合香は凄まじい冷気の暴風に吹き飛ばされていた。

「うっ…うわあ――――!!!」

 百合香はその圧力で、20m以上も後方にあった壁面に全身を打ち付けた。

「がはっ!!」

 凄まじい衝撃が全身に走り、百合香は気を失って、そのまま前のめりに倒れてしまう。後頭部からは血が流れだしていた。

『百合香!!』

 瑠魅香が悲痛な叫びをあげ、自らその身体に入ろうとした。しかし、百合香が気を失っているせいか、どうしても入る事ができなかった。

『百合香!!』

 あまりにも違うその実力差に、瑠魅香は戦慄していた。格が違う、などというレベルではない。上級幹部の存在は瑠魅香も耳にはしていたが、これほどまでとは思っていなかった。そもそもこの実力の前では、仮に逃げようとしても不可能だったに違いない。百合香の敗北は、最初から決定していたのだ。

 カンデラは、ゆっくりと剣を手に近付いてきた。

「できるだけ、肉体を傷つけるなとのお達しだ。たった一人で、よくここまで我々に楯突いた。それに最大限の敬意を表し、心臓を一突きして、苦しまずにあの世に旅立たせてやる」

『百合香!!』

 なおも瑠魅香は叫ぶ。しかし、百合香の意識は完全に失われており、もはや命運は尽きたかに見えた。


 カンデラのアメジストのように透き通る剣の切っ先が、倒れる百合香の背中めがけて、ゆっくりと下を向いた。

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