第11話 大事にしてね。
朝から陽差しが眩しい。
いや。正確に言うと、痛い。照りつける陽差しに、半袖シャツから出た腕が、ちりちりと焼かれている気さえする。
頭はキャップを被り、首筋はタオルを巻いているので、なんとか守られてはいるが、むき出しの腕は、どうしようもない。
自転車で走っているけど、風すら感じない。ただひたすら、熱風の中を進んでいる気がする。
「ごろちゃん。大丈夫?」
背中からみかんが訊く。
「いや、大丈夫とちゃうな。暑いってか痛い。朝から、この暑さってなんなん?」
「天気予報で、何十年かに一度の暑さ、とかって言うてたね」
「うん。でも、それ、このところ毎年言うてる気がする。毎年、何十年に一度を更新してるんかもな」
「今年の夏は、猛暑です」
なんて言われるけど、もはや『今年』限定ですらない。
異常な暑さも毎年続けば、通常モードだ。
同じアパートの家主のおばあちゃんとも、アパートの前で時々で会うと、猛暑の話題になる。
「暑いですね。ほんまにたまりませんね」
「ほんまほんま。暑くて干からびそう」
「いや、水分、ちゃんととらんとあきませんよ。お茶とか水のペットボトル、大丈夫ですか? 何か要るもんあったら、僕、買うてくるんで、言うてくださいね」
「ありがとう。今のところ、水は大丈夫やけど、あまり暑いんで、外へお買い物に行く勇気がでーへんのよ。コープの宅配と買い物送迎サービスのおかげで、なんとか助かってるねんけど、もし、また、困ったときは、頼むわな。ありがとね」
なんて会話になる。
本来なら話題の少ない世代間でも、この暑さは、思いがけず話のきっかけを作ってくれる。いや、暑さに限らないか。お天気全般そうかもしれない。無難で、人を傷つけたり、しくじることの少ない話題。
そして、内容は全然深くないのに、なぜか、お互いに親しみを感じられたりもするという、実はおトク感の強い話題だ。
「ねえ。ごろちゃん」
「ん?」
「夏休みはどうするの?」
「う~ん。そやなあ。まだ何も考えてへん。ってか、7月中は、ずっと会議と研修が連日入ってるし、補習に部活もあるから、休みはないしなあ。8月に入っても、研修がいくつかあるのと、部活の試合があるし。まあ、お盆の辺りにちょっぴり休めるかな。お盆過ぎたら、もう新学期の準備が始まるし、補習授業もあるしね」
「夏休み、ほとんどないね」
「そやな。まあ、そんなもんや。しゃあないな」
「たいへんやね」
「うん。まあ、どんな仕事でも同じようなもんやと思うで。そんなに自分に都合のいい仕事なんてないもんな」
「そうかぁ……」
大学を卒業して何年か経って気がつくと、いまだに連絡を取り合う相手は、やはり同じ仕事に就いた友人たちが多くなる。どことも同じような状況だが、他の仕事のことはイマイチわからない。けれど、世の中、そんなに甘くないことくらいわかっている。みんなそれぞれの場所で必死でやっているんだろうなと推測している。
その仕事の大変さは、それを実際にやってる人でないとわからない。だから、お互いの仕事を尊重し合える世の中であればいいよなといつも僕は思う。
この前、たまたま職場で手にした新聞に、医師の『直美』について書かれている記事があった。それによると、『直美』というのは、医学部4年を終えて2年の研修期間のあと、すぐに美容医療関係の医師になることで、その方が通勤も便利で給料も勤務条件もよいところで働けると、希望者が増加しているという。一方、さらに数年間専門医としての研修を積まねばならない内科や外科などの医師を希望するものが減っているらしい。
そこまでは、ふつうに、へえ~、そりゃ誰でもしんどいのはできたら避けたいよな、と思いながら読んだ。医師の夜勤や過重労働、過労死などのニュースは頻繁に見聞きしているから。
ところが、その記事の最後4行を読んで、僕はがっくりした。
『医は仁術という言葉があるように、医師は自分を後回しにして、人のために働くものだ。これからもそうであってほしい』というような言葉で結ばれていたからだ。
こんな考え方を、いまだに誰かに押しつけようとする人や社会の中で、働き方改革なんて、絵に描いた餅だ。
教師だって同じだ。子どもたちのためになるのだから、これくらい我慢しないと、みたいな場面はよくある。
「なんかさ、思うねんけど……自分のことを大事にして、ちゃんと休みも取って、その上で、人のためにもがんばって働く。そういうのができたら、ええねんけどな」
その記事のことを思い出しながら、僕は言う。
「自分のこと大事にするのって、当たり前じゃないの?」
みかんが、不思議そうな声で言う。
「うん。めっちゃ当たり前のことなんやけど。難しいことも多いねんな……」
しばらく黙っていたみかんが、ぽそっと言った。
「ごろちゃん。ごろちゃんは、絶対、自分のこと大事にしてね。たまにはムリしたとしても、でもがんばりすぎちゃだめだよ」
「うんうん。ありがとな」
僕には、リュックの中で、目をくりくりさせながら一生懸命話しているみかんの顔が目に浮かぶ。
胸の中にホカホカしたものが湧いてくる。
あったかい意欲とか勇気とか、何かそういう元気のかたまりみたいなものが。
心の中でつぶやく。
(ねえ、みかん。君のその優しいひとことで、僕はがんばれてしまうかもしれへんな)
陽差しの強さと熱風が一瞬和らいだ気がして、僕は静かに息を吸い込み、自転車のペダルをぐっと踏み込んだ。
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