第10話 すり替えて


「ねえねえ。ごろちゃん。たいへんたいへん」

 みかんが、窓辺から僕を呼ぶ。

 

「ん? どうした?」

 日曜の正午過ぎ、ランチのために、フライパンで、ウインナーとキャベツと人参を炒めながら、僕は訊く。

「雨。雨、降ってきたよ」

「え? やば。シーツや布団、取り込まんと」

 急いで火を止めて、ベランダに飛び出す。

 けっこう大粒の雨が降ってくる。みかんが気づいてくれたおかげで、幸い、ほんの少し濡れただけですんだ。


「よかった……それにしてもこんなに晴れてるのにな。……キツネの嫁入りやな」

「え? キツネ? 嫁入りって何? どこに? まさか……ごろちゃんのとこに? 来るの? キツネ」

 タヌキのぬいぐるみが、目をくるくるさせて聞き返してきた。ちょっと焦った顔だ。

「ちゃうちゃう。ほんまにキツネがくるんやなくて、晴れてるのに雨が降ることをさ、キツネの嫁入り、って言うねん。なんでそう言うのかよう知らんけど。まあ、それだけ珍しいとか、めったに見られへん、っていう意味やと思うけど」

「ふ~ん」

 小さなタヌキが、不思議そうな顔をしている。そして、続けて言った。

「じゃあ、タヌキは? タヌキの嫁入りってあるの?」

 丸い目がキラキラして、僕の目をじっとのぞきこむ。

「……さあ? あんまり聞いたことないな。キツネが雨で、タヌキなら雪? かなぁ? なんかそういう説もどこかで見たな」

「ふ~ん……」

 じっと何かを考えている顔だ。頭を軽くかしげた姿が可愛い。ついついイタズラ心が湧いてくる。


「あれぇ? もしかして、みかん、どこかに嫁に行く気やったん?」

 僕は、少しからかうように訊いた。

「……そんなん。どこにも行けへんもん」

 ぽそっとつぶやいて、みかんはぷいっと横を向いた。

 そして、そのまま黙ってしまった。

 小さなふわふわの茶色の毛玉のようなタヌキが、僕に背中を向けて、ちょこんと膝を抱えて座っている。


 怒ってる?

 というより、なんだかしょんぼりしているみたいに見えて、僕は慌てて声をかける。


「ねえ。みかん」

 返事がない。

「ねえ」

 返事がない。


 僕は、手を伸ばして小さな毛玉をそっと胸の前に抱え上げる。腕の中のみかんは、小さな赤ちゃんみたいに、僕を見上げている。

 その目は、透き通った茶色で少しうるうるしている。

 軽くからかったつもりの、僕の言葉のせいかもしれない。

 僕は、急いで言った。

「ごめん。別に、今すぐどこかに行けっていう意味とちゃうから。追い出そうとしてるわけとちゃうから」

 なんだか言い訳がましくなる。


「ごろちゃんは」

 みかんが、丸い目で僕をじっと見上げる。

「うん?」

「……ううん。いい」

 何か言いかけて、みかんがすぐにうつむく。

「何? 言いかけたらちゃんと最後まで言うてや」

「いい。……また今度言う」

「そんなん言わんと。頼むわ。なんか落ち着けへんやろ」

 腕の中のみかんの顔をのぞきこんで、

「なあ。なあってば。……言うて?」

「う~」

「なあなあ」

 僕は粘る。


 やっと、みかんが口を開く。

「……ごろちゃんは、キツネとタヌキ、どっちのほうが好き? どっちがよかった?」

「え? ……どっちって言われても」

「じゃあ、もし今、ここにキツネが来たら、どうする? 」

「え? 断る」

 それは即答だ。

 そんな、正体不明のものを、2人? 2匹? 抱え込む余裕はない。

 僕の本音はともかく、それでも、みかんの顔が少し明るくなった。

「キツネは断るんやね? タヌキの方がよかった、ってことやね?」

 念を押すように言う。

「え、あ、うん」

 先着順だとは言えない。

 もし、タヌキじゃなくて、キツネが先に来てたら、今ここにいるのはキツネだったかも、なんて。


 ともあれ、みかんはうなずいて、にっこりすると、

「わかった。ごろちゃん、いつか、お天気の日に雪が降るのを待っててね」

「?」


 なんだかわかったようなわからないような話で、みかんは、いつもの機嫌に戻った。

 けれど、僕は、そのとき、気づいていた。

 みかんが、「キツネとタヌキ、どっちがいいか?」なんて話にすり替えて、言いかけたことを、とうとう言わなかったことに。

 

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話せば長いことなので。 原田楓香 @harada_f

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