第9話 くすぐったくて


「今日は、ほぼほぼ英語だけで授業できましたよ~」

 英語科準備室に戻ってきた、沢渡先生が嬉しそうに言った。


 彼は、僕の3年先輩の英語教師だ。 彼は、可能な限り日本語を使わないで授業することを信条にしている。だから、英語だけで授業を出来たときはゴキゲンだ。その日の教室の状況によっては、必ずしもそうはできないこともあるから。


「おつかれさま。で、子どもらはどうやったん? どんなかんじ?」

 訊いたのは、同じ英語科の最年長の吉野先生だ。彼女は、『英語で英語の授業を』という方針には、大きな疑問を抱いている人だ。自分が英語で授業できたかどうかより、生徒がどれだけ理解できたかの方が大事だと、彼女は言う。


「まあ、みんな、何言うてるか大体わかってたと思いますよ。反応悪くなかったし。アクティビティ(活動)も楽しそうにやってたし」

 沢渡先生は、応える。

「そう。……ならよかったね」

 そういいつつ、吉野先生は、ほほ笑んだけど、表情は若干懐疑的だ。


『外国語をシャワーのように浴びるほど聞けば、いつか聞き取れて喋れるようになる』という人もいるけれど、それは、甘い幻想に過ぎない、と僕は思う。

 そんな簡単なものだったら、誰も苦労はしない。自分の母国語であっても、一人前に使いこなすまでに、どれだけたくさんの努力と時間を費やしてきたことか。

 外国語を聞くだけでなんとかなると思っている人たちはみんな、母国語として自分が日本語を習ったとき、ノートに何回も赤ペンで修正されながらひらがなの練習やカタカナの練習をしたり、漢字の練習をした頃のことを、覚えていないのだろうか。母国語ですら、それほどまでに時間をかけて苦労して身につけてきたはずなのに。

 

「ジェスチャーをつけて話すことが出来る子も、かなり増えました」

 沢渡先生は、さらに朗らかに宣言する。

 僕は、黙って聞く。吉野先生も黙っている。


 実は、僕はこれには大反対なのだ。

 身振り手振りをつけて話すことは、ネイティブスピーカーではない者がうっかりやると、キケンでさえあると思う。それで、前に、彼にそう言ったことがある。

「まちがったジェスチャーをつけることで、誤解を生んだりしませんか?」

「よほどのことがない限り、問題はないやろ。それより、一本調子で無愛想に話すことより、表情豊かに伝えることの方がええと思う。身振り手振りをつけることで、話し方も変わってくるし」

 そう言った。

 

 無愛想がいいとは思わないけれど。でも。

 たとえば、『こっちへおいで』というときの手の動かし方一つでも、日本人と欧米人とでは違いがある。うっかりすると、意図が真逆に伝わることさえある。

 だったら、中途半端なジェスチャーで誤解されるより、より真意の伝わる正しい言葉を選択できる力をつける方が大切ではないのか。そんなことを思ったりもする。


 デスクの上で、みかんがじっとこちらを見ている。もちろん、動いてはいない。

 何か言いたそうな大きな丸い目がさりげなく、僕と沢渡先生を見ていた。

 

 

 帰り道、僕の背中のリュックから、みかんが言った。

「ごろちゃんは」

「ん?」

「さわたり先生とは、気が合わないの?」

「いや、べつにそうでもないよ」

「そう? なんとなく、ごろちゃん、イラッとした顔してたから」

「そうかな?」

「うん。してたな」

 顔に出てたのか。マズイな。


「別に嫌いでもないし、仲が悪いわけでもない。マジメで、仕事熱心でいい人やと思ってるよ」

「ふうん。じゃあ、なんでイラッとしてるの?」

「……ていうか、ちょっと思い出してた」

 

 僕は、今年度の4月当初のことを思い出していたのだ。

 新学年のクラス替えで、去年彼が教えていた子たちと、僕が教えていた子たちは、シャッフルされた。

 最初の授業で、英語で一人ひとり自己紹介をしているときに、やたら身振りの大きな子たちがいた。彼らは、昨年度、沢渡先生から、話すときは必ず身振り手振りをつけ、表情豊かに話すよう指導されていたのだった。


 何人かそういう感じで話す子が続いたので、それを見て、自分たちもそうした方がいいのかと焦る子もいたので、僕は、

「身振りはしてもしなくても、どちらでもいいよ。まずはしっかりと声を出して、できたら顔を上げて話せたらいいね」

 そう言った。

 


「さっきさ、『ジェスチャーをつけて話すことが出来る子も、かなり増えました』って言うてはったやろ?」

 僕は、みかんに話しかける。

「うん」

「僕が去年教えた子たちも、きっと無理やり、ジェスチャーつけて話しなさいって指導されてるのかなって思ってさ。『出来る子が増えた』ってことは、今まで出来てなかったって言ってるわけだから。……なんかカチンときて」

「うん」

「僕は、誤解されるかもしれない中途半端なジェスチャーを我流でするより、ちゃんと気持ちの伝わる言葉を見つけられる方がいいと思ってるねんなぁ……」


 前から人が来る。

 一瞬口を閉じた後、再び僕は続ける。

「ジェスチャーは国によって違いもあって、うっかりすると誤解されたり、ケンカになることもあったりする。せっかく外国語使うなら、気持ちよく使えた方がいい。だから、ヘンに我流のジェスチャーを身につけてしまうことより、語彙を増やして、それをそれぞれの場面に合う使い方ができたらいいなって思うねんなぁ」

「うん。うん。……そうだね。同じ言葉でも、使い方によっては、なんだか気分悪い、ってこともあるもんね」

「そうそれ。たとえば、あるものをめっちゃ安く買えた、トクしたなって場面でも、その買ったものを誰かにcheapって言われたら、ムカッとくるよね。言った方は、安くてお買い得ですね、のつもりで言ったとしても」

「そうやね。安い、っていうのは意味としては合ってるけど、なんか安っぽいっていわれてるみたいで」

「そんなときに、cheap以外にも言葉を知ってたり、あるいは工夫して言葉を使えば、いろんな表現のしかたが出来るよね」


 前に、偶然見た彼の授業で、生徒たちが相手の持ち物を指してやたらとオーバーアクションでcheapを連発していた。

(これ安かったの)

(めっちゃ安いね。安く買えてよかったね)

 みたいなシーン設定のようだったけど。

 


 いつも買い物をするスーパーが見えてきた。

 僕は、背中に問いかける。

「今日は、ハンバーグ。チーズのせる? それとも、和風おろしソースがいい?」

「和風おろし!」

 背中から威勢のいいみかんの声がする。

「そう言うと思った。大根買わないとな」

 みかんは、野菜好きだ。

「あ。でも、2コ目は、チーズもいいかも」

「そやな。じゃあ、小さめサイズのを3コずつ作ろう。そしたら、チーズと和風おろしとデミグラスソース、3つの味が楽しめるね」

「わお! ごろちゃん、最高!」

「シェフと呼んで」

「シェフ、大好き!」

「お、おう……」

 リュックから顔を出したみかんが、僕の首に抱きつく。

「おいおい、何すんねん」

 タヌキのぬいぐるみに抱きつかれたまま、僕は少し焦りながら言う。

 ……でも、なんだかちょっと嬉しかったことは否定できない。


「お……美味しいの作るわ」

「うん!」

 僕の首筋にあたるふわふわの毛が少しくすぐったくて。


 

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