第8話 ここにいる

 

「ごろちゃん」

 背中で、みかんの声がする。

 

 このところ、ずっと毎日、みかんは、僕のリュックに入って、一緒に出勤している。

「ん? なに?」

「ごろちゃんは、なんで、この仕事をしようと思ったの?」

「そやなぁ。英語が、いや、外国語全般が好きやった、っていうのもあるかな」

「それなら、別に教師じゃなくても……?」

「うん。他の仕事でも英語には関われるよな」


 僕は、少し考える。

 ほんとに、なんでこの仕事に就こうと思ったんだろう。

 正直、僕は学生時代、学校ぎらいだった。でも、もちろん普通に学校には毎日通っていたし、なんなら陸上部で休みの日も部活に励んでいたりした。クラス委員をやったことだってあったし、それなりに友達もいた。

 だから、周りは、まさか僕が学校嫌いだなんて、夢にも思わなかったと思う。それどころか、今、この仕事に就いているのだから、よほどの学校好きだとさえ思われているだろう。


「僕な、学生の時、学校、嫌いやってんや」

「うん」

「行くのがいやで。毎日、渋々通ってた。僕が学生の頃、『不登校』なんて言葉も、まだあんまり一般的じゃなかったしね。学校は、行って当たり前、行かないといけない場所。大人が仕事に行くみたいに、子どもは、その任務として学校に行く。そんな感じで。……せやから、いやいや行ってた」

「何がいやだったの?」

「なんやろ。なんか漠然といややった。……強いて言うなら『みんなで力を合わせて』とか、『心を一つに』とかって言われると、心が萎えるっていうか、そんなんむり、って心で思ってた」

「ふ~ん。……じゃあ、ごろちゃんは、みんなでなんかするとき、1人だけそっぽ向いて、違うことしてたの?」

「いや。ちゃんと参加して、誰よりも真面目に一生懸命やってたかもしれへんな」

「ふ~ん」

 みかんは、今ひとつ納得のいかない声だ。


「……ふふ。ヘンやな。何がいやかも、自分でわかれへんのに、何言うてんねん、って感じやわな。みんなでなにかするとき、そっぽ向けるほどの根性もないくせに、『みんなで力を合わせて』って言葉が息苦しくて、『心を一つに』って言葉に、イラだってた」

 学生時代の、あの苦い気持ちを思い出しながら、僕は応える。でも、上手くは伝えられない。


「ごろちゃん、今は、好きなの? 学校」

「そやな。好きでもないし、嫌いでもない、っていう感じかな。今は、シンプルに職場と思ってる」

「ふ~ん」

 向こうから自転車で走ってくる出勤途中の人たちの群れが近づいてきて、みかんの声が途切れる。

 僕も黙って、ペダルを踏む。


 

 正直に言うと、今も、学校は好きじゃない。職場だから、毎日、きちんと通うし、多岐にわたる仕事を精一杯こなすのに追われているところもある。だから、嫌いも好きもいってられないのが現状だ。

 でも、授業は別だ。楽しい。どう伝えればわかりやすいか、楽しく話に入っていけるか、苦手だという気持ちを少しでもやわらげて、やる気を持ってもらえるか。あれこれ考えるのは、文句なしに楽しい。

 教室の中に並ぶ顔を思い浮かべながら、頭の中で、シミュレーションする。自分ひとり、訳がわからないまま、教室に座っているという孤独感を感じさせないような、そんな授業がしたい。

 そのために準備から精一杯やる。


 それでも、僕は、時々、ここにいていいのか、と思ってしまう。学校が好きじゃないと思いながらここにいる自分を、いつもどこか後ろめたくも感じているから。

 


 学校の門が近づいてくる。周りに誰もいないのを見て、みかんが言った。

「学校が好きでも嫌いでも、どっちでも、ごろちゃんはここにいる」

「うん。なんか時々後ろめたいときもあるけどな」

 僕は、苦笑いする。

「そう? でも、先生だってみんな学校大好きって人ばっかりじゃないと思うけどな」

「うん。それはそうやろな。とにかく……やることやるしかないもんな」

「そうそう。フレーフレーごろちゃん! みかんが全力応援してるからね」

「ありがたいね」

 僕は、背中で、きっと、目をくりくりさせているだろうみかんを思って、ふふっと笑う。

「……じゃ、応援のお礼に、今夜は手作りハンバーグやな」

「やったっ!」

 向こうから教頭先生が歩いてくるのを見て、みかんが、慌ててリュックにもぐる気配がする。

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