第4話 マニアなの?


「この人、好き」

 夕方、新聞を読みながらテレビを見ていると、みかんが言った。

 僕は、新聞から顔を上げて、

「だれ?」と訊く。

「片平さん。気象予報士の」

 テレビでは、彼が、明日の天気図について解説しているところだ。

「ああ。そやな。すごく解説がわかりやすくて、この人に理科の授業してほしいって思うよな。僕も好きやな」

「そう。それに、ダジャレがすごくおもしろくて、かわいくて。“ふとんがふっとんだ”を超えるくらい、おもしろい」

「なるほど」

 みかんにとって、おもしろいダジャレを言う人は、好感度が高めのようだ。


「あの」

 天気予報が終わると、みかんは、テレビから僕の方へ目を向けて、言った。

「なに?」

「ごろちゃん、仕事は?」

 ちゃん付けはいやだといったけど、なんだか落ち着かないとみかんがいうので、結局、僕は、ごろちゃんと呼ばれることになった。

「仕事は、休みやな。今、連休期間中やから」

「あ。ゴールデンなんとか」

「そうそう。ゴールデンウィークな。まあ、いうほどゴールデンな気はせえへんけどな」

「なんで?」

「僕の場合はね。7連休とかって、長い連休取れる会社の人とかもいるけど」

「ごろちゃんの休みは、いつまで?」

「明日まで。あさってとしあさっては、祭日やけどがっつり仕事やな。でも、これでも今回はたくさん休めた方やな」

 

 僕の勤務先は私立中学校で、時間外勤務や休日出勤は、僕らにとっては通常モードだ。

「なんの仕事?」

「試合。卓球部の。顧問してるねん」

「そう。 ごろちゃん、卓球得意なんやね」

「まさか。卓球は小学生の時に、温泉旅行でちょこっとやったくらいや」

「え? そうなの?」

「うちの学校では、競技経験あろうがなかろうが、そのポストが空いてたら、やらなしゃあないねん」

「へえ~。じゃあ、運動苦手な人でもやったことなくても、顧問になるってこともあるの?」

「もちろん」

「……たいへんだね」

「まあな。でも、まだ卓球部でよかったわ。バスケとかサッカーとか、自分も一緒に走り回って審判せなあかん部もあるからな。卓球は生徒同士で審判やるから。こっちは見てるだけでええから」

「ごろちゃんは、何かスポーツは?」

「中学では陸上やってたな」

「カッコいい」

「そう?」

「種目は?」

「一通りやったけど、専門はハードル」

 みかんの口が、おお!という形になる。

「難しそう」

「そうかな。おもしろいよ。っていうか、ハードル、知ってるの?」

「うん。たいていのものが、こちらと同じやから」

「……こちらと、ね」


 こちらとどちら? と訊きたくなるけど、たぶん、答えはまともに返ってこない気がするので、訊かない。

 そこで、別のことを訊く。

「そろそろ、晩ご飯にしようと思うけど、何か食べたいものはある?」

「う~ん」

「そんなややこしいものでなければ、何でも言うてみ」

「じゃあ。じゃあ、たこ焼き!」

「たこ焼き。……そやなあ。粉もあるし、具材になりそうなものも、たこ以外はあるかな」

「やった!」

 僕は、台所の戸棚や冷蔵庫を開けて、確認する。

「あかん。ソースがきれとった。買うてこんとあかんわ」

 自分もトコトコやってきたみかんが、一緒に冷蔵庫をのぞく。

「え。でも、ソースって書いてあるのが、ここに」

「ああ、それは焼きそばソース。似てるけど、たこ焼き用とちゃうしな。それは、サバサバしたヤツや。たこ焼き用のとろっとしたヤツがええねん」

「はあ……あ、ここにもソースが」

「あ。それは、お好み焼き用や。それちょっと辛めやからな。まあ、それでもいけなくはないけど、たこ焼きには、ちょっと甘めのたこ焼き用のがええから。」

「あ、ここにもソースが」

「ああ。それは、とんかつ用ソースや。こっちはウスターソース」

「……ごろちゃんは、ソースマニアなの?」

「マニアって。別に、ごく普通やろ? 使い道によって、ソースが違うのは」

「そうなのかぁ。ソースって、一つと思ってた。奥が深いね」

「そりゃあ、こだわる人は、もっとすごいんちゃう? このあたりの特産品のイチジク使ったイチジクソースも美味しいって話やし」

「へえ。で、今日は、たこ焼きソースないから、たこ焼きは無理?」

 タヌキ、いや、みかんが、可愛く首を傾けて、僕を見る。丸くて大きな瞳が、少しうるうるしている。買いに行くのは面倒やけど、この目を見てると、いや、とは言われへんよなあ。

「ええよ。すぐそこのスーパーで、買えるから。今日は、たこ焼きにしよ」

「わあい!」

 小さなタヌキが飛びはねる。

「食べたかったの~」

「じゃあ、ついでに、具材もちょっと買いたそう。買い物行ってくるわ」

「私も行く!」

「え? その格好で?」

「タヌキじゃ、だめ?」

「だめ、っていうか、みんなびっくりするで。タヌキのぬいぐるみが歩き回ってしゃっべってたら」

「そっか。じゃあ……」


 一瞬の間を置いて、目の前に、二日前、僕の家に初めて来た日の、可愛い高校生くらいの女の子が現れた。

「これじゃだめ?」

「あかん」

「う~ん」

 2人でしばし考える。

「あ! ちょっと待って」

 僕は本棚の隅にある、アルバムを引っ張りだした。そして、小学生の頃の僕の写真を、みかんに見せる。

「わ。可愛い。この子誰?」

「僕や」

「これに化けろ、と?」

「そう。僕の子ども時代なら、化けてもええやろ。本人がOKしてるんやから」

「わかった」


じっと写真を見つめていたみかんは、次の瞬間、ふっと小学生の男の子の姿に変わっていた。

「どう?」

「……うあ。なんかめっちゃ不思議な気分やわ。でも、まあ、これなら出歩いても問題ないかな」

 一応、みかんの周りをくるりと回って、尻尾が出てないかも、確認する。大丈夫。

「じゃあ、行こう行こう」

 大喜びのみかんは、僕の腕を引っ張って、ぐいぐい玄関ドアの前まで連れて行こうとする。

「わかったわかった、って。財布もっていかな。あ、それと、エコバッグもな。ついでに、ああ。トイレットペーパーも買うとかんと。ティッシュペーパーも。みかん、荷物もち、頼むで」

「もちろんもちろん」

 

 アパートの階段を降りきったところで、家主のおばあちゃんに出会った。

「こんにちは!」「こんにちは」

 僕より先に、みかんが、元気いっぱいに挨拶する。

「あら。こんにちは。大畑さん。可愛い子。弟さん?」

「あ。いえ。親戚の子で。休みで、遊びに来てるんです」

「そう。よう似てはるわぁ。挨拶もしっかりしはる、ええ子やねぇ」

 みかんは、照れくさそうに笑っている。

 おばあちゃんは、僕が手に持っているエコバッグを見て、お買い物? と訊いた。

「はい。ちょっとそこのスーパーまで。あ、もし何かついでに要るもんあったら、買うてきますよ」

 僕が言うと、おばあちゃんは、

「あらほんま。助かるわぁ。じゃあ、ペットボトルのお茶、大きいの、1本頼める? あさって生協の宅配で届くんやけど、たちまち、今日明日飲む分があれへんのよ」

「了解です」

 希望のお茶の銘柄をおばあちゃんに訊いて、僕とみかんはスーパーへ向かう。

 みかんは、嬉しそうにスキップしている。

 その後ろ姿を見ながら、僕はなんだか不思議な気持ちになる。

 自分の後ろ姿を見るなんてこと、めったにできないもんな。

 僕は、その可愛い後ろ姿に声をかける。

「おい、みかん。そっちとちゃうで。右。右に曲がるねん」


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