第3話 それ、採用です!
「パン、焼けたで。コーヒー、紅茶、どっちがいい?」僕は訊く。
「あ。紅茶で」
「ミルクいれる?」
「はい」
僕の前には、焦げ茶色のタヌキのぬいぐるみがちょこんと座っている。
「ぬいぐるみの姿で、朝ご飯、大丈夫? 食べられる?」
「さあ。どうなんでしょう。口は動くんですけど。……消化、できるんでしょうか?」
「僕に訊かれても。ってか、それダジャレ?」
「え? あ、ほんまや。ダジャレになってる♡」
タヌキは、嬉しそうに、ショウカ、できるんでショウカ、と繰り返した。
「ダジャレ、好きなん?」僕が訊くと、
「うん。ふとんがふっとんだ~、とか、イルカいるか? オルカ、おるか? とか」
「……それはまた、えらいベタなヤツやな」
僕が苦笑すると、タヌキは、丸い目をいっそう丸くしながら、
「……ダジャレ、きらいですか?」
「いや。けっこう好きな方かも」
「よかった……」
なんだか知らないけど、タヌキは喜んでいる。
そして、僕がお皿にのせたトーストを両手でもつと、ぱくりとかじりついた。
「美味しい! 外サクサク。中もっちり。香ばしい焦げ目にしみ込んだバター、最高! ん? この甘みと香りは? う~ん。これ、蜜柑の花のハチミツかな? かすかに風味が」
小さなタヌキが、もぐもぐしながら、一口食べるたびに、嬉しそうに食レポをしている。どうやら、ぬいぐるみ姿でも、食べるのは、大丈夫そうだ。
「消化はともかく、味覚はバッチリ、みたいやね?」僕が言うと、
「はい。たぶん、この様子なら、消化も大丈夫な気がします」
「ところでさ。まだ、呼び名、決めてなかったけど。なんて呼んだらいい?」
僕の言葉に、タヌキは可愛く、首をかしげた。
「そう、ですね……。呼んでほしい名前はあるんですが、それは、まだ言えないので。だから、えっと……」
「タヌキちゃん、は?」僕は、提案する。タヌキの姿があまりに可愛いから。それなのに、タヌキは、すごくがっかりした顔で、
「え? ……いやや」
「なんで?」
「もっと可愛い方がいい」
「う~ん。僕、ネーミングセンスないからな……」
「私も、ありません。でも、タヌキちゃんは、あまりにも、ひねりがなさすぎます」
「あかんか?」
「あきません」
タヌキは譲らない。
「う~ん」
僕は、唸りながら、名前になりそうな物を探して周りを見回した。さっき、タヌキが、蜜柑の花の蜜だといった、ハチミツの瓶が、目に入る。これや!
「蜜柑。どう? 漢字もいいけど、ひらがなの柔らかな感じで、“みかん”」
「みかん」
タヌキは、つぶやいてうなずいた。
「可愛い。それ、採用です!」
タヌキ、もとい、みかんは、ポン、と両手を合わせて言った。
「じゃあ、みかん。これから、しばらくの間、よろしく」
そう言って、僕は、自分もパンにかじりついた。すると、あわてたように、みかんが言った。
「あのあの! 私は、なんとお呼びしたら。大畑吾朗さん」
「ん? あ、そうか。まだ言うてなかったな。……でもなんで、僕のフルネーム知ってるん?」
「そこに」
みかんの指さすテーブルの端に、郵便物の束がある。
「そっか。そやなぁ。何がいいかな」
「ごろちゃん」
「え? ……いやや」
僕は、さっきのみかんの口調を真似て言った。
「あきませんか?」
「あかん。可愛すぎやろ」
「じゃあ?」
「吾朗、でええよ」
「ごろー」
「みかんが言うと、なんかひらがなっぽいな。まあ、どっちでもいいけど」
「じゃあ。決まり! ごろー、よろしく!」
呼び名が決まると、なんだか急に、お互いの心の距離も縮まったような気がするのは、僕だけではなさそうだ。話し方が敬語から少しくだけた言葉になった。
そして。
ただのバター・ハチミツのせトーストが、いつもより香ばしくて甘いのは、きっと、目の前で、美味しそうに、もぐもぐしているタヌキ、いや、みかんのせいだ。きっと。
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