第2話
わたしのスマホは向こうの研究員たちとやり取りが行えるようになっている。実験の結果とかこれから行う実験のこととかがまとめられており、わたし以外にはアクセスできない。
外にいる人たちのことを神様だと仮定した場合、わたしのスマホは預言書だと言えなくもない。もっとも、わたしは神様だなんて信じちゃいなかったけども。
スマホを何度かスクロールすれば、お目当てのシナリオが見つかかった。
一度しかできないとっておきのシナリオ。
わたしはそれを起動する。
本当に起動しますか、と確認が出る。もちろん、起動する。姉を探しているという子が現れた時点で、そうするとわたしは決めていたんだ。
空がやにわに暗くなる。
夜になったんではない。太陽が月に隠されていっている。
皆既日食。
それは、とっくの昔に自然現象として解明され、教科書で取り上げられるほど当たり前のものとなっている。だけども、見慣れない金色のリングを見ていると、これから先のことがわかっているにもかかわらず、なぜだか胸がどきどきしてきた。
恐怖、あるいは歓喜からか。
ドキドキは体全体へと広がっていって、震えさせる。
と。
遠くの空で七色の光が瞬いた。それは実験で見たことのある光。
青春エネルギーのキラメキ。
「へえ」
わたしは思わず、そう呟いていた。プログラムによって書き換えられたものではない。正真正銘の青春エネルギーの奔流が、あの場所では生まれていた。
誰が発しているものなのか、今更口に出す必要はないだろう。この世界において、青春エネルギーのことを知っているのは二人しかいない。
柔らかな一筋の光が、何度かループを描いたかと思うと、わたしめがけて一直線に飛んでくる。
その光を発生させているのは、朱理ちゃん。
制服を脱ぎ捨て代わりに魔法少女みたいなドレスに身を包んだ朱理ちゃんが、矢のように飛んできて――。
「あんたのしわざか!!」
電光石火の勢いのままに、わたしへと突っ込んでくる。
放たれたこぶしをわたしは手のひらで受け止める。
「なっ!?」
朱理ちゃんが驚いたように声を上げる。その反応が、たまらなく愛おしい。
大したことじゃない。わたしの肉体のデータは、超人的なまでに書き換えられている。今のわたしなら弾丸だって避けてみせる。管理者の特権というやつだから大目に見てほしい。
「その恰好、恥ずかしくないの?」
「うっせ! こうでもしねえと青春エネルギーが発動しやがらねえんだからしょうがねえだろ!」
言いながら、朱理ちゃんが空中で身をよじり、顔面目掛けて蹴りを放つ。その前に、わ
たしは朱理ちゃんのことを放り投げる。
ぽいーっと投げ飛ばされた朱理ちゃんは、空中で一回転し、輝く粒子を振りまきながら着地した。
「うそうそ、その姿もすっごく似合ってるよ」
「そうか……ってんな感想が聞きてえんじゃねえ! 街のあれは、碧がやったのか」
「あれってなんのこと?」
「ゾンビのことだ。今、あっちは大変なことに」
「あーあれね。うん、わたしがしたことだよ」
正確には、研究員の一人が構築したアポカリプスプログラムによるものだけど。
「理由は。人がいっぱい死んでんだぞ」
「死んで、ゾンビとしての生が始まるだけのような気がするけど」
「んな理屈はどうだっていいんだ!」朱理ちゃんが怒鳴る。「傷ついてんのは事実だろうが」
「そうすることで、人々は結束すると思わない?」
「なに……」
「共通の敵――この場合ゾンビなんだけど――がいるとさ、一緒にがんばろーって気持ちになるでしょ? そしたらさ、今まで嫌っていた人と何かしらの化学反応が生まれるかもしれない。あるいは極限状態へ陥ることで、普段しないようなことをしてくれるかも」
――そうしたら、今までとは違う強烈な青春エネルギーが生まれるかも。
わたしの言葉に、朱理ちゃんが拳を握りしめている。俯いていた顔が上がったと思うと、わたしのことを睨みつける。
その瞳には、怒りが爛々と輝いている。
赤へ転じた青春エネルギーは炎のようで、わたしはゾクゾクした。
もっと、もっとその輝きを見たい。
「朱理ちゃんは優しいねえ」
「……いきなりなんだ」殴りかかろうとしていた朱理ちゃんが、動きを止めた。
「電脳化されているとはいえ、みんなが傷つくのがイヤなんでしょ」
「別に……お姉ちゃんが傷つくとこを見たくないだけ」
「でもさ、この世界なら繰り返せばみんな元通り。大怪我していても、傷心していても、それこそゾンビになっちゃってもね」
わたしはあえて煽るように言った。
効果はてきめんだった。
朱理ちゃんが発する深紅の青春エネルギーは、彼女の体にまとわりつくように揺らめいている。その力たるや、十メートルは離れているのに、ひしひし感じられる。
仮想空間に影響を及ぼすほど強いエネルギーは、わたしもはじめて見た。
彼女なら――。
朱理ちゃんが歩くたび、屋上の床を構成するコンクリートがはがれ、破片が飛び散る。青春エネルギーの奔流が、サーバーに直接的な打撃を与えている。その結果として、この世界が壊れようとしている。
ぞくりと肌が粟立つような視線が、わたしをとらえる。
「あんたを絶対に許さない」
「それでもいい」
少なくとも、わたしはそれでいいと思っている。……研究員たちはどうだか知らないけど。
今頃、熱暴走を起こしているサーバーに驚いていることだろう。あるいはサーバーが壊れようとも、すさまじい青春エネルギーが見れて満足しているのだろうか?
スマホは動こうとしない。青春エネルギーが発する波長にあてられて機能不全に陥っていた。
ギリギリという朱理ちゃんの歯ぎしりの音が聞こえるかのような静寂。街の方では黒煙が上がっており、そこで起きていることのすさまじさを伝えてくれる。
でも、そんなことわたしにはどうでもいい。
わたしは、目の前の朱理ちゃん以外どうでもよかった。
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