小野原は見た

「なんすか、配信中ってのに」

「ちょっと、来てください」

 ボクは眉をひそめた。

 相手はスーツ姿のおっさんだった。

「は、はい、分かりました」

「それでは、質問に答えてください」

「……へ?」

 おっさんはスーツのズボンから何かを取り出し、カチャリと開けてコチラに突き出した。

「……警察?」

 何かやらかしただろうか、と脳内を探る。

「渋谷署強行犯係、巡査部長の渋谷孝久しぶたにたかひさです。今回の事件の捜査で質問させていただきます」

 ――シブヤ署のシブタニか。

「え? 強行犯係?」

 驚いたが、この青い顔にヨレヨレグショグショのスーツの男が警察手帳を突き出してもそれほどひるまないのが正直な感想だ。


「それでは捜査にご協力ください。まずはお名前と年齢、住所、職業……」

「ヒッチハイクハカセ。二十一歳。住まいは日暮里。職業はユーチューバー」

「本名をお聞かせください」

「……小野原慎太おのばらしんた

 なんだか水を差された気分で、少し鼻白んでしまう。

「それでは質問させていただきます。ユーチューバーということですが、どのような動画を投稿されているのですか?」

 ピクリ、と人差し指が震える。

 ――チャンスだ。

 ボクは聞こえないようスマにホの動画の再生ボタンを押した。

「もう一度質問します。どのような動画を投稿されているのですか?」

「あ、えーっとですね、チャンネル名は『日本の全てをひも解くTV』って言いまして。チャンネル登録者数は五千人。最高再生回数は十万一千二百七十六回。旅行に関する検証を多くやっています。バスで日本横断したり、一日でプロ野球本拠地全部回ったり……」

 と、目の前の老いぼれ刑事が、平然と話を聞き流していることに気付いてボクは話を止めた。

「ところで、なんでボクに職質したんですか?」

「いやぁ、赤髪に修行僧のコスプレ、しかも一人ギャアギャア騒ぎながらガイコツの動画を撮ってるわけですから」

「いやいや、そりゃあユーチューバーですから」

 そんなことも分からないのか、とボクは唇を尖らせた。

「それでは、次にあなたの行動を教えていただけますか。何しろ、捜査情報が全く足りないもので……」

 そんな情報を平気で明かしていいのかと驚いたが、ボクはどうせなら自分の見解を話してやろうと思った。なんせ、その方がボクの知的さが広まるし、事件解決に貢献したというイメージを視聴者に与えることが出来る。


「十月三十一日って、なんか霊界から魔女とか、そういう魔物がやってくる日のようなんですけどね。それでスケルトンもやって来たんじゃないですか。現実、なんか魔女みたいな女性とかたびたび見ましたもん。めっちゃ青白い西洋人っぽいおばさんとか……」


「ほぉ……参考になります」

 渋谷は、今回は冗談抜きで感嘆したような表情だった。

「で、小野原さん。どのような行動をして、どのようなことを目撃されましたか?」

「うーん、そうですね……」



 💀



 今から二時間ほど前。九時半ごろにボクはキャーッ、という悲鳴を聞いた。

 どうせ痴漢にでも巻き込まれたんだろ、と動画撮影を続けていたが、なんとまあそれが二発、三発、四発、五発と聞こえる。

「何でしょうか、何が起こっているのか……? 悲鳴が立て続けに聞こえます」

 この時、西口の出口辺りにいたボクは大した恐怖心も覚えず、辺りの撮影を続けていた。

 辺りの人たちも、うるさいなぁと顔をしかめる人と、そもそも気づいていないように笑顔を浮かべている人ばかりだった。

 ――そのめでたい、冷たくも温かいハロウィーンの空気を、一瞬にして「それ」は凍らせた。


 ヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ


 絶え間なく流れていた人流がピタリと止まった。やかましかった辺りも一瞬にしてしんとした。


 ヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ……イヤーッ!


 次の瞬間、様々な服装の人たちが、面白いように同じ表情を浮かべた。目を見開き、口を半開きにさせる。

 ボクの身体にブルッと悪寒が走り、肌にふつふつと鳥肌が湧いた。

 ボクの足は自動的に動き始めていた。モヤイ像を通って宮益坂出口を出る。

 ――目の前に広がっていたのは、この世のものとは思えない光景だった。

 目には恐怖を浮かべ、悲鳴を上げながら逃げる数百人もの老若男女。

 一人が転べば、後ろがどんどんと転んでゆく。その頭を、脳内が「恐怖」に支配された人々が踏んづけてとにかく遠くへと駆けてゆく。

 すでに何人かが、白目を剥き、血を吐いて倒れていた。

「見てくださいこの惨状! なんということでしょうか、何かから逃げようと数百人もの人が駆けていきます。転んで、頭や体を踏まれて動くことを止めた人までいます。もうこれは修羅場としか言いようがありません。一体何から……」


 ワヒャヒャヒャヒャヒャ


 びくりとして、後ろを振り向けば、よだれを引きづりながら軽快に踊るガイコツがいた。

「うわぁっ!」

 青いジャケットとベージュの長ズボンをはいたガイコツはガチガチガチガチガチと歯を震わせながら、獲物を追うライオンのように逃げ惑う人を追っていく。

 その道筋には、おびただしい量の血を流した女性や、頭蓋骨が沈んでいる男性、白目を剥き、首が九十度に折れ曲がっている子供……。


「あれは恐らくスケルトンでしょう。スケルトンは軽快に踊りながら人間の塊を追いかけます。えー、片手に握っているものは……頭蓋骨、のようです。それも……血や頭皮、髪の毛などが付いています……」


 スケルトンの頭蓋骨の口角が上がり、嗤っているように感じられるのはボクだけだろうか。



 💀



「っていう話なんですよ。ヤバくないっすか?」

「大変ですね……なんと残忍な」

 渋谷は膝の力が抜け、がくりと膝をつく。

「うっ……失礼」

 何かを思い出したのだろうか、彼は吐いたものを再び飲み込んだように見えた。

「そうだ、そういえばね、動画もあるんすよ。ちょっと見てみてください」

 ボクはスマホの、動画撮影とは別に画面を開け、渋谷に見せる。

「……ん?」

「どうしました? すごくないですか? もうものすごい迫力だし、再生回数百万くらいは余裕で……」

「いや、違います」

 渋谷の首筋に、汗が一滴垂れた。


「――ガイコツが全く、映ってないんです」

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