ハロウィーンの凶悪な踊り
DITinoue(上楽竜文)
渋谷は見た
渋谷スクランブル交差点に、もう規律と言うものは無かった。
ヴァンパイアや魔女やミイラやガイコツが、すぐ背中を走ってゆく。行き先は恐らく何も決めていないのだろう。
ただでさえ、ハロウィーンの夜で人が溢れている渋谷駅前の路上だが、今は「それ」からひたすら逃げ惑う人たち。
「マリナ、なんで……」
「ふざけんなよ、あのガイコツ!」
「イヤ、イヤーッ!」
「ママー! パパー!」
その中には、うずくまってもう立てないような人だっている。
とてつもなく悲痛な、聞いているだけで心臓の最深部がジュクジュクになってしまいそうなほど悲痛な泣き声。
ハチ公の前にはスーツを着たまま大量の血液を吐いて倒れている人たちが。西口には腹が赤黒くなってしまったミイラが。
「おい! そっち気を付けろ! くるぞ!」
これまで担当した事件で一番の狂乱に、一時別世界へ置かれていた意識は捜査一課の係長の大声よって一気に引き戻された。
「危ない、シブさん!」
隣の
カラン……パキパキパキ
真っ黒の路上に白いものが散らばり、砕けてゆく。
だが。
どういう物理法則でそうなるのか、磁石に引き寄せられるクリップのように白いものは「それ」に向かって集まってゆく。
ガチガチガチガチガチ……カタ、カタカタカタ、カタ、カタカタカタカタ
骨が再結集したガイコツは、青白い歯を鳴らして、軽快にステップを踏みながら次の獲物を求めて進みだした。
「大丈夫か、小郷」
「僕は大丈夫です」
雨に濡れて、ズボンは漆黒に染め上げられていた。
と、小郷の力こぶの部分から血が出ていることに私は気づいた。
「シブさんこそ大丈夫なんですか?」
平気で他人の心配をする相棒に、私は声をかける。
「私はどうにか大丈夫のようだが……お前、大丈夫か?」
スーツが破れ、赤黒いドロドロした液体が体中に絡みついていっている。血液はだんだん赤くなっていき、矢のように降り注ぐ雨と一緒にサラサラと渋谷の街へ溶けだした。
「え?」
小郷は言われて初めて自分の怪我に気付いたようだった。自分の腕を見ると、大きく目を見開かせ、血の気がさっと引いて行く。途端に唇を噛み、路上に倒れ、もがき始めた。
ビーブォービーブォー
勇ましい救急車のサイレンは、一体どこの誰を救うのだろうか。見渡すと、もがき苦しむ人、あるいは驚愕の表情をして動かなくなっている人が散見される。
雨脚はますます強くなり、ただでさえピリピリしてきているというのに指先を刺し、感覚を無にしてゆく。
雨と、あのガイコツを見たショックで、私の神経は指が血だらけになっているという錯覚をしていた。
結局、小郷は戦線離脱となった。四十四歳という年齢と、百六十センチで脂肪がついているという体格を考慮され、私は事情聴取要員とされた。
――刹那。
カタッ、カタカタカタッ、カタッ、カタカタカタッ
乾いた物音がハチ公の前に響く。私は、頭の中に蛆虫が百匹ほど這いずり回っているような気味悪さを覚え、耐え兼ねた胃の内容物が食堂の頂上付近まで戻ってきていた。
「イヤー! 来ないで! 来ちゃダメ!」
「来るな! 俺には女房と子供がいるんだ!」
「みなさん! 見てください! ガイコツが骨をガチガチ鳴らしながら蠢いています! 踊っているように見えるので、これは恐らく『スケルトン』でしょう。まさか実物が見れるとは……」
「ギャー!」
仮装をした人やスーツ姿の人、普段着の人……誰もが叫び、ティラノサウルスに追われるかの形相で逃げる。
ただし、スマートフォンを構え、この修羅場を実況する男以外は。
私は、このいかにも怪しげで、嫌らしい男に職務質問をかけようと近寄っていく。
「イヤァッ!」
と、真っ黒い空を切り裂いてしまいそうな鋭い叫び声。思わず振り返れば、制服の女子高生が尻もちをついていた。体をガッタガッタ震わせ、彼女が見上げる先には青いジャケットを身に着けたガイコツが佇んでいる。
ヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ
獲物を見つけ、腹を空かせたガイコツは高らかに嗤った。
「イヤ、イヤだ、来ないで、ダメ……」
青白くなった頭蓋骨は、なんだか笑みを浮かべているような歪みを持っている。
ヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ
とっさに助けようと思ったが、足が動かない。
ガタガタガタ、ガタガタガタと震えて、足が全く動かないのだ。
「イ、イヤ……」
ガイコツは歯をカチカチと震わせ、首をコキコキ鳴らしながらぐるりと回す。
ヒャッヒャヒャッヒャヒャッ
「ダメだ!」
刹那、グシャッ、という、この世のものではない音が鳴った。
私は思わず目をギュッと閉じる。頭が出血し、あぁ、あぁ、と呻いているロングヘアーの女の子の姿が容易く想像することが出来た。
恐る恐る、私は目を覆っている指の間からそっと目の前の状況を確認した。
「……うっ!」
想像を絶する景色。
目の前に見えるのは、未確認生物に怯え、誰かのことを想う暇もなく絶命した女子高生の姿だった。目は見開き、頭はへこみ、白い粉が辺りに飛び散っている。頭蓋骨に空いた穴から覗く赤色のものには、大きな歯形が付いていた。
ガイコツはどこかへ行ってしまったようだが、ヒャヒャヒャヒャヒャという音はずっと渋谷の街にこだましているようだ。
「ぐっ、あぁっ」
ひとたび、人間の頭頂部に思い切り噛みつきながら嗤うガイコツを思い出せば、途端に胃の内容物が喉を逆流し、口をつく。
なんだか酸っぱい味は、なぜか私の舌は全く察知しなかった。
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