霧雨の中で

増田朋美

霧雨の中で

涼しさを通り越して、寒くなってしまったような天気であった。それなのに、昼間は暑いのだから、困ったものである。その日、杉ちゃんは、製鉄所の利用者である、中島祥子さんという女性をつれて、病院に行った。ちなみに病院までは、製鉄所から、歩いて15分程度のところであり、ちょっとしたウォーキング程度で行けるところでもあった。

病院の入口に行くと、なんだか大勢の患者が待っていた。みんなうつや対人恐怖とかで悩んでいる人ばかりであった。もちろんクリニックと違い大規模な病院だから、症状が強い人ばかりなのは、仕方ないところでもある。祥子さんは、怖い人がいるのかなと思ったが、杉ちゃんの方は気にしないでくれといった。とりあえず、病院の中に入って、受付に行くと、しばらくお待ち下さいと言われた。杉ちゃんたちは、病院のカフェスペースで待たせてもらうことにした。

「何にも心配することはないよ。単に鬱気分で憂鬱だと言えば大丈夫だ。あと、鬱になったきっかけを話して置けばそれで良い。」

杉ちゃんは平気な顔をしているが、祥子さんはちょっと不安そうである。 

「まあ、診断名がつけばそれでいいよ。そうすれば、ちゃんとしてくれることだろう。」

それにしても、待ち時間は長いものであった。何でこんなに待つんだろうと思われる。まあ確かに精神疾患の診察となると、なかなか長く掛かってしまうものだろうか、途方もなく待たされるものであった。

祥子さんが疲れたなあという感じのかおで、カフェスペースでお茶を飲んでいると、

「中島さんどうぞ。」

と、診察室から声がした。

「おい、呼ばれたぜ。」

杉ちゃんと、中島さんは診察室にいった。診察室には中年女性の医者がいて

「今日はどうしましたか?」

と聞いた。

「はい、ずっとつらい気持ちが続いていて、大変なんです。」

祥子さんは正直にいうと、

「いつからですか。」

と医者はいった。

「はい。先日、足を怪我しまして、それは治っているんですけれど、気分がおちこんだままなんです。」

祥子さんが答えると、

「そうですか。それでは、軽い抗うつ薬でも出しておきましょうか。じゃあ、お大事にしてください。」

女性医師はそういって、もう出るように促した。祥子さんと、杉ちゃんは、なんだこの程度かぁという感じで、診察室を出た。

「それだけか。まあ、逆を言えばそれでも良かったかもね。」

杉ちゃんは、すぐにいったのであるが、祥子さんは、がっかりした様子であった。

「まあ、その程度で済んでよかったよ。それなら、薬をもらって帰ろうぜ。」

「そうなんですね。その程度で終わってしまうものなのかな。わたし、こんなに辛かったのに。」

祥子さんは、がっかりしている。

「まあ、医者なんてそんなもんだよ。薬をのめば、なんとかなるぜ。そんなもんだから頑張って。」

杉ちゃんがそういうと、祥子さんは、涙をこぼして泣き出してしまった。

「頑張ってって私こんなに辛いのに。もうこれ以上頑張ることはできませんよ、薬でなんとかしようなんて、ごまかすだけでしょ。」

「薬を飲めば楽になれるよ。それだけのことさ。」

杉ちゃんはサラリと言うのだが、

「そんな、私、本当に辛かったから、病院に行くといったのに、いまある辛さを取ってくれるんじゃないんですか?あたしは、どうしたら良いのかとか、そういうのは、全く無いんですか?」

祥子さんは、声高くいった。

「まあ、とりあえず、薬を飲めば大丈夫だよ。」

と、杉ちゃんが言うと、

「だっていまのつらい気持ちを取ってくれるんじゃないかと思ったのに。」

祥子さんがそういうと、看護師が出てきて、

「すみません、他の患者さんもいますので、騒がないでください。」

と、冷たく言った。

「ハイハイ、わかったよ。」

杉ちゃんはいって、とりあえず彼女を病院の外へ出した。会計の方は、意外にはやく済んで、最近はクレジットカードで支払いもできるから、文字が読めない杉ちゃんでも支払いできるのだ。そこは大変ありがたいことだけど、なんとなく冷たい感じがした。

とりあえず二人は薬局に行った。薬局も大変混んでいて、なんだか辛そうな人ばかりだった。精神科の薬は数が多いために待たされるのであるが、まあ、いずれにしても、調剤は大変な作業だった。呼ばれたのは、20分近くまったあとで、

「はい、中島祥子さんね。こちらは、抗うつ薬だから、うつ病かな。まあ、はやく良くなってくださいね。」

と言われただけで、あとは代金を支払わされるだけであった。とりあえず2週間分薬をもらっただけであった。

「みんな冷たいのね。」

祥子さんは、薬局から薬をもらいながら小さな声でいった。

「冷たいって何が?」

杉ちゃんがそういうと、

「いつもこうなのかな。精神科の大病院って、こんな冷たいのでしょうか。」

と、祥子さんはいった。

「まあ、それはしょうがないなあ。親切にしてくれる医者なんて、そうはいないよ。医者なんてさ、でかい態度で、威張ってるやつばかりだよ。医者は、子供のころから偉いやつ扱いされているから、こう言う庶民のことは知らないさ。それでいいんだ。」

杉ちゃんはカラカラと笑ったが、祥子さんは、とても残念な様子だった。

「とにかく、薬をもらって良かったじゃないか。これでちょっとは、楽になれるってもんだぜ。」

「あたしにしてみれば症状を聞かれただけでつらい気持ちを取ってくれるのかなと思ったんだけど、それじゃなないから、大損だわ。」

祥子さんはがっかり落ち込んだ。

「まあ、大損とはいわないでさ、もしつらい気持ちを話したいんだったら、カウンセリングとかそっちの方にいくべきじゃないかな?そういう人が必要なら、紹介してあげようか?」

杉ちゃんがそういうと、

「ゴメンなさいお金が払えないのよ。大体、一万円くらい取られちゃうでしょ。そんなお金、払えないわ。」

たしかにそれが実情だった。祥子さんのように、うつ病で苦しい人にとって、カウンセリングの料金は高すぎる気がする。

「そうだねえ。」

杉ちゃんは大きなため息をついた。それと同時にサーッという音がして、雨が降ってきた。

「あら嫌だわあ。天気予報では、雨がふるのは夜だって言ってたのに、早くなったのかしら?」

と祥子さんが言うと、

「まあ、傘も持ってないから、そのまま帰るか。」

と、杉ちゃんは申し訳無さそうに言うが、

「そんな事言って、杉ちゃんの着物は黒大島でしょ。そんな高級な着物、濡らしたりなんかしたら困るわよ。やっぱりタクシー呼んだほうが良いわ。」

と、祥子さんは急いで、スマートフォンを出した。そして、岳南タクシーに電話して、現在高岡病院にいるのだがというと、すぐに行きますから、そこでお待ち下さいということであった。さほど土砂降りではなかったので、杉ちゃんたちはそこで待つことにした。待って10分くらいして、いわゆるUDタクシーと呼ばれるタクシーが到着した。二人なので、大きなワンボックスタイプのタクシーではなくて、ジャパンタクシーと呼ばれるタイプのものである。中年の男性の運転手が、急いで後部座席のドアを開けてくれて、杉ちゃんを後部座席に乗せてくれた。運転手はずぶ濡れになってしまったが、それでも、平気な顔で、祥子さんに助手席に乗るように言った。祥子さんがその通りにすると、

「じゃあ、大渕の富士かぐやの湯の近くでよろしいんですね。」

と、運転手は、急いでタクシーにエンジンを掛け、タクシーを動かし始めた。意外に道路は混雑していて、中々青なのに進まなかった。雨が降ると、どうしても、駅へ迎えに行く人が多くなってしまうので自動的に車が増えてしまうのである。

「この道しかありませんので、すみませんねえ。ちょっとお金がかかってしまいますけど。」

と、運転手が申し訳無さそうに言った。

「いえ、構いません。あたしたちも、この道しかないのはわかってますし。ちゃんと料金は払いますから、目的地まで連れて行ってください。」

祥子さんが急いでそう言うと、

「どうもすみませんね。障害のある方から、お金を取るのは、どうも忍びないなと思ってしまいましてね。日頃から、お金の面では不自由なことが多いと思いますから。特に、高岡病院に行くような人は、大変なのではないかなと思いましてね。」

と、運転手は、そういった。

「そうかも知れないけどさあ。でも、それを可哀想だとかいうのは、ある意味人種差別だぜ。可哀想にと思ってしまうことも、人種差別につながると思うよ。」

と、杉ちゃんが言うと、

「そうですか。それも確かにそうかも知れませんね。そう考えれば、うちのおばあちゃんも、少し変わるのかなあ。」

と運転手は言った。

「うちのおばあちゃん?」

杉ちゃんはそういうところにはすぐに敏感になるのであった。そして、答えが出るまで何度も口にするのである。

「おい、教えてくれよ、うちのおばあちゃんがどうしたんだよ。」

杉ちゃんは、でかい声で言った。

「認知症にでもなったんですか?」

祥子さんが聞くと、

「いや、認知症とは違います。認知症で自分の事をわからなくなったほうが、もしかしたら、すごいことになるかもしれない。そうではないんですよ。自分の事をわかっているから困るんだ。おばあちゃんが酷く鬱になってしまいましてね。毎日疲れた疲れたと言って聞かないんですよ。全くね、困ったものです。」

と運転手は答えた。

「それに、一生懸命世話をしてもお礼一つも言われないんですよ。やって当たり前ですからね。ご飯の事をしても、排泄の世話をしても、お礼一つ言われてない。ああ、こういう話をするのは、嫌でしたかねえ。」

「そうですか。あたしも、実は、うつ病なんです。おばあさまと、同じ病気ですね。きっと、あたしの立場からして言わせて貰えば、お祖母様はきっと感謝していると思います。病気が治ったらすごく感謝してくれるんじゃないですか。それを楽しみに待っているのも、介護者の勤めだと思います。」

と、祥子さんは、運転手に向かってにこやかに言った。

「そうですか。アドバイスありがとうございます。なんだか、おばあちゃんが鬱になって良いことなんて一つもなくなっちゃったなと思ってましたけど、意外にそうでもないと思いましたよ。不思議なものですね。こう言ってくれる人がいてくれると、なんか嬉しい気持ちになるな。」

運転手は、そういった。

「まあ、鬱になると、小さな事も幸せに見えるもんだよ。そういうことでもあるんだな。それでは、嬉しくなってきたな。何よりも、同じ病気の人の話が、薬だからな。」

杉ちゃんはカラカラと笑った。

「それでは、お客さん着きましたよ。」

と、運転手は、富士かぐやの湯の前でタクシーを止めた。

「ああどうもありがとう。」

杉ちゃんたちはにこやかに笑ってタクシーにお金を払った。杉ちゃんたちは、霧雨の中で、タクシーの運転手に降ろしてもらった。





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霧雨の中で 増田朋美 @masubuchi4996

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