EP08~救世の歌声~
EP08-零:〈出資者〉
月が照らすのは、
十一月の寒い風が吹く中で、古ぼけた別荘は寂しそうに立ち尽くしている。
そんな場所に足を運んだのは、一人の男。高かったのだろうコートは
乱暴にドアを開けた男は、大急ぎで部屋を明かりで満たす。まるで暗闇を
そうしてバッグから取り出すのは、ノートパソコン。テーブルの上に置かれた物体は全て片手で
「殺されてたまるものか」
独り言を
彼らが造り出す〈実験体〉によって、病院のような施設さえ燃え落ち、人が死ぬ。それを可能にする〈
求めるものはただ一つ。
「あった。奴のデータだ! これさえあれば……っ⁉」
男の胸からクラシカルな着信音が流れ始めた。知りえる番号の全てを着信拒否に設定しているのだから、こんな振動音は鳴らないはずなのに。
しかしいつまでも震わせておくにはあまりに不気味な旋律で。耐えられず、男は端末に手を伸ばした。
「も……もしもし」
『やあ。遅かったね、
通話機越しに聞こえたのは、男自身の名前。それを告げるのは、優雅な声。聞く者へ否応なしにその品格を感じさせるのは、いったい何なのか。
しかし男……早乙女肇には、その相手に心当たりがあった。
「まさか、〈
小さな笑い声が漏れ聞こえたのが、その証明。
『困った人だ。自分の会社を放り出して、勝手に別荘へ遊びに行くなんて。死んだ息子さんも泣いていると思うよ?』
「待て、〈ネクロ〉が死んだのは、私のせいじゃない!」
『そうだね。彼は〈ゲノム・チルドレン〉としての役目を
楽しげに
このデータを
『しかし、今の君が行っているのは裏切りと呼べる行為ではないのかな?』
冷や汗が首筋を通り抜ける。見透かされているのか。
『わかっていると思うが、こちらと敵対するのはあまり得策ではないよ。特に、自衛の方法を失った今は、ね?』
もうダメだ。こちらの動きを全て把握したうえでの電話で間違いない。
こうなったらと、男は腹を
「全てを公表する」
『ほう?』
「例の〈実験〉のことも、〈ゲノム・チルドレン〉のことも、あんたの正体も!」
『そんな話、誰か真剣に取り合ってくれる相手でもいるのかな?』
「確かに警察なんかじゃ無意味だろう。だが、世界中にはあんたの
「少なくとも〈ゲノム・チルドレン〉……いいや、〈ジーニアス・チルドレン〉計画のことを伝えれば、大国も黙って見過ごしはしない! 成人を超えた彼らの正体ごと伝えてやれば、困ったことになるのはそっちだろ!」
『なるほど。いかにこの黒銀という街が技術者たちにとっての〈革新都市〉でも、そんな研究が行われていたなんて事実は、世間もさぞ驚くだろうね』
さも、今夜の夕食は塩が足りないなんて言い出しそうな自然さで。
『それで、データはもう送ったのかな。ああ、まだそのパソコンの中か』
瞬間、画面から光が消える。まとめていた資料がどうなったのかも、そもそもどうやって干渉したのかもわからないまま、男の額には嫌な汗だけが流れていく。
『ところで、君が言っていた〈スポンサー〉の正体だけれど。その辺りに転がっている人だったりはしないよね?』
「え……?」
鈍い音。二階に通じる階段から、何かが落ちたことしかわからない。ほとんど使っていない別荘とはいえ、犬や猫が入り込む余地はなかったはず。
恐る恐る階段の方へと視線を向けると。
「そ、そんな馬鹿な……⁉ 何で、〈スポンサー〉が……死んでっ⁉」
ぐったりとした老人の
『君の考えていた私の正体。それが別人だった。それだけのことだろう?』
当たり前の話とでも言いたげな声が、受話器から流れてくる。その間も、早乙女の視線は
『おや、そうなると〈ゲノム・チルドレン〉たちの情報もどこまで本当なのかな?』
まるで現状が見えているような余裕のある笑みが耳を刺す。
「デ……デタラメだ⁉ 死骸をでっち上げるのは、そちらの得意分野だ!」
『そう思うなら触れてみるといい。偽物かどうかを判断するのは難しくないよ』
息を呑む。商売の才能があったのではなく、あくまで研究者として出資を受けたから〈
伸ばした手はすぐに止まった。
罠に決まっている。そもそも危険を
「と……取引をしないか? 私もあんたには借りがある立場だ。秘密を守る代わりに、どこか静かな離島にでも逃がしてくれるなら……」
『フフフ、ジョークはそのくらいにしてもらえるかな?』
凍てつくのは、男の身体の全て。その冷酷な笑い声だけで、今までの全てが無意味だったと悟るしかない。
「ま、待ってくれ……いや、待ってください! お願いだ、〈スポンサー〉‼」
その場で土下座し、どこにいるかも知れない相手に
「秘密は必ず守ります! もう二度と、こんな大それたことは致しません! だから、どうか命だけは……!」
『離島だったね。なら、面白いものを見せてあげよう』
不意に、パソコンの液晶が光を取り戻す。しかしそこに映っているのは、さっきまでの資料などではなく。
「島……?」
『南アフリカの方にある小さな島でね。そこに例のネズミたちの巣があるらしい。だから駆除を任せているんだ……〈ゼノウ〉にね』
その名を聞いて、指が硬直する。
現在、生き残った〈ゲノム・チルドレン〉たちの中で最強と
上空から撮影されているということは、まさか衛星から送られているものだろうか。それも画面の表示通りなら、ほぼリアルタイムの映像。
『ほら、始まるよ』
島の中央に見えたのは、
小さな山が
『さっき、世界中の機関がどうとか言っていたね?』
「ぁ……?」
『どこの機関や組織が敵に回ろうが、別に構わないよ』
嘘でもハッタリでもない。当たり前だ。小さな島だとしても、地形そのものを破壊するほどの兵器を飼っている人間からすれば。単なる諜報機関なんて
『ちなみに、君が
「待っ……」
『汚職をダシに
階段の方から、足音がする。
動かした視線の先には、ゆっくりと近づいてくる白いペストマスク。なぜかそれは、死骸を喰い荒らすカラスにも視えた。
「待って……お願いだ……あなたに忠誠を誓う……どんなことでもします……! だから、どうか……」
『いいよ』
救われた。そう感じて、男は
礼を伝えようとしたその瞬間。
『二人分の死体、もう用意してあるんだろう? ね、〈ホロウ〉?』
「クク……。では、
降り立った仮面の怪人が、しゃがれた声で
「ミッションコード……」
その言葉が響いた
「だ、ず、げ……」
そうして、男の意識は遠のいていった。
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