EP07-拾:夢は面影と共に


「バイト少年くん? いくらハロウィンだからって、それちょっと不自然じゃない?」


 午後の柔らかな日差しが差し込むカウンター席。そこに座る常連客が、指で自らの両目を示す。それがオレの眼球、その色のことを言っているのは明らかだった。


 白とくれない


 七月から白く染まった右眼の虹彩こうさいに加え、左眼までその色を変えてしまった。おまけに、まるで血に飢えた悪魔のような紅色ときた。今でも鏡に映った自分の姿に違和感を覚えるほどの不気味さだった。


「てかさ? 手元や首元には包帯でミイラ男を演出しつつ、服装はばっちり吸血鬼! って、これも不自然だと思うよぉ、吾輩わがはいは~?」


「オーナーの趣味ですから」


 仕方がないことだが、はっきりと口に出されると溜め息の一つも吐きたくなる。


 先日の戦いで負った傷を隠すには長袖シャツでも足りず、応急処置としてはこれが精一杯。何より、ミイラ男の仮装だけでは首元にこのブローチを付けられない。


 どういうわけか、地下研究室に戻ってきた時から、オレは声が出せなくなっていた。このままだと困るとオーナーが組み上げたのが、このブローチ型の極小スピーカー。


 オレの頭に入っている補助脳と連動して、思考を音声として出力してくれる装置。おかげでこうして店に出られるが、下手なことを言わないように気を付けなければ。


「そういえば、このお店のオーナーさんって会ったことないなぁ。どんな人なのさ?」


「ただの甘党ですよ」


 ハロウィンだからと甘い菓子を作れと命じる程度には、なんて付け足しつつ肩をすくめてみせる。嘘は言っていない。彼女は本当に甘いものには目がないのだから。


 そのオーナーは今、地下の自室で眠っている。


 無理もない。あの〈ネクロ〉に単身で挑んだ後だ。むしろあの程度で済んだのは奇跡に近い。あの屋敷にいたほとんどの人間が焼死体で発見された今となっては。


 もし、ほんの少しでも到着が遅ければどうなっていたか。想像するだけで背筋が凍りつくような錯覚に襲われる。


 あの〈アンチ・ゲノム同盟〉とやら、きちんと整備されたオレのバイクを格納していた倉庫からしても、かなりの組織力がある。おまけに倉庫から宙舟霊園そらふねれいえん近くまでの移動方法は、瞬間移動としか言えない。


 気付いたら煙を上げる屋敷を視認できる場所にいた……なんて、自分でもいまだに信じられない。


 どんなカラクリかはまるで見当もつかないが、少なくともあの基地の場所は不明のままだ。おかげで主人の窮地きゅうちに間に合ったとも言えるのかもしれないが。


 そもそも、あの改造施術後の記憶は定かではない。話した内容は覚えているが、あのプロフェッサー・ジーニアスを名乗った奴の顔すらうろ覚えだ。脳に何かされた可能性はあるが、今のところ動作に支障は出ていないのも不気味だった。


 それに強化改造で得たあの力……〈RIOTライオット〉と叫んだあの機構が作動した時、押し寄せた様々な感情の波に呑まれかけた。元からそういうシステムなのか、それとも何かの誤作動なのかは、オレには判断できないが。


 あの〈暴騒〉の力、再び使った時にこの身はどうなるのか。それを考えるだけで、指が震えてしまう。


「不自然と言えば、この店に来てくれって依頼人から言われるのも、レアケースかも」


 相変わらずのツケで頼んだコーヒーカップを揺らしながら、ぼんやりとした表情。おそらく昨夜は遅かったのだろう。


 戦闘の途中から、オレの記憶は混濁こんだくしたままだったが。少なくとも、あの依頼人の娘が倒れている姿はよく覚えている。


 もしもあの時、彼女が現れなければ。力に呑まれたまま、オーナーを……。


「もしかして、命を救ったからプロポーズされちゃう的な? そういう流れだったりする? あんな美人さんなら、吾輩としても千パーセント……」


 秋風が吹き抜ける。鼻の下を伸ばして笑っていた迷探偵の声と、オレ自身の不安な気持ちの両方をさえぎるように、来客を報せる鈴の音。


「いらっしゃいませ」


 ゆっくりこちらに歩み寄ってくるのは、父と娘。くたびれたスーツ姿の男は、それでも大きな笑顔をたたえながら、娘の手を引く。まるで幼い子どもがはぐれないようにと気を配る親そのもの。


「お~、かなえさん! 娘さんもご一緒とは驚きましたな! もう退院しても?」


「一応は通院するよう言われましたが、おかげでこうして無事です。警察への事情聴取も探偵さんのおかげで早く済みましたしね。今回は本当に、何から何までありがとうございました」


 深々と頭を下げた父親に続いて、並んだ娘も同じ動作で続く。ゆったりとした服装の下にのぞく肌に、大きな外傷も見受けられない。不幸中の幸いといったところか。


「いやぁ~、直感を信じてあそこに行っただけですし~? 吾輩、人として当然のことをやっただけでしてなぁ~」


「あの、探偵さん……」


 遠慮がちに近づいたのは一人娘の方。まさか、本当に恋愛感情でも芽生えたのか。


「この人のこと、何か知りませんか?」


 差し出されたのは、大きめのスケッチブック。


 開かれたページには燃えるように赤い茶髪の男を描いた絵。まるで悪戯いたずら好きな子どものような笑みを浮かべるその顔に、見覚えがあった。


 オレが忘れられるわけもない、忘れてはいけない、その笑顔は。


「ほほう! こりゃ上手い絵ですな~! しかし……はてはて、この人は?」


「私に大切なことを思い出させてくれた人です」


 温かいのに、どこかさみしそうな笑み。そんな表情を作るかなえ真由実まゆみという人の横顔が、あまりにも綺麗で。その視線の先で笑う男の顔も含めて、オレの心を締め付ける。


 師匠と呼んだその英雄を、この街から奪ってしまったオレだからこそ。


「私、ヴァイオリニストだったんです。でも、この手がダメになってしまって」


 そっと上げた手をおおうのは、黒いレースの手袋。おそらく一年前に負った火傷を隠すための装飾なのだろう。しかし、彼女はほがらかな笑みのまま続ける。


「母も亡くして、これからどうしていいかさえ考えられなくなっていた私に、彼が先生を紹介してくれたんです」


「先生って、もしかしてあの美術教室をやっているばあさ……んん……ご婦人で?」


 クスクスと笑う彼女。どうも、言い直した理由が思い当たったらしい。


 そのご婦人、礼儀を知らない買い手には絶対に売らないような人間だったと、情報を洗っていたオーナーの言葉を思い出す。


 この探偵の仕草を見る限り、こっぴどく怒られでもしたのだろう。


「本当は完成させてから、父にも伝えるつもりだったんですけど……」


 スケッチブックをめくると、ラフ画やメモ書きがびっしりと込められたページ。割り振りを見る限り、マンガではなさそうだった。


「こりゃもしかして、絵本、ですかい?」


「はい。何度も私を助けてくれた正義の味方……そんな人をモチーフにしたお話です」


 見開きには、骸骨がいこつがマフラーを巻いた姿で登場している。おそらくそれは、二十五年前に彼女が見た誰かなのだろう。夢や幻のようにうわさされた、名もない誰か。


 今となっては嘘か真かさえ証明できないが、確かに誰かを救った……正義の味方。


「子どもの頃の私は、ちゃんと信じ続けられなかった。誰が嘘だと笑っても、助けてもらった私だけは、彼の強さも優しさも信じなきゃいけなかったのに」


「だから、そのガイコツ頭の為に絵本を?」


 かれた側は少し困ったような顔。しかし、数秒の沈黙を破って口を開く。


「どっちかと言えば、私と同じ気持ちになった人に向けて描きたかったのかも」


「同じ気持ち、ですかい?」


「ヒーローなんかいないって、嘘吐うそつきだって、そう言われてしまった人に」


 その美しい瞳の中、確かに視えた面影。


「助けに来てくれたその人は、ちゃんとそこにいたよって」


(そんなもんかい?)


 思い出すのは、殺されかけたオレを救った人の声。


 この地獄のような現実にいきどおり、あらがった人の仕草。未熟なオレに戦い抜くすべを与えてくれた人の熱。


 そうして、この不屈のたましいだけを残していった「正義の味方」の面影。


「しかし、そんなに想いを込めて作っているなら、どうして言わなかったんです?」


「それは……言い出しづらくて」


 突然の雨でも降ったように、その美しい笑顔がくもる。その理由は、あまりにも多く思い浮かべられた。


 どんなに絵が上手かろうとも、絵本は安定した収入源とは言いがたい。子どもが減っているのは社会的な問題だが、メインターゲットが少ない市場に入ることに変わりない。


 しかも題材が骸骨だ。どんなに可愛く描いたところで、絶対に売れるとは言い切れない姿だろう。


 ただでさえ街では赤マフラーのテロリストが活動していると騒いでいる最中なのに。わざわざそれと類似したキャラクターが主人公の絵本など、拒絶しない出版社の方が少ないはずで。


「やっぱり、お金ですかい?」


 それもありますけど、と歯切れの悪い返し。ほんの数秒の逡巡しゅんじゅんの後、唇が動く。


「私のせいで、父は夢を諦めるしかなかったから……」


 悲しそうな彼女の唇がつむいだのは、まったく別の回答。


 顔を強張こわばらせたのは、オレだけではなかった。当の父親も目を見開いたまま、娘の言葉に震えている。


「あの時、私が悪い奴らに捕まらなければ、その夢は叶っていたかもしれなくて……」


 二十五年も前、まだ子どもだった時のことだというのに。


 自分だけ夢を追っている気がして悪い気がした、と。言外にそう告げる彼女に非があるわけがないと知っていながら、父親は視線をらしてしまう。


 宇宙研究という壮大な夢の為に、彼がどれだけの努力をしてきたか。想像するだけでも気が遠のく。それでも娘の安全と引き換えに、その道をててしまった男が、今どんな思いで娘の言葉を聞いているのか。


 不意に、父親がこちらに向いた。オレの白い虹彩をじっと見つめる瞳は、どこか救いを求めているようにも見えて。


 しかし、軽く頭を振ると、彼は小さく口を開いた。


「誰だって、何度だって、新しい夢を見る自由がある……らしいぜ」


 振り返った娘に向けられたのは……不安など一つもない、温かな笑顔。


「確かに俺が子どもの頃に描いていた夢には、もうこの手が届かない。けどな、真由実がヴァイオリニストになるって夢は、俺の夢にもなっていたんだ」


「でも、それもダメになって……」


「それでも。お前の新しい夢は、ちゃんとここにある」


 そっと触れたスケッチブックの一ページ。そこに描かれたのは、悪者からみんなを守る英雄が戦うシーン。ラフながらも、躍動感やくどうかんあふれるそれは、今にも動き出しそうで。


「お前を守ってくれた正義の味方、今度は俺も信じるよ。探偵さんも言ってたもんな、赤いマフラーの奴がバイクで走り去っていくのが見えたって」


 それは悪者のことでは、なんて言おうとしたらしい口が止まるのが見えた。この探偵は戦闘を直接に見ていないからか、本当に悪人だと言い切っていいものか考えているらしい。もしくは、彼女が証言した犯人像が違い過ぎたか。


 もちろん、その戦場にオレがいたとは、口が裂けても言えないが。


「俺の新しい夢は、真由実の絵本が完成すること。そして、それを読むことだ」


 驚きからか、思わず口元を覆ったのはレースの手袋。うるんだ瞳が伝えるのは、悲しみではなく、きっと喜び。


「なぁ、真由実。またお前と一緒に夢を見てもいいか?」


 子どものような、無垢むくな笑み。もう五十歳を超えたはずのシワだらけの顔なのに、そこには夢見る少年の瞳。


 彼が見せたその表情につられるように、涙ぐむ娘は父親に抱き着いた。


「父さん……ありがとう」


「俺の方こそ、ありがとう……こうやって、また無事に帰ってきてくれて……そして、また新しい夢を見つけてくれて」


 抱きしめ合う親子。その固く閉じたまぶたから流れる透明なしずくは、とても温かくて。


 見ているオレの胸にまでみ渡るようだった。


 もう二度と、オレが味わうことのない温もり。どんなに望んでも、決してこの手には戻らない夢のような時間。しかし今、確かにそこにある優しい光。


 いつか師匠や、名も知れぬ紅のマフラーをまとった誰かが守った希望の陽だまり。


「なぁ、あんた」


 掛けられた声に、いつの間にかうつむいていた顔を上げる。


「あれ、また作ってくれよ。ほら、あのカボチャの。今度は金も払うからさ」


 この家族が、これからの幸せに歩き出すのなら。今、オレにできることは。


「パンプキンカップケーキですね。承知しました……ですが、お代は結構です」


「え?」


「代わりに、絵本が完成したら是非うちにも置かせてください」


 そっと指で示す先には本棚。うちは一応ブックカフェですから、なんて付け加えて。


 聞いていた親子の顔には、驚きの色がにじんでいて。


「真由実さんの言っていたその人が、もしこの店に来たら、必ずオレが伝えますから」


 どんなに望んでも、もう二度と彼女の前に赤い髪を揺らす英雄が現れることはない。それは誰でもなくオレが一番よく知っている。


 だからこそ、彼女が絵本に託す想いは、戦いを通してオレが伝える。それがどんなに絶望的な戦場で、その為にどれだけの殺戮さつりくにこの手を染めようとも。


 それでも、あの英雄たちがこの街で生きた証が残るというのなら。




「涙する誰かの味方になってくれる、そんなヒーローの物語を」




 紡いだ言葉を受け取った側は顔を見合わせて。


「ああ、もちろんさ! サイン入りで持ってくるとも! な、真由実?」


「頑張る……必ず完成させるよ……あなたの笑顔に誓って!」


 また、勝手に笑っていたのか。笑わない鉄面皮てつめんぴの氷解する瞬間だけは自分で気付けないから、何ともこそばゆい。けれど、今は、なんだかとても心地がいい。


 この先に不安がないと言うには、確かに無理がある。


 今も知れぬ敵の正体も、姿を現した〈アンチ・ゲノム同盟〉の目的も、まだオレには何も視えていない。


 それでも、絶対に〈スポンサー〉は追い詰める。


 師匠がのこしてくれた道は変わらない。親友が守りたかった笑顔に報いることができる方法は、今はそれしかないから。


 あの二人の代わりにはなれなくても、せめて今だけは。


 目の前にある、この笑顔に報いるために。


 新しい未来へと歩き出したこの二人が、その夢を叶える日が来るのなら。


 立ち止まってしまった誰かの心にも、この希望が届くかもしれない。




「その日が来るのを、楽しみにさせていただきます」




 どうかその時、笑顔がまぶしいこの父娘の心に。


 誰かを救おうと手を伸ばした英雄の面影が輝いていますように。


 いつまでも、ずっと。


Fin

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