EP07-玖:破顔の死神


 何か大きな誤解をしていたのかもしれない。


 二年前、私の前に現れたヒーローは笑顔の仮面でその怒りも絶望も隠し。


 一年前の七夕に、私の前から一言もなく消えてしまった。


 のこされた少年に対して、私はエゴを押し付けるしかできなかった。うしなった者たちに謝ることさえできず、今も心を縛る鎖を自らに課しているのに。


 それでも、笑っていてほしいと思えたこの街の誰かの為に命を燃やす戦士であろうとしてくれたから。私はその優しさに甘えてしまっていたんだ。


 だから、気付けなかった。


 胸の奥底から怖いとしか思えない、こんな怪物になることを強要していたのは、私だったのだと。




「ふざけるな! その姿が何だと言うのです⁉」


 雷鳴に重なったのは、怒号。その向かう先には、少年の変わり果てた姿。


 銀色に輝いていたはずの仮面も装甲も、ベルトでさえも、今は毒々しいくれない。マフラーに重なるように巻き付いているのは、百足ムカデに見える武装。


 それは、設計者であるはずの私がまったく知らない物体だった。


「答えなさい! これ以上、私を愚弄するのなら、〈獣核ゲノム・コア〉以外を粉々にしますよ⁉」


 雨風すら引き千切るような怒り声が、私の手足まで震わせる。


 なぜか、男性から暴力を受けていた女性の話を読んだことを思い出す。植え付けられた恐怖心から男性の声を聞くだけで発作ほっさを起こすのだと書いてあった。大袈裟おおげさだなんて思ったが、そんなことはないと今ならわかる。


 今、この声をずっと聞いているだけで両手の痙攣けいれんは止まらず。少年の変わった姿がどうであれ、彼の為に何かしなければいけないのに、何一つとして行動に移せない。


 怖い。


「だったら、その口を利きたくなるようにしてやります……よ‼」


 モノクロの怪人がその手の中に創り出す大振りの剣。真正面から刺し穿うがとうとする姿勢に、しかし少年は微動すらしない。


 いや、きっと動けないんだ。手足に刺さったままの武器の痛みはもちろんだが、それ以上に彼の後ろには、私がいるから。


 避けろ、逃げるんだ。そんな単純な命令さえ、震えた唇からでは送ることは叶わず。


 その逡巡しゅんじゅんの間に、切っ先は彼の胸を貫通し。この息を呑む声さえ、血飛沫ちしぶきが雨と混ざる音に塗り潰される。


「どうしました、そんな程度で暴動? ライオットですって? 拍子抜けですよ!」


 蹴り飛ばされた英雄が、私の横を過ぎ去って。そうして墓の一つにぶつかった。


 突き立てられた武具のどれもが、人工血液でべったりと紅く染まり。それだけの体液を流したヒーローの敗北を告げている。


 はずなのに。


「っ……⁉」


 首から垂れ下がった〈ムカデ〉が、ゆっくりと動き出した。動かない手足をいながら、自由を奪う武器たちにからみついていく。ほんのまばたきの間、も刃も紅色に染まったかと思った途端、それらは薄っすらとした光となって消え去ってしまって。


「今、何をしたんです……⁉」


 動揺したのは私だけではなかった。これだけの攻撃を見舞った側が、その様を凝視しながら、わなわなと震えている。


「いったい何をしたかと訊いているんだ⁉」


 振りかざした手の先には、螺旋状らせんじょうの槍。貫通力に秀でた大振りの一本。


 しかし、振り下ろされたはずのそれが、止まる。


「こいつ……自立行動型の武装か⁉」


 見れば、さっきの〈ムカデ〉が穂先ほさきに絡みついていて。槍の形をなぞるように這うそれは、確かに項垂うなだれた少年の意志とは無関係に動いているように感じられた。


 そんなことを考えている間に、また〈ネクロ〉の武装が朱色のちりと化す。いや待て。消滅するタイミング、わずかに〈ムカデ〉が先に這ったところが早かった。


 まさか、こいつ。ナノマシンで構成された物質を、分解しているのか。


「ちょこまかと動くな‼」


 今度は短刀を瞬時に射出してくる。狙ったのは〈ムカデ〉の胴体。武器を消去するすきも与えないつもりか。


「⁉」


 機敏な動き、としか言えなかった。その細長い紅は、まるで新体操のリボンのように回転したかと思えば、攻撃などなかったかのように〈ネクロ〉本体に向かっている。


馬鹿ばかめ! この〈N-X-0ネクス・ゼロ〉に勝てるとでも⁉」


 奴のベルトが黄金色こがねいろに輝く。それがバリアでも発生させたように、赤黒いむしはじき。


「ほう? ナノマシンで編まれたものが、私のシステムで消えないとは驚いた。けれどそれだけでしょう? この〈N-X-0ネクス・ゼロ〉という王冠を得た私には絶対に勝て……ん?」


 自慢話が止まった理由。その視線を追うと、ゆらりと立ち上がる影。


 いつもなら臨戦態勢で構えるヒーローのはずなのに、何故なぜかだらりとした姿勢で。


 聞こえたのは、ノイズだらけの音の羅列られつ


「は……ハはハハ、Haha、はハはは……」


 一瞬、その甲高い音がどこから発せられたのかさえ理解できなかった。


 顔を上げた少年の、その紅の仮面が「笑っている」ように感じるまでは。


「貴様……今、私を嘲笑あざわらったのか……⁉」


 苛立いらだちを隠そうともしない敵の声とは対照的に、少年の方からはあの不思議な旋律。


 まるで本当に誰かが笑っているような、不気味さだけが込み上げる。


「笑うな‼」


 激昂げきこう一閃いっせんはほぼ同時。


CENTIPEDEセンチピード


 空中にはじけ飛んだ細い剣先。食らいついた〈ムカデ〉が嬉々としてうなる。その度に少年の仮面の下からは、あの笑い声が響いた。


「やめろ……私を笑うな‼」


 次々と繰り出される斬撃も刺突も、全てたった一匹の描き出す血の色の闇に呑み込まれていく。


「だったら、あの女を……んなっ⁉」


 無抵抗の私に銃を向けようとしたその右手に、〈ムカデ〉の身体が巻き付いた。すかさずもう片方の手が引きがそうと動くが、びくともしていない。


「こいつ……まさか、私のナノマシンを喰っているのか⁉」


 悪趣味なモノクロのよろいが蒸気を噴きながら溶けていく。まるで腐った肉が焼かれて落ちていくような不可思議な情景。


「や、やめろ⁉ 放せ⁉ 私の〈N-X-0ネクス・ゼロ〉は無敵……なのに、どうして⁉」


 激怒の色を帯びていたはずの声は、いつの間にか恐怖に染め上げられていた。


「壊されてたまるものか……すべての死をつかさどる王になるまで……まだ!」


 殺される前に殺してやろうと、ゆらりと立っているだけの本体を狙って突き出した左手。思い切りぶつけようとした拳は、しかし引き絞ったまま繰り出されることもなく。


CENTIPEDEsセンチピーズ


「増えた……だと⁉」


 少年の〈獣核ゲノム・コア〉から飛び出したのは、もう一体の〈ムカデ〉。首元から伸びる一体目よりやや小さいが、明らかに機動力が高い。瞬時に巻き付き、鎧を溶かし始めている。


 両腕を完全に封殺され、そのまま持ち上げられていく〈ネクロ〉。腕から胴へ、胴から足や首へといまわる侵略者に抵抗も叶わないまま。


「ひっ、ぁぁぁぁっぁぁぁぁっぁああああああああ⁉」


 外装をがされた生身の腕に襲い掛かる苦痛に、悲鳴をあげている。今まで何度も苦しめられた強敵だとは信じられないほどに。


「や、やめろ……放せ……放してく……れあぁぁぁっぁっぁっぁぁぁ⁉」


 自らを守る甲冑かっちゅうの全てが溶けて。あらわになったのは、もう王者の風格も何もないただの人間。ただ蹂躙じゅうりんされる痛みに打ち震える弱い人間にしか視えなかった。


「助けて……⁉ 死にたくない……まだ、死にたくない‼」


 悪魔だと思っていたそいつの視線は、私の方に向けられた。その瞳は、哀れになるほど震えていて。


CENTIPEDEsセンチピーズ……Invasionインヴェイジョン


 男の悲鳴をさえぎったのは、私の知らないガイダンスボイス。


 インヴェイジョン……その意味は「侵食」か。


 ベルトの左腰に手を当てたと同時に現れたのは、さらに二体もの〈ムカデ〉たち。空中でバタバタと苦痛にあえぐ両足に飛び移って、そのまま溶かし始める。


 反響するのは、声にならない叫び。


 肉も骨も溶解しているのだとしたら、どんな痛みか。想像しただけで吐き出しそうになる。


 その悲鳴に同調するように、紅の仮面からは不揃ふぞろいな笑い声。


「王に、なる……そうでなければ、報われない……こんな……こんなの……」


 はりつけにされ、半殺しにされた受刑者の様相で。息も絶え絶えになって口にしたこの呪詛じゅそは、いったい誰に向けたものなのか。


HOPPERホッパー……Invasionインヴェイジョン


 無慈悲な死刑宣告。もう抵抗する気力さえないその身へ、収束した紅のナノマシンをまとわせる左足が静かに上がった。


「ぃゃだ……いやだぁぁっぁぁっぁぁぁっぁぁぁぁぁぁっぁぁぁ⁉」


 キックを叩き込まれたのは、奴が王冠と誇っていた金のベルト。それが壊れた途端、その身体は内側から破裂し、血の雨を降らす。


 勝った、などと言っていいのだろうか。とても気持ちのいい終わりではなく、おまけに敵をち取ったはずの少年は、動かないままで。


「ハ……はハ、フふ、フ、へ、ひヒひ、Ha、ワらぁ?」


 唐突に耳に聞こえた甲高いそれは、やはり言葉ではなかった。


 いびつな楽譜に、雑に文字を当てたような音。壊れた機械のような、よどんだ声。


「少年……、私がわかるか……?」


 そっと、手を伸ばしてみる。


 声に反応して振り返った仮面。そのしろな二つの複眼は、無機質で無感動にこちらを見据えたまま。


「私だ……君のオーナー、……ぁっ⁉」


 彼を取り巻く〈ムカデ〉の一体が、私の首に巻き付いて。そのまま宙吊ちゅうづりにされる。


「オ、ほホほほ、らラ、ヒ……?」


 首を傾げるような仕草のまま、また意味不明な音を羅列する少年に。


「少年、もう戦わなくていい! 君は〈ネクロ〉をたおした! 変身を解け!」


 訴えかける。


 異常なのはわかっていたはずだった。


 少年は幼い頃に両親をうしなって以来、自らの力では笑えなくなった。つまりは心因性のショック状態をずっと引きっている。それがこんな形で笑い始めるなんて狂っているとしか言いようがない。


 彼は自分を決して正義と呼ばない。たとえその戦いで誰が救われても。自分はむべき悪でしかないと自らに言い聞かせて、こんな地獄のような死闘に向き合ってきた。


 その彼が、敵を蹂躙じゅうりんする暴力で笑えるわけがない。殺すしかなくなった相手にさえ涙を流してきた彼が、そんな暴悪をたのしめるわけがないんだ。


「戻ってこい、少年‼」


「ケ、けけ、ヒへ、フ? は、Ha、ハは、ふは、あハ……!」


 しかし、このいびつな笑いは止まらない。ベルトをおおうように巻き付く紅の〈ムカデ〉たちも愉快そうにうごめくばかり。


「ぅ……少……年」


 苦しくなった息で必死につむいだ声。そんなもの、届いていないのは明白だった。


 きっとこれが、彼の〈獣化〉なんだな。ずっと笑うことを禁じてきた分だけ、笑い続ける残酷。悪魔を討ちながら、自らも怪物にちるしかなかった英雄の、その終着点。


 ふところに隠していた装置へと手を伸ばす。てのひらの中で硬く冷たい感触を返すのは、スイッチ。私が造った中で、最も単純な発明品だった。


 南野みなみの光一こういちに搭載した〈獣核ゲノム・コア〉の自爆装置。


 これを押せば、彼はここで内面からぜる。この近距離なら、おそらく私も爆風に巻き込まれて死ぬだろう。けれど、彼にエゴを押し付けてきた私には、過ぎた贅沢ぜいたくだ。


「ごめんな、少年……」


 右手の親指が震える。


 押さなければ。これ以上、彼を苦しめても良い理由など、私にはない。そういう契約だった。宿敵である〈スポンサー〉を追い詰めるか、私たちが負けて死ぬか。


 いつかこうなるとわかっていたくせに。


 それなのに。


「押せ、ない……」


 涙すら枯れてしまったのに、視界がかすむ。


「私には、君を、殺せない……」




「そんなもんかい……!」




 不意に、彼の後ろから声がした。


 見開いた瞳に飛び込んできたのは、うつ伏せのまま顔を上げる短髪の女。


 あれは、かなえ真由実まゆみか。この間の依頼人が探しているという娘。まさか、あの爆発から逃れたカプセルの中にいたとでも。泥だらけの姿からして、ここまでってきたのか。


「ごめんね、約束したのに……ちゃんと信じようとしなくて……」


 振り返った仮面。従える〈ムカデ〉たちが女を品定めするようにうごめく。


 しかし、そんな脅威は視えていないのか、女は笑みをたたえたまま話し続ける。


「でも、たくさん、笑顔にできた、よ……きっと、約束の、おかげ……」


 ぴくりと、くれないに染まった手が震えるのが見えた。


「母さんが死んで、左手もダメになって、夢がわからなくなったあの時、励ましに来てくれたの、あなただったんでしょ? そんなもんかい、って……」


 聞こえたのは、あのバカの口癖くちぐせ。いつも不敵に笑い、多くを救ってとむらって、そのたましいを少年に託して散った、あのバカ野郎の言葉。


 不意に、首の拘束が解ける。倒れ伏した地面から見れば、紅の鎖は彼女の方へとゆっくり近づいていく。いや、それだけじゃない。他の〈ムカデ〉たちも同様だ。


 まさか、殺すのか。人である限り、敵でも守ろうとした君が。そんな無抵抗な女を。


「ありがとう……また夢をくれて……夢を、守ろうとしてくれて……」


 まさしく夢見心地のその瞳には、紅に染まったマフラーだけが映っていた。


 雲が晴れていく。彼女のほおを流れたしずくを、月明かりが照らし出す。


「あり、が、と……」


 力尽きたのか、眠るように泥だらけの地面へと落ちていく。しかしその顔は、あまりにも幸せそうで。


「Ha……ハはハ……ハはは…………!」


 狂っていたはずのその声に、鋭さと荒々しさが舞い戻る。震える両手が、自らの仮面に伸びていく。


 反射的に〈ムカデ〉たちがその腕に巻き付いた。さっきまでのどの瞬間よりも敵意をき出しにして。中には噛みつくような動きさえ見える。


「この身が欲しいか? なら、くれてやる……だがな、これだけは……」


 それでも屈しない指先が、おおかぶさった紅の仮面を掴んで。


「このたましいだけは……ッ‼」


 力の限りに引き裂いた瞬間、頭上を紅の色が染め上げる。それが分散したナノマシンと理解するよりも先に、少年が背中から倒れ込むのが見えて。


 そこからは悲鳴と呼ぶのも躊躇ためらわれるほどの叫び。それに伴ったのは、のたうち回る手足。時には自らの身体を殴りつけながら、群がってくる〈ムカデ〉たちを引き剥がしていって。


EMANCIPATIONイマンシペイション


 刹那せつなきらめきが暗雲の残る空ににじを架ける。


 七色の奔流ほんりゅうが、霧のように漂っていた紅のナノマシンを吸い込みながらベルトに戻って。引っ張られるように、さっきまで暴れ回っていた〈ムカデ〉たちも〈獣核ゲノム・コア〉の中へと消えていく。


 長い沈黙。


 全ての色を失い、小刻みに痙攣けいれんを続ける少年と、ただ立ち尽くすばかりの私。


 いったい、どれほどそのままでいたのだろう。一時間以上か、それとも本当は十秒にも満たなかったか。




「真由実さーん! いるなら返事をしてくださ~い‼」




 遠くから聞こえた声には、どこか聞き覚えがあった。それが店に入り浸る迷探偵のものだと気付いた時、少年がゆっくりと起き上がる。


「オ……ナー」


「少年……⁉ 大丈夫なのか⁉」


「帰り、ましょ、ぅ……今は、ここにいちゃ、いけない」


 ふらつく身体がバイクにまたがる。その姿は、痛み以上に、どこかさびしそうで。


「真由実さーん‼」


 あの探偵の声が近づいてくる。きっと煙を吐き出し続ける屋敷を見て、彼女の危機を感じているのだろう。


 いや、事実か。そこに倒れたままの彼女は、きっと無事で済むはずもない。


 救ってやれる方法など、今の満身創痍まんしんそういの私たちにはなかった。


「行き、ましょ……」


 エンジンを吹かす音が急かす。どこか後ろ髪を引かれる思いを、マシンが起こす疾風が切り裂いていく。


 振り落とされない為と偽って、その背にしがみつきながら。


「少年、もうどこにも行くなよ……」


 声は夜の風に呑まれていく。


 自分らしくもないセリフだと自覚があるが、今にも消えそうな彼を繋ぎ止めるにはそれしかないような気がして。


 いつか報いを受けると覚悟していたはずなのに。


 それでも今は、この腕に伝わる温もりが、ひどく心地よかった。

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