EP07-漆:嵐の中の仮面舞踏会
まさか私がもう一度この古巣に戻ってくるとは思わなかった。
「お待ちしておりましたよ、
屋敷の中に入った途端に聞こえたのは、私の名前。もう
「
ご
左目の眼帯も、白いマントから
「外は酷い雨だったでしょう? ほら、今も雷が鳴りましたよ」
召使いたちがコートを渡せと言わんばかりに近寄ってくる。それは単にずぶ濡れの服だけでなく、武装を解除しろということなのだろう。大人しく上着を押し付け、武装なんてないことを表明するように回って見せる。
「ほう、真紅の男装とは。その漆黒のチョーカーもお美しいですね」
「仮面舞踏会と聞いたからね」
正確には、宙舟園の同窓会を兼ねたハロウィン前夜の仮装パーティー、だった気もするが。ネットで「連絡が取れない昔の仲間がいるので、これを見たら来てほしい」なんて記事が出回った時には、目を
「では、こちらへどうぞ」
そのまま奥へと通される。どんな罠が待ち構えているかと警戒しつつ、歩を進める。
かつて暮らしていた頃には「開かずの間」と呼ばれていた扉。目の前の男が軽く左手を振る動作に合わせて、まるで魔法のように
足を踏み入れた瞬間から、凍るような冷たさが背筋に
「ようこそ、私の工房へ」
研究室と呼ぶにはあまりに
この情景は、どこか墓標のようにも見えた。
「単刀直入に申し上げます。私のところに来ませんか?」
ゆっくりと奥に進み、振り返った男がそう告げた。
「率直に言って、ここで
こちらに歩み寄れと言外に告げるような仕草。断れば今すぐに殺すぞという脅迫。
「何より、私は貴女が欲しい……ずっと前からそう思ってきた」
血走ったその瞳には、
「私が欲しいなら、いくらで買う?」
「ほう?」
興味深そうに見つめる視線に、仮面越しに作った笑みを返してやる。
「言っておくが安くはないぞ。金も命も、私には無価値だからな」
「なるほど。独りで来るくらいだ。その言葉に嘘偽りはないのでしょう」
ハッタリだと言われずに済んだ。いや、事実か。命惜しさに逃げ出すこともなく、金で何かしたいという未来も、今の私にはない。
「いいでしょう。貴女が欲しいものは?」
「情報だ……」
震えそうな手をぎゅっと握りしめる。
「お前たちの造った〈
「ふむ、全て、ですか。なるほど……」
互いに不敵な笑みを
こいつが何を口にするとしても、私はそれを受け止めなければいけない。その全ての罪を、私は知らなければいけないんだ。
それだけしか、私にできる
「全ての始まりは、二十五年前にこの惑星に降り立つはずだった《神たるゲノム》だ」
「神たる、ゲノム……?」
「世界を正しき姿に導く全能の存在! 本来ならば今頃、人類はその威光にひれ伏していたはずなのですよ……たった一人の裏切り者が現れなければね」
裏切り者、という一言に込められた冷酷さに身震いしかける。
「神の意向を知りながら、〈スポンサー〉を裏切った
敵意と憎悪、そういった感情が
「それだけではありません。奴の意思に共鳴した反抗勢力……〈アンチ・ゲノム同盟〉が〈スポンサー〉に牙を
大きく見開いた瞳が訴えてくるのは、恐怖と怒りが混ざったような色。
「失礼……その頃に負った後遺症が酷いものでね。まだ薬に頼らないといけない」
後遺症と言うからには、単なる病気ではなさそうだが。
「そうそう、〈
「今までに鍵の破片を回収してきましたが、玉座へ至る最後のピースは失われたまま。しかし我々〈ゲノム・チルドレン〉は王になるに
「作り直す……?」
「これを考案した〈ジェミニ〉が言いました。〈神たるゲノム〉の血を受け継いだ我々〈ゲノム・チルドレン〉からならば、そのピースの原型を作れるはずだと」
「まさか……その原型って……」
大きく
「人間を宿主として成長した〈
もしかして、私はとんでもない勘違いをしていたのかもしれない。
あの七夕の戦いの最中、
それこそが、こいつの言う進化だったとすれば。
「そうです。だからこそ、あの赤マフラーを手に入れようとする〈組織〉がいても不思議はない」
「……!」
胸の内を見透かされたようだった。
「昨夜の戦いの後、バイクも右腕も消えていた。連れ去った者たちも足取りが掴めないまま夜が明けて。そして、今朝の記事で貴女はここへ来た……独りでね」
私がここに来た本当の目的は、既にバレているのか。
「つまり貴女は、あの赤マフラーを取り返す方法を求めてここに来た。違いますか?」
「だったら何だ? 自分の〈実験体〉を奪われたんだから、当然だろう?」
「いいえ。貴女が知りたかったのは、連れ去った勢力の目的、でしょう?」
「例えば〈アンチ〉なら、〈スポンサー〉と対立しているという点で、貴女には共闘できる可能性がある。しかし、赤マフラーの
私が仮面に隠した考えなど、全て言い当てられてしまった。
「しかし命知らずな人だ。のこのこ来れば殺される可能性もあったのに」
「以前、〈リトロ〉ってお前の同族が、私に訊きたいことがあったらしいからね」
「だから即座に殺される心配はないだろう、と? ふふ、なるほど」
ここが正念場だ。私の体内時計の正確さは保証できないが、たっぷり話を聞いて時間は稼げたはず。
「改めてお尋ねします。私のところに来ませんか?」
「それはつまり、最後のピースとやらを
「ええ。貴女がいれば彼はこちらに来るでしょう。他の〈ゲノム・チルドレン〉に渡すぐらいなら殺しますが、無駄な力を使わずに済むならそれに越したことはありません」
ごもっともな話だ。敵対するなら命を刈り取り、味方になるなら大事にしてやると。多くの独裁者たちが
だからこそ。
「断る」
確固たる決意と共に言い放つ。
「お前の奴隷より、叛逆者の方が私向きなんでね!」
チョーカーに似せた装置は、私の指紋を認証して
「む……⁉」
硬直した顔が見える。それもそうだろう。部屋の外から、窓ガラスが割れる音が次々と連鎖しているんだから。
「虫、だと……⁉」
おびただしい数の銀色が押し寄せる。正確には、私が造ったハチ型ドローン。いつかアジトを襲撃された時の為にと用意していた小型兵士たちだ。
「じゃあな!」
虫たちに
あいつらは特攻するギミックだけを搭載した自爆装置だ。だが、あれだけの数で押し寄せて、間近で連鎖爆発を引き起こした以上、奴もただでは済むまい。
今のうちに地下の居城に戻ろう。少年がどこに行ったかを調べなければ。
そう思って
「どちらへ?」
炎の中から聞こえた声に振り返る。
崩落していく屋敷から出てくるのは、悪魔の翼。それは、
嘘だろ、あれだけ直撃して無傷だとでも言うのか。
「私のベルトを狙ったのは
「⁉」
「残念ですが、私はもう一つ〈
近づいてきた仮面の奥、そこに視えた透明な宝玉の輝きに目を奪われる。
この魔性を帯びた光。間違いなく、〈
「複数の〈
それが先月まで私と少年を苦しめた白銀の鎧のことを言っているのだと気付く。
かつて私が設計した強化外骨格。宇宙空間で活動する人間をサポートする名目で図面を引いたそれを、こいつは何も知らない刑事に使わせて〈実験〉していやがった。
その刑事の命も、そいつが大切にしていた相手までも踏み
「殺しませんよ? 貴女が欲しいのは本当です。ただし、その頭脳だけですが、ね?」
だが、もう私に武器はない。奇襲のためのドローンは使い切ってしまった。車に積んでおいた銃にも、今のこの手では届かない。
あまりにも甘かった自分を呪う。昨夜の戦いでこいつの強さは嫌というほどわかっていたのに。変身さえさせなければ逃げ出す
「しかし酷い人だ。ほら、あそこに転がっているカプセルが見えますね? あの中には新しく〈当たり〉にしようと連れてきた女性たちを入れたばかりだったのに」
女性たち、という言い方が引っ掛かった。いや、待て。まさか、それって。
「ええ、ご想像の通り。貴女たちを
本当に
「その反抗的な目……昔からずっと気になっていたんです。この世界への恨みに満ちているのに、そのくせどこかで救いを求めている」
「その目を、私の創り出す世界で屈服させられたら、どんなに
右の
「私のナノマシンを埋め込んであげます。そうすれば〈コア・リンクシステム〉が働きますから、貴女もきっと幸福になれますよ」
その名を聞いて喜べるはずもない。
忘れもしないあの五月、〈実験体〉から生み出したナノマシンを脳に埋め込まれた人間たちがどうなったか。ゾンビ同様にされ、ただ支配者に従って暴れるだけになった彼らの末路が頭を
それを殺さなくてはならなくなった少年がどれだけの
なってたまるか。また彼にあんな思いをさせるのなんて、絶対に
それなのに、私の手足は力を失っていく。脳に血が巡らなくなってきたせいか。意識までもが薄くなっていく気さえする。
(そんなもんかい?)
あのバカの
この悪魔とも何度となく戦って、その度に何人も救って、そうしてたくさん殺した男。自分の事さえ思い出せないくせに、殺した相手を
なんで、死んだりしたんだよ。
お前がいなくなったせいで、私も少年もこんな目に遭ってるんだぞ。
通りすがりでもダークヒーローでも何でもいいから、来てくれよ。
またあの頃みたいに、私に笑いかけてくれよ。
「では……、ん⁉」
伸ばされた右腕が、遠ざかる。
驚く悪魔の声も、激しい雨音さえも、その轟音が
「貴様は……⁉」
きつく
降りしきる雨と一緒に視界を
「そんな馬鹿な……まだ一日と経っていないのに……⁉」
「
この残酷を打ち破るために、何度でも立ち上がる君はやっぱり、ヒーローだ。
「〈ネクロ〉……お前を殺す」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます