EP07-漆:嵐の中の仮面舞踏会


 宙舟園そらふねえん、改め宙舟霊園。


 まさか私がもう一度この古巣に戻ってくるとは思わなかった。


「お待ちしておりましたよ、坂上さかがみあい博士?」


 屋敷の中に入った途端に聞こえたのは、私の名前。もう随分ずいぶんと前に捨て去った本当の名前だった。


 ちょうした仮面で顔を隠す今の私をその名を呼べるのは、招待した張本人のみ。


早乙女さおとめ歩生明あるふぁ……いや、〈ネクロ〉と呼んだほうがいいのかい」


 ご随意ずいいに、とでも言いたげに肩をすくめた目の前の男。


 左目の眼帯も、白いマントからのぞく機械の左腕も、子どもの頃とは違うが。それでも間違いなく、あの頃の甘い面影は残したまま、そいつは笑っている。


「外は酷い雨だったでしょう? ほら、今も雷が鳴りましたよ」


 召使いたちがコートを渡せと言わんばかりに近寄ってくる。それは単にずぶ濡れの服だけでなく、武装を解除しろということなのだろう。大人しく上着を押し付け、武装なんてないことを表明するように回って見せる。


「ほう、真紅の男装とは。その漆黒のチョーカーもお美しいですね」


「仮面舞踏会と聞いたからね」


 正確には、宙舟園の同窓会を兼ねたハロウィン前夜の仮装パーティー、だった気もするが。ネットで「連絡が取れない昔の仲間がいるので、これを見たら来てほしい」なんて記事が出回った時には、目をきそうになったが。


「では、こちらへどうぞ」


 そのまま奥へと通される。どんな罠が待ち構えているかと警戒しつつ、歩を進める。


 かつて暮らしていた頃には「開かずの間」と呼ばれていた扉。目の前の男が軽く左手を振る動作に合わせて、まるで魔法のように錠前じょうまえが開いた。


 足を踏み入れた瞬間から、凍るような冷たさが背筋にってくる。


「ようこそ、私の工房へ」


 研究室と呼ぶにはあまりにいびつで、しかし悪魔の巣と呼ぶにはひどく無機質な場所。薄暗い空間を照らすのは、途方もなく並ぶカプセル状の機械が放つ淡く白い光。


 この情景は、どこか墓標のようにも見えた。


「単刀直入に申し上げます。私のところに来ませんか?」


 ゆっくりと奥に進み、振り返った男がそう告げた。


「率直に言って、ここで貴女あなたを殺すのは容易たやすい。けれど、これから待ち受ける戦いの為にも、貴女のような有能な人材を切り捨てるのはあまりにも惜しい」


 こちらに歩み寄れと言外に告げるような仕草。断れば今すぐに殺すぞという脅迫。


「何より、私は貴女が欲しい……ずっと前からそう思ってきた」


 仄暗ほのぐらい光が映し出すのは、恍惚こうこつとした表情。そこに宿っているのは、おそらく世間一般で言う愛情とは違うのだろう。


 血走ったその瞳には、よどんだよろこびの色しか感じられないから。


「私が欲しいなら、いくらで買う?」


「ほう?」


 興味深そうに見つめる視線に、仮面越しに作った笑みを返してやる。


「言っておくが安くはないぞ。金も命も、私には無価値だからな」


「なるほど。独りで来るくらいだ。その言葉に嘘偽りはないのでしょう」


 ハッタリだと言われずに済んだ。いや、事実か。命惜しさに逃げ出すこともなく、金で何かしたいという未来も、今の私にはない。


「いいでしょう。貴女が欲しいものは?」


「情報だ……」


 震えそうな手をぎゅっと握りしめる。


「お前たちの造った〈獣核ゲノム・コア〉のことも、この街での〈実験〉のことも、全て」


「ふむ、全て、ですか。なるほど……」


 互いに不敵な笑みをたたえたままの沈黙。


 こいつが何を口にするとしても、私はそれを受け止めなければいけない。その全ての罪を、私は知らなければいけないんだ。


 それだけしか、私にできる贖罪しょくざいはないから。


「全ての始まりは、二十五年前にこの惑星に降り立つはずだった《神たるゲノム》だ」


「神たる、ゲノム……?」


 き返した私に深くうなずいて、眼前の男はまるで空をあおぐように手を広げた。


「世界を正しき姿に導く全能の存在! 本来ならば今頃、人類はその威光にひれ伏していたはずなのですよ……たった一人の裏切り者が現れなければね」


 裏切り者、という一言に込められた冷酷さに身震いしかける。


「神の意向を知りながら、〈スポンサー〉を裏切った叛逆者はんぎゃくしゃ。その男のせいで、神の声を聞く為の玉座も、そこに至る為の鍵もバラバラにされてしまった……!」


 敵意と憎悪、そういった感情がうずを巻いているのが伝わってくる。芝居がかった言い回しだが、その激情からは耐えがたい苦痛が感じられた。


「それだけではありません。奴の意思に共鳴した反抗勢力……〈アンチ・ゲノム同盟〉が〈スポンサー〉に牙をきました。そのせいで、我々〈ゲノム・チルドレン〉は幼いながらに殺戮さつりく只中ただなかに追いやられた……」


 大きく見開いた瞳が訴えてくるのは、恐怖と怒りが混ざったような色。


 ふところから取り出す仕草に身構えそうになるが、奴の手には薬瓶くすりびん。乱暴な手つきで錠剤を手の中にあふれさせると、一息に口の中へ放り込んでしまった。


「失礼……その頃に負った後遺症が酷いものでね。まだ薬に頼らないといけない」


 後遺症と言うからには、単なる病気ではなさそうだが。


「そうそう、〈獣核ゲノム・コア〉についてでしたね?」


 青褪あおざめていた顔が、生気を取り戻すように笑みを浮かべる。


「今までに鍵の破片を回収してきましたが、玉座へ至る最後のピースは失われたまま。しかし我々〈ゲノム・チルドレン〉は王になるに相応ふさわしい年齢に達しつつある。そこで考えられたのが、新たにピースを作り直すという発想でした」


「作り直す……?」


「これを考案した〈ジェミニ〉が言いました。〈神たるゲノム〉の血を受け継いだ我々〈ゲノム・チルドレン〉からならば、そのピースの原型を作れるはずだと」


「まさか……その原型って……」


 大きくうなずく相手の笑みが見えた瞬間、冷たい汗がうなじを走り抜けた。


「人間を宿主として成長した〈獣核ゲノム・コア〉が究極の進化に至れば、我々の求める最後のピースとなる。〈神たるゲノム〉の力を受け継ぐ王を、その玉座に導く鍵になるのですよ」


 もしかして、私はとんでもない勘違いをしていたのかもしれない。


 あの七夕の戦いの最中、南野みなみの光一こういちという少年に起こったにじ色の奇跡。誰が設計するでもなく発動した〈EMANCIPATIONイマンシペイション〉……〈解放〉の力。


 それこそが、こいつの言う進化だったとすれば。


「そうです。だからこそ、あの赤マフラーを手に入れようとする〈組織〉がいても不思議はない」


「……!」


 胸の内を見透かされたようだった。


「昨夜の戦いの後、バイクも右腕も消えていた。連れ去った者たちも足取りが掴めないまま夜が明けて。そして、今朝の記事で貴女はここへ来た……独りでね」


 私がここに来た本当の目的は、既にバレているのか。


「つまり貴女は、あの赤マフラーを取り返す方法を求めてここに来た。違いますか?」


「だったら何だ? 自分の〈実験体〉を奪われたんだから、当然だろう?」


「いいえ。貴女が知りたかったのは、連れ去った勢力の目的、でしょう?」


 生唾なまつばを飲み込む。やはり、もう限界らしい。


「例えば〈アンチ〉なら、〈スポンサー〉と対立しているという点で、貴女には共闘できる可能性がある。しかし、赤マフラーの拉致らちに別の目的があれば交渉が必要だ。それも含めて、拉致した側の情報を得る必要があった……違いますか?」


 私が仮面に隠した考えなど、全て言い当てられてしまった。


「しかし命知らずな人だ。のこのこ来れば殺される可能性もあったのに」


「以前、〈リトロ〉ってお前の同族が、私に訊きたいことがあったらしいからね」


「だから即座に殺される心配はないだろう、と? ふふ、なるほど」


 ここが正念場だ。私の体内時計の正確さは保証できないが、たっぷり話を聞いて時間は稼げたはず。


「改めてお尋ねします。私のところに来ませんか?」


「それはつまり、最後のピースとやらを寄越よこせって意味だろ?」


「ええ。貴女がいれば彼はこちらに来るでしょう。他の〈ゲノム・チルドレン〉に渡すぐらいなら殺しますが、無駄な力を使わずに済むならそれに越したことはありません」


 ごもっともな話だ。敵対するなら命を刈り取り、味方になるなら大事にしてやると。多くの独裁者たちが辿たどってきた道筋そのものだ。


 だからこそ。


「断る」


 確固たる決意と共に言い放つ。


「お前の奴隷より、叛逆者の方が私向きなんでね!」


 呆気あっけにとられたように固まっている敵のことなどお構いなく、首に手を当てる。


 チョーカーに似せた装置は、私の指紋を認証してあかく発光を始めた。


「む……⁉」


 硬直した顔が見える。それもそうだろう。部屋の外から、窓ガラスが割れる音が次々と連鎖しているんだから。


「虫、だと……⁉」


 おびただしい数の銀色が押し寄せる。正確には、私が造ったハチ型ドローン。いつかアジトを襲撃された時の為にと用意していた小型兵士たちだ。


「じゃあな!」


 虫たちに攪乱かくらんされる敵を置き去りに、一直線に外へと駆けだす。屋敷を出た瞬間、離した指先を合図に、背後で爆音の嵐が巻き起こる。


 あいつらは特攻するギミックだけを搭載した自爆装置だ。だが、あれだけの数で押し寄せて、間近で連鎖爆発を引き起こした以上、奴もただでは済むまい。


 今のうちに地下の居城に戻ろう。少年がどこに行ったかを調べなければ。


 そう思ってきびすを返した瞬間。


「どちらへ?」


 炎の中から聞こえた声に振り返る。


 崩落していく屋敷から出てくるのは、悪魔の翼。それは、黒白こくびゃくよろいまとった怪人。


 嘘だろ、あれだけ直撃して無傷だとでも言うのか。


「私のベルトを狙ったのはめてあげますよ……でもね!」


「⁉」


 蝙蝠こうもりらしい翼を広げて飛んできた怪人。その左手に首を掴まれ、軽々と持ち上げられてしまう。まずい、私の腕力じゃこいつから逃れるすべはない。


「残念ですが、私はもう一つ〈獣核ゲノム・コア〉を持っているんですよ……この左眼にね!」


 近づいてきた仮面の奥、そこに視えた透明な宝玉の輝きに目を奪われる。


 この魔性を帯びた光。間違いなく、〈獣核ゲノム・コア〉だ。まさか、眼球の代わりに埋め込んだとでも言うのか。それを隠すために、あんな眼帯をしていたと。


「複数の〈獣核ゲノム・コア〉を一つの肉体で制御する技法を完成させて正解でしたよ」


 それが先月まで私と少年を苦しめた白銀の鎧のことを言っているのだと気付く。


 かつて私が設計した強化外骨格。宇宙空間で活動する人間をサポートする名目で図面を引いたそれを、こいつは何も知らない刑事に使わせて〈実験〉していやがった。


 その刑事の命も、そいつが大切にしていた相手までも踏みにじって嘲笑いながら、私の研究を使ったんだ。


「殺しませんよ? 貴女が欲しいのは本当です。ただし、その頭脳だけですが、ね?」


 だが、もう私に武器はない。奇襲のためのドローンは使い切ってしまった。車に積んでおいた銃にも、今のこの手では届かない。


 あまりにも甘かった自分を呪う。昨夜の戦いでこいつの強さは嫌というほどわかっていたのに。変身さえさせなければ逃げ出すすきくらいは作れるなんて。


「しかし酷い人だ。ほら、あそこに転がっているカプセルが見えますね? あの中には新しく〈当たり〉にしようと連れてきた女性たちを入れたばかりだったのに」


 あごで示した先には、黒く焦げ付いたカプセルが転がっている。


 女性たち、という言い方が引っ掛かった。いや、待て。まさか、それって。


「ええ、ご想像の通り。貴女たちをおびき出すためのおとり。かつてあの男が救い出した人間たちをアルビノ化した後、私の供物にする瞬間を見せてあげたかったのに」


 本当に反吐へどが出る。最後のピースとやらを手に入れた後で、私たちの目の前で彼女たちをはずかしめる算段だったわけか。クソッタレ。


「その反抗的な目……昔からずっと気になっていたんです。この世界への恨みに満ちているのに、そのくせどこかで救いを求めている」


 山羊やぎ頭蓋骨ずがいこつした仮面が近づく。その瞳があったはずの虚空こくうが私を吸い込もうとするようで。


「その目を、私の創り出す世界で屈服させられたら、どんなにたのしいか。それを想像する日々が、やっと終わる……!」


 右のてのひらに収束するのは、白い闇。激しい雨の中ですらかすむことなく広がる闇。


「私のナノマシンを埋め込んであげます。そうすれば〈コア・リンクシステム〉が働きますから、貴女もきっと幸福になれますよ」


 その名を聞いて喜べるはずもない。


 忘れもしないあの五月、〈実験体〉から生み出したナノマシンを脳に埋め込まれた人間たちがどうなったか。ゾンビ同様にされ、ただ支配者に従って暴れるだけになった彼らの末路が頭をよぎる。


 それを殺さなくてはならなくなった少年がどれだけの葛藤かっとうを強いられたか。


 なってたまるか。また彼にあんな思いをさせるのなんて、絶対に御免ごめんだ。


 それなのに、私の手足は力を失っていく。脳に血が巡らなくなってきたせいか。意識までもが薄くなっていく気さえする。


(そんなもんかい?)


 あのバカの口癖くちぐせが聞こえる。


 この悪魔とも何度となく戦って、その度に何人も救って、そうしてたくさん殺した男。自分の事さえ思い出せないくせに、殺した相手をとむらって戦い続けた英雄。


 なんで、死んだりしたんだよ。


 お前がいなくなったせいで、私も少年もこんな目に遭ってるんだぞ。


 通りすがりでもダークヒーローでも何でもいいから、来てくれよ。


 またあの頃みたいに、私に笑いかけてくれよ。


「では……、ん⁉」


 伸ばされた右腕が、遠ざかる。


 驚く悪魔の声も、激しい雨音さえも、その轟音がき消していく。何度も聞いたバイクのエンジン音が、この悪魔を吹き飛ばしたのだと気付いた時。


「貴様は……⁉」


 きつくめられていた首が軽くなり。そこでき止められていたはずの空気と血液が巡り出す。そうして詰まっていた息が咽返むせかえる中。


 降りしきる雨と一緒に視界をさえぎる大粒の涙を拭うと、そこには赤いマフラー。振りあおぐ先には、銀の仮面。


「そんな馬鹿な……まだ一日と経っていないのに……⁉」


終止符ピリオドだ」


 りんと響く声がくれるのは、小さな安堵あんど。この街に正義なんてないとしても、君は絶対に諦めないんだね。


 この残酷を打ち破るために、何度でも立ち上がる君はやっぱり、ヒーローだ。


「〈ネクロ〉……お前を殺す」

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