EP07-陸:取引とエゴイズム


 したたり落ちるのは、血の色。


 目の前には、青褪あおざめた顔をしたオーナー。そしてその首を掴んで笑う白いマント。


 待て、どうしてお前がオレたちの隠れ家にいる。


 いや、それよりも。


 やめろ。そのまま力をめたら、彼女の細い身体ごと砕けてしまう。


 手を伸ばそうとすると、床を叩く鈍い音。地面に目をやれば、オレの腕が転がっているだけ。


 そこで初めて、自分が四肢をがれた状態だと気付く。痛覚が脳を震わせ、歯を食いしばることさえ許してくれない。


 だが、そんなことよりも。


――にげろ。


 今、誰よりもそれを伝えなければいけない人の口が、そんな形に動いた。


 ダメだ。あなたを死なせたら、オレは師匠になんて謝ればいいんだ。


 鮮血が舞う。見慣れた研究室の床を、見知らぬ朱色が埋め尽くしていく。


 嫌だ。こんなの嘘だ。誰でもいいから、何かの間違いだと言ってくれ。


 悪夢なら、めてくれ―――。




「およよ~、起きたか~い?」


 荒い息を吐いていたのが自分だと気付いた時。


 暗闇の中、誰かに話しかけられたのだと認識する。だが、首を固定されているのか起き上がることもできず。しかし、その甲高い声が一切として聞き覚えのないものだと思い至るまで時間は掛からなかった。


「ようこそ~、南野みなみの光一こういちくん♪」


 一瞬にしてまばゆい光が頭上から降り注ぐ。思わず身構えようとした手足に、鈍い痛みが走った。


 拘束されている。しかも台の上で仰向あおむけに寝かされて、今から解剖かいぼうでも始まる寸前といった具合だった。


 瞬間、走馬灯のように雪崩なだれれ込んでくるのは、骨のよろいまとった敵の姿。その圧倒的なまでの戦力差に、文字通り手も足も出せずに敗北したはずだ。あの一瞬にオレは死んだのではなかったのか。


 いや、待て。ここにいる誰かは、今オレを何と呼んだ。赤マフラーの死神でもなければ、街を脅かすテロリストでもなく。


 南野光一、と。


 オレの本名を、こいつはハッキリと口にした。それが意味することは、ただ一つ。


 正体を知られてしまった。


「……ぅッ⁉」


「まだ寝ていた方が良いと思うよ~? 全身ボロボロだったわけだしね~」


「お前、〈ネクロ〉の仲間か……」


「え、そういう方向に行く? 勘違いって怖~い♪」


 そう思っても仕方ないか、なんてあまりに呑気のんきな笑い声。


 逆光の中だが、だんだんと目は慣れてきた。おかげで、ぼやけていた相手の輪郭りんかくがはっきりと見えてくる。


 白衣のそでが指先まですっぽりと隠してしまうほど低い背丈。大きな額と桃色の長髪、その上に重なるのは猫耳をしたような赤いヘッドホン。それらが光に反射して目がチカチカしてくる。八重歯やえばのぞく口元から甘ったるい匂いがするのは、あれはキャンディの棒でもくわえているのか。


 だが一際に目を引くのは、そのくれないの眼光。まるで血に染まった悪魔のよう。


 大人と呼ぶには小さすぎて、しかし子どもと呼ぶにはいびつすぎる。


「で、気分はどう~? まだ右腕がくっついて一時間も経ってないけど」


 その言葉で、改めて視線を自分の右側に送る。


 五本の指、てのひら、そこから先の肩に至るまでの全てが確かに存在している。拘束具に繋がれてはいるものの、その冷たさを実感できるのなら神経も繋がっているだろう。


「回収チームがぼやいてたよ~、右腕だけ別のとこに落っことしておくな~って」


 よくよく見れば、ここは手術室のような場所だった。オーナーがこの身体のメンテナンスをする地下研究室とよく似ている。大小さまざまな機材の配置だけでなく、薬品や手術器具が放つ独特の匂いまで。


「まさか、オレは助けられたのか……?」


「そうとも! このボク様、Professor Geniusプロフェッサー・ジーニアスのおかげってわけ♪」


「プロフェッサー、ジーニアス……?」


「そそ。気軽にジーニーって呼んでね?」


 流暢りゅうちょうな発音。その名を直訳すれば、天才教授。ひどい冗談もあったものだ。まだ中学生にもなっていないような子どもがオレの手足を繋ぎ直し、あの〈ネクロ〉から助け出しただと。


 子ども。その一言が、妙に引っ掛かる。待て、七夕にたおしたあの〈リトロ〉という強敵も、見た目だけなら小学生と間違われてもおかしくない容姿だったはず。


「お前も……〈ゲノム・チルドレン〉、なのか……?」


 瞬間的にオレを捕らえたのは、獰猛どうもうな野獣が獲物の品定めでもするような視線。そうして近づいてきた自称天才教授からは、吐きそうなほど甘ったるい香りがただよう。口に入れているあめのせいか、それとも顔に塗った化粧のせいか。


「半分は正解。でも、それが〈スポンサー〉の手下かどうかを問うなら不正解」


 どういう意味だ。〈ゲノム・チルドレン〉というのは〈スポンサー〉の下にいる幹部たちのことじゃないのか。


「〈スポンサー〉の敵、そして人類の味方……それがボク様たち〈アンチ・ゲノム同盟〉の使命。Make senseメイクセンス?」


 メイクセンス……「意味は分かったか」とでも言いたいのか。


 この強気な笑みの真意はわからない。ただ、確かにあの幹部たちは〈アンチ〉という言葉を使っていたのを覚えている。それが〈スポンサー〉に対抗する組織のことだったとは知らなかったが。


「でね、南野光一くん。君に来てもらったのは、取引がしたいと思ったからなんだ」


「取引……?」


「あの〈ネクロ〉がとんでもない武装を創り出したのはご存じの通りさ。その強さの前に死にかけた君ならわかるよね。で、おそらく次の標的は坂上さかがみあい博士ってことになると思うんだけど?」


 思わず奥歯を噛み締める。こいつ、脅しているのか。協力しないなら、坂上愛が……オーナーがどうなるか知れないぞ、と。


「そこでだ。南野光一くん、ボク様の〈実験体〉にならないか?」


 告げられた言葉の意味を理解しようと咀嚼そしゃくする。だが、できない。こいつは何を要求している。オレは既に〈実験体〉だ。これ以上に何をする気だ。


「坂上愛博士、彼女は間違いなくボク様に次ぐ天才さ。それは君や、君を救った赤マフラーを観察していれば嫌でも理解できる」


 何と、言った。それはまるで師匠のことを知っているような口ぶりで。


「でも惜しい。何しろ〈獣核ゲノム・コア〉を単なる動力源としか捉えていない設計だ……今まで君が〈獣化〉しなかったのが奇跡に近い」


 その一言が、心に重くのしかかる。〈獣化〉しかけた師匠が自爆装置を作動させてまでオレを逃がした記憶が、脳裏をよぎっていく。


「だから今のままでは〈ネクロ〉には絶対に勝てない……そう、今のままでは、ね?」


 まさか、あの〈解放〉の力さえ超えるものがあるとでも。


「〈N-X-0ネクス・ゼロ〉攻略のため、君にはボク様の考案した強化改造施術を受けてもらいたい」


 勝てる。あれだけの強さを振りかざす〈ネクロ〉を、今度こそたおせると。


 その言葉が、胸の奥底を刺激する。


「手足の補修作業をしながら、もう下準備も済ませた。今すぐにでも始められるよ?」


 理性が叫ぶ。こんなの詐欺さぎだ、ペテンにかけられようとしているぞ、と。


「ボク様たち〈アンチ・ゲノム同盟〉からの要求は一つだけ……その力で〈ネクロ〉をち取ってほしい」


 だが本能に近いものが訴えてくる。手を伸ばせ、その力を手に入れろ、と。


「もちろん、タダでとは言わない。そちらへの報酬ほうしゅうは三つ♪」


 細い指が三本、間近に迫ってくる。そして大きな瞳にはギラギラとした笑み。


「一つ、〈スポンサー〉の情報。二つ、〈ゲノム・チルドレン〉の秘密。そして三つ、〈獣核ゲノム・コア〉の意味とこの戦いを終わらせる方法……」


 提示された内容を、脳内で反芻はんすうする。


 オレたちが追い詰めたいと願いながら、その一切が今も謎に包まれたままの敵……〈スポンサー〉の正体。


 元が人間だったとは思えないほどの能力と残忍さで、この街を踏みにじる幹部たち……〈ゲノム・チルドレン〉の真実。


 そして、いつ終わるかもわからないと、心のどこかで不安に感じていた殺し合い……この〈実験〉の終焉しゅうえん


「魅力的な報酬だと思うんだけど、どうする?」


 このまま待っていても、オーナーは助からない。あの〈ネクロ〉が彼女を狙っている以上、いつかは決着を付けなければいけないのも事実だ。それに何よりも、あいつを野放しにすれば、もっと多くの惨劇さんげきがこの街を襲うことになる。


 師匠と親友の顔が浮かぶ。オレのせいで死んだ二人が守ろうとしたこの街の笑顔。それを壊して下劣な嘲笑を浮かべる奴らを止められるのは、誰だ。


「約束しろ。オレが死んでも、オーナーの安全は保障すると」


 にらみつける眼光に力をめる。


 こいつの思い通りの傀儡かいらいになってしまう可能性は否定できない。それでもオーナーを守れなければ、師匠に顔向けできないオレに意味なんてないだろう。


「……ぷ!」


 呆気あっけにとられたように目をしばたたかせた自称天才教授は、こらえられなくなったように笑いだした。子どものような身で、なんとも豪快な笑い声がこだまする。


「OK。君の気高きヒロイズムに誓って、必ず彼女の無事は保証する。それでいい?」


「ヒロイズムなんかじゃない……オレのは、ただのエゴだ」


 とがった八重歯を見せながら笑うそいつがうなずいて。


Perfectパーフェクト! 最高にcoolクールmadマッドegoistエゴイストに乾杯‼」


 意味不明な言葉を羅列られつした途端、施術用らしい機械たちが自動で近寄ってくる。あの英単語のどれかが合図だったのかと思案する直前。


「ちなみに強化改造は麻酔ますいとか一切使えないから、頑張って耐えて……ね♪」


 くわえていた棒付のキャンディを噛み砕く音に重なって、オレの身体を蹂躙じゅうりんし始めた機械音が奏でるのは、狂騒曲きょうそうきょく


「あぁぁっぁぁぁっぁっぁぁぁっぁぁぁっぁぁぁあっぁぁあああああああ⁉」


 肉をぐような感触が、腹部を襲う。色とりどりの光線が、ベルトの奥に埋まっている〈獣核ゲノム・コア〉へと流れ込んで。


「ぐぅ……ぁ……ぅッ……⁉」


 だが。


 耐えてやる。誰のてのひらで転がされようと構わない。この先のステージとやらに辿たどり着いて、必ず〈ネクロ〉を討つ力と、〈スポンサー〉の真実を掴んでやる。


(泣いている人たちを……笑顔に……)


 いつも誰かのことを想い、多くの人を笑顔にしてきた親友。


 あいつののこした、儚い願いも。


(誰にも消せないたましいなら……ここにある)


 絶望にすら笑顔で立ち向かい、怪物にとされた者たちをとむらった師匠。


 彼がオレに託した、熱い想いも。


 どちらも継げるのは、今はもう。




 オレしかいないから。

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