EP07-肆:〈N-X-0〉


『親にも内緒で絵の描き方を習いに行っていた……それも一年も前から、か』


 オーナーのつぶやきがクリアに脳内で響く。


 本来ならそんな声など耳に残りはしないほどの向かい風。それをバイクで切り裂いて進んでもなお聞き取れるのは、改造人間の特権ということにしておこう。


『しかし、どうして絵なんだ?』


 首を傾げているのだろう女主人様は、疑問と推理を口に出していく。


『経歴を確認しても、別に美術で高い評価を受けていたような話もない。それも高齢になった芸術家が個人的に開いている教室に通っている意味とはなんだ?』


 聞きながらも周囲を確認しながらマシンを動かす。街のいたるところに置かれたハロウィンの装飾が、ライトの光に反射して不気味な影を映していく。


『教室には、他に失踪しっそうした人間との関係性も皆無。講師のばあさんも一人だけで、特に変わったところはなし……ますます理解できん』


 あの地下研究室で頭を抱えている彼女の姿は、容易に想像できる。しかしオレにも、いなくなった女性の心理など完全には把握できるはずもなかった。


 とにかく今夜は、一人の動きだけを考えているわけにはいかない。うまくいけば、ここでくだんかなえ真由実まゆみだけでなく、失踪した全員の所在を知ることができるはずだから。


「オーナー、目的地に到着しました」


 バイクを停めて、ヘルメット越しにその場所を一瞥いちべつする。


 森か林かと見紛うほどの木々に囲まれるのは、無数の墓標。手入れの行き届いた墓石の光沢が月明かりを反射してきらめいている。よく見ると凝ったデザインが施されている装飾品や付属品も多い。月光を受けて揺れる花々もなんだか豪奢ごうしゃに見える。


宙舟霊園そらふねれいえん……共同墓地なんて名ばかりさ。底意地の悪い成金たちのみにくいプライドそのものだ』


 毒づくオーナーの声には、どこか冷めた諦観ていかんのようなものが混ざっていた。


『ほら、向こうにある趣味の悪い建物。あれがターゲットだよ』


 事務所だと聞いていた施設は、想像よりもずっと大きかった。山のふもとに建てられたそれは、ヨーロッパ貴族の住まう屋敷と呼んだほうがまだ納得できる。建築様式などの知識はないせいで、とにかく金が掛かっていること以外は理解できなかったが。


 ここがオーナーの……まだ坂上さかがみあいと呼ばれていた彼女の育った場所。以前は宙舟園そらふねえんと呼ばれていた児童養護施設。その成れの果て。


『かつて行き場のない子どもたちの暮らした家が、気付けば金持ち共の死後の安寧あんねいを約束するインチキ霊園。あの広場が、今じゃお飾りの墓だらけさ。な、笑えるだろ?』


 自分の住んでいた場所が様変わりしてしまったからなのか、それとも嫌な記憶が染み付いた場所だからなのか、とかく氷より冷えた笑い声。


『逆に言えば。敵の一角かもしれない大企業様にとって、ここは潰したくない場所でもあるってことだ』


 そう、ここを経営しているのは世界でも有数の大企業〈X SEEDエクシード〉。そして先月に殺し合いをした戦場も、同じ会社が建てた研究施設だった。


 何より、養護施設だったここは、あの早乙女さおとめ歩生明あるふぁが、つまりは〈ネクロ〉が育った場所でもあるという。無関係とは思えない。


『バカ話はこのくらいにして、そろそろ始めよう』


 肯定の意味を込めて、左腕をかざしながら口を開く。


『ミッションコード……変身』


SPIDERスパイダー……Releaseリリース


 銀色のナノマシンをまとって展開した武装の一つが、対象物へと射出された瞬間の風。それが首元を守る血赤のマフラーを大きくはためかせる。


 糸を伸ばしては勢いよく枝から枝へと器用に飛び移る〈クモ〉の動き。それを知覚しながら目標を二種類の眼で捉えていく。


『もっとだ、〈クモ〉ならまだ近づける。ここで秘密の出入口を見つけてから、じっくり対策を立てたいからね』


 指示通り、操作に集中する。


 走査する躯体くたいから送られた信号。その八本の脚を自らの手足同然に感じながら確実な前進を繰り返す。施設自体に警報装置のようなものが付いている可能性は否定できないから、木々の合間をって動くのがベストだ。


 こちらの〈クモ〉には、暗視スコープで捉えた情報をスキャンし、わずかな空洞くうどうさえ見逃さない先端技術の眼がある。こいつなら、ほとんど透視とうしに近しい精密さで敵のアジトへの入口を見出してくれるに違いない。


 瞬間。




「お久しぶりですね」




 壊れたラジオのような声と共に、右肩に違和感。


 背後から聞こえたその声に振り返った途端、硬い土の上に何かが落ちる衝撃音。


 そちらに動いた視線の先には、白く大振りな一本の剣が突き刺さり。そのかたわらには、肩から指先までを残した腕らしいものが転がっていた。


『少年っ⁉』


 頭の中で響いた主人の悲鳴を合図にして、痛覚が電流となって脳内を走り抜ける。


 直接に頭蓋骨ずがいこつの中身を引き千切られるような錯覚。人工神経が訴えてくるのは、死の警告。痛いと叫べば治るなら今すぐにでもそうしたいと本能が押し寄せて、止めなくあふれ返ってくる。


「ッ……⁉」


 歯を食いしばって悲鳴になり損ねた声を殺す。叫んでいる場合じゃない。


 周囲に視線を動かし、相手の気配を探る。


 どこだ。確かに声はあった。どこにいる。近くにいるのは間違いない。どこで笑っていやがる、クソッタレ。


『少年、〈クモ〉で距離を取れ!』


 オーナーの指示と同時、引き返してきた〈クモ〉が左の前腕部に戻ってくる。


 確かにこれが最適解だ。手足に付随ふずいする昆虫をした武装達は、オレのベルトに収まっている〈獣核ゲノム・コア〉が近いほど稼働効率は上がるのだから。


SPIDERスパイダー』『HOPPERホッパー


 強引に振り上げた左腕、そこから吐き出された形状記憶合金の〈クモの糸〉を命綱にび上がる。


 とにかく木々の陰に隠れて、索敵を完了しなければこちらに打つ手はない。幸い、身をひそめる場所もあれば、月の光をさえぎる雲も出てきた。あんな開けた場所でもない限り、二度目の奇襲など成功するわけがない。


「どこへ行かれるおつもりで?」


 刹那せつな


 声の主を探した上空には、巨大な螺旋らせん。いや、槍だ。先端だけでもオレの胴体を潰せるほどの面積が見える。


SPIDERスパイダー


 がむしゃらに腕を振り上げ、逃げ場となる別の樹木に糸を通す。枝を蹴り、ウィンチに引っ張られるまま退避。それが今取れる最善策。


 回転によって加速しながら落ちる極太のドリルを横目に周囲を確認する。次はどこに逃げるか。どうやって敵の所在を突き止めるか。それから……。


「残念、時間切れです」


 ひらめく一筋の光がオレの眼前を通り過ぎて。そのまま一秒も待たずに、人工血液の赤色が銀の仮面に飛び散った。


「ぁ……」


 れ出したあまりに情けない声は、オレのもので。


 上げていた左腕には、無数の剣先が突き刺さり。武装から伸びていたはずの命綱が、そのシステムの停止を告げるように消失していく。


 落下した先、仰向あおむけに倒れた身体のせいで盛大に吹き上がる土煙に視界を遮られる。止まらない痛みと動かない腕が突き付けてくるのは、圧倒的に不利な現実。


『撤退だ‼ 敵の位置が掴めない以上、今は逃げるんだ‼』


 勝てない。だから逃げろと主人が叫んでいる。


 だが。


「どうしたんです、二代目くん?」


 木々の間から声の主が現れると同時、示し合わせたように月光がその姿を照らす。


『こいつ……〈ネクロ〉、なのか……?』


 オーナーの驚きに満ちた声が、そのままオレの思考と一致する。


「待っていましたよ、貴方あなたがここに来るのをね?」


 男の左眼をおおう眼帯は闇よりも深い黒。そのふちをなぞる左腕のシルエットは、き出しの機械仕掛け。


 腰のバックルと同じ金色に染まった右の眼光が、オレを捕らえて放そうとしない。


 不気味。いや、そんな安易な言葉では足りないほどの、異質。


 ダメだ、逃げられない。こいつの放つプレッシャーは、これまでとは比べ物にならないほどにふくれ上がっている。


 なら、できる手はこれしかない。


「ミッションコード……解放……‼」


EMANCIPATIONイマンシペイション


 燃えるように膨れ上がる感情と共に、ベルトに埋まった〈コア〉がナノマシンの濁流だくりゅうを吐き出していく。にじの光を帯びるきらめきをまとったことで、両足と左腕の武装に力がみなぎっていくのがわかる。


「ぅ……っ」


 左腕には焼けつくような痛み。刺し込まれていた武器を全てはじき出すほどの力だったからか。だがしかし、これだけのナノマシンを使っても回復できないほどのダメージには違いない。


 いいや、それでも。今度という今度こそ、この悪魔をほうむり去らなければ。


「そうでなくては面白くない……せっかくの〈実験〉ですからねぇ!」


 こちらの殺意などお構いなしに、さも愉快そうに両手を広げてわらう怪人。その身体に一撃を叩き込みたいが、どこにもすきが無い。


「では参りましょうか?」


 新たな武器でも出すのかと身構えた瞬間。




「ミッションコード、超変身‼」




 狂気をはらんだ声と共に広がる白い闇。それが敵の姿を包み込み、紫の稲光いなびかりほとばしる。


 現れる異形いぎょうは、獣の骨を組み合わせた白黒のよろい


 顔面を守るのは螺旋らせんを描く二つの角を持った獣の頭蓋骨ずがいこつ。その形状からして山羊やぎだろうか。背には蝙蝠こうもりの翼をしたマントがひるがえって、より一層に悪魔らしさを際立たせていた。


「お見せしましょう、最強のシステム……〈N-X-0ネクス・ゼロ〉の力を‼」


 恍惚こうこつとした声に重なって、その手に現れたのは槍。一瞬にしてそれを投擲とうてきする動きを見抜くより先に。


MANTISマンティス


 振り上げた右足……〈カマキリ〉の武装が生み出す二対の刃で斬り伏せる。軌道が変わって地面を転がった槍の行方など考えず、そのまま飛び出した。


 片腕を奪われていたとしても、この〈解放〉の力は鈍っていない。七色のナノマシンはオレの戦意に沿って動いてくれる。このまま最大出力をぶつけてやれば。


無駄むだ、でしたね?」


「……⁉」


 ひざから先に感じた違和感。視えない壁にはばまれたような感触と同時に、右足に展開した武装がちりのように消えていく。


「二本目も、いただきますよ?」


 発した言葉の意味は、あまりにも簡単で。そして何より、残酷だった。


「ぐ……ぁッ⁉」


 見えたのは、奴が新たに形成した剣と、それを振るう姿。


 はじき飛ばされながらも、必死に視線を動かす。幸運にもももと足先は離れていない。だが、もう動かせないと告げるように、右足の武装からは虹の光が消えてしまっていた。


 まずい。左足の〈バッタ〉だけで、この局面を乗り切る方法はあるか。左腕の修復には時間が足らず。右腕を失くした今の状態では、満足に起き上がることもできない。


 それでも考えろ、諦めるな、思考を止めたら終わりだ。


「はい、ゲームオーバー!」


 大きく弧を描いた一撃が眼前に迫る。


HOPPERホッパー


 足裏に集約したナノマシンで強引に空中へと逃れる。


 だが、この先はどうするべきか。今の状態で何ができる。


「残念でした♪」


 下で聞こえた嘲笑が、真上に広がった絶望と共に反響する。


 視界をおおうのは、無数の武器。その刃先が身動きの取れないオレを狙い、雨のように降り注いだ。


『少年、おい、返事をしろっ⁉』


 あまりにも無様だった。


 何の抵抗もできず、重力にじ伏せられるまま、ただ空をあおぐしかない。おまけに、胸や脇腹だけでなく、ベルトにも大きな損傷が入っているのがわかる。


『少……お……聞こえ……何か……言っ……』


 揺れる視界の中で、大きな月がくれないの色に染まっていく。人工血液が視界を覆っているだけなのかもしれないが。耳元に聞こえていた声も遠ざかっていくようで。


「さてさて、その顔を拝ませてもらいましょうか?」


 悪魔の剣先が、この傷だらけの仮面をなぞるのに。身体にはもう力が入らなくて。


「坂上愛が選んだのは、どんな人間だったのか。特にこの〈解放〉という力……こんなドーピングをやって、それでも壊れない素体には興味がありますよ?」


 ダメだ。ここでオレの正体を知られれば、どこにオーナーがいるかを教えるのと変わらない。オレがここで死ぬだけでは済まないんだぞ。


 それがわかっているのに、痙攣けいれんするだけのこの身は、逃げることさえ叶わない。


「では……ん?」


 瞬間的に感じたのは、何かがぜる音。ここより少し遠い場所だとしかわからない。


「バイクを自爆させた……? 何です、それは? まさか時間稼ぎのつもりですか? それとも降参の合図とでも?」


 何をかれているのか理解ができないまま、正体不明の異変だけを感じる。


 どういうわけか、小さな破裂音と共に、視界を白い霧が覆っていく。


「っ⁉ 煙幕なんて、古典的な手を……ぅぐ⁉」


 月も何も見えなくなって、不意に訪れた浮遊感だけが支配する。


 まるで幼い頃、母親の腕に抱き上げられた時のような、不思議な郷愁きょうしゅう


「おのれ⁉ このガス、私のナノマシンを狂わせるだと……⁉」


 怒り狂う声も、遠ざかる。代わりに聞こえるのは、エンジンの駆動音。走り出したマシンが起こす振動が、どこか心地よくさえあって。


「おのれ……おのれぇ、赤マフラー‼」


 その咆哮ほうこうを最後に、オレの意識は途切れた。

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