EP07-参:夢の迷い人


 ハロウィン。


 古代ケルトを起源とする祭事。悪霊だか死霊だかに喰われないよう、仮面で正体をいつわったのが仮装の始まりだと聞いたのは、何の授業だったか。


 元の形はどうあれ、今ではすっかり『仮装した子どもたちがお菓子をもらう日』となったイベント。この国を含めて、世界では大人も仮装を楽しむ単なるお遊びとなって久しいとかなんとか。


 正直、オレにはわからない。育ての父は、誰にだって変身願望がある、というようなことを言っていたが。


 実際にこの身を怪物へと変えて戦う今のオレには、むしろ変わってしまうことの方が恐ろしい。それはオレが戦っている間に自分が誰だかわからなくなることがある〈実験体〉だからだろうか。あるいは腹の奥底で騒ぐ〈獣核ゲノム・コア〉の力が、オレ自身を壊してしまうような、そんな錯覚におちいるからか。


 だからこうして、精神を安定させるべくコーヒーをれている。南野みなみの光一こういちという人間が、かつてそうしていたように。いくら過去の習慣を辿たどったところで、二度と戻らないものがあるとしても。


 いつか、心まで人間ではなくなってしまうとしても……。


 からころと鳴るドアベルが来客をしらせる。大丈夫、まだオレは『どこにでもいる喫茶店の店員』だ。いつも通りにキッチンから顔を出し、いつも通りに挨拶をすればいい。そうすれば身体に染み付いた習性が勝手にやるべきことをなぞってくれる。


「いらっしゃいませ」


「あの探偵さんは……まだいないか」


 店の奥をのぞいたのは、壮年の男性。先日のスーツ姿とは違って、今日は白シャツの上に黒のセーター、そこにベージュのジャケットと実に休日らしい姿だ。しかし顔には暗い影が張り付いたまま。まだ一人娘の行方ゆくえがわからないのだろう。


「よろしければ、こちらでお待ちください」


 カウンター席に案内し、そそくさとおひやを出す。今さっき気分転換に淹れていたコーヒーを出そうと棚のカップに手を掛けた瞬間、ふと視線を感じて振り返る。


かなえ様、どうかされましたか?」


「カボチャの匂いがするが、ハロウィン用の菓子か?」


 問いかけに応えるかのように、タイマーが鳴った。手早くオーブンを開けて、中身を取り出す。よし、ふくらみ方も悪くない。久しぶりにしては上出来じょうできだな。


「よければ試食なさいますか?」


「ん? 俺が食ってもいいのか?」


 不思議そうにしている客人にうなずいてみせる。皿に盛りつけようとした試供品たちは、まだ食われたくないと言わんばかりに熱を帯びていた。


 本当はここで少し冷まして、最後の一工夫をするのだが。まあ、あれはそもそも子ども向けにと教わったものだから不要だろう。あの当時のオレたちも子どもだったし。


「お待たせいたしました。パンプキンカップケーキでございます」


 面食らったように、まじまじと見つめる男。開いた口から聞こえたのは、問いかけ。


「これ……もしかしてチョコで顔とか描くのか? ほら、あのカボチャ頭の……」


「ジャックオーランタンのことでしょうか」


 それそれ、とうなずく客人が力なく笑う。確かにカボチャの頭ではある。


「本当なら描くつもりでいましたが……そうした方が良かったですか?」


「いやいや。昔、妻がよく娘に作ってやっていたんだが、その時は顔があったからさ」


 誤魔化ごまかすように笑ったその瞳からは、どこかさびしげな色を感じた。


「ん……美味うまいな。ここのコーヒーにもよく合ってる」


「ありがとうございます」


「誰に教わったね? やっぱり母親かい」


「厳密には育ての母親ということになりますが」


 二つ目を取ろうと伸びた手が止まり。怪訝けげんそうな視線が、その先を促していた。


「実の両親は、十五年前に事故で亡くしまして」


「そうか……。たくさん苦労したろう」


「事故のショックで上手く笑えなくなったくらいです。他はずっと良い方だったかと。一時期は施設にもいましたが、結果的にはそのご家族に育てていただきました」


 昨年までは、と口に出しそうになってあわてて喉元のどもとで抑え込む。事実だとしても、あまりこういう話を長々とするものじゃない。かれたから答えるのは道理だが、これ以上は言わない方がいいだろう。


 少なくとも、家族の一件が解決していない、今だけは。


「でも、あんたは努力を重ねて、こういうもんが作れるようになったわけだろ?」


 どこかすがるような瞳が、オレを捉えて離さない。どうしてそう感じるのかは、まるでわからなかったが。


「俺もな、昔はたくさん努力をしたもんだった。夢があったからさ」


「夢、ですか?」


「ああ。いつか宇宙人に会うんだって、子どもの頃からそんな夢を追いかけていた。君くらいの頃には宇宙科学とDNAの分野をがむしゃらに勉強していたさ」


 そうだ。オーナーが調べた情報にも、確かにそういう記述があった。二十代にして、次期遺伝子工学の権威と呼ばれる男だと言われていたとか。


「二十五年前、この街に小規模だが隕石が降ってきたのは知ってるだろう? 俺はね、その破片を調査するチームにいたんだ。付着していたものの中に、生命体の痕跡こんせきがあるって話だった」


 かつて、この街に落下した隕石。少なからぬ被害への復興と、隕石の研究に集まった多くの企業や技術者たちがいたという。


 この人も、その研究に関わった一人ということらしい。


不謹慎ふきんしんかもしれないが、あの時は夢が叶うと思った。本当に宇宙には生命体がいて、やっと彼らと出会える日が来たんだ、ってな」


 語っている間は、まるで子どもに戻ってしまったような顔で。しかし、徐々じょじょにその熱が冷めていく。


「でも、夢の終わりは呆気あっけなかった。ハロウィンの頃だったよ、娘が誘拐ゆうかいされたのは」


 改造されたこの身に備わる補助脳で、彼が話す二十五年前のことを調べる。


 誘拐事件の新聞記事やネットニュースが多すぎて全てを追い切れないが、ハロウィンという単語を追加してみれば、一発だった。


「研究を狙っていた海外の犯罪者たちが、娘を連れ去った。その首に爆弾を仕掛けたって脅してきて、俺に研究所から破片を持ち出すように迫ってきたんだ……」


「ッ……」


 戦慄せんりつが吐息となってれ出してしまった。世間に公表された情報には、爆弾の文字などなかったから。当時まだ三歳の少女が味わった恐怖を想像すると吐き気がした。


 自然と苦い表情になったせいか、父親はそっと笑ってくれた。


「だが連中が仲間割れをしたとかで、真由実まゆみも無事に戻ってきた。そうさ、そこまでは良かったんだ」


「何か、他にも問題があったのですか」


「悲しいかな、この事件をきっかけに研究者としての道を絶たれた」


 これもどこの記事にもない情報だった。いや、オーナーが調べた内容を確認すればわかるはずと、そちらにアクセスする。


「仕方ないよな。娘を危険にさらすことはできないって、大事な研究資料を持ち出そうとしたのは本当のことだ。警察が味方についていたが、クライアントが許してくれなかったのもわかる。失ったら取り返しがつかない代物だったからな」


「それは……」


 代わりがないのは理解できるが、何とも嫌な話だ。たとえ遠い宇宙からの産物だったとしても、それは人の命と引き換えにしていいものなのか。ただでさえ街の一角を消し飛ばした隕石。小さな命を犠牲にしてまで守るべきものだったのか。


「それでも娘の命には代えられなかった。だが、その後だ。助かった真由実がおかしなことを言うようになった時は、夫婦そろってきもを冷やしたよ」


「変なこと、ですか?」


「ああ。赤いマフラーを首に巻いた骸骨がいこつ頭が助けに来てくれたんだ、ってな」


 刹那せつな的に思考が止まる。


 今、何と言ったのか。


 赤いマフラーの骸骨。それはまるで、オレが戦う時の姿そのもので。


「医者が言うには、強いショックを受けた心が夢を現実だと思い込むとかなんとかで。つまりはトラウマになるほど怖い記憶にふたをしたんだろうってさ」


「なるほど。骸骨男が助けに来たなんて、いかにも夢みたいですものね」


 相槌あいづちを打ってはみるが、ほぼその通りの姿で戦っているオレとしては、何とはなしに複雑な心境だった。その男のうわさから、師匠も誰かを救おうとした在り方を受け継ぎたいと、あの赤いマフラーを巻いていると言っていたから。


「でもある時から、そんな怖い事件があったこと自体が嘘だったみたいに、あの子は元気になった」


 ふところから取り出したのは、一枚の写真。その中で笑っているのは、まだ幼い娘とそれを守るような両親。娘の手にはヴァイオリンと賞状。きっと初めて良い成績を残した時のものだろう。


 それを見つめる父親の瞳は、どこまでも優しくて温かだった。


「助け出されたばかりの頃は骸骨男の絵ばかり描いていたが、気付けばプロのヴァイオリニストへの道まっしぐら。あと一歩で、立派な演奏家として世界に羽ばたいていくはずだったんだ……なのに」


 柔らかだった表情に亀裂きれつが走る。


「あの火災さえなければ、今頃は世界中で活躍していたかもしれない。ヴァイオリンで世界中の人にキラキラした気持ちを届けたいって、小さい頃からの真由実の夢が叶っていたかもしれないのに……」


 握った拳は、行き場もなく空中で震えている。どこかに叩きつけてしまえば少しは楽になれるのだろうに。けれど、打ち付けることができないでいる。


 きっと娘の夢が、この人自身にとっても大切なものだったのだろう。何も知らないオレですら、そう感じられる姿だった。


「ここ最近はな、不安になっていたんだ。今までヴァイオリンに懸けてきた分だけ、あの子が他に生きる道を見つけられるかどうかって。いつまでも俺が守ってやれるわけでもないからな……」


 うつむきがちにこぼした言葉の数々が、嫌に耳に反響した。


 守るものがあるということは、こういう恐怖や不安とずっと隣り合わせでいることなのかもしれない。おまけに、一緒に乗り越えていくはずだった伴侶はんりょさえもうしなって。


 何だか、この人の方が心配になってくる。特に今は、娘の所在がわからないという事情ものしかかっていて。普段、胸の内にしていた気持ちが漏れ出してしまっても、不思議はなかった。


「すまない……君にこんな話をしても仕方がないのに」


 我に返ったように拳を解いて、また力なく笑った目の前の依頼人に。


「誰だって、何度だって、新しい夢を見る自由がある……らしいです」


「え……?」


 口走ってしまった言葉。それに対する訊き返しの声を認識したところで、腹をくくるしかないと思って、再び口を開く。


「コーヒーの淹れ方を教えてくださった方の受け売りですが。その人は定年後に趣味でお店を開いた方で、それまでは世界中を飛び回って活躍する商社マンだったそうです」


 じっとオレの話に耳を傾けてくれるのは、何か大きなことを期待しての事か。実際に大した話はできないが、促される以上は話すとしよう。


「様々な場所を巡るうちに気付いたそうです。どんなにちっぽけに思えても、人間は夢を持って生きた方が楽しいんだ、と」


「そりゃ、そんな夢があればいいだろうが。途中で諦めることになった奴は……」


「ええ、オレも訊きました。もちろん叶わない夢もたくさんあって、そのたった一つを叶えるだけでも時間が足りないこともあるだろうとも……けれど」


 あの人のほがらかな笑みを思い出す。


 野良猫ノラねこ煮干にぼしをあげたり、客と何でもない世間話で盛り上がったり、そんな老人の満ち足りた笑みを。


「今日もまた夢に向かっていると思えるだけで、けっこう幸せだったりするんだ、と。そうおっしゃっていました」


「……」


 心の中を整理しているのか、目の前の客人はうなずいていた。ゆっくりと、じっくりと、ただ何かを飲み込むように。




「遅くなってすいませ~んっ‼」




 乱暴に開け放たれたドアから、鈴の音さえかき消すほどの声が飛び込んだ。


「ああ、探偵さん」


 思い出したように立ち上がった依頼人を前に、額の汗をハンカチで拭いながら愛想笑いを浮かべている迷探偵。こういう展開、何度目だったか。


「いやぁ、すいません。ちょっと気になる話を小耳に挟みましてなぁ」


「真由実のことで?」


「まあ、娘さんにも関わる話である可能性は高いと思いまして」


 遠回しな言い方にまゆをひそめる父親。


「実は娘さん、つい最近まで通っていた場所があるみたいで」


「もしかして危ない男の家とか? それとも、まさかヤクザもんのところとか⁉」


「うげぇ、苦じい……⁉」


 襟首えりくびを掴まれた探偵が低めの悲鳴を上げる。なんだこれ、コントか。


 このままじゃ話が聞けないと我に返った依頼主が手を離すと、へなへなした探偵がやっと答えを口にする。




「どうもそこ、絵画教室みたいで」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る