EP07-弐:唯一の餞


かなえ真由実まゆみという女……間違いなく、今回の被害者たちと条件が符合する」


 地下室で反響する自分の声。


 二十六年も生きる中で、綺麗な声だの素敵な顔だのと言われてきたことは数知れないが、自分自身としてはこの身体はあまり好きではない。いつか宇宙に出るために自らの肉体を改造することも考えていたくらいには、嫌いだった。他人がどう思うとしても、私の気持ちがこうなのだから仕方がない。


 それはそうと。この状況をはたから見れば、きっと独りでモニターに向けて口走っている女と映るのだろうが。残念ながら、私はそういうたぐいの人間でもない。


『ではやはり、〈実験体〉が動いている事件ということですね』


 画面横のスピーカーから流れてきたのは、真上にある喫茶店で動いている少年の飛ばしたメッセージ。自動音声出力システムを用いて、トレースした彼の声を発している。うん、我ながら悪くない発明だ。


『写真をよく見たいからズームしてくれ、なんて言われた時は少々焦りました』


「悪かったよ。でも、おかげで敵の狙いが視えてきたんだ。良しとしてくれたまえ」


『もちろん。〈スポンサー〉を追い詰められるのであれば、何でも良し、です』


 思考をほぼダイレクトに文字にして音声変換するせいか、いつもより少年のあきれ度合いが高いような気がする。いや、彼の場合は本当にそう思っているだけか。


 彼の名は南野みなみの光一こういち


 この街を裏から蹂躙じゅうりんする組織〈スポンサー〉によって殺されかけた少年。同時に、私の科学者としての願望の犠牲となり、改造施術を受けて生き残った哀れな子。


 それでも亡き親友と師の願いを継ぎ、今なお厳しい戦いに臨む、この街の英雄だ。


『オーナーの見立てをお聞きしたいのですが』


 少年の声が急かしてくる。


 ああ。仮説でしかなかったが、ここまで来ればかなり近い。


「失踪した女性はみんな、一年前に〈ネクロ〉が関与した事件現場にいた人間だ」


 特に、あの鼎真由実という女が消えたという一点が、それを大きく裏付ける。


「今日やってきた依頼人の男、かなえ良次りょうじが口にした一年前の火災。あれは酷い戦闘の中で起こった不慮の事故でね。同時に、あの〈ネクロ〉との最後の戦いになるはずだった」


 そう。あの〈死〉を冠する白マントの怪人。生物の死骸しがいを武器にするように、骨をした武装を展開してくる厄介な相手。


 おまけに正体は警察内部に入り込んだ〈スポンサー〉のスパイで、私と同じ養護施設の出身者だった。


『師匠の記憶データを閲覧しましたが、あまりに壮絶で……』


「私も、ほとんど何が起きていたのかわからないくらいの戦いだった。ただ、あのバカが最後の最後で極限解放の一撃を叩き込んで、それで〈ネクロ〉をほうむったのは確かだ」


 本人さえ、無我夢中で戦っていたからほとんど覚えてないと、珍しく苦虫を噛み潰したような顔をしていた。ただ、間違いなく炎に焼かれて死んだのを観たのに。


 いや、それを受けても復活するのは、敵が異常だという話だ。


「〈ゲノム・チルドレン〉……か」


 最近になって判明した奴ら幹部級を示す呼称。おそらくは人間を怪物へと変貌へんぼうさせる〈獣核ゲノム・コア〉になぞらえて名乗っているのだろうが。


 そもそも、〈スポンサー〉が配るこのオーバーテクノロジーのかたまりは、何なのか。私が調べた限り、地球上のどんな物質とも完全には一致しない。外見だけならてのひらサイズの宝石とも感じるが、そんな生易なまやさしいものではなくて。


 どんな実現不能な技術でも再現できる力の根源。ここから生み出されるナノマシンが集まれば、瞬時に武装を形成することも、人間離れした技を繰り出すことも可能。


 その代価と言わんばかりに、埋め込まれた者の精神をむしばみ、最後には理性も尊厳も何もかもを吹き飛ばす。そうして人肉を喰らい、破壊の限りを尽くす怪物が誕生する。


 その異常性を試すように運用されることからか、〈獣核ゲノム・コア〉を埋め込まれた者はこう呼ばれている。


――〈実験体〉、と。


『〈獣核ゲノム・コア〉が暴走状態におちいる〈獣化〉。それをわざと誘発し〈実験〉を進める幹部級。その一人である〈ネクロ〉が、ここに来てこんな形で事件を起こす理由というのは』


「おそらく君への報復だよ。いや、正確には……」


『赤マフラーへの挑戦、でしょうか』


 私の言葉を引き継いだ声に、小さくうなずくしかなかった。


 少年と出会う前、彼が師匠と呼ぶ男と共に幾度いくどとなく〈ネクロ〉とは交戦してきた。その度に奴の策略で傷つく人間の為に、あいつは奥歯を噛み締めて。


 ただ、中には命を奪われずに済んだ者もいる。鼎真由実もその一人。本人に自覚があるかは知らないが、少なくともあの火災は〈ネクロ〉が仕掛けたものだった。ならば、抹殺されるリストに入った人間という可能性は大いにある。


 そう、一年前の六月の事件。あの怪物は、あの日あの場所で死んだはずだったのに。


 しかし今年の六月、あろうことか奴が再び現れた。本人の言葉を信じるなら〈スポンサー〉の力で復活したのだと。有り得ないと切り捨てたいが、強化された奴の手で少年も窮地きゅうちに片足を突っ込んだのもまた事実。


 しかし先月、奴をあと一歩のところまで追い詰めた。結果的に崩落したアジトの下敷きになったと思っていたのだが。


 いや、そこからすらも逃げ切ったと考える方が自然か。どんな命でも平等に奪う炎に焼かれてもなお生還してきた奴だ。何が起きたって不思議じゃない。


 そんな奴が、ずっと目の敵にしてきたのが赤マフラー……つまり、今はこの南野光一少年であり、かつてはその師匠が名乗った仮面の戦士。〈獣核ゲノム・コア〉の力を発動した際に、そのナノマシンが顔をおおい隠し、血赤のマフラーを首に巻いたからそう呼んでいる。


 世間様は彼をテロリストとののしるが、この街で起きている〈実験〉について何も知らないなら無理もない。


 誰にもその秘密を気取られないように裏で動くから、〈スポンサー〉という連中が厄介なのだ。情報操作に隠蔽いんぺい工作、何でもありの悪党どもなど突拍子もない事この上ない。


 本当なら、どこか大国の軍隊でも連れてこなければ勝てないような組織かもしれず。そんなものに二人だけの反逆者がこうして立ち向かっている。いつ敵が本腰を入れて潰しに来るとも知れないまま、今も敵の狙いを探っているわけだ。


『だからこそ、オレが逃げるわけにはいきません』


 りんとした声がこちらの思考をさえぎってくる。いや、私の不安を拭い去ろうとしてくれているのか。


『奴が次に狙うターゲットを探すのではきっと後手に回ります。可能なら、こちらから打って出たいところですが。潜伏している場所を特定するのは難しいでしょうか』


「おいおい、逃げるわけにはいかないんだろ? なら、このお姉さんを頼りたまえ」


 冗談めかして笑ってみる。笑うことができない彼に代わって、せめて笑ってやる。


「それに失踪した彼女たちをどうしているのか知らないが、死体をでっち上げたりしていないところからして、まだ無事な可能性もある。いなくなった人数も一人二人じゃないんだ。どこかに収容しているなら、目星を付けられるはずさ」


『なるほど。では、そちらはお願いいたします』


「ああ。ところで君も自分の仕事をおこたるなよ?」


『それはつまり、ハロウィン限定メニューのことでしょうか?』


「あと君のコスプレ」


 沈黙。この場合、本気で思考が停止している可能性がある。いや、そんな簡単にフリーズするような補助脳は作っていないはずだよ、少年。


『ハロウィンのお菓子は善処します。ですが、衣装は何でもいいのでは……』


「何なら私が君に似合いそうなメイド服やナース服でも用意してやろうか?」


『善処いたします』


 今度は即答だ。よほど変な格好はしたくないらしい。


 思えば、いつも着ているがらのない黒シャツやチノパンも彼のチョイスだ。もしくは安いお徳用なのかもしれないが。地味な姿を貫くのが昔からの矜持きょうじらしい。私もオシャレは得意ではないが、もう少し人の目を気にしても良いだろうに。


「ま、何でもいいや。とにかくお菓子は甘いのを頼むよ」


『承知しました』


 ないながらも真面目な返しに、口元がほころぶ。ああ、楽しみだ。彼の作る菓子は本当に美味いからな。


 おまけにコーヒーも、私がれるのとは雲泥の差で。どうして同じ機械で、こうも違うのか。上品な香りやら後味スッキリな代物の出来栄えたるや。比べられたら私のなんか苦いだけの水でしかない。


(少年のコーヒー、おれの泥水とえらい違いだぜ。まったく笑っちまうよな♪)


 脳裏をかすめるのは、男の声。


 瀕死の重傷を負った少年をここまで連れてきて、こんな地獄の戦いに引き込んだ大バカ野郎。


 そのくせ、師匠と呼んでくれた少年を逃がすため、自分は敵を道連れにしようとして散っていくなんて。


 いや、きっとわかっていたんだろう。自分の限界も、最期に何をするべきかさえも。


 あいつは私の生み出した技術で改造されたが、ひどく不完全だった。設計者本人である私でさえ修正不可能なほどに。


 どんな敵でも笑って蹴り飛ばす強さがあっても、〈実験体〉としてどれだけ強かろうとも、人間としての自我を喪失してていく恐怖だけは克服できなかったのだろう。本人の口から聞いたわけではないから、こればかりは想像するしかないが。


 だからこそ、求めたのかもしれない。壊れていくしかない〈実験体〉たちをとむらう血赤のマフラーを巻いた戦士……その後継者となってくれる誰かを。


 悲しいかな、その役目を引き継いだ少年は、今もこうして次の戦いに備えている。いつかは彼自身も壊れてしまう運命と知りながら。


 それでも。絶望を振りいてわらう悪によって〈獣〉にとされてしまった誰かを、その手で殺す。それだけが望まぬ殺戮を食い止める、最後の手段だと信じて。


「さて、私も本腰を入れようか」


 この地下研究室に隠れるしか、今の私には生き残るすべがない。見つかれば必ず〈スポンサー〉が黙っていないだろう。


 だがここで孤独に震えながら過ごすつもりもない。


 情報の海を泳いで、活路を探す。これこそが私の戦場だから。


 物理的な戦闘では何の役にも立てないとしても。せめて彼が、たった一人で悪鬼たちを相手取る優し過ぎる少年が、早くこの戦争に終止符を打てるように。


 それが私たちの契約。互いに互いのエゴを押し付け合いながらでも、最後には諸悪の根源を絶つと誓った。


 それだけが、この街を守り散っていった英雄に手向けることのできるもの。


「唯一のはなむけだから……な」

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