EP07-壱:モノクロの双眸 


 この街は嫌いだ。


 俺が生まれ育ったこの黒銀くろかねという街は、今ではすっかり技術者たちがひしめき合う魔境となってしまった。おかげで外野からは〈革新都市〉なんて呼ばれているらしいが、俺にとっては悪魔の都市の方がよほど当たっている。


 夢を見た分だけ苦しむ人間にとっては、ここは生き地獄だから。


 特に十月のこの空気は大嫌いだ。ハロウィンだと騒ぐ世間の楽しげな風が、胸の奥に仕舞しまっておきたい嫌な記憶を思い出させる。自然と苛立いらだちが足取りを早くするのに、自分では止められない。


 妻と歩いていた頃は、左隣にいた彼女に歩幅を合わせられたが。


 今は、独りきりだ。


「いらっしゃいませ」


 指定された店の扉を開けると、りんとした声が私を出迎えた。が、一瞬ぎょっとしたのは出てきた店員の見た目のせいだ。


 白と黒の双眸そうぼう。作り物みたいに綺麗な二つの眼球が、ぐにこちらを捉えて離さないから。まるで人間に似せて創り出した別の何かのようで。


「お客様?」


 小首を傾げるようにした店員の仕草に、ハッとなって我に返る。


 よくよく見れば、なんてこともない普通の人間だ。質素な黒シャツに、青空色のエプロン。黒い髪と不健康そうな細面。


 きっと客商売にもかかわらず、にこりとも笑わないこの店員の鉄面皮てつめんぴこそ、違和感の正体だろう。


 ここに探偵はいるのかと尋ねてから、しまったと頭を抱えたくなった。約束しているのは本当なのだが、この不気味な少年が相手を探偵と認識しているかどうか。


かなえ良次りょうじさんですかな! こっちです、こっち~!」


 仏頂面ぶっちょうづらの少年が口を開く直前、店の奥からやかましい声が聞こえてきた。


 そちらに視線をやると、これまたぎょっとする。


 チェック柄尽がらづくしのその服装は、コスプレかと思えるほど「探偵です」と主張している。いや、それにしたって帽子まで同じ柄ってどうなんだ。


吾輩わがはいが名探偵☆橋端はしば三平さんぺいですぞ!」


 なぜか自信満々に胸を叩く三十路みそじほどの男。俺の五十五年の人生で、一度だって会ったこともないような人間しかいないのか、この店は。


「それで、ご依頼の内容は人探しでしたな。お写真などを拝見しても?」


 こんな男で大丈夫かと自問自答したくなったが、警察も頼りにならない今の俺にとっては、もうここしかない。使い古したかばんから一枚の写真を差し出す。


「ほう、これはまた美人さんですな~! つやのあるショートカットの黒髪! ドレス越しにもわかる流麗りゅうれいなボディライン! そこにやわらかなこの笑顔‼ いいですなぁ♪」


 娘をそんな目で見たことはないが、まあ、通俗的には綺麗な方なのだろう。もうすぐ二十八歳になる一人娘だが、あまりに男っ気がなくて考えたことはなかったが。


 これを撮ってから、もう一年以上の時間が経ったのか。真由実まゆみが大きく羽ばたくはずだった、あの日の笑顔はこんなにも輝いているのに。


「持っているのはヴァイオリンですかな? あ、もしかしてプロの演奏家さんで?」


 小さく首を横に振って否定する。厳密にはプロの演奏家『だった』から。もう、あの子がヴァイオリンを弾くことはない。


 一年前の六月、海外からの高名なヴァイオリニストたちも集った演奏会があった。そこで技術を評価されれば、真由実にとって世界で活躍する大きな一歩になる。


 そのはずだったのに。


「思い出しました! 黒銀くろかねコンサートホールの大火災。あれは酷い事故でしたな~」


 探偵は苦い表情を見せたが、俺にとってあの炎は地獄の業火ごうかだった。天井が落ちてきたときは死を覚悟したし、逃げ遅れた人数など知りたくもなかった。


 しかし何よりも、やっとの思いで避難した後に会えた娘の左手は。


「骨折に火傷⁉ 利き手じゃなくたって、それじゃヴァイオリンはもう……」


 二度と楽器の演奏などできなくなっていた。街でも一番だという医者に頼んでも、日常生活に支障がない程度にしか治せず。それ以来、あの子は働くこともできず家に閉じこもるようになってしまった。


 そして、最悪のダブルパンチ。あの火災で妻も帰らぬ人となった。化粧けしょうを直してくるなんて言って、そのまま見つからず。再会できたのは、無数の遺体の一つとなった後。


 あの日、真由実にとって大切なものが二つ欠け落ちた。ヴァイオリニストという夢。そして優しかった母親。


 それが心にも大きな傷になったということで、精神科だかカウンセラーだかにも通わせた。そのおかげか、一ヶ月もしたら顔色はだいぶ良くなっていった。が、新しい仕事を始めようということもできず。


「では娘さん、普段はおうちに引きこもっているってことで? あ、ちがう? ほう、家事手伝い? なるほど、お父さんを支えて生活しているわけですな」


 家の事を全部やらせていることについて、罪悪感はある。しかし、俺自身も仕事を辞めるわけにはいかない。ただでさえ、社長には良くしてもらった恩義がある。二十五年前に彼が拾ってくれなかったら、一家三人みんな路頭に迷っていたはずだ。


「それで……娘さんがいなくなったのは、いつからです?」


 一週間前、いつものように仕事から帰ってみたら、家には誰もいなかった。荒らされた形跡もないことから、警察は失踪事件として捜査すると言って、以後は連絡もない。


 この街では人が消えたように行方をくらますといううわさは後を絶たないから、警察もいちいち全ての事件をきちんと調べるわけじゃないのだろう。おまけに消えた人間の大半は夢を諦めて故郷に帰る者、都会の暮らしに嫌気がさした者だとも。


 少なくとも、真由実に限ってそれは考えられない。


「祖父母は誰も存命しておらず、遠縁の親戚筋なんかとも接点がない。で、交友関係は当たった後。それなのに跡形もなく忽然こつぜんと消えてしまった……なるほどですな」


 頼る先もないまま、どこかへ行くなんて有り得ない。真由実はそんな子じゃなかったはずだ。これまでヴァイオリニストとして稼いできた金は多少あるとしても。それだけで父親である俺に何も告げずに消えるなんて。


「とにかく、吾輩もできうる限りお力になりましょう! では、他にもいくつか質問をさせてもらいますが……って、バイト少年くん? 何で固まってんの?」


 怪訝けげんそうな探偵の声が向かう方に、こちらも顔を上げる。


 まただ。あのモノクロの虹彩こうさいがこっちを見つめている。いや、こいつが視ているのは俺じゃなく、テーブルの上か。


「失礼しました。こちらにコーヒーを置かせていただきます」


「少年、そういうのはねぇ、話の腰を折らないようにやるもんなんだよ? こう、空気のように動くっていうの? って、あ、ちょっと待って、吾輩もコーヒー飲むから⁉ 待ってごめんなさいそれ持って戻ろうとしないで⁉」


 あわてふためく探偵を軽くあしらいながら、しかし最後にはコーヒーを置いてやる店員の少年。


 どうやら飲み物を置くタイミングを計っていただけらしい。どこか写真を凝視しているような気がしたが、おそらく深い意味はないだろう。二十代くらいの若者なら、たまたま目に入った女性の姿を何気なく見つめてしまうくらい普通のことだ。


 まあ、それで勘違いされたことがきっかけで、最終的に結婚まで至った自分だからそう思うだけかもしれないが。


「では、娘さんの通っていた病院や交友関係など、分かる範囲で教えてください」


 そうして、俺が思い出せる限りの真由実についての情報を伝えて。その都度、手掛かりになりそうな箇所を質問された。


 第一印象はダメダメだと思ったが、意外とまともなのかもしれない。


「鼎さん、一応こういう仕事柄、この手の事件では『必ず』とか『絶対』とか言わないことにしているんですが……吾輩なりに全身全霊を尽くしますので」


 胡散臭うさんくさい、と思ったことを少しじる。ここまでの態度や言葉に、搾取さくしゅしてやろうという悪意やどうでもいいと感じる怠慢たいまんなんてない。ただ、この男はちょっと不器用が過ぎるだけなのだろう。


「それでは早速、吾輩は調査に行ってきます!」


 探偵はそれだけ残して、半ば駆け足で店を出ていった。


 さて、俺もそろそろ戻ろう。こんな時だが、仕事には出ないといけない。社長は休んでも構わないと言ってくれたが、俺がいないと止まってしまう作業はいくつもある。


 これでもかつては、遺伝子工学と宇宙開発研究の分野で『期待の星』と呼ばれていたんだ。もっとも、二十五年前に終わった話ではあるが。


「鼎様」


 ぐいっとカップの中身を一息に飲み干したところで、どうしてか店員の方から声を掛けてきた。なんだ、何か無作法なことでもしただろうか。神妙な面持ちに感じる。


「娘さん、早く見つかるといいですね」


 どうやらここに集まる人間は、不器用なタイプしかいないらしい。ぴくりとも笑わないくせに、その感情だけははっきりと伝わってくる。


 ありがとう、とだけ返して店を出た。


 世の中、まだまだ捨てたもんじゃないな。優しさだとか、人の温かさだとか、そういうものは無くなっちゃいない。どこか無気力な警察の対応を見た後だからか、余計にそんなことを思ってしまう。


 喫茶店『かざみどり』……か。ここから俺と真由実の風向きも、良い方向に変わってくれたなら良いな。


 そうだ、真由実が戻ったらあのコーヒーを飲ませてやることにしよう。あれは一瞬で飲むには惜しい味だった。なつかしさと温かさが込み上げる、そんな味だったから。




――きっと帰ってくるよな、真由実。




 独り口に出した言葉は、少し肌寒い風にさらわれていった。

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