EP06-拾:結びの約束
九月が終わる最後の日曜日。
秋晴れというには少し強すぎる陽光に目を細めながら、空を
「お~い、バイト少年く~ん」
振り返れば、ヘッポコ探偵がふらふらとやってくる。開店時間ぴったりに現れるあたり、よほど金に切迫しているのか。いや、あの足取りは良いことがあったと見える。
「いらっしゃいませ」
「いやぁ~、神様ってのはいるんだろうね~。え?
言ってない。
店の前で騒がれても迷惑だから、そそくさとカウンター席へと促してやる。
「あの
ああ、そのせいであんな騒動が。まあ、予想はしていたが。
「しかし、彼女に会いにこちらへ向かう途中に、あの刑事が大急ぎで走っていくのが見えてね。これは
彼女が危険に
まあ、〈ネクロ〉のことを考えればどっちみちだったかもしれないが。
「死に物狂いで走った先には、なんと謎の研究所! しかも
コーヒーを
不意に、優しい鈴の音。
「いらっしゃいませ」
「探偵さん!」
チョコレート色の髪を揺らしながら入ってきたのは、依頼人。
あんな絶望を前にしても
「おお、神宮さん! もうお怪我の方はよろしいんですかい」
「おかげさまで、もうすっかり。一日で退院して、昨日まで仕事詰めでしたよ。でも、中学生のわんぱく坊主たちも、先生が怪我してやってきたら優しいもんで、アタシもびっくりしちゃった、みたいな」
緊張感など
良かった。それだけで、あの痛みに耐えた自分も報われる。
「あの時、探偵さんが応急処置してくれなかったら正仁の命も危なかったって聞いて、感謝してもしきれないっていうか……」
そうか。四月の事件の時もそうだが、この探偵、そういうところだけは有能だな。
「まぁ~? 吾輩くらいになれば、あのくらいは当然ですとも~♪」
こういう調子に乗ってしまう性格さえなければ、もう少しマシなのだろうが。
「こう、吾輩の
まあ、無理か。
「いやしかし、警察にもテロリストたちが入り込んでいたなんて、恐ろしい時代になったものですなぁ……」
「はい。
依頼人に渡す用のカップを握る手に、自然と力が
ここ数日のニュースは情報
そんなもの、氷山の一角に過ぎないだろう。あの〈スポンサー〉がたった一人しか情報操作をする工作員を仕込んでいないわけがない。むしろ、容疑を否定していたという話を考えると、罪を
あまりの卑劣さに奥歯を噛む。
連中にとって人間は、単なる道具なのだろう。改造実験のモルモットで、この街を維持する装置。いくらでも替えがある部品とでも思っているのだろう。
崩れ落ちた早乙女研究所から、
奴に傷つけられた人たちを思うと、やるせない。
やはりオレに守れる人間などいない。一人残らず救うなんて夢物語はとても口にできなくて。
世界中の人間を笑顔にしたい。もう会うことも叶わないオレの親友がよく満面の笑みで語っていた。けれどオレは、今も昔も、そんな純粋な心ではいられない。
「探偵さん。今回は面倒な依頼だけじゃなくて、アタシと正仁も助けてくれて、本当にありがとうございました! 依頼料と、こっちはその、つまらないものですが……」
「これは……
「良かったぁ。あ、こっちはバリスタな店員さんに!」
差し出された紙袋を見ると、探偵に渡されたのと同じものに見える。というかヘッポコ探偵、
「この間は、みっともないところ見せちゃって、ごめんなさい」
「いえ、そんなことは」
「正仁も謝っておいてほしいって言ってて……店主さんにもお
「わかりました……では、ありがたく
礼を言いながら受け取る。後でオーナーに持っていくことにしよう。どうせオレでは味がわからない。
『おい少年、こっちもお礼に、彼女のコーヒーには何か混ぜてやれ。毒とか毒とか、あと毒とか!』
脳波通信で聞こえてくるのは、
オーナー、子どもじゃないんですから。そうメッセージを返すも、バツが悪いのはむしろオレの方で。
あの戦いの後、武装を解いたオレの全身は白く染まっていて。足の爪先から髪の一本に至るまでが、彼女を襲ったあの純白そのものだった。さらに身を焼き焦がすような激痛を伴って、のたうち回った時間は合計で四時間ほど。
見ているしかできなかった女主人が言うには、まるで右眼に白い
もしかしたら、これが〈解放〉の力の真価なのかもしれない。思い返せば二ヶ月前の七夕に白く変わったこの右眼の
だとすれば、〈当たり〉と呼ばれて連中に狙われる相手から、その刻印とやらを
もちろん、そのせいでオレの身体に掛かる負荷が尋常ではないのなら、簡単には使えないかもしれないが。
それでも現状はこうして動けているところを見ると、大丈夫な気もしてしまう。改造された身体だからこそか、それとも怪物になっていく前触れなのかは知らないが。
オレのすべきことは変わらない。
「それと、ありがとう」
「はい?」
「君が言ってくれたから、アタシも勇気が出せたの」
祈るような仕草で見えた左手の薬指。そこに優しく輝く銀色の光に、目を奪われる。
ああ、そういうことか。
「約束したんだ。ずっと支えていくって。またケンカするんだろうけど、それでもずっと一緒に生きていくんだって」
その指輪は、約束の証か。
どう
「あの言葉がなかったら、たぶんアタシ、また伝えたいことも言えずに逃げていたと思うから……だから、ありがとう」
「オレはただ、自分が言いたくなったことをお伝えしただけに過ぎません……けれど」
それでも。
もしその道を進んでくれる人が、ずっとこんな笑顔でいてくれるなら。
「あなたが幸せを掴めたのなら、良かった」
緩んだ口元が勝手に
それを聞いた側はきょとんとしたまま。
「店員さん、そんな良い笑顔するなら、使わなきゃ
心の底から楽しそうに笑う顔。どうもまた勝手に笑っていたらしい。
まあ、それでも。
この笑顔が今ここにあるのなら、オレの悪にも意味があったと思いたい。
オレにはできないとしても、いつかこんな笑顔が
そのためにも、オレにはやるべきことがある。
どんな悪魔がこの街を裏から
必ず〈スポンサー〉を追い詰める。それがこの身を滅ぼすとしても、覚悟の上だ。どうせ死んだ命だ、せいぜい使い潰してやろうじゃないか。
親友を奪われても、師匠を死なせても、それでも無様に生きているオレだからこそ。いつか仮面を
最期の一瞬まで、戦う。
(泣いている人たちを……笑顔に……)
あいつとの約束がある。
果たせないとしても、せめてオレにできる精一杯で応えたい。
その終わりが、たとえオレの絶望だったとしても。
「いつか正仁とのデートで来るかも。そのときは、よろしくね♪」
どうか、この子どものように
あの
ずっと続いていきますように。
ずっと、ずっと、ずっと。
Fin
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます