EP06-捌:刑事と死神


 前から疑問だった。


 南野みなみの光一こういちという少年が発揮するこの力は、いったいどこから湧いてくるのか。


 実際に同じ戦場にいない私だから理解できないのか、そもそも彼自身よくわかっていないのか。


 倒れた直後に貫かれたのは、二の腕と太腿ふともも。おそらく武装を扱うために必要な根幹部分を狙ったのだろう。立ち上がるタイミングで抜くことができたとはいえ、それで傷がえたわけじゃないのは明白だ。


 むしろあふれ出す人工血液は流れを止めずに、地面を赤色に染めていく。


 私の前に並んだモニターのどれもが、彼の内部パーツが発する危険信号を映し出す。特に〈獣核ゲノム・コア〉の破損が酷い。エネルギー源の生成装置が傷を負った今、体内に残されていたわずかなナノマシンを総動員して立っているに過ぎない。


 こんなもの、虫の息でハッタリをかましているのと大差ない。


 そのはずなのに。


『はッ……‼』


『この……出来損ないの分際で……!』


 繰り出すのは連撃。拳と拳、その最中に蹴りを見舞う。攻撃に転ずる隙を与えることなく次の一手が白マントの怪人の動きを封殺していく。


 さっきの〈クモ〉が放った奇襲で目を攻撃できたのが幸いだった。見るからに奴の動きが鈍いのはきっとそのおかげだろう。これなら逃げ出すチャンスくらいは掴めるかもしれない。


『そんな満身創痍まんしんそういの肉体で、この私をてるものですか……!』


 防戦一方に見えていた敵がマントをひるがえす。退すさる悪魔の手には、白く長い銃。そのまま空中から散弾の雨が降る。


『ぐ……⁉』


 銀の仮面を守ろうと交差させた両腕からは悲鳴。


 防ぐためのナノマシンもなく、避けるための体力も足りない。こんな状態で飛び出したのは、やはり自殺行為だ。かろうじて武装の強度が勝っているだけで、本当なら今の攻撃で殺されていたとしてもおかしくない。


『ん?』


 構えられた銃が止まる。


 じわりと動く影を、少年の視界が捉えて。私だって息を呑むしかない。


「あいつ……」


 匍匐ほふく前進のようにいつくばったのは、瀕死ひんしに近いはずの大神おおがみ正仁まさひと


 しかし常人とは思えないほどの強い意志が、その身体からあふれていた。


『どいつもこいつも、肉体の限界を知らないんですか!』


 振りかざされた銃の照準が、何とか立ち上がって幼馴染おさななじみへ手を伸ばした男に向く。


HOPPERホッパー


 響く銃声をさえぎったのは跳躍ちょうやくから繰り出されるキック。威力こそ出なくても、弾丸の軌道を外しさえすればいいと言外に告げる一撃。


『また邪魔を……うざったいんですよ、貴方あなたはっ‼』


 瞬時に顕現けんげんした剣を振り下ろそうとする怪人の腕と、必死の戦いを挑む死神の腕とで鍔迫つばぜり合い。


 ナノマシンの分量では明らかにこちらが負けているはずなのに、力は拮抗きっこうしている。


 助けたいと願う少年の本気がつむぎ出す気迫のせるわざか。


『言っておきますが、無駄ですよ? ベルトを外したところで、内部に刻印がある限り私の奴隷であるという事実はくつがえりませんからね……!』


 まくし立てられた理屈は、少年か刑事か、どちらに向けられたものか。あるいは二人共々を動揺させるための嘘か。


『関係、ねぇ。慈乃めぐのは、絶対に、俺が、助ける……‼』


 単なる人間でありながら、致死量に近い血を流しながら。


 それでも男は手を伸ばす。


 少年、君がこいつを助けたかった理由は、これなのか。熱く、ぐに誰かを助けようとするこの男の心を、君は見抜いていたっていうのかい。


『だったら、愛する彼女の手で死になさい‼』


 髑髏どくろの中に納まっていた朱色の瞳が光ったのが視える。


 たった一瞬。その指令が女を動かしているのか。救おうと近づいてきた幼馴染の首を締め上げていく。


『おっと、赤マフラー! 貴方の相手は私でしょう? あそこで愛の末に死んでいく男をここでじっくり見ていてもらいます、よ‼』


 隙を突かれ、羽交はがめにされたらしい死神の視界に、苦々しい表情の刑事が映る。


 無機質な真顔の裏で、彼女は何を思っているのか。それとも、もう何も考えることさえできないのか。


 だとしたら、もう殺してやるしか救う方法はないんじゃないのか。


『め……ぐ、の……!』


 それでも男の瞳に揺らめくのは、炎。自らの首にかけられた手を握る指は震えていても、そこに込められた熱は画面越しにも伝わってくるほどで。


『あき、らめ……ねぇ……!』


 根拠も何もないくせに、それでも声の限りに叫ぶのは。


 見捨てないと。必ず連れ戻すと。取り返してみせると。


『だから、お前も、負けん……なっ‼』


 刹那せつな


 視えたのは、透明な軌跡。


『まさ……ひと……』


 かすかだが、確かに女の口から声がれる。


 離れていく細い指とは裏腹に、抱き寄せる男の手は力強く。


『放さない。もう、絶対に……』


 震えたままの彼女の手先が、ゆっくりと男の背に回っていく。


『馬鹿な……⁉ 私の力にあらがうだと……⁉』


 悪魔の声に浮かび上がった混乱と怒りの音色が語るのは、これが想定外の事象ということで。


『許さない……許してなるものか……大神正仁っ‼』


 掴んでいたはずの少年を放り出して、宙へと飛び出した悪魔。その手には、それまで見たことのないほどに極大の剣。


『慈乃……!』


 咄嗟とっさかばう姿勢の刑事だが、だらりと垂れた左腕では、あんなものを止められる道理などない。


HOPPERホッパー


 最短で距離を縮めるためにぶ、我らが死神。


 その満身創痍のはずの身体に、あまりに大きすぎる斬撃がのしかかって。


『ぐっ……ぁッ……⁉』


『二代目……また邪魔を……!』


 落下によって加算された威力と、そもそもの武器の重量。さらにその強度が、防御に回した左腕をきしませ、その刃先が肩にまで食い込んでいく。


 アラートが鳴り響く。ダメだ、もう武装が保てない。残されたナノマシンのほとんどをジャンプに使い過ぎたんだ。火花が散る左腕の装備が砕けるのも時間の問題で。それなのに突破口はどこにもない。


『そんなに八つ裂きにされたいなら、そこの二人諸共もろともに壊してあげますよ‼』


『ミッションコード……』


『⁉』


 悪魔が驚愕きょうがくする声は、皮肉にも私の声にならない悲鳴と同時。


 無理だ。あの〈解放〉の力を使うとなれば、ナノマシンを大量放出することになる。今のひびが入ったままの〈コア〉にそんなことをさせたら、そこから瓦解がかいするかもしれない。そんな自殺行為、止めなければいけないのに。


 それなのに。




『……解放……‼』


EMANCIPATIONイマンシペイション




 ベルトに組み込まれた機構が、主人の声を認識して力の奔流ほんりゅうはじき出す。


『なぁ⁉』


 悪魔を吹き飛ばしたナノマシンの軍勢は、あろうことか少年の後ろにいる男女を包んでいく。


『慈乃っ⁉』


 嵐の渦から出てきたのは、死を覚悟したのか両目をつむった男。そしてその腕の中でぐったりとした、チョコレート色の髪の女。


『慈乃が、もとに、もどって……?』


 男の声が聞こえた途端、中空に滞留していたナノマシンの波が、再びあるじへ降り注ぐ。


馬鹿ばかな……刻印を体内から切り離しただと……?』


 恐怖と混乱に引きった怪物の前に立つのは、にじの光をまとう戦士。


 血赤のマフラーがなびいた刹那せつな


WASPワスプ


『ひっ……⁉』


 撃ち込まれた一閃。防御に使った大剣が、音を立てて崩れ落ちていく。


『調子に乗るなぁ‼』


 槍と剣を同時に造り出し、高速で振るったところまでは認識できた。だが、それが崩れ去っていく工程など、私には見切れるわけもなく。


何故なぜだ……どうして私の力を超えられるっ⁉ ベルト型だから……坂上さかがみあいが造ったからだとでも言うのかっ⁉』


 絶叫に合わせて次々と生み出されていく鋭利な武器の全てが、ただ一本、死神の右腕から伸びる〈ハチの針〉によって砕かれていく。


『許せない……あの女が私より優れているなど、許せない‼』


 悲鳴じみた声をあげながら、左手に顕現けんげんした盾で攻撃を防ぎ、右手に生み出した銃で無抵抗な人間たちを狙う悪党に。


MANTISマンティス


 逆巻く回転蹴りに乗って放たれた鎌鼬かまいたちの群れが、その弾の射出さえ許さずに斬り伏せていく。


 強さのけたがまるで違う。今までのどんな戦いより、彼はこの力を使いこなしている。単純に慣れてきただけなのか、それとも女の色が元に戻ったことと関係あるのか。


『おのれ……ゴミ以下のモルモットごときが……‼』


 憎しみをにじませた声には、明らかに勝機を失ったという焦りがうかがえる。距離を取ってはみたものの、もう手持ちの装備はご自慢の盾しか残っていないらしい。


WASPワスプ……Releaseリリース


SPIDERスパイダー……Releaseリリース


HOPPERホッパー……Releaseリリース


 両手の武装から展開された従僕じゅうぼくたちが、虹の光を帯びて舞い踊る。


 高速で動く〈ハチ〉が攪乱かくらんした隙。そこにすかさず〈クモ〉の吐き出したワイヤーが敵の腹に巻き付いて。そうして背中を〈バッタ〉に蹴飛ばされ、空中に投げ出された悪魔の眼前に。


MANTISマンティス……Exterminationエクスターミネイション


 逆さに跳び上がった死神。その右足には、極限までナノマシンを解放して生み出した風の刃が二つ。


『なめるなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼』


 突き出した盾に、無数の骨が生えていくようで。あれが全て奴のナノマシンで作られたものなら、強度は格段に上がっているはずだ。いつぞやの戦いでもあれを破るために相当の無理をしたが、今回はそれを超えるほどの防御なのか。


『はぁッ‼』


『ふんっ‼』


 激突する二つが、突風を巻き起こすのがわかる。


 ただその情景を見上げるだけの男の瞳には、オーロラのように美しい光。


『私こそが玉座と神の力を手にする真の王! この世にある全ての生死を握り、完全な生命となる……‼ そう、まさに正義‼ それが私……〈ネクロ〉だっ‼』


 堅牢けんろうな盾に守られながら笑う悪魔。


 言っていることの半分も理解してやれないが、もうその必要もないだろう。


『お前が正義なら……オレが悪だ』


 ほとばしる怒りをひそませた鋭い声が、斬撃の乱舞に重なっていく。


 二対の刃が絶え間なく刻む一撃一撃。その度に追加された防護を削ぎ落とし、風化させていく。


 四つの武装で最も出力の高い〈カマキリ〉に、虹の光が加わった切札。その一閃が、ついに。


『ぁ……⁉』


 奴の最後のとりでを崩した。


馬鹿ばかな……馬鹿なバカなバカなバカなばかなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああ……⁉』


 虹の残光と血飛沫ちしぶき


 悪魔の左腕が宙を舞い、無様に落下した本体がはねをもがれた羽虫のようにのたうち回っている。


 対して、何とか着地した少年も息が上がっている。当たり前だ、こんな無茶をしたんだから。それでも敵を睨みつける姿勢は、流石さすがとしか言えまい。


『慈乃っ! 返事をしろ、慈乃……‼』


 背後からの声に振り返る。


 まさか、〈ネクロ〉を討ったことで彼女にも異変があるなんて。


『慈乃……息をしてくれ……頼むから……』


 ひざから崩れ落ちながら、男は動かない女を抱きしめる。


 固く結んだ口元からは生の息吹が感じられず。白く塗られた異質こそ消えたが、それは彼女を救えたことにはならなかったのか。


 仕方ないんだよ、少年。拳を握ったところで、きっと救えるものじゃなかったんだ。


『ふふ、ははは、ふはははははははは‼』


 狂ったような笑い声。


 少年が振り向いた先にいるのは、片腕を失いながらも残った右手を挙げる怪人。


『勝ったと思うな、二代目赤マフラー! そんなに仲良く死にたいなら、ここで朽ち果てると良い!』


 掲げた手の中にあるのは、何かの機械。その中央の赤いボタンが押し込まれた途端、視界が激しく揺らぐ。地下施設内部に響き渡る爆発音が示すのは、瓦礫がれきの山に埋められる未来だけ。


『絶対に放すな』


『は……お前、何を……?』


 しかし少年の視線が向かう先は、崩落し始める天井。突き上げた左腕の向こうを透視しているのがモニターでわかる。そこには待機させていたバイクがエンジンを吹かしていて。


 いや、おい、まさか。


SPIDERスパイダー……Exterminationエクスターミネイション


 射出したワイヤーが電撃を放ちながら、空へと突き進む。その糸を巻き付けたマシンが自動で跳び上がり、降りかかる瓦礫を粉々にしながら、離脱する道を確保していく。


HOPPERホッパー


 ぐったりとした彼女を胸に抱えたままの男、その身体を強引に引き寄せた死神のジャンプ。左腕のウィンチが、三人をこの地獄から連れ出していく。


『ははははははははははははははははははははは‼』


 断末魔の代わりに笑い声をあげる悪魔を背に。


 崩壊していく研究所。その上に輝く満月に重なって、血赤のマフラーがはためいた。


『ぐッ……』


 二人を抱えたまま着地する英雄は苦い声をらす。もう限界のはずの腕で、そっと男を地面に下ろそうとするも、耐え切れずに膝から崩れてしまう。


『お前……いったい……?』


 それでも最小限のダメージで済んだ刑事は、今までにないほど混乱した口調で。


 しかしそれをさえぎったのは、パトカーのサイレン音。


『警察だ! もうお前は包囲されている! 人質を解放して投降しろ‼』


 数台の警察車両、その一つから降り立ったベテラン刑事が必死の形相で騒いでいる。


 確か水早みはや亮介りょうすけだったか。大神正仁の教育係。ついでに大神義仁のかつてのバディ。


『待ってくれ、水早さん! こいつは……んなぁ⁉』


HOPPERホッパー


 華麗なジャンプでパトカーを跳び越えた死神が、自動走行に切り替わった愛機へ飛び込んだ。


 もう〈獣核ゲノム・コア〉自体が限界なのは明白で。悪いがこれ以上、君たちに関わっている余裕はない。


『こちら水早! 赤マフラーがそっちに逃げたぞ! それと要救助者が二名! 急いでくれ‼』


 さて、ここからは私の仕事だ。警察へ情報の攪乱かくらんと、マシンに搭載されたステルス機構の補助、あとは交通情報の提示。忙しいったらない。


『待てよ……待ってくれよ……赤マフラー‼』


 若き刑事の最後の叫びは。


 その瞳に映る血赤のマフラーに吸い込まれて消えていった。

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