EP06-陸:極限の一手


 早乙女さおとめ研究所。


 かつて隕石の落下でくぼんだ、街の外れの一区画。その事故にあやかった商売も一時期は多かったそうだが、今では見る影もない。


 こんな閑静な場所に、数ヶ月前に建てられた研究施設。ここに巨額の資金を投じた大企業である〈X SEEDエクシード〉こそ、かつてオーナーが描いた設計図をもとにあのよろいを開発したのは疑いようがない。


 受け取った警察が、本当に単なる「新型宇宙服」と思っているかは知らない。あちらに入り込んでいるだろう〈スポンサー〉側の人間が手引きしただけか、それとも何か警察上層部にも思惑があるのか。


 無論、オレにとってはどちらでもいい。


 ここにある設備を叩き潰せば、あの鎧を整備することも、まして量産することもできなくなるのだから。


『少年、セキュリティのハッキングに成功した。道順はこちらで指示を出すから、その通りに潜入してくれ』


 脳内で響く女主人の声にうなずいて、オレは愛機を操り正門の方へと進む。自動で開いていく鉄扉を横目に、目的の地下駐車場を目指す。ガードマンもいないなんて雑な警備だが、そのおかげでマシンを連れて行けるのは素直にがたい。


 なるべく〈獣核ゲノム・コア〉の力は温存したい。前回の戦いと設計者であるオーナーから得たデータを総合して見つけ出した攻略法は、正直に言えば自殺行為に近い。使えるナノマシンの量が少なければ、最後の一手を仕損じる可能性もある。


『右側、四つ目の柱を確認してくれ。そこから地下深くに行けるはずだ』


 バイクを停めて、言われた場所に近づいていく。一見すると何の変哲もない支柱のようだが、じかに触ってみると確かに違和感があった。


 電子音と共に、一人分がやっと入れる虚空こくうが姿を現す。どうやらこれが、上のお飾り研究施設とは別に造られた秘密の開発室への入口らしい。


 罠の可能性は否定できない。ここまでスムーズに進みすぎている。しかしここまで来て逃げ出すわけにはいかない。


 オレにはここで、やることがある。


 踏み出した暗闇の先には、螺旋らせん階段。まるで地獄の底へと繋がっているような錯覚に襲われながらも、その薄闇を照らす淡い緑の光だけを頼りに下へ下へと足を進める。


 執着点にあったのは、大きな門。いかにも兵器開発工場という無機質さだった。


『ゲート横の認証システムをハッキングするから〈クモ〉を近づけてくれ』


 指示に従って左腕をかざす。カードを読み込んだり指紋を認証したりするだろう機械に向けられた〈クモ〉が、赤外線で情報をやり取りする。


 待つことほんの一分で、ヘルメット越しの鼓膜こまく開錠音かいじょうおんが聞こえてきた。


 あまりにまぶしいのは、暗い空間を切り裂くほどの光量のせいか。それとも、その先にある敵の計画を潰せるという期待のためか。


「……?」


 視えてきたのは、白い空洞くうどう。機材など一つもないのに、そのくせ広さだけは並大抵の工場に引けを取らない伽藍洞がらんどう


 向こう側にも扉らしいものがあるところからして、ここは試験場か何かだろう。出来上がった商品をテストするには順当な大きさのステージだ。


 慎重に足を踏み入れた瞬間。


「ッ⁉」


 間一髪、飛び込んで場内に転がり込む。振り返った先、落ちてきた槍の群れが鉄格子てつごうしとなって門をふさいでいる。


「赤マフラー! 対テロ特別措置条例に基づき、拘束する! おとなしく投降とうこうせよ!」


 勢いよく開いた反対側の扉からは、怒号にも似た勧告。


 見ればプロテクターに身を包んだ刑事がベルトを構えている。


大神おおがみ正仁まさひと……!』


 この状況を見ているオーナーが思わず口に出した声には、どうしようもないほどの苛立いらだちが混ざっていた。


 おそらく、これも〈ネクロ〉が仕組んだ罠。オレたちを対面させて、殺し合わせる。どうせどこかで高みの見物でもしているのだろう。オレがこの男を殺しても、この男がオレを殺しても、あいつが喜ぶ結果でしかない。


「投降の意志なしとみなし、実力を行使する!」


 ベルトを巻きつけるその姿を見つめながら、息を整える。男が胸の前で組んだ十字をにらみつけながら、こちらは身体の隅々すみずみにまで酸素と意志を行き渡らせる。


 思い通りにはさせないぞ、〈ネクロ〉。


「ミッションコード……重装じゅうそう‼」


Loadingローディング……Materializeマテリアライズ……X4イクス・フォー……Start upスタートアップ


 引き出した力を鎧としてまとう機甲兵士。それがどんなに危険な代物なのかさえ知らないまま、男は白銀の騎士となって銃を構える。


「ミッションコード……変身」


 吐き捨てるように放った声に反応した〈獣核ゲノム・コア〉から引きり出したナノマシンで、銀の武装を実体化する。その余波で起きた風が首元のマフラー、その血赤をなびかせる。


 オレにできることは、一つだけ。


 真正面から向き合って、この悪魔の産物を……壊す。


「イクス・フォー、戦闘行動に移行する‼」


 叫びと共に、銃弾が舞う。立て続けに撃ち出された高威力のかたまりが、風を切り裂いて破壊のうずを創り出すのが視える。


 その軌道を読み切って、最小限のステップだけでかわしていく。そうして、徐々に距離を詰めて前進に集中する。


「何で当たらねぇんだよっ⁉」


 苛立いらだつ声と重なって銃声が増えていく。


 この弾丸は、一発でも当たれば武装を崩されることは必至。それは前回の戦いで身に染みている。防御と回復に使うナノマシンなどないオレにとって、こんなものに手間取っている余裕はない。


「しゃらくせぇ‼」


 銃をかなぐり捨てた右手。間髪入れずに空いたてのひらを握って振り上げる拳。飛び掛かりながら、高速で放たれる鉄拳の向かう先は、オレの顔面。


HOPPERホッパー


「はぁ……⁉」


 腰に回転を加えながら、左足の武装『H』……〈バッタ〉での跳躍ちょうやく。高跳びをした無理矢理な動きで、相手の腕スレスレの位置を独占しながら狙いを定める。


SPIDERスパイダー……Exterminationエクスターミネイション


「ぁ……⁉」


 空中で無防備な相手の足に向けて、左腕の武装『S』……〈クモ〉を向ける。その口から吐き出されるのは、形状記憶合金の糸。瞬時に装甲の薄い足首を絡め取り、電撃を流し込む。


「くっそ……てめぇ⁉」


 右足の自由を奪われたはずだったのに、それでも倒れたところから体勢を立て直している。あの機械的な動きからして、鎧に搭載された人工知能の補助か。もしくはシステムを使うために肉体にも何か細工がされているのか。


 やはり悠長にはできない。電流も多くのナノマシンを食う以上、ここは〈クモ〉を引き上げて、次の手に移行しよう。


HOPPERホッパー


「逃がすかよっ!」


STAG BEETLEスタッグビートル


 び上がった瞬間に、相手も左腕に強化装甲を顕現けんげんする。


 射出されるのは黄金に輝く二対の角。その〈クワガタ〉を模した武装は、逃避行を許さない捕縛装置として、空中のオレを狙う。


WASPワスプ……Exterminationエクスターミネイション


 腰からの回転で軌道を変え、そのまま右腕の武装『W』……〈ハチ〉の針を屈強なアームへと突き立てる。


 ワイヤーとの接合部に流し込んだのは、腐食性の毒液。


 そちらのシステムで編み上げた武具なら、注入されるオレのナノマシンは耐えがたい異物になる。


「ふざけやがって……くそっ⁉」


 武装を放棄したのを目視する。ワイヤーを通じて流れてきた毒素を感知したのは、やはりシステムの方だろう。


「まだこいつがあるんだよ!」


BEETLEビートル


 右腕をおおうのは、名前とは裏腹に〈カブトムシ〉らしさのない両刃の剣。どうやら放り出した銃が今更いまさらになって惜しいと見える。


 その隙を逃してやる理由はない。


HOPPERホッパー……Exterminationエクスターミネイション


 この左足に込められた最大出力を解放する。


 床を蹴り上げ、天井から壁まで使う高速移動の連鎖。常人の目では追いきれない速度でつむぐのは、残像の結界。


「くそ……ちょこまかと⁉」


 内臓が焼けるような錯覚。


 ダメだ、まだ耐えろ。もっとだ、もっとらせ。


 奴の視線はオレを視界に捉えている。タイミングを見て銃を取り戻そうと狙っているのがわかる。動きを牽制けんせいするだけじゃ足りない。トップスピードを超えて、翻弄ほんろうしなければ意味がない。


 もう少し、あと少しだ。


 奴の人工知能がオレの動きを予測するその一瞬が、勝負だ。


「視えたぜ……そこだぁっ‼」


 まばゆいほどにひらめいた振り下ろし。


 それが。


「嘘だ、ろ……っ⁉」


 切り裂いたのは、オレの下をただよう空気。


 最適なルートだけで動き続けたオレの結界から、あの人工知能は最適な攻撃ルートのみを算出して反撃してくるはず。


 その一瞬、極めて恣意的しいてきな角度へのジャンプを加えた。おかげで予測演算による攻撃をかわせたというだけのこと。


 そんなことにまで頭が回らないまま、白銀の鎧は硬直して動けないでいる。


「ごふっ⁉」


 その木偶人形でくにんぎょうを思い切り蹴り上げ、宙へと放り出す。オーバーヒートする寸前まで溜め込んだ熱量からの一発は、防護服の中にいる刑事にも多少は響いたか。


 だが、ここで止まってやる気はない。


MANTISマンティス……Exterminationエクスターミネイション


 満を持して、右足の二刀を持つ武装『Ⅿ』……〈カマキリ〉を解き放つ。左足を軸にした回転力で打ち出すのは、キックに載せた風の斬撃。


「がっ……あぁぁぁぁ⁉」


 銀色の暴風を帯びるかまが、相手の両足と左腕のプロテクター部分を穿うがつ。


 この鎧のシステムは、両手両足とベルトの合計五つのポイントに配置した〈コア〉を通じて莫大ばくだいな力を引き出している。戦ったオレと設計者であるオーナーの見立てが正しければ、どれか一つでも破壊できれば鎧を維持できなくなるはずだ。


 吹き飛ばされた相手の姿を注意深く観察する。


「ぐ……そ……がぁぁぁぁ!」


 どうやら、敵もそれなりに対策はしておいたらしい。砕いた部分の装甲が瓦解がかいし始めてはいるが、完全ではない。


 やはり右腕のプロテクターににも傷を与えなければ破壊は困難と見える。


「てめぇには……絶対……負けねぇ‼」


 ここまでのダメージでも、立ち上がってくるのか。


 大神正仁という人間の胆力か、それともシステムによって与えられた補助機構か。あるいは両方、と考えられるが、やはり納得したくはない。


「てめぇみたいな悪党に、刑事の俺が、負けるわけには、いかねぇんだよっ‼」


BEETLEビートル……EXECUTIONエクスキューション


 無理矢理に押し込んだボタンで、ベルトから右腕の装備へエネルギー充填が始まる。


 体内に〈獣核ゲノム・コア〉を持つオレとは違って、こいつには暴走する危険性が実感としてないのか。


 だとしたら、余計にこれ以上は使わせられない。


「それがお前の本当にすべきことだと言うのなら……来い」


HOPPERホッパー……Exterminationエクスターミネイション


 こちらも無理を承知で左足にナノマシンの供給を開始する。


 最悪、補助の要である〈バッタ〉なしで奴と戦うことになるが、構うものか。ここで、この正義の味方を殺すくらいなら。


「この街は、俺が……守るんだぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁ‼」


 突き出される剣先に載せられた想いを、それでもオレはくじかねばならない。


 お前が本当に向かうべき先は、こっちじゃないから。


「はぁっ‼」


 空中一回転から、足先を突き出していく。脳裏を危険信号の赤色で埋め尽くすこの熱を、その正義漢に伝えるために。


 瞬間。


「ッ⁉」


「ぁっ⁉」


 開いた天井から高速で落下する物体に、二人同時に息を呑む。


 人間大のカプセル。詰められた何かはわからないが、そこかられ出す香りが戦闘の興奮で鋭くなったオレの嗅覚を刺す。


 カカオの芳香ほうこう


 この場面で、単にチョコレートの原料が詰められているはずもない。その意味するところは、たった一つ。


 神宮かみや慈乃めぐの


 待て。この軌道ではあの剣、彼女を押し込めたひつぎに直撃する。おまけに武装刑事はこの匂いに気付いていない。何が起こっているか理解すらできないまま、システムが命ずる通りにあの武器を突き立ててしまう。


 それだけは、させない。


SPIDERスパイダー……Releaseリリース


 強引に腰を動かして左腕を突き出すと同時に〈クモ〉の装甲ごと撃ち放つ。オレの意志を汲んでくれるオーナーの傑作が、落下する機械仕掛けのおりを確保し、着地の衝撃を軽減するため〈クモの巣〉を出すのが視えた。


 瞬間。


「うおりゃぁぁぁぁぁぁぁぁ‼」


「ぁ……」


 何か鋭いものが、オレのベルトを切り裂いたのがわかった。


 刹那せつな脳髄のうずいが揺らぐほどの衝撃。あたかも頭蓋骨ずがいこつの中で爆弾でも暴発したような、あらががたいほどの絶望的な痛み。


 自分が地面に放り出されて、壊れた人形のように動けなくなったことだけしか、理解もできなくて。


「はぁ……はぁ……はぁ……やった、のか……?」


 遠くから、声がする。


 ああ、あの男は、無事だったか。


「勝った! 俺はついに、赤マフラーをぶっ倒した‼」


 そんなことはいいから。早く。


 お前のことを心配していた彼女を、連れて。


『少年! 応答しろ、おい、少年っ⁉』


 声が遠ざかっていく。


 オーナー、ごめんなさい。やっぱり、ダメでした。


 オレの力では、誰も救えない。


 自分の視界までもが暗闇にちていくのに。


 それでも思うことは、たったひとつで。




――大神正仁……早く、彼女を連れて、逃げろ……!

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