EP06-伍:正義を嗤う


 死。


 凡庸ぼんような人間はそれをみ嫌い、恐れおののく。


 昨夜も脱走を試みた技術者を一人、この世からほうむった。今はその人物を消したことによって起こった情報の齟齬そごを修正するべく、機材のそろった部屋でキーボードを叩いている最中だ。


 いや、正確には違う。これから来る客人を迎えるために監視カメラの映像が逐一ちくいちチェックできる場所だからここに陣取っていて。この情報整理は単なる暇潰ひまつぶしに過ぎない。


 それにしても昨日の男、本当に思慮しりょの浅い人間だった。


 笑える話だ。〈スポンサー〉に気に入られれば好きな研究がずっとできると思っていたなんて。しかし途中から良心の呵責かしゃくとやらに耐えられなくなったと。私に詰め寄られた時にはみにくく泣き叫びながら懺悔ざんげする始末だった。


 秘密をらすことは絶対にしないと約束するから見逃してくれ、だったか。


 馬鹿ばかも休み休みに言って欲しいものだ。末端の科学者がどこに情報を持ち込もうが大した痛手にはならない。むしろ〈獣核ゲノム・コア〉の有用性を知った他の技術者が、欲望をかせて素晴らしい研究に着手してくれるなら好都合なくらいだ。


 それでも抹殺命令が出たのは、その男が〈ゲノム・チルドレン〉計画の情報を得た可能性があるから。


 つまり、私の同胞を創り出す方法を探ったから。


 皮肉な話だ。かつて破滅の未来を変えうる天才を求めた結果、自分たちの首を締め上げる悪魔の子らを呼び出した現実も知らずに。まあ、その一人に殺されるなら、むしろ本望だったか。


 そういう意味では、あの寺嶋てらしま姫澄きすみに殺させたかった。


 あの科学者のようなタイプの人間が、十七年も前に造ったらしい個体。単体ではゴミ同然の失敗作でも、脳に埋め込んだ〈獣核ゲノム・コア〉に順応できる姿を見せつけた方が、きっと面白かったろうに。


 しかし人間というのは無様なもので。いざ死を目前にすると途端に矜持きょうじも信念もかなぐり捨てる。みにくく肉が腐り落ちても、その汚臭で互いをののしり合いながらでも、生きたいだなんて。


 下品。そうとしか言えない。今すぐにでも、美しい死体に変えてやりたいくらいにはお粗末な存在だ。


 私を狙って襲ってきた〈アンチ〉の兵士たちもそうだ。幼子を殺すことに躊躇ちゅうちょしなかったくせに、自分やその子どもだけは助けてくれとこいねがう。


 反吐へどが出る。生きている人間というものが嫌になったものだ。無論、家族はおろか関係者共々、むごたらしく絶命させた。そうして死体も残さずに消し去ってやったが。


 何が心だ。何が信念だ。何が正義だ。


 ゴミ虫以下の存在価値しか持ち合わせずに生まれてきておいて。自分たちの身が危険なら殺戮もやむなしと武器を持つ。そのくせ負けそうになればてのひら返しで土下座するだけ。


 交渉がしたいなら手札くらい用意しろ。利害が一致することもないのに、どうして情けなどかけてもらえるなんて思うのか。


 そう考えると、大神おおがみ義仁よしひとは信念とやらを持っていたのだろう。あの男は、最後の一瞬まで私をにらんでいた稀有けうな人間だったのだから。


 今でも脳裏から離れない、あの眼。流石さすがに二十五年前に英雄とまで呼ばれただけのことはあったか。


 当時の〈スポンサー〉側と〈アンチ〉側の対立。拮抗きっこうしていた両者は、互いに呼び込んだ犯罪集団やテロリストたちを使っての情報戦を繰り返したそうだ。時には市街地での銃撃戦も少なくなかったと聞く。まあ、そのせいで私は死にかけたし、いくらかの同胞はちりも残らずに消え去ったわけだが。


 そんな街で、悪党同士の潰し合いを見越して行動し、多くの犯罪者たちを刑務所送りにしたのが大神義仁刑事だったという。


 タイミング的には私が生まれる前の出来事だが、〈スポンサー〉側が引き抜くかどうかを検討したほどの人物。当然、情報だけは頭に叩き込まされた。


 しかし七年前に邂逅かいこうしたあの男、英雄視されるような存在には見えなかった。ハードボイルドを絵に描いたような顔でこそあれ、中身は息子同様の熱血漢。潜入スキルや極秘情報の取得はお見事と言ったところだが、それ以外は何もない。ただの生ゴミだ。


 あんな男のせいで情報統制や開発技術といった能力にけた貴重な同胞を一人失ったことが悔やまれる。


 我ら〈ゲノム・チルドレン〉の長兄が一人……〈ジェミニ〉。


 奴さえ生きていれば、〈獣核ゲノム・コア〉を使うこの〈実験〉とそのデータ集めにわざわざ一般の技術者たちを参加させるという案も出なかっただろうに。


 いや、そもそも。


 この私が警察に入り込むなんていう屈辱くつじょくを味わう必要もなかったはずで。


「〈ネクロ〉様!」


 ノックと同時に入ってきたのは、白衣に着られているような中年の小太り男。


 確か、この地下施設を安納あんのう超常現象研究所そっくりに再現するように命じたのに、二日も納期を遅らせてしまった出来損できそこないだったかな。専門的な設置関係の話がなければ今すぐにでも殺しておくところだが。


 それよりも。


「ここでは早乙女さおとめ歩生明あるふぁと呼ぶよう指示を出していたはずですが、何か手違いでも?」


「っ……! し、失礼いたしました……歩生明様」


 本当に使えない頭だ。初歩の初歩さえわかっていない。


 いくら陰でこの街の支配体制が整っていると言っても、まだ完全に制圧したわけではない。わざわざこの私が警察組織に入り込んでいる理由も覚えていないのか。今回の計画が終わったら処刑するとしよう。


 しかしその前に。


「いえいえ、結構ですよ。どうせ大神おおがみ正仁まさひとはまだ投薬の最中でしょう?」


 監視カメラの一つを視線で示す。


 エメラルドグリーンの液体が詰まったカプセル。そこに入った男は目を閉じたまま。入っている本人は、システムを効率よく運用するための薬品だと信じているようだが。


 現在進行形で自分が何を注入されているかも知らないで、呑気のんきなものだ。まあ、だましているのは私なわけだが。


 いや、それでも駄目だめなのはこの刑事の方だろう。真実やら正義やらと口にしておきながら、いざ舞い込んできた情報が本当に正しいかを確認することもできないでいる。


 ここまでの改竄かいざん能力を持つ私がいる限り、彼らの概念では疑うことさえできないとしても。この男は「同じ警察官だから」という理由で私を信用しているときた。


 反吐へどが出る。


 本気で自分が正義を守ろうとすれば、誰もが協力してくれるとでも思っているのか。打算もなく戦える者など、どうして信用できるというのか。


 そういう意味では、赤マフラーのような在り方が何よりも信じられない。一年前、この私の肉体を半壊させたあの死神もだが、現在稼働している方もどうかしている。


 私が仕組んだ寺嶋姫澄の暴走でも、あいつは私を追うことよりも、あの出来損ないを止めに走った。復元の副作用が出ていたこちらとしては好都合だったが、感覚的にはあり得ない行動だった。


 顔だけは綺麗なまま〈獣核ゲノム・コア〉だけを完全に破壊するというやり方。哀れな女をいたむような、そのセンチメンタリズム。死体を残してくれたことは評価に値するが、その脆弱ぜいじゃくさは玉座を争う私たちにとっては不可思議でしかない。


 弱い者は、強い者に隷属れいぞくする。こんな単純な原理をどうして誰も彼もが理解できないのか。いや、連中は理解できないのではなく、否定したいだけか。


 何が平和だ、平等だ。いやしい考え方をするその思考回路はと評するしかない。


 私は違う。必ず神の力を手に入れて、最善の王となる。そうしたなら……。


「歩生明様?」


 不出来な部下の声で、我に返る。


 いけない。最高の未来へ想いをせるのは、後でゆっくりといかねば。


「失礼。それで、用件は何でしたか?」


「いえいえ、大したことではないのですが」


「この重要な作戦を前にして、大したことでもないのに私の時間を奪う、と?」


「ひっ……、いえ滅相もない! ただ、その……私にも〈コア〉と資金をいただけるというお約束について、確認をと思いまして……」


「ああ、そういうことでしたか。ご安心を。作戦の成功に際して〈スポンサー〉側から支給されるでしょう。貴方あなただけの研究所も、きっと夢ではありませんね」


「あぁ……ありがとうございます!」


 汚らわしい顔をゆがめて笑った男は、礼だけを口にして足早に部屋を出ていく。


 本当に馬鹿な男だ。


 何のために〈スポンサー〉が私のようなエージェントとは別に、〈コア〉の配達人を用意していると思っているのか。本当に有能で有用な技術を持っているのなら、何もせずともお望みのものは渡されているだろうに。


 いや、そもそも私たちの関係についての知識なんてないのか。無知のままでいることは本当に罪深い。


 こいつが守りたいものが自らの技術にしろ、何も知らずに生活している家族にしろ、どうでもいい。私たちはただ使えるものを利用し、不要になれば捨てるだけだ。


 それをこの男が知ったところで、どうせ裏切れはしない。この仕事を手放せば、また路頭に迷う。そうならないためにしがみついて生きるしかない哀れな生ゴミだ。


 私のように生まれながらに選ばれた側とは違う。


 だが、だからこそ。


「あの力……必ず解明する」


 赤マフラーが見せた力……EMANCIPATIONイマンシペイション……〈解放〉だったか。


 一般枠の〈実験体〉の分際で、私たち〈ゲノム・チルドレン〉に肉薄しようなど。あろうことか、その力に殺された同胞がいることも含めて、放置はできない。ギミックがわからないまま、〈ゼノウ〉のようなぽっと出の王候補に狩られても困る。


 解析かいせきだ。


 あれだけの能力を覚醒させるに足る要因があったはずだ。それを見つけ出し、できるのであれば私の力に還元する。技術を吸収するとは、つまりそういうことだ。


 無論、捕獲した際には今までの借りを返すつもりでもてあそんでやる。一年前に死んだという先代の赤マフラーに返せなかった分も含めて。


「む?」


 監視カメラにわずかなズレが生じたのを、この眼は逃さなかった。


 今の感じは間違いない。外部からのハッキングだ。そして、こんな街の外れに建て直した「特に大きな成果も出していない研究施設」にわざわざリスクをおかしてまで攻撃を仕掛けてくるのは、誰か。


 そんなものは、一人しかいない。


「ようやく来てくれましたか……ふふふ」


 可笑おかしくて、たまらず声をらす。


 さあ、パーティの準備だ。もうほとんど終わっているが、最後の仕上げといこう。


「大神正仁をカプセルから出しなさい。指示はこちらで出します」


 もうすぐだ。


 この実験が成功すれば、私は一石で二鳥も三鳥も得ることになる。


 その瞬間を想像する垂涎すいぜんの時間も、これで最後。


「さあ、ここからはあなたのステージですよ……大神正仁刑事……!」

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