EP06-参:伝えたかったこと、伝えたいこと
女性、二十五歳、
雇用形態は非正規で、教員免許を取得した年から毎年契約更新をして働いているらしい。
住まいは静かな住宅街の中にあり、三十年近く前に建てられた一戸建て。どうも実家暮らしのようだ。
地下研究室で暮らしている私とは大違いだ。モニターの一つに映し出した情報だけでも普通の女としか言いようがない。まあ、オーナーなんて年下に呼ばせて、地下で研究者を続けている私とは比べるべくもないわけだが。
しかしこの神宮女史、特筆すべき項目と言えば七年前の
彼女は犯罪集団に拉致監禁され、とある刑事の命懸けの救出によって助かった唯一の生存者だということ。
女子高生四人をも誘拐して何を企んでいたのかは知らないが、四人中三人は研究所の爆破で死亡したことは確実。おまけにそこで
「
ここまでの情報を洗って思うのは、皮肉だということ。
悪い夢に何度も出てくる、なんて執着が過ぎる理由だと思ったが。それこそ父親を死なせた罪悪感から見た夢なのではないかとさえ思える。
しかし、そう
少年
改造によって〈
相手を恐怖で苦しめるゲス野郎のことだから、間違いなく何かしらのアクションを仕掛けてくるだろう。
そこで
どんな小さなチャンスでも、そこにどんな巨大なリスクがあってでも、私たちは掴みに行くしかない。
『いらっしゃいませ』
『あの、探偵さんは来てませんか……?』
『依頼から一週間で経過報告、というお話でしたね』
『そうなんですよ。だからちょっと早いけど、待ちきれなくて……』
『良ければコーヒーでも』
『あ、どうも』
カウンター席に腰を落ち着けた彼女に、そっと差し出されたカップ。何気なく口にしたそれを、まじまじと見つめるまで一秒。
『おいしい……』
『ありがとうございます』
『もしかしてバリスタ目指して修行中の学生さんとか?』
『ただのアルバイトですよ』
表情を変えずに淡々と告げる声に、胸が痛む。
本来なら将来を
この街で笑う邪悪に殺され、もう人間には戻れない身体になってしまって。
それでも戦えと、自らに運命を課した。たとえどれだけ傷つくことになっても、たとえどれほどの命を奪うことになっても。
私が、そうさせてしまった。
『ふふふ』
『どうかなさいましたか?』
『あ、ごめんなさい。あなたって正仁に……幼馴染に似てるなって思って』
どこがだ。
『あいつもね、素直じゃないんだ。本当に思ってること、全然、口に出さないの』
『昔からね、正義の味方になるって言ってさ。本当はね、お母さんがいなくなって
ああ、そういえば母親はまだ小さい頃に離婚しているんだったか。地方の田舎へ逃げるように帰ったとしかデータがなかったことや、〈スポンサー〉側との関わりが見込めないことから放置していたが。
『あいつにとって正義の味方って、警察官のお父さんのことでね。夜遅くまで帰ってこないからって、近所だったアタシの家に預けられてばっかりだったけど。いつもお父さんがこの街を守ってるんだ、って誇らしげで』
『きっと、自慢のお父様だったのでしょうね』
『うん、そんな感じ。だけど……七年前に死んじゃったの』
彼女の笑顔に影が差す。
コーヒーカップに添えた手から、力が伝わっているのが見て取れる。
『テロ集団に拉致された四人を助けるために、独りで飛び込んだって。上層部がダメだって止めてたらしいのに。でも、おかげでアタシは助かった……アタシだけは』
大粒の
『ごめんなさい、こんな話されても迷惑……』
『生き残った人間は、ただ信じるしかない』
『え……?』
顔を上げた女の瞳のレンズに映るのは、少年の顔。
寂しそうに、けれど
『神宮様、
『生まれ変わりってやつ、かな……?』
肯定を示すために
『死んだ相手は戻ってこないけれど、どこかに生まれ変わって生きている。残された自分たちにできることは、そんな新たな命が光を見出してくれると信じることだけ……。育ての親の受け売りですが』
強さの根源。この残酷な闘争の中で、それでも彼が「殺戮兵器」であろうとする理由を見てしまったような気がしてしまう。
怪物にされた人間は、誰がどんなに祈ろうが
『幼い頃に両親を亡くしたオレには、どこか救いがあるような気がしました』
『っ……ごめんなさい。
『もう十年以上も前の話です。自分の中で整理はついていますから、ご安心を』
嘘だ。
君は今でも、両親を助けられなかった自分をどこかで責めている。だから殺す以外にないはずの敵を前にした時にも、
それこそ、目の前で泣きそうな顔をしている女も、その幼馴染をも殺したくないと言うのだって、そういうところじゃないのか。
『ただ、伝えられなかったことは、いつまでも胸の中に残っています……』
それはどちらの家族に対してか。いや、君の場合は両方か。生みの親も育ての親も、何もできないままに命を奪われた君にとっては。
『特に、いつも
『あ……』
依頼人の瞳が大きく開く。
幼馴染で義理の兄、そんな親友に至っては助けられるチャンスを前にしながら、手が届かなかった。
口にしたかった言葉など、死んだ相手には届かない。どんなに叫んでも、もう届かないんだ。
そんな事実など、彼女は知る由もない。しかし言わんとすることは察したのか、どこか澄んだ瞳で少年を見つめ返している。
『もし神宮様が、何か伝えたい人がいるのなら、どうか後悔のないように……』
『慈乃っ‼』
扉を蹴破るような振動と共に、聞き覚えのある怒号。
カメラに映った姿は、間違いなく〈
『正仁⁉』
幼馴染の名を叫びながら立ち上がった女に、掴みかかる勢いで若い刑事が店に入ってくる。真っ赤にした顔と鋭い眼光は、どこか狂気じみたものを感じさせる。
『慈乃、早乙女のことを調べさせているってどういうことだ⁉』
『何でそんなこと知って……』
『早乙女が言ったんだよ! 嗅ぎ回っている奴がいるって。確認してみりゃ、前にこの店にいた探偵で、おまけにそいつ、お前の名前を出しやがった!』
おいこら、迷探偵。本当にヘッポコじゃないか。依頼人の秘密くらい厳守しろ。おかげで彼女、顔が
『早乙女の何が不満だってんだよ? あいつは俺と同じ警察官だぞ?』
『違うよ……そういうことじゃなくて……』
『じゃあ、どういうことだ? ちゃんと説明しろ!』
とても見ていられない。
今にも殴り掛かりそうな男を見る彼女の目元は、もう真っ赤で。それなのに、この刑事は自分が正しいと思っているのか、一向に退く気がない。
『もういい……』
『あ?』
『もういいよっ! 正仁のことなんか、知らないっ‼』
長身でがっしりとした男の腕を押しのけて、依頼人は逃げるように店を飛び出していく。その目から流れた透明な軌跡は、カメラ越しの私にさえ熱く感じられて。
『ちょ……待てよ、慈乃っ⁉』
『これ、あいつのコーヒー代!』
カウンターを壊しかねない威力で叩きつけたのは、千円札。
馬鹿野郎。そんなのは後にして、さっさと彼女を追え。女心なんて私も知らんが、少なくとも今はそれどころじゃないだろ。
『足らなかったら連絡くれ! じゃあ!』
現職の刑事というだけあってか、それともあの
不器用なカップルだ。
互いに思っていることはあるのだろうに。死んだ父親の件で多少なりは
不意にモニターの端でアイコンが躍る。どうやら情報網に何か引っかかったらしい。
「これは……!」
確認した内容に目を
「少年、聞いてくれ。〈ネクロ〉の狙いが掴めた」
『それは……?』
「〈
自分で言っても嫌気がさす。あんな高出力の兵器を量産化して警察官にでも配るつもりなのか。だとしたらこの街は地獄絵図になる。
ただでさえ危険な〈実験体〉が
そんな想像が伝わったのか、
『オーナー』
喫茶店スペースにいる間はいつも文字だけのメッセージでやり取りするところを、わざわざ脳波を使っての音声通信に切り替えている。
その意味するところを、私が気付けないはずもない。
『調整、お願いしてもよろしいですか?』
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