EP06-参:伝えたかったこと、伝えたいこと


 神宮かみや慈乃めぐの


 女性、二十五歳、黒銀くろかね市立第四中学校勤務の英語科教員。


 雇用形態は非正規で、教員免許を取得した年から毎年契約更新をして働いているらしい。


 住まいは静かな住宅街の中にあり、三十年近く前に建てられた一戸建て。どうも実家暮らしのようだ。


 地下研究室で暮らしている私とは大違いだ。モニターの一つに映し出した情報だけでも普通の女としか言いようがない。まあ、オーナーなんて年下に呼ばせて、地下で研究者を続けている私とは比べるべくもないわけだが。


 しかしこの神宮女史、特筆すべき項目と言えば七年前の安納あんのう超常現象研究所でのテロ事件だろう。


 彼女は犯罪集団に拉致監禁され、とある刑事の命懸けの救出によって助かった唯一の生存者だということ。


 女子高生四人をも誘拐して何を企んでいたのかは知らないが、四人中三人は研究所の爆破で死亡したことは確実。おまけにそこで殉職じゅんしょくした刑事というのが、大神おおがみ義仁よしひとという名前らしく。血縁関係上、大神おおがみ正仁まさひとの実の父親に当たるのはすぐに調べが付いた。


幼馴染おさななじみであり、父親の死の原因……か」


 ここまでの情報を洗って思うのは、皮肉だということ。


 悪い夢に何度も出てくる、なんて執着が過ぎる理由だと思ったが。それこそ父親を死なせた罪悪感から見た夢なのではないかとさえ思える。


 しかし、そう呑気のんきに構えていられない事情がこちらにもある。


 少年いわく、彼女もまた例の〈当たり〉とかいう存在らしい。


 改造によって〈獣核ゲノム・コア〉を埋め込まれた少年や〈ゲノム・チルドレン〉なる幹部たちにしか認識できない以上、嘘かどうかを確認することはできないが。少なくとも、〈ネクロ〉が幹部だと仮定した場合、彼女の存在を知れば狙わない道理がない。


 相手を恐怖で苦しめるゲス野郎のことだから、間違いなく何かしらのアクションを仕掛けてくるだろう。


 そこで尻尾しっぽを掴めれば、と彼は言っていた。ちょっと無謀な気もするが、可能性がある以上、こちらに乗らない手はない。何しろ〈スポンサー〉側の情報は数えるほどしかないのだから。


 どんな小さなチャンスでも、そこにどんな巨大なリスクがあってでも、私たちは掴みに行くしかない。


『いらっしゃいませ』


『あの、探偵さんは来てませんか……?』


 うわさをすれば。上の喫茶店スペースに依頼人がやってきたのが店内カメラの映像で確認できる。


『依頼から一週間で経過報告、というお話でしたね』


『そうなんですよ。だからちょっと早いけど、待ちきれなくて……』


『良ければコーヒーでも』


『あ、どうも』


 カウンター席に腰を落ち着けた彼女に、そっと差し出されたカップ。何気なく口にしたそれを、まじまじと見つめるまで一秒。


『おいしい……』


『ありがとうございます』


『もしかしてバリスタ目指して修行中の学生さんとか?』


『ただのアルバイトですよ』


 表情を変えずに淡々と告げる声に、胸が痛む。


 本来なら将来を嘱望しょくぼうされる大学生の一人だったのに。彼の技量なら本当にバリスタを目指して、人々を笑顔にできたはずなのに。それこそ、自分自身の鉄面皮てつめんぴさえどうにかできたかもしれなかったのに。


 この街で笑う邪悪に殺され、もう人間には戻れない身体になってしまって。


 それでも戦えと、自らに運命を課した。たとえどれだけ傷つくことになっても、たとえどれほどの命を奪うことになっても。


 私が、そうさせてしまった。


 今更いまさら、自責の念もないけれど。彼の未来を奪ってしまった側としては、何も考えずにはいられなかった。


『ふふふ』


『どうかなさいましたか?』


『あ、ごめんなさい。あなたって正仁に……幼馴染に似てるなって思って』


 どこがだ。


『あいつもね、素直じゃないんだ。本当に思ってること、全然、口に出さないの』


 微笑ほほえみをたたえたまま、女は語り出す。その瞳の色が、恋する乙女のそれだと気付いているのか、いないのか。


『昔からね、正義の味方になるって言ってさ。本当はね、お母さんがいなくなってさみしいのを紛らわすためにそんなこと言ってたんだと思うんだ』


 ああ、そういえば母親はまだ小さい頃に離婚しているんだったか。地方の田舎へ逃げるように帰ったとしかデータがなかったことや、〈スポンサー〉側との関わりが見込めないことから放置していたが。


『あいつにとって正義の味方って、警察官のお父さんのことでね。夜遅くまで帰ってこないからって、近所だったアタシの家に預けられてばっかりだったけど。いつもお父さんがこの街を守ってるんだ、って誇らしげで』


『きっと、自慢のお父様だったのでしょうね』


『うん、そんな感じ。だけど……七年前に死んじゃったの』


 彼女の笑顔に影が差す。


 コーヒーカップに添えた手から、力が伝わっているのが見て取れる。


『テロ集団に拉致された四人を助けるために、独りで飛び込んだって。上層部がダメだって止めてたらしいのに。でも、おかげでアタシは助かった……アタシだけは』


 大粒のしずくを溜め込んで、それでも暗い笑顔。そんな自分の姿を反射するだけの黒い水面を、ただのぞき込むばかりで。


『ごめんなさい、こんな話されても迷惑……』


『生き残った人間は、ただ信じるしかない』


『え……?』


 顔を上げた女の瞳のレンズに映るのは、少年の顔。


 寂しそうに、けれどぐに射貫く視線。


『神宮様、輪廻りんねという考え方をご存知でしょうか』


『生まれ変わりってやつ、かな……?』


 肯定を示すためにうなずく少年をじっと見つめる彼女の視線は、懐疑的かいぎてきなのにどこかすがるような色を帯びて視えた。


『死んだ相手は戻ってこないけれど、どこかに生まれ変わって生きている。残された自分たちにできることは、そんな新たな命が光を見出してくれると信じることだけ……。育ての親の受け売りですが』


 強さの根源。この残酷な闘争の中で、それでも彼が「殺戮兵器」であろうとする理由を見てしまったような気がしてしまう。


 怪物にされた人間は、誰がどんなに祈ろうがわめこうが、助からないことの方が多い。思わず目を背けたくなる現実だ。それでも被害者を増やす前に殺してやるのも、あるいはこうして輪廻という考えがあるからこそかもしれない。


『幼い頃に両親を亡くしたオレには、どこか救いがあるような気がしました』


『っ……ごめんなさい。つらいこと、言わせちゃって……』


『もう十年以上も前の話です。自分の中で整理はついていますから、ご安心を』


 嘘だ。


 君は今でも、両親を助けられなかった自分をどこかで責めている。だから殺す以外にないはずの敵を前にした時にも、躊躇ためらったことがあるんじゃないか。


 それこそ、目の前で泣きそうな顔をしている女も、その幼馴染をも殺したくないと言うのだって、そういうところじゃないのか。


『ただ、伝えられなかったことは、いつまでも胸の中に残っています……』


 それはどちらの家族に対してか。いや、君の場合は両方か。生みの親も育ての親も、何もできないままに命を奪われた君にとっては。


『特に、いつもそばで笑ってくれていた幼馴染には、本当に何も言えなかった』


『あ……』


 依頼人の瞳が大きく開く。


 幼馴染で義理の兄、そんな親友に至っては助けられるチャンスを前にしながら、手が届かなかった。


 口にしたかった言葉など、死んだ相手には届かない。どんなに叫んでも、もう届かないんだ。


 そんな事実など、彼女は知る由もない。しかし言わんとすることは察したのか、どこか澄んだ瞳で少年を見つめ返している。


『もし神宮様が、何か伝えたい人がいるのなら、どうか後悔のないように……』




『慈乃っ‼』




 扉を蹴破るような振動と共に、聞き覚えのある怒号。


 カメラに映った姿は、間違いなく〈X4イクス・フォー〉をまとっていたあの若手刑事。


『正仁⁉』


 幼馴染の名を叫びながら立ち上がった女に、掴みかかる勢いで若い刑事が店に入ってくる。真っ赤にした顔と鋭い眼光は、どこか狂気じみたものを感じさせる。


『慈乃、早乙女のことを調べさせているってどういうことだ⁉』


『何でそんなこと知って……』


『早乙女が言ったんだよ! 嗅ぎ回っている奴がいるって。確認してみりゃ、前にこの店にいた探偵で、おまけにそいつ、お前の名前を出しやがった!』


 おいこら、迷探偵。本当にヘッポコじゃないか。依頼人の秘密くらい厳守しろ。おかげで彼女、顔が強張こわばっているじゃないか。


『早乙女の何が不満だってんだよ? あいつは俺と同じ警察官だぞ?』


『違うよ……そういうことじゃなくて……』


『じゃあ、どういうことだ? ちゃんと説明しろ!』


 とても見ていられない。


 今にも殴り掛かりそうな男を見る彼女の目元は、もう真っ赤で。それなのに、この刑事は自分が正しいと思っているのか、一向に退く気がない。


『もういい……』


『あ?』


『もういいよっ! 正仁のことなんか、知らないっ‼』


 長身でがっしりとした男の腕を押しのけて、依頼人は逃げるように店を飛び出していく。その目から流れた透明な軌跡は、カメラ越しの私にさえ熱く感じられて。


『ちょ……待てよ、慈乃っ⁉』


 あわてて追いかけようとした刑事が、びくりと動きを止める。


『これ、あいつのコーヒー代!』


 カウンターを壊しかねない威力で叩きつけたのは、千円札。


 流石さすがの少年でさえ、呆気あっけに取られて何も言えないでいる。


 馬鹿野郎。そんなのは後にして、さっさと彼女を追え。女心なんて私も知らんが、少なくとも今はそれどころじゃないだろ。


『足らなかったら連絡くれ! じゃあ!』


 現職の刑事というだけあってか、それともあのよろいを装着するだけの訓練の賜物たまものなのか、とにかく走り出してからは速かった。マッハのごとくだ。


 不器用なカップルだ。


 互いに思っていることはあるのだろうに。死んだ父親の件で多少なりはひずみがあるのは間違いないとしても。いや、口には出せないものがあるということか。


 不意にモニターの端でアイコンが躍る。どうやら情報網に何か引っかかったらしい。


「これは……!」


 確認した内容に目をきそうになる。これが本当だとすれば、すぐにでも動きを考えないといけない。それこそ、手遅れになる前に。


「少年、聞いてくれ。〈ネクロ〉の狙いが掴めた」


『それは……?』


「〈X4イクス・フォー〉の量産だ……」


 自分で言っても嫌気がさす。あんな高出力の兵器を量産化して警察官にでも配るつもりなのか。だとしたらこの街は地獄絵図になる。


 ただでさえ危険な〈実験体〉が跋扈ばっこする街で、それを止めるどころか推奨する連中に操られる狂気の機甲兵士部隊なんて。


 そんな想像が伝わったのか、固唾かたずを飲む音が聞こえて。


『オーナー』


 躊躇ためらいがちな声。


 喫茶店スペースにいる間はいつも文字だけのメッセージでやり取りするところを、わざわざ脳波を使っての音声通信に切り替えている。


 その意味するところを、私が気付けないはずもない。


『調整、お願いしてもよろしいですか?』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る