EP06-弐:悪夢と依頼とカカオの芳香
喫茶店『かざみどり』は、今日もコーヒーの香りがする店だ。
オレがこうして黒い
そう思っていた日曜日。
開店時間になると同時に現れた客人たちによって、そんな時間はかき消された。
「それで、
「はい」
奥の席で向かい合うのは、二人。
片や、名探偵を自称する迷探偵……
片や、依頼を持ってきた女性。
チョコレート色に
しかし、この
「調査してほしい人、というのは?」
あのバカ正直な探偵が何食わぬ顔で話しているところからして、この場の誰も異変は感じていないらしい。
もはや人間ではないオレを除いては、ということになるが。
つまりそれは、彼女が敵の狙う〈当たり〉という存在であるという、何よりの証明。
「実は、この人で……」
緊張した面持ちで差し出された一枚の写真。指で示されたのは、一人の男性。
おい、待て。その男は、まさか……。
「眼鏡に高そうな背広……こりゃいかにもいけ好かな……じゃなくて、なかなかインテリでお金持ちそうな方ですが? もしかして、婚約相手とか?」
「いいえ。
間違いない。オレたちが追う〈スポンサー〉、その組織に最も近い敵の一人。街を陰から
「では、その幼馴染さんの恋人さん?」
「いやいや、
マサヒト、という音に引っかかりを覚える。
まさか、
あの怪人は早乙女歩生明という名前で警察組織に
そんな悪魔の
自分自身の首に刃が突き付けられているかもしれないのに。
あの怪人のことだ。彼の正義感を
もちろん、オレや師匠に用いられたサイボーグ技術の図面を引いたオーナーへの嫌がらせでもあるだろう。
どちらにしろ、オレたちに
「刑事……? 断っておきますが、警察ってのはね、採用する人材は入念に身辺調査されるそうですよ。いくら名探偵と言っても、わざわざ
おい、ヘッポコ探偵。面倒事っぽいから関わりたくないって顔をするな。
実際にそうだったとしても、その入念に調べる側が最初から
つまり、警察内部で情報統制する奴がいる。
それが〈ネクロ〉だけなのか、他にも大勢いるのかさえ、オレにはわからないが。少なくとも早乙女と名乗っているあの男が、その一人であることは間違いない。
「それなんですけど。実はアタシ、先月この人に初めて会って……それ以来、何度も怖い夢を見るようになって……」
「夢? 夜に見る、夢ですかい?」
ぎゅっと結んだ口元。それを見つめるオレたちの視線をよそに、無音の時間だけが過ぎていく。
「死んじゃうんです……正仁が」
ぽつりと
「さっき言ってた幼馴染さんが、ですかい?」
「それも、
情景が頭の中で勝手に再生される。
与えておいた力を暴走させた結果か、それとも〈ネクロ〉本人が直接その手を下すのか。どちらにしても、唐突な裏切りに手も足も出ないまま殺されるあの刑事の姿は、あまりに容易に脳裏でイメージできてしまって。
今、何も触っていなくて良かった。カップだろうがスプーンだろうが、無意識に壊していたかもしれない。
「で、でも……夢だったんでしょう? ていうか、その幼馴染さんには話してないんですかい?」
「夢を見た朝は、いつも手が震えちゃって。正仁の先輩刑事さんにもそれとなく探りは入れてきたんですけど、普通に出勤してるって……」
先輩刑事、というのは〈スポンサー〉側か、それとも何も知らないただの刑事か。それによっても反応は変わってくるだろうが。そこも調べておいて損はなさそうな気がする。地下のオーナーに一報しておくことにしよう。
「それでも今朝は何とか直接メッセージを送れて! 仕事が忙しいみたいな返事はあったし、やっぱり大丈夫かと思ったんですけど。だけど……」
「だけど?」
「やっぱり怖くて……」
揺れる瞳が訴えかけてくる。
怖くないわけない。
ほとんど無関係なオレでさえ、そんなことをする邪悪には思わず拳を握りそうになるのなら。殺し合いの世界など無縁の女性からすれば、幼馴染の
「だから調べて欲しいのは、この人にそんな悪いことできないって確証だけで……ダメですか?」
「むむむ……まあ、でも、そのくらいなら、しょっぴかれたりはしないか……いや、でもなぁ……むむむ?」
何をぶつくさ言っているんだ。下手なところに突っ込んで逮捕されるとか、そういうことを恐れているのか。
いや、これをヘタレと言うのは
「やっぱり、ダメですよね。いいんです、ごめんなさい。アタシ、帰ります」
立ち上がった彼女は、足早にドアへと歩を進めようとした。
「神宮様」
「え……?」
気付けば、オレは彼女の前に立っていた。
我ながらバカなことをしたと後悔がやってくる。何も引き留める言い訳がないのに。
だが、今ここで帰すことはできない。
「探偵さんならきっと神宮様が恐怖する夢に答えを出してくれると思います」
「え? でも……」
ここまで来たら
驚く彼女とオレの行動に面食らう探偵の間に滑り込む。
「そうですよね? ツケを溜めがちで
眼力を
「ちょっと少年、怖い言い方しないでよ⁉」
「まさか涙する女性を放ってコーヒーに
「ぐはっ……そんな言い方されたら、やらなきゃいけない気がするぅっ⁉」
今だな。左手からそっと〈クモ〉を放つ。狙いはもちろん依頼人の方。服の下にこっそりと忍び込んだオレのもう一つの目と耳が何かしら情報を掴むことを信じよう。
「ええぃ、わかりましたよ! 男☆橋端三平、この調査、請け負いましたぞ‼」
「本当ですか……?」
「男に二言はありませんっ! まあ、見ていてください。そんな
よく言った、ヘッポコ探偵。
まあ、そっちには特に期待してないが。ただ彼女がこの店に来る口実が欲しいだけだから。
しかし最悪の場合、彼女をここに
むしろ。
(ねー、その子、食べちゃいなよ!)
あの七月の戦いで〈リトロ〉と名乗った敵が放った言葉を思い出す。
オレにしか感知できない香りを
つまり、彼女も同じようにオレたち〈実験体〉が喰らうことで意味を持つのなら。その中でも上位の強さを誇る〈ネクロ〉であっても欲するという仮説は成り立つはず。
ならば。
「ありがとうございます! よろしくお願いします!」
直角に程近い角度で身体を曲げて頭を下げる女性の背中を見つめる。
この人も奴らに渡してはいけない相手だろう。敵の戦力が増長するのも厄介だが、それよりも。
大神正仁同様、この街で笑って過ごすべき一人だ。できるなら、殺させたくない。
たとえオレが「殺戮兵器」であっても。その殺意が向く先だけは、もう二度と間違えてなるものか。
急がなければならない。〈
左足が熱い。
待機中の〈バッタ〉が
わかっている。お前が頼りだ。どれだけ強い敵でも、お前さえいれば負けはしない。
師匠と同じ武装で、初めての戦いからずっとオレを支え続けてくれる相棒。攻撃力では右側の〈ハチ〉や〈カマキリ〉には敵わず、情報収集能力なら〈クモ〉には及ばないけれど。
それでもオレの特別だ。
これまでとは違う。殺すわけにはいかない相手との戦いだ。しかし今までの戦闘では例を見ないほどの威力を出せる白銀の武装。
この街を守りたいと叫ぶ熱い刑事を、〈ネクロ〉の手から救うため。
どうか、今度も力を貸してくれ。
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