EP06-壱:追想の刑事


 七年前、八月の彼岸ひがん


 空気が澄んでいたのは、夜明けを過ぎたばかりだったからか。


 夜中ずっと駆け回っていたせいか、身体が重たくて。消えた幼馴染おさななじみを探して、そいつが行きそうな場所をひたすら回っていたから息も上がっていた。


 そんな状態でも、両足にむちを打って駆け付けた警察病院はもっと静かで。


 通された暗い部屋の中、顔見知りの刑事たちのみっともない泣き顔の向こう側。


 父親の亡骸なきがらがあった。


「マサ……すまねぇ……助けてやれなくて……本当にすまねぇ……」


 隣で嗚咽交おえつまじりに謝っている親父の後輩に、何も言えなかった。


 いいや、涙さえ出なかった。


 薄情な息子だなと、今なら自分自身にだって思う。


「おい……親父」


 でも仕方なかった。


 その顔が、あまりにも普段の寝ている姿にそっくりで。


 だから嘘だって思ったんだ。


「ほら、帰ろうぜ。親父……?」


 揺さぶろうと触れた肩は、ひどく冷たくて。


 あんなに大きく感じた父の手が、どうしてか小さく見えて。


「親父……」


 返事はなかった。


 厳格でぐで、曲がったことなど許さない、この黒銀くろかねという街の英雄。そう呼ばれていたはずの男は、しかし息を止めたまま。


 こんなにも呆気あっけない終わり方だったから、強面こわもての大人たちがそろいも揃って泣いているのかよ。


 だからだろうか。


 朝焼けを受けて白く輝くベッドの上、横たわる幼馴染の吐息を感じた瞬間。


 止めなく涙があふれ返った。


「生き、てる……」


 そんな言葉しか出てこなくて。


 握った細い手から伝わる温かさに、さらに涙が込み上げた。


 小さい頃からずっと一緒だったそいつが、まるで光そのものに見えて。


 祈るように、柔らかなその手にすがる自分がいた。


「まさ、ひと……?」


 寝ぼけた声に、顔を上げる。


 まだ状況が何もわかっていないらしい白い顔。


 それでも笑っているように見えたのは、なぜか。


「あれ、アタシ……、ん、正仁、なに、して……?」


「無事で良かった……」


 気付けば抱きしめていた。


 耳にかかる吐息には驚きの色が含まれていたけれど、そんなもの関係なかった。


 この温かさが、いとおしかった。


「無事で良かった……」


 もうそれしか言えなくて。


 ただ、生きていてくれたことだけで良かった。


 どんな理由があっても、死んだらもうこの温かさはなくなってしまうのだから。


 翌日、見舞いに行くと、いきなり抱き着かれた。


「ごめ……正仁……おじさ……アタシ……ごめん、なさい……」


 どうも親父の後輩だった刑事の誰かから話を聞いたらしい。


 この幼馴染を誘拐した犯罪者たちが潜伏先で反撃したこと。勝てないと思ったのか、それとも証拠の隠滅いんめつがしたかったのか、とにかく現場を爆破したこと。そこで負った傷のせいで、親父は帰らぬ人になったこと。


 呂律ろれつが回らないほど泣いているくせに、とにかく謝罪しかできないって感じで。


 そんな幼馴染に、何て言ってやればいいのか、わからなかった。


 親父が死んだのはお前のせいだ? 責任を取れ? 許さないぞ?


 違う。親父なら、絶対にそんなこと言わない。


 俺が憧れ続けた英雄、この街を守り続けてきたヒーローなら、何と言うか。


 ああ、簡単じゃないか。


「親父は警察官として、市民を助けに行っただけ」


「まさ、ひと……?」


「息子の幼馴染だからじゃなく、この街で幸せに笑っているべき一人の人間としてお前を守っただけだから」


 夫や父親として以上に、この街の刑事として生きたあの人なら、こう考えたはずだ。


 早くに別れた母親は、そんな親父を嫌ったけれど、俺は違う。


 その在り方こそ本当の正義の味方じゃないか。


 市民の命と財産を脅かして笑う。そんな非道な悪から、平和な暮らしを守り抜く。


 文字通り、命懸けで。


 だから親父の死は、立派な警察官だからこその死だ。


 助かった人間に謝ってもらうようなことじゃない。


「お前のせいじゃない。だから、もう泣くな」


 俺の胸に埋められた頭が、小さくうなずいてくれて。


 その時、俺は決心した。


 警察官になる。親父と同じように刑事になって、その遺志を継ぐ。


 もう誰も、こんな風に泣かせたりはしない。


 そう思っていたはずなのに。


 チラつくのは、血のように赤いマフラー。


 そいつが起こした事件は、残虐極まりないもので。


 五月。寝たきりの患者ばかりを集めた病院の別館が爆破された。死亡した人数だけでも百に届く。現場から生還したのは、犯人とおぼしき赤いマフラーの仮面の男。それと、病気の母親の見舞いに来ていた中学生の少女だけ。


 六月。この街でも有数のホテルで開催されたファッションイベントが襲撃された。今度は二十七人も殺された。俺は警備として現場にいたのに、妹みたいに思っていた少女を守れなかった。それどころか、犯人を目の前にして、何もできなかった。


 そして一ヶ月の沈黙を破って、八月。奴らのせいで怪物にされた教師が、一人の警察官を殺害した。六月の事件で教え子を病院送りにされた男が、悪魔の手先にされたと。挙句あげくの果て、あんな風に暴走して、そして無惨むざんに殺された。


 残酷すぎる。


 だから俺は戦った。これまでにない新しい力……〈X4イクス・フォー〉で。


 新型の宇宙服として開発していたらしいよろい。とんでもない威力と引き換えに、使う俺への負荷も半端じゃない。それでも銃弾さえ無力化する怪物とも互角に戦える。それだけでも大きな前進だった。


 いいや、でもまだ足りない。


 あの赤マフラー、奥の手を隠していやがった。イマンなんとかって音がした途端、それまでの動きが嘘だったみたいに、とんでもなく強く、しかも素早くなりやがった。


 一緒に戦うサイバーセキュリティ課の早乙女さおとめ歩生明あるふぁって同僚が言うには、その単語は〈解放〉って意味の言葉だったらしい。


 何が解放だ、ふざけやがって。


 自分はあれだけ人を殺しておきながら、死んでいった人たちやその遺族には謝罪もしない。犯行声明もなく、目的も不明瞭。早乙女の見立てが確かなら、単に怪物にした相手を殺しながら、その周囲にいる人間も潰している可能性があるって話だ。


 許せない。


 あいつこそ、この街の敵だ。


 だからこそ俺が捕まえる。ボコボコにして、あの不気味な仮面もいで、そうして自分の犯した罪の重さをわからせてやるんだ。


 ただ、あの赤マフラーが放った一言が、どうしてか今も頭の中に残っていて。


「本当にすべきことを見失うな」


 不意に、あの憎い赤マフラーが正体を隠すために被る銀の仮面と重なるように、死んだはずの親父が現れる。


 その顔はひどく険しくて。まるで、何か悲しんでいるような、そんな目で。


 どうしたんだ。


 そうこうと手を伸ばした瞬間。




 ぴぴぴ、ぴぴぴ、ぴぴぴ。


「ん……」


 携帯端末に仕掛けておいたアラームの音。


 見えるのは、布団の上からの我が家の景色。休みの日は掃除とトレーニングしかしないせいか、相変わらず物は多くない。


 起き上がって、カーテンを開ける。


 まぶしい日差しが、眠い目を焼こうとするみたいに差し込んで。


「夢……か」


 一瞬でも親父に再会できて嬉しかった半面、どうして悲しそうにこっちを見ていたのか聞きたかった気持ちがしこりみたいに残ってる。


 ぴこん、と携帯端末が反応。おかしい、もうタイマーは掛けてないのに。


慈乃めぐのから……?」


 確認すると、夢に出てきた幼馴染から。


『今夜、おひま?』


 それだけ。


 そういえば一ヶ月前、たまたま墓参りで会った時、飯でも行こうなんて話をした気がする。まさか催促されるとは思わなかったが、悪い気はしない。


 あいつが幸せな姿は、親父の守ったものが正しかった証明そのものだ。


 今じゃ中学校の教師として働いて、立派に社会に貢献している、らしい。まあ、生きていてくれるだけで嬉しいんだけど。


 とにかくそんな幼馴染の近況だか愚痴だかわからん話に付き合ってやろうという気になって、メッセージを返そうとした。


 その瞬間、手の中でバイブレーション。


 記された情報が目に飛び込んだ瞬間、心臓がはずむのがわかった。


『作戦準備が整いました。今夜、下見に来てください』


「待ってたぜ……、早乙女!」


 思わず口かられ出した言葉と共に、ひとり笑う。


 悪党をぶっ潰す秘密の計画。その下準備が整うのをずっと待っていた。


 これであいつを捕まえられる。


 同僚への返事を送信したところで、再び端末が震えた。


『おーい、刑事さーん、起きてるかーい?』


 お前は俺の彼女か、と冗談交じりの言葉を送り返してから、改めて行けなくなったむねを付け加える。


 残念ながら、今夜の焼肉はおあずけだ。


 まあ、次の機会でいいだろう。


 悪のテロリストを捕まえた後、あいつも誘って祝勝会だ。そっちの方がいい。


「首を洗って待ってろよ……赤マフラー!」

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