EP05-拾:泣き虫たちの十字架


 地下研究室のひんやりとした感触。


 アイスコーヒーの中で転がる氷の音をぼんやり聞きながら、右眼の状態を確認する。


 戦闘から戻った昨夜。眼球の奥からずっと血を流していたというから、てっきり機能も停止していると思ったが。焦点は合うし、視野を広げることも狭めることもできる。特に視界そのものにいびつさもない。


 簡潔に言えば、正常そのものだった。


大神おおがみ正仁まさひとという刑事に〈X4イクス・フォー〉を渡したのは、間違いなく早乙女さおとめ歩生明あるふぁだ……」


 モニターに向き合ったまま、振り返りもしない麗人の声がいやに響く。


「では、その男が……」


「君の言った通り、〈ネクロ〉だ」


 答える声は、あまりに悔しそうで。やっと見破った宿敵の正体だというのに。まるで自分を責め立てるような色をにじませていて。


「同じ養護施設の出身なのに、まるで気付かないなんて……情けない話だろ?」


 自嘲気味な問いかけは、誰に向けたものか。


 一年前の七夕まで、ずっとその脅威からこの街を守ってきた「通りすがりのダークヒーロー」へのものか。あるいは、その人が傷つき苦しむ原因となった研究を創ってしまった自身へのものか。


「少年、君に頼みがある」


 椅子から立ち上がり、振り返った女主人にこちらも向き直る。


 少しやつれた顔。一睡もせずに調査を続けたらしい。


 暗くも真摯しんしな二つの瞳が伝えてくるのは、冷たい覚悟。


「私の研究に呑まれたあの刑事を、どうか殺してやってくれ」


 オレ自身の弱さに向けられた言葉は、もうあんな戦い方はするなという忠告で。


 戦うべき相手を見失った者に自分を差し出すなという強い命令でもあって。


承諾しょうだくできません」


「何だって?」


 唖然あぜんとした表情。そんな言葉が飛び出すなんて思いもしなかったのだろう顔は、それでも美しい。


 言わねばならない。驚くその顔に、こうから否定の理由を突きつけなければ。


「あの男は、〈獣核ゲノム・コア〉を埋め込まれた〈実験体〉ではありません」


「馬鹿な……! 私が設計したのは、あのパワードスーツの分だけだ。〈獣核ゲノム・コア〉なしで、あんな出力はありえない!」


「はい。だから、〈ネクロ〉が絡んでいると思って調べていただきました」


 切り返した言葉のせいか、主人の口から勢いが失せていく。


 ほんの数秒。込められた意味を探して逡巡しゅんじゅんする彼女の思考回路が答えを導き出す。


「ちょっと待て。まさか、〈リトロ〉ってやつが使っていたシステムか……?」


「おそらくは」


 忘れもしない。二度にわたる七夕の殺し合いで味わった悪魔の機構……〈コア・リンクシステム〉。


 自らのナノマシンを埋め込んだ相手を意のままに操り、死にかけた身体さえ動かし使い潰す能力。


 そのために死んでいった人の顔が脳裏に浮かぶ度に、この胸は締め付けられて。


「確かに、死んだはずの〈ネクロ〉が生きていたことも、〈ゲノム・チルドレン〉とかいうあの化物じみた存在ならば説明できるか……」


 天才科学者の頭の中にも、一応の筋は通ったらしい。その顔に理解できたことへの喜びの色など微塵みじんもないが。


「あの刑事のひじひざ、そしてベルト。合計五カ所に〈獣核ゲノム・コア〉を使っているようです。もちろん、この右眼の力を信じるなら、ですが」


 戦いの最中、異変を起こした瞳が認識したのは五つ。オレの〈コア〉と同質のそれだと感じられたのは確かで。もちろん、それをオーナーに証明する手段はない。だから、信じてもらうしかない。


「なるほどね。五つもの〈コア〉から力を流しているなら、確かにあの威力もうなずける。問題は、それをどうやって引き離すかだ」


「そのことですが。こちらが逃げる寸前のことを覚えていらっしゃいますか?」


 質問の意味が汲み取れなかったのか、女主人の眉間にしわが寄る。


「右腕の装甲、極限解放で破壊したところから鎧自体が崩れていきました。おそらく五つの〈コア〉は相互に干渉していて、どれか一つでも接続を遮断されるほどのダメージを負えば……」


「〈X4イクス・フォー〉を無力化できる……!」


 これでオレの推察は、共通の認識となった。


 あとは、攻略するための鍵をこちらが掴むだけ。


「だが相手もそこは警戒しているはず。簡単には解除できないように強化する可能性もあるし……大神正仁が武装する前に捕まえた方が手っ取り早くはないか?」


「それでは意味がありません。彼からは〈X4イクス・フォー〉を取り上げて、二度と使えないようにしなければ」


「待て、少年。どうしてあの男にそこまでこだわる?」


 不安げで心配そうな声が、オレの胸を鷲掴わしづかみにする。心臓を握り潰すほどの強さのまま放してくれないその眼差しが、胸の奥深くまで突き刺していくようで。


 本気でオレを死なせてくれないんだな。


「君にとって、別に何か関係の深い人間じゃないはずだ。君のことなど知りもしないだろうし、赤マフラーの戦う意味さえ理解していない。そんな相手、命を懸けてまで守る必要は……」


「あの男は〈実験体〉ではないし、誰かを傷つけて笑う外道でもない。ただ守りたいもののために戦っている。だから、こちらにも殺す道理はありません」


「本気でそう思うのか?」


 夜通しの整備と確認作業のせいで充血した眼が、ぐにオレを射貫く。


 そこにあるのは、優しい怒り。オレを死なせまいと言外に告げる悲しいくらいに温かな炎で。


 だが、だからこそ。


「オレは悪です。犯してきた罪ゆえに、逃げてはいけない戦いもあります……」


 口に出した言葉が、ナイフのように斬りつける。それは告げたオレ自身よりも、投げつけられた彼女の口をぎゅっと結ばせてしまうとわかっていたくせに。


 ああ、どうして、この人がそんな顔をするのだろう。


 互いの目的のために手を組んだだけの〈支配人〉と〈実験体〉の関係なのに。


 こんな気持ちになるなら言わなければ良いと、わかっていたはずなのに。


 そんな悲しそうな顔をしないでほしい……、なんて言葉、オレの口からは出せるわけもないのに。


「オーナー。〈X4イクス・フォー〉のデータをいただけませんか?」


「少年……」


「大神正仁を止めれば、きっと〈ネクロ〉も黙っていません。あのにじの光、〈解放〉の力はそこで必要になります。だから〈X4イクス・フォー〉は既存の装備だけで攻略しなければ……」


「少年っ!」


 畳みかけた正論など、意味がないのはわかっていても。どれだけ説明しても、この優しすぎるご主人様が止めることも知っていても。


 滑り出す言葉は、口からあふれ出してしまう。


「付き合ってください……オレのエゴに」


「っ……!」


 卑怯だとわかっている。これは彼女が逃げられない理由となった言葉だ。


 この街を見捨てて、全ての罪を見ないふりをして、そうして死んでしまおうとしたこの麗人。そんな彼女をこの場所に繋ぎ止めてしまった、あまりに身勝手な言葉だから。


 でもこれだけが、師匠が守ろうとした人を生かすのに、どうしても必要なオレの悪。


「バカだね」


 そう言いながらも、口元を緩める主人に少しだけ安堵あんどする。


 やっぱりこの人には、笑っていてもらいたい。それすら身勝手なエゴイズムだと知りながら、それでもと願ってしまう。


「……わかった。代わりに、私の要求には従ってもらうよ」


「当然です」


「じゃあ、とりあえずココアフロート。先にシャワーを浴びてくるから、一時間くらいしたら持ってきてくれ。データはその後だ」


「かしこまりました」


 いつもの余裕を取り戻した笑み。そんな表情を浮かべたまま、研究室を出ていく彼女の後ろ姿を、オレはただ見送って。


「ふぅ……」


 息が、勝手に口かられた。


 やはり昨夜の戦いのダメージは少なからず残っている。仕方もない。この身で受け止め切れないほどの痛みだったのは、間違いないのだから。


 全てはオレの甘さが悪いことくらい、わかっている。


 多くの犠牲を出しながら、誰一人にすら謝ることもできない。いつか必ず罰を受けるつもりではいても、そんなものでのこされた人々が納得できるとも思えない。


 不意に、脳裏で通知音が鳴る。


 オーナーが仕込んだまま放置していたハッキング。とある病院のコンピュータに入力された情報が、そのままこちらに流れてくる。


「そうか……」


 鹿本しかもとつむぎという少女が、たった今、息を引き取った。


 しかし、どうしてだろう。よく知りもしない相手のはずなのに。


「……くそ」


 こんなにも、涙があふれてくるのは。


 彼女が知らせてくれたから、獅子内ししうちひらくという男を止められた。


 あの必死な表情と指文字のサインがなければ、きっと気付けなかった。


――せんせいを、とめて――


「すまない……」


 言葉通り、止めることはできた。少なくとも、あれ以上の殺戮はさせずに済んだ。


 だが、それだけ。命も想いも、何も救えはしなかった。


「すまない……」


 元に戻す方法があったかもしれない、という刑事の言葉。それが〈ネクロ〉に吹き込まれた嘘だということは、わかっていても。


 本当は、助ける方法はあったんじゃないのか。


「すま……ない……」


 つぶやきは嗚咽おえつに変わっていく。


 泣いていいわけないのに。殺した側のオレには、その罪を背負うと決めたオレには、助けられなかったオレには、何も言う資格なんてないのに。




――ありがとう――




 どこからか、声がした。


 聞いたことのない少女の声。周囲を見回すも、どこにもそんな影も形もない。


「……まさか」


 壁に掛かった鏡。その向こう側。


 ぐちゃぐちゃに泣いているオレの姿にぼんやりと重なる二つの影。


 背の低いのと、高いのと。女の子のものと、男のものと。


「鹿本紬……獅子内拓……なのか?」


 うなずいたように見えた小さい影と、小刻みに震える大きい影。


 まるで何かを言いたいのに恥ずかしくて縮こまっている子どものような、そんな男の幻影。励ますようにその手を引く小さな幻影が、困ったように笑っている。




――ごめん――




 男の声。


 泣きじゃくるようなその声に乗って、彼が味わった痛みまでが伝わってくる。


 殴りつける拳の痛み。誰かを傷つけてしまう痛み。想いを踏みにじってしまった痛み。


 その全てが、右の瞳を通してなみだとなってあふれてくる。


「ごめん……じゃないだろ……」


 絞り出したのどからは、そんな言葉しか出てこなくて。


 謝りたいのはこっちで。守れなかったのはオレのせいで。何よりも救われなかったのはそっちのはずで。


 オレの声は届かなかったのか、二人は不安そうに首を傾げているのがわかって。


 だから。


 大きく首を振って、拳を突きつける。そうして上に向かって突き立てたのは、親指。俗に言う、サムズアップ。


 二つの影が互いを見合う。そうしてオレと全く同じポーズ。そして伝わるのは、温かな笑み。


 刹那せつな


 鏡には、オレの姿だけが残されていた。


 その顔には、いびつな笑顔。


 いつの間に笑っていたのか。教師のくせに生徒に諭されていた男を、笑わせたくて。死んだ後まで泣いている男に、大切な相手の横でくらいは笑っていてほしくて。


「ありがとう……」


 旅立つ二人が見せてくれた微笑ほほえみに、小さな感謝の言葉だけ投げかける。


 たとえそれが、決して届くことのない声だとしても。


 それでも、言いたかった。




 この街で地獄を作り続ける〈スポンサー〉は必ず追い詰める。


 奪った命に報いることはできないとしても。


 この罪がどんなに重くて、その十字架がこの身を圧し潰そうとしても。


 死んでしまえば楽になれると、そう思えるほどに苦しい戦いが待っているとしても。


 この絶望には、オレが終止符を打つ。


 他の誰にも譲らない。正義の味方なんかには渡さない。


 そのために、どんな報いを受けることになっても構わない。


 ただ、それでも。


 どうか。


 輪廻りんねの先で、彼らが笑って過ごせますように。


 もしも叶うのならば。


 大切な誰かに、その声が届きますように。




Fin

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