EP05-玖:正義のために進む先
風に揺れる白いカーテン。
そこから
「それでは事後報告を始めますが……よろしいですか、
「
警察病院の個室で、
腕と頭には神経質なほどに巻かれた包帯。一応の入院という措置が気に入らないのか、それとも昨夜の戦闘がまだ
「では、今回の事件の被害者から。
「っ……!」
許せない気持ちを必死に抑えているような、そんな声が漏れ出す。
当然か。この男にとって、犠牲者が一人でも出ることは
ネオンの光が照らさない裏側で、当たり前に殺し合いが行われるこの街の現状。それを何一つ理解できていない。おまけに自分なら平和を取り戻せると思い込んでいるがゆえの、なんとも
まあ、そう考えるようになった原因は、主に私なわけだが。
虚偽の情報、
それらを取捨選択もできずにホイホイ信じてしまうリテラシーの不足が、この男の最大の弱点。同時に私がこの男を使う大きな理由の一つだった。
「しかしよぉ、それでも五月や六月の事件に比べればずっとマシだろ。百人もの人間を巻き込むような大きなテロは防げたんだから。なぁ、マサ?」
「でも、
寝台横からベテラン刑事の
深々と椅子に腰かけながら、しっかりと後輩に向き合っている男の顔には困ったような笑み。
しかしそんな先達の言葉であっても、やはり若き熱血漢を納得させられないらしい。
本当に仕方がない男だ。
「大神刑事、
「……」
「おそらく彼は勝てないと察した時点であの端末を投げ捨てた……我々をあのホテルに導くために」
「それは……」
「だとすれば、彼は立派に警察官としての職務を
「警察官としての職務……」
どうやら何か思い当たるところがあったらしく、不満顔がだんだんと変わっていく。
そうだ、それでいい。お前は私の道具。大人しく言うことだけ聞いていればいい。
「それにしてもよぉ、あの宇宙服らしくない鎧、本当に大丈夫なのか? こんなにボロボロになるようなら、実戦に投入するのは危険だと思えちまうが……」
「水早さん、そんなこと言わないでください! 少なくとも、俺には必要な力です!」
食って掛かる姿は、まさしく犬だな。
しかし、あまり露骨でも面白みがない。
「水早刑事、
「そりゃ見たとも。俺が小室巡査長の住所付近を調べている間、お前さんたちが死に物狂いでやったこともわかるさ」
死に物狂い? まあ、その通りだよ。
この無能共の捜査が進展しないように動き、二人がそれぞれ帰るタイミングを見計らって〈
しかし、まさか〈ホロウ〉が造った〈実験体〉の方が先に暴れ出してくれるとは。おかげで大義名分がわかりやすくなったし、赤マフラーとの戦闘データまで取れるおまけつきだった。
「でもな早乙女くん。こんな怪我にまで目を
「違います、水早さん! 俺はまだ、戦えます‼」
実際、見た目ほど重症ではない。包帯を巻かれた腕も頭も、戦闘で負ったダメージ自体はもうすぐ完治するレベルではある。というか、そういう〈クスリ〉をちゃんと投入しているんだ。
むしろその薬品のおかげで、正義を熱く語れる程度には元気だ。一ヶ月もの間、徐々に投薬を繰り返してきた成果だろう。でなければ〈
「それより早乙女。赤マフラーが殺した怪物のこと。あれも元の人間がいるんだろ……
血走った眼光がこちらを
あの小娘……
「なぁ、マサ。入院している間くらい落ち着いて寝てろや。休むのも仕事だぞ」
「何言ってるんですか⁉ 赤マフラーより先に助けに行けたかもしれないんですよ⁉ あいつを倒すだけじゃこの街を傷つけるテロリストたちを止められないかもしれないんだ……そうだろ、早乙女!」
面食らうベテラン刑事の顔も、こっちに正当性の補強を願うアホ面も、あまりに
「大神刑事、貴方の言うことはもっともです。けれど、冷静であるのも刑事として必要な資質では?」
「っ……、かもな……」
ぶっきらぼうながらも、言い過ぎたと反省する姿勢。いいぞ、私の言葉なら聞くようになってきた。〈
「怪物にされた方の正体ですが。
「獅子内……⁉」
「おや、お知り合いでしたか?」
答えを知ったうえで
「七年前に起きたテロ事件の被害者……その遺族だ」
「そうでしたか……もしかして大神刑事にも関係のある話ですか?」
さあ、心の傷を自ら口に出す苦い感触を存分に味わってくれたまえ。
「俺の……」
「四人の女子高生が、ある研究機関を乗っ取ったテロ集団に
案の定、怒っているようだね。この笑みを隠すのに注力しなければ。
「もしや、七年前の
「知ってんのか、早乙女?」
「当時は大きなニュースになりましたからね」
意外そうに両目を開く怪我人に、吹き出しそうになるのを必死になって
まったく、馬鹿なうえに哀れな男だよ。あの時、誰が
「でも、もし赤マフラーがそれを知っててやったなら、余計に許せねぇよ。家族を奪われた人間を、テロリストに仕立て上げようなんて」
おそらく改造施術を行った〈ホロウ〉はそんなことは考えていなかっただろう。むしろあの女の血縁で、つまりは有能な〈当たり〉になる可能性を秘めた〈素体〉を試したに過ぎない。まあ、この馬鹿には理解しえないことだが。
「早く奴の悪行を止めねぇと」
「マサ。気持ちはわかるが、今は休んで……」
「俺はこれ以上、この街の誰一人として傷つけられたくないんです‼」
激しい怒りの感情を、そのまま言葉にしたような叫び声。
もっとだ。もっと怒りを燃やしてくれたまえ。その矛先が何であろうが、私にとってはどうでもいい。
君のその正義に燃える激情こそ、〈
「
唐突に開いたドアの音を、上書きするような金切り声。
思わず振り向いた先には女が一人。
「
「それより、どうしてそんなに包帯まみれなわけ⁉」
ズカズカと入り込んだ女が、有無を言わさぬ勢いで畳みかける。そうかと思えば、男の方も黙っていられず吠えるようにして
まるで子供の
「あ~、はいはい、そこまで。仲良しお二人さん、悪いがちょいと声のトーンを落としてくれや。ここも一応は病院だからよぉ」
二人して我に返ったらしく、それでもバツが悪そうに顔を背け合う。
なんだ、このコントは。
「失礼ですが、そちらの女性はお知合いで?」
声を発した私を見て、なぜか面食らう女。
いや、ちょっと待て。この匂いの感じ。もしかしてこの女……。
「彼女は
「どうも、神宮慈乃です」
「慈乃ちゃん、こっちはサイバー犯罪課の
「サイバーセキュリティ課の早乙女です。気軽にアルファとお呼びください」
営業スマイルを浮かべる瞬間に気付けて本当に良かった。もっと
ああ、間違いない。
七年前、安納超常現象研究所に捕らえた女の一人。まだ〈当たり〉としての覚醒はしていないらしいが、あの時に埋め込んだ種はしっかり根付いている。
ひょっとすると、面白いことになるかもしれない。
「いやしかし慈乃ちゃんさ、時間があるタイミングで来てくれとはメールに書いたけどよぉ。まさかこんな光の速さでとは思わなかったわ。これが愛の力ってやつかね?」
茶化して笑っているだけの老人相手に、二人して顔を真っ赤にしている。
ふん、そういう関係か。ますます良いじゃないか。
絶望に
「大神刑事、一つよろしいですか?」
「ん?」
老刑事と見舞客の女が他愛のない談笑を始めた頃合いを見計らって、そっと耳打ち。
「我々は赤マフラーに対して常に後手に回ってきました。なら今度は、こちらが先手を打つ、というのは
驚いて言葉も失くしたらしい男の瞳が訴えかけてくる。
どうするのか、と。
「良い作戦を思いつきましたが、〈
「当たり前だろ……それで赤マフラーを捕まえられるなら!」
ギラリと光る眼が、獣性を帯びる。今すぐにでも戦わせろと叫び出しそうな視線が、私を離さない。
これで役者は
我ら〈ゲノム・チルドレン〉さえ殺す
七年前に〈スポンサー〉を嗅ぎ回ったせいで私に殺された男の、その息子。
さて、それぞれの二代目たちには、最高のショーを見せてもらいたいものだ。
この私が真の王となる物語。その前座を最大限に盛り上げるため、存分に踊り狂えばいい。
正義はこの〈ネクロ〉の手の中にあるのだから……。
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