EP05-玖:正義のために進む先


 風に揺れる白いカーテン。


 そこかられる太陽の光が、手元のタブレット端末に反射してわずらわしい。くもり空だというのに、その隙間をって届く輝きが何とも邪魔だ。見ないように、壁に背を預けることにしよう。


「それでは事後報告を始めますが……よろしいですか、大神おおがみ刑事?」


早乙女さおとめ。そういうのいいから、さっさと始めてくれ」


 警察病院の個室で、不貞腐ふてくされた顔をする男がベッドの上で胡坐あぐらをかく。


 腕と頭には神経質なほどに巻かれた包帯。一応の入院という措置が気に入らないのか、それとも昨夜の戦闘がまだに落ちていないのか、とにかくご機嫌斜きげんななめだった。


「では、今回の事件の被害者から。小室おむろたかしさん……先日お伝えしました巡査長の方ですが、ホテル内で発見されました。それも、食い破られたようなむごたらしい姿で……」


「っ……!」


 許せない気持ちを必死に抑えているような、そんな声が漏れ出す。


 当然か。この男にとって、犠牲者が一人でも出ることはすなわち敗北なのだろう。なんとも子供じみた考え方だ。


 ネオンの光が照らさない裏側で、当たり前に殺し合いが行われるこの街の現状。それを何一つ理解できていない。おまけに自分なら平和を取り戻せると思い込んでいるがゆえの、なんとも傲慢ごうまん苛立いらだち。


 まあ、そう考えるようになった原因は、主に私なわけだが。


 虚偽の情報、えて伝えない情報、聞き手に都合のいいと思わせられる情報。


 それらを取捨選択もできずにホイホイ信じてしまうリテラシーの不足が、この男の最大の弱点。同時に私がこの男を使う大きな理由の一つだった。


「しかしよぉ、それでも五月や六月の事件に比べればずっとマシだろ。百人もの人間を巻き込むような大きなテロは防げたんだから。なぁ、マサ?」


「でも、水早みはやさん……」


 寝台横からベテラン刑事のなだめるような声。


 深々と椅子に腰かけながら、しっかりと後輩に向き合っている男の顔には困ったような笑み。


 しかしそんな先達の言葉であっても、やはり若き熱血漢を納得させられないらしい。


 本当に仕方がない男だ。


「大神刑事、貴方あなたが助けられなかった警察官について考えましょう。彼はおそらく敵の所在を感知した。その確証を得るべく進んだ先で無惨むざんにもあんな目に遭った」


「……」


「おそらく彼は勝てないと察した時点であの端末を投げ捨てた……我々をあのホテルに導くために」


「それは……」


「だとすれば、彼は立派に警察官としての職務をまっとうしたことになりませんか? この街の人々が奪われるはずだったかもしれない生命も財産も、守り抜いたのですから」


「警察官としての職務……」


 どうやら何か思い当たるところがあったらしく、不満顔がだんだんと変わっていく。


 そうだ、それでいい。お前は私の道具。大人しく言うことだけ聞いていればいい。


「それにしてもよぉ、あの宇宙服らしくない鎧、本当に大丈夫なのか? こんなにボロボロになるようなら、実戦に投入するのは危険だと思えちまうが……」


「水早さん、そんなこと言わないでください! 少なくとも、俺には必要な力です!」


 食って掛かる姿は、まさしく犬だな。


 しかし、あまり露骨でも面白みがない。


「水早刑事、おっしゃりたいことはわかります。しかし赤マフラーを撤退に追いやったのは大神刑事の〈X4イクス・フォー〉というのも、また事実。署長と一緒に記録は見てくださったはずです」


「そりゃ見たとも。俺が小室巡査長の住所付近を調べている間、お前さんたちが死に物狂いでやったこともわかるさ」


 死に物狂い? まあ、その通りだよ。


 この無能共の捜査が進展しないように動き、二人がそれぞれ帰るタイミングを見計らって〈X4イクス・フォー〉を持たせた大神を出動させる腹積もりだった。


 しかし、まさか〈ホロウ〉が造った〈実験体〉の方が先に暴れ出してくれるとは。おかげで大義名分がわかりやすくなったし、赤マフラーとの戦闘データまで取れるおまけつきだった。


「でもな早乙女くん。こんな怪我にまで目をつむることはできない。いくら強くたって、使う側が死にかけるような代物なら……」


「違います、水早さん! 俺はまだ、戦えます‼」


 実際、見た目ほど重症ではない。包帯を巻かれた腕も頭も、戦闘で負ったダメージ自体はもうすぐ完治するレベルではある。というか、そういう〈クスリ〉をちゃんと投入しているんだ。


 むしろその薬品のおかげで、正義を熱く語れる程度には元気だ。一ヶ月もの間、徐々に投薬を繰り返してきた成果だろう。でなければ〈X4イクス・フォー〉の力に、こんなもろい肉体が圧し潰されずに済むわけがない。


「それより早乙女。赤マフラーが殺した怪物のこと。あれも元の人間がいるんだろ……姫澄きすみみたいに」


 血走った眼光がこちらをにらむ。


 あの小娘……寺嶋てらしま姫澄きすみは、死してなお大きな役割を果たしてくれている。わざわざ死にかけの身体を〈実験〉に使って正解だった。この男の正義感と憤怒を一度に刺激してくれるのだからね。


「なぁ、マサ。入院している間くらい落ち着いて寝てろや。休むのも仕事だぞ」


「何言ってるんですか⁉ 赤マフラーより先に助けに行けたかもしれないんですよ⁉ あいつを倒すだけじゃこの街を傷つけるテロリストたちを止められないかもしれないんだ……そうだろ、早乙女!」


 面食らうベテラン刑事の顔も、こっちに正当性の補強を願うアホ面も、あまりに滑稽こっけいで。必死に笑いを噛み殺して、真顔を保つのがやっとだった。


「大神刑事、貴方の言うことはもっともです。けれど、冷静であるのも刑事として必要な資質では?」


「っ……、かもな……」


 ぶっきらぼうながらも、言い過ぎたと反省する姿勢。いいぞ、私の言葉なら聞くようになってきた。〈X4イクス・フォー〉と共に調教してきた甲斐があったというものだな。


「怪物にされた方の正体ですが。黒銀くろかね市立第二中学校に勤める英語科の教員で、名前は獅子内ししうちひらくさんとのことで……」


「獅子内……⁉」


「おや、お知り合いでしたか?」


 答えを知ったうえでくのは、何と気分が良いのだろう。やはり覚えていたのか、という実感で胸が躍る。


「七年前に起きたテロ事件の被害者……その遺族だ」


「そうでしたか……もしかして大神刑事にも関係のある話ですか?」


 さあ、心の傷を自ら口に出す苦い感触を存分に味わってくれたまえ。


「俺の……」


「四人の女子高生が、ある研究機関を乗っ取ったテロ集団に拉致らちされた。そのうちの一人が獅子内ししうちつむぎ。今さっきお前さんの口から名前が出た獅子内拓……その妹さんだよ」


 いさめるような視線で後輩の言葉をさえぎって、そのまま説明を始めたのはベテラン刑事。


 案の定、怒っているようだね。この笑みを隠すのに注力しなければ。


「もしや、七年前の安納あんのう超常現象研究所での爆破テロ事件ですか?」


「知ってんのか、早乙女?」


「当時は大きなニュースになりましたからね」


 意外そうに両目を開く怪我人に、吹き出しそうになるのを必死になってこらえる。


 まったく、馬鹿なうえに哀れな男だよ。あの時、誰が大神おおがみ義仁よしひとを……お前の父親を殺したのかさえ知らないで。今も親の仇を前にしているとも気付かずに、健気けなげに尻尾を振っているんだから。


「でも、もし赤マフラーがそれを知っててやったなら、余計に許せねぇよ。家族を奪われた人間を、テロリストに仕立て上げようなんて」


 うれいをのぞかせる瞳で毒づいた言葉に、笑みを隠しきれるか心配になる。


 おそらく改造施術を行った〈ホロウ〉はそんなことは考えていなかっただろう。むしろあの女の血縁で、つまりは有能な〈当たり〉になる可能性を秘めた〈素体〉を試したに過ぎない。まあ、この馬鹿には理解しえないことだが。


「早く奴の悪行を止めねぇと」


「マサ。気持ちはわかるが、今は休んで……」


「俺はこれ以上、この街の誰一人として傷つけられたくないんです‼」


 激しい怒りの感情を、そのまま言葉にしたような叫び声。


 もっとだ。もっと怒りを燃やしてくれたまえ。その矛先が何であろうが、私にとってはどうでもいい。


 君のその正義に燃える激情こそ、〈X4イクス・フォー〉の力を引き出す鍵なのだから。


正仁まさひと、だいじょうぶっ⁉」


 唐突に開いたドアの音を、上書きするような金切り声。


 思わず振り向いた先には女が一人。


慈乃めぐの⁉ お前、なんでこんなところに……」


「それより、どうしてそんなに包帯まみれなわけ⁉」


 ズカズカと入り込んだ女が、有無を言わさぬ勢いで畳みかける。そうかと思えば、男の方も黙っていられず吠えるようにしてひるませる。


 まるで子供の喧嘩けんか。ギャーギャーと騒がしい応酬が続く中、一人だけ穏やかな笑みを浮かべていた老刑事が思い出したように口を開いた。


「あ~、はいはい、そこまで。仲良しお二人さん、悪いがちょいと声のトーンを落としてくれや。ここも一応は病院だからよぉ」


 二人して我に返ったらしく、それでもバツが悪そうに顔を背け合う。


 なんだ、このコントは。


「失礼ですが、そちらの女性はお知合いで?」


 声を発した私を見て、なぜか面食らう女。


 つやのあるショコラブラウンの髪が肩のあたりでウェーブし、色白の肌もあいまって甘いスイーツがそこにあるような錯覚におちいる。対照的に、地味で飾り気のないシャツとジャージという服装。下手をすれば学生に見間違うレベルだ。


 いや、ちょっと待て。この匂いの感じ。もしかしてこの女……。


「彼女は神宮かみや慈乃めぐのちゃんって言ってな。マサとは古くからの付き合いで、幼馴染ってやつなんだ」


「どうも、神宮慈乃です」


「慈乃ちゃん、こっちはサイバー犯罪課の早乙女さおとめ歩生明あるふぁくん。俺達のサポートをしてくれている」


「サイバーセキュリティ課の早乙女です。気軽にアルファとお呼びください」


 営業スマイルを浮かべる瞬間に気付けて本当に良かった。もっと醜悪しゅうあくなまでの笑みが露呈するところだったよ。


 ああ、間違いない。


 七年前、安納超常現象研究所に捕らえた女の一人。まだ〈当たり〉としての覚醒はしていないらしいが、あの時に埋め込んだ種はしっかり根付いている。


 ひょっとすると、面白いことになるかもしれない。


「いやしかし慈乃ちゃんさ、時間があるタイミングで来てくれとはメールに書いたけどよぉ。まさかこんな光の速さでとは思わなかったわ。これが愛の力ってやつかね?」


 茶化して笑っているだけの老人相手に、二人して顔を真っ赤にしている。


 ふん、そういう関係か。ますます良いじゃないか。


 絶望にゆがむこの二人の顔が目に浮かぶだけで、舌なめずりをしたくなる。


「大神刑事、一つよろしいですか?」


「ん?」


 老刑事と見舞客の女が他愛のない談笑を始めた頃合いを見計らって、そっと耳打ち。


「我々は赤マフラーに対して常に後手に回ってきました。なら今度は、こちらが先手を打つ、というのは如何いかがでしょう?」


 驚いて言葉も失くしたらしい男の瞳が訴えかけてくる。


 どうするのか、と。


「良い作戦を思いつきましたが、〈X4イクス・フォー〉に……つまり君に負担が大きい作戦です。やってくれますか?」


「当たり前だろ……それで赤マフラーを捕まえられるなら!」


 ギラリと光る眼が、獣性を帯びる。今すぐにでも戦わせろと叫び出しそうな視線が、私を離さない。


 これで役者はそろった。


 我ら〈ゲノム・チルドレン〉さえ殺すにじの力を手にした二人目の赤マフラーと。


 七年前に〈スポンサー〉を嗅ぎ回ったせいで私に殺された男の、その息子。


 さて、それぞれの二代目たちには、最高のショーを見せてもらいたいものだ。


 この私が真の王となる物語。その前座を最大限に盛り上げるため、存分に踊り狂えばいい。


 正義はこの〈ネクロ〉の手の中にあるのだから……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る