EP05-陸:復讐と覚悟


 もう使われなくなったホテル、その廊下をおおい隠す薄闇の中。


 視えるのは、血赤に染まったマフラー。


「お前を殺しに来た」


 銀色の仮面かられ聞こえた声。


 その物言いが、あくまで自分は悪くないと言わんばかりのその態度が、許せなくて。


「逆だ……俺がお前を殺すんだよッ!」


BISONバイソン


 脚が燃えるように熱くなって、爆発的な勢いが奴との距離を一瞬にしてゼロにする。


 奴に避けるすべはないはずだ。この狭い空間ではお得意のジャンプもできはしないのは目に見えているんだから。


「ぐ……!」


 案の定、タックルは直撃。


 鳩尾みぞおちに叩き込まれた一撃の威力を殺すこともできずに吹き飛ぶ無様な姿には、自然とほおゆるんでしまう。


「お゛ら゛ぁ!」


 そのまま転がった奴を掴み上げ、壁に叩きつけてめり込ませる。


 これで逃がさない。今度こそ徹底的に痛めつけて、その絶望を存分に味わったところで殺す。


「お゛ら゛お゛ら゛ぁ!」


 ラッシュ、ラッシュ、ラッシュ。


 この身体から打ち出される拳の速さは、こいつが殺した人間の数だけ増していく。この身体が繰り出す技の重さは、こいつに殺された人間の数だけ増えていく。


 この力をくれた〈ホロウ〉はそう言っていた。


 ふざけた仮面ごとぶち割ってやるつもりで、何度も拳を打ち付ける。ガードするので手一杯のこいつより、断然こっちの方が速い。


 しかも、一撃一撃にきっちり手応えがある。前の対決の時よりずっとダメージを与えられている実感を得られて、胸が沸き立つ。


 勝利を確信した瞬間。


「あ゛あっ⁉」


 振り上げた腕が、震えた。この口元から漏れ出したものは、どろりとした液体。

たった今、俺が吐き出したのは何だ。


 はらわたから湧き上がってくるものが、食道を焼きながら駆け上がってきやがったのは理解できたが。


 その色は赤黒。これが自分の心臓から造られた血なのか、それともさっき喰った警官のものなのかは、もう判別ができない。


 攻撃されたわけじゃないなら、拒絶反応リジェクションってやつか。


 くそ。〈ホロウ〉がどこ行ったのかもわからないし、ここでこいつを逃がすわけにもいかないって時に。


「ふんっ!」


「こ゛あ⁉」


 よろめいた身体に反撃のキックが重く刺さる。って無様に転げたが、まだ身体は動きそうだ。


 それより、逃げ出す隙を与えちまった方が問題だ。やっと捕まえたっていうのに。


 しかし驚いたことに、この悪魔は逃亡も追撃もしてこない。ただこちらを見下すように観察していやがる。まさか、起き上がってくるのを待っているのか。


 だったら。


「なめんなぁぁぁぁぁぁあ‼」


CHAMELEONカメレオン……Exterminationエクスターミネイション


 叫びに合わせて、腰のボタンに手を掛ける。


 飛び起きながら右腕を振るうと、天井の高さまで伸びあがった〈カメレオン〉の舌をむちのように打ち放つ。内部からほとばしる高圧電流がまばゆい金色の光を帯びながら、壁に焦げ目を付けていく様が楽しい。


 さあ、避けられるものならやってみろ。そうしたら着地の隙にもう一発、あのタックルをぶち込んでやるからよ。


 脚に力をめながら、相手の動きだけに視線を送る。


「ぐッ……!」


 予想に反して、きっちりと手応え。


 むしろダメージになることもいとわずに、わざわざ伸ばした武器を掴んでくる。


 互いに一歩も退かない膠着こうちゃく状態。しかし妙なことに、奴は攻めに転じてこない。


 まさか、戦う気がないのか。


 ムカつく。まるでこっちが自滅するのを待っているような動き。殺しに来たと言いながら、その方法が持久戦だと。さっきの拒絶反応を見て、これこそ理にかなった勝ち方だとでも思い至ったのか。


「何のつもりか知らないが、だったらこれで潰す……!」


FALCONファルコン


 壁を切り裂きながら展開した翼で、無理矢理に力の均衡きんこうを突き崩す。


 体勢を崩した奴の首を鷲掴わしづかみに、そのまま天井を突き破って。屋上さえ通り越して、こちらの絶対的優位な戦場まで連れ出す。


 こいつがお得意なのは、バッタみたいにぴょんぴょんびはねる技だと聞いている。前に対峙した時だって俺みたいな翼はなかった。なら、二百メートル以上の高さから落下すれば無事では済まないだろう。


 だが、簡単には殺さない。


「自分が何をしたのか、わかるかよ?」


 返事はない。


 当然か。どうせ自分が悪いことをしたって自覚もないんだろう。


「お前はここで、罪のない人間を殺したんだ……!」


 ぴくりと仮面が揺れたように見えた。


 やっぱり返事はない。どうせゆがみきった思想を正義だとか思い込んでいる悪党か。


「父親も殺されて、それでも前を向いて歩きだしたばかりだったんだ……それなのに」


 首を絞める俺の腕にしがみつく奴の手が、ゆっくりと緩まっていく。


 まさか、今更に罪の意識にさいなまれていますってか。ふざけんな。


「わかるか? 幸せに生きていた人たちの命も、幸せも、全部お前が奪ったんだ‼」


 言葉にしていたせいか、脳裏でその子の顔が浮かぶ。妹とよく似た無垢むくな笑顔。あの子が楽しそうにしているだけで、上手くいかない日も頑張れた。


 痛い。頭が内側から潰されるような激痛だ。でもこの手だけは緩めない。こいつを殺すまでは、絶対に止まれないんだから。




「だったら殺せ」




 静かに、しかしりんとした声が宵闇よいやみの空に響く。


 それが目の前で殺されかけている相手の仮面の下からはじき出された音だと気付くまで、いったい何秒間を要したのか。


「オレを殺せば気が済むというなら、さっさとやれ」


 命を握られているとは思えないほどの覇気。


 今すぐにも首を握り潰せるはずの自分が、押し負けているような感覚。どこにも負ける要素がないはずの自分が、追い込まれているような錯覚。


「なら、お望みどおりにしてやるよ……絶望しながら死にやがれ!」


FALCONファルコン……Exterminationエクスターミネイション


 空いた片手で腰のボタンを押し込んだ。そうしてバックルから噴き出した力の奔流ほんりゅうが、翼を覆い尽くしていく。


 制御なんかできないほどの力に任せて、夜空を旋回する。雲を突き破るほどの上昇とそこからの急速落下。地面に到達するまでに互いに掛かる回転と重力、その二つの負荷はわざわざ数値にしたらきっとどんな学者も腰を抜かすほどの圧倒的で純粋な強さで。


「お゛ら゛あ゛あぁぁぁぁぁぁ‼」


 自分が回避できるギリギリのタイミングで、掴んでいた敵を地面に投げつける。


 上手く着地した俺の後ろで土煙つちけむりが立ち込めるということは、相手は舗装ほそうされたコンクリートの上に激突したという証拠で。


 よく見れば、ここはあの黒銀くろかねプリンセスホテルの近くにある自然公園だ。ブランコや砂場だけではなく、木材で作られたアスレチック系の遊具まであるからと、子どもの頃に妹とよく遊びに来ていた場所。


 今の攻撃の反動のせいか、それとも経年劣化によるものか、遊具はほとんど壊れてしまったようで。


「ツム……やったぞ……勝った……ぅぶ……」


 再び口から血を流しながらも、震えはあくまで勝利の余韻よいんだと自分に言い聞かせる。


 きっと妹も喜んでくれているに違いない。簡単に人の命も幸せも奪っていくテロリストなんて、みんな死んでしまえばいいんだ。


「……?」


 なぜか、背中に寒気が走る。


 いや、そんなはずはない。あの威力だぞ。こっちだって内臓が壊れるほどのダメージを負っている。直撃を受けた側が無事なわけもない。


 それなのに、どうして自分は煙の向こうを凝視しているのか。


「あ゛あ……⁉」


 ゆらり、と視界に何かが映った。


 陽炎かげろうのように、ゆっくりと立ち上がる影。どこからか吹いた風が、砂煙を払いながらその姿をあらわにしていく。


 視えるのは、ひらひらと夜風に揺れる血赤のマフラー。


「その程度か」


 投げかけられたのは冷たい声。強く濃厚な怒りの色でありながら、どこか哀しみを含ませた声。


「殺してみせろ」


 一歩を踏み出しながら告げられた言葉に、どうしてかこちらが後退あとずさりしそうで。無意識の行動に自分自身で驚くしかない。


 まさか、怖いのか。


かたきを取りたいなら……オレを殺せ」


 ハッとする。


 そうだ、俺がこいつを殺そうと決めたのは、奪われた命の為。理不尽な悪に踏みにじられた心を救うには、それしかないからだ。


「だったら……さっさと死ねよッ‼」


DOLPHINドルフィン……Exterminationエクスターミネイション


 銀の仮面に向けたこの左腕が変化を起こす。突き出したイルカの頭が、目ではとらえられない音の波を放つ。


 前の戦いで、これだけが奴の動きを封じた。ならば、その最大威力をぶつけるまで。


 その代償に、たとえこの身体がどんなに悲鳴を上げるとしても、止める気はない。


 今度こそ復讐ふくしゅうを成し遂げる。


 そうでなければ、今も口からあふれて出るこの血に意味はない。彼女が流したであろう涙に比べたら、悪意にさらされた恐怖や救われなかった無念に比べたら。


 なのに。


「何で……!」


 銀の仮面の死神は、その右眼を赤と白に明滅させながら。それでもまっすぐにこちらを見据えて。


 こっちがどれだけ左手に力をめても、止まらない。奴はただ向かい風を肩でき分けるように悠然として、ただ前進を続けていく。


「何で、お前が生きてて良いんだよッ⁉」


 体液と混じって吐き出した恨み言さえ、届いていないのか。


 その歩みは止まらない。


「あの子より、お前の方こそ価値があるのか⁉ お前みたいに人を殺す奴が、ささやかでも幸せに生きてたあの子より、大事だって言うのか⁉」


 一歩、また一歩。


 小さくも距離が縮まっていく焦りや恐怖よりも、胸中を埋める怒りの残り火が口を動かせと責め立てる。


「お前はどんな正義で、彼女の明日を奪った⁉」


 この場で、どちらが正しいと言えるのか、一瞬だけわからなくなる。


 いいや、正しいのはこっちだ。人を殺しておきながら罰を受けない人間など、悪魔より冷酷で残虐だ。それを討とうとする俺の方が正義でなくて、何だというのか。


「答えろよ……こ゛た゛え゛ろ゛おッ‼」


 叫びと同時、血飛沫ちしぶきが舞う。


 それが自分の腕から噴き出したものだと気付いた途端、遅れてやって来た痛みが脳を揺さぶる。


「ぁ……ぅぁ……⁉」


 能力発動の限界が来たのか、左腕が内側から破裂していく。止まることを知らない濁流だくりゅうのように、押さえる右手の隙間からも液体が逃げていく。


 もう超音波は使えない。そもそも手持ちの武器はほとんど使い物にならなかったことが証明されてしまった。


 残ったのは、この頭に搭載された自爆装置じみた武装、ただ一つ。


 不公平だ、こんなこと。


 死ぬほど苦痛だった改造施術に耐えて、まったく違う何かに変わっていく感覚にも慣れようともして、抑えきれずに人を喰ってしまった瞬間の無感動にも似た絶望すら味わったというのに。


 どうして何も苦しんでいないはずのこいつを倒せない。


 俺はいったい、これ以上どれだけの痛みを覚えれば報われるのか。


「どんな正義か……だったか」


「⁉」


 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。


 あと数歩で詰められる距離まで来て、投げかけていた質問を反芻はんすうされたから。


「正義なんかない」


 思ってもみない言葉。てっきり自分のしていることがどれだけ崇高すうこうかなんて語り出すかと想像していたのに。


「奪われた者への贖罪しょくざいなんて、オレにはできない」


 寂しそうに、けれど怒りをにじませた声。


 この胸に染み渡るものは、何だ。


「それでも、この地獄を創り出しわらう連中は追い詰める。それまでは止まれない」


「地獄を創り出す連中……?」


「お前をその身体に改造した奴らだ」


 何か、心のどこかで見落としていたものが視えた気がした。


 そもそも、どうしてこいつがテロをしているのか、俺は知らない。〈ホロウ〉の言っていた呪いとは何なのか、聞いてもわからないまま突っ走ってしまった。


 いや、待て。違うだろ。そんなはずないじゃないか。


 こいつはあの子の仇だ。俺をだまそうとしているに違いない。でなければ、俺がこんな身体になった意味がないじゃないか。


「立て。復讐がしたいなら」


「何だと……?」


「それがお前の正義なら、オレは逃げない」


「……っ!」


 あまりにも堂々たるその姿勢に、笑えてきた。


 悲鳴を上げるひざに無理矢理に力を籠めて、立ち上がる。


「なら勝負だ、赤マフラー!」


LIONライオン……Exterminationエクスターミネイション


 痛む腕で押し込んだボタンを伝って、ベルトから頭へあふれていく力の流れ。


「ぅ……あ゛ぁっ!」


 咆哮と共に燃え上がるたてがみ。そこから全身に伝播でんぱする炎が、今はどこか心地良さすら与えてくれる。


「いくぞ……お゛ら゛あ゛あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁあ‼」


 馬鹿の一つ覚えだとわかっていても、突進。


 直接この思いをぶつけるためには、小細工なんか要らない。


 力の限りに燃える右拳を放つ。もう動かない左側の分まで、残された全てをめて。


「はぁっ……!」


 合わせるように、あちらも振り絞った拳を打ち出してくる。


 瞬間の衝撃。


 きしむのは俺の骨。身を焦がす熱さえ吹き消してしまう波動が、この野獣じみた身体をはじき飛ばして。


 そうしてわかったのは、たった一つのシンプルな答え。


「ごふっ……強ぇなぁ……くそ……」


 叩きつけられた地面の上で、仰向あおむけになって夜空を見つめる。綺麗だ。


 朦朧もうろうとする意識の中で、心を埋め尽くすのは敗北感のはずなのに。


 どうしてか不快感はなかった。


 こいつの強さは、性能だとか能力だとか、たぶんそういうんじゃない。


「終わりにしよう」


 ああ、その声。きっとその仮面の下で、すっげぇ怒り狂った顔してんだろうな。けど同時に、奪いたくないって叫びたいのも我慢しているのか。


「……鹿本しかもと……ツム……今、そっちに行くからな……」




「警察だっ‼」




 赤いサイレンの光が、視界を奪う。


 一台のパトカーから現れたのは、たった一人の人間。


 何か細長いものを構えた長身の若い男。まるで特殊部隊が使うようなプロテクターを両手両足に身に着けている。けれど、銃や盾もないし、ヘルメットもしていない。


 何なんだ、こいつ。


「見つけたぜ、テロリストども‼」


 その手に持っているものに視線が止まる。暗い中ではあったが、よく見ればわかる。


 ベルトだ。


 それも、俺や赤マフラーが付けているものに似ている。


黒銀くろかね市の対テロ特別措置条例に基づき、お前たちを拘束する! おとなしく武装解除して投降せよ! 繰り返す……投降せよ‼」


 警察官っぽく叫んでいる。まるで籠城ろうじょうする犯罪者を相手にした刑事のようだ。


 いや、俺も警察官を殺している犯罪者か。しかも、原型さえ留めずに食い荒らして。その自覚がこんなにも心を震えさせるのに、この身体はぴくりとも動いてくれない。


 こんな頭でも、視線だけは赤マフラーの方を向くことができた。あちらも微動すらしていない。なんだか驚いているような感じに見える。


「投降の意思なしと判断し、実力を行使する!」


 勢いよく腰に巻きつけられるベルト。


 両腕で十字を描き、心臓の前で掲げる姿。


 それこそ、昔テレビで見ていた正義の味方のようで。


「ミッションコード……重装じゅうそう‼」


 左右から押し込まれたベルトのボタン。そこからほとばしる電流が、バックルへと伝わるのが見える。


Loadingローディング……Materializeマテリアライズ


 闇を切り裂く白銀の閃光。


 知覚できたのは、男の周りに浮かび上がったよろいの群れ。それらが音を立てて男の身体へと押し寄せて。


X4イクス・フォー……Start upスタートアップ


 現れたのは、金属質な鎧の兵士。


 どこか西洋の甲冑かっちゅうを思わせるその神々こうごうしい姿に、言葉すら失ってしまう。


「イクス・フォー、戦闘行動に移行する……!」

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