EP05-肆:黒銀のベテラン刑事


 黒銀くろかね


 技術の〈革新都市〉、なんて二つ名はどこの誰が言い始めたのか。


 俺ら警察官にとっちゃ、ただ厄介な事件が頻発ひんぱつするだけの犯罪都市でしかない。


 二十五年前。この街の一角に少なくない被害を出した隕石落下事故。宇宙ステーションの一つを大破させるほどの規模だったことから、大変な騒ぎになった。


 逆に宇宙科学の研究者たちや復興支援をしてくれる大きな企業を呼び込む起爆剤になったとも言われたが。


 当時まだ刑事になったばかりの俺は、そう騒ぎ立てるマスコミに嫌気がさしていた。


 何しろやって来たのは善意より悪意の波状攻撃。金の気配を嗅ぎ付けたのは企業ばかりじゃなかった。暴力団に海外マフィア、しまいにはテロリストまで現れたもんで。


 あの人がいなければ、今頃この街はもっとすさんでいただろう。


 大神おおがみ義仁よしひと


 真摯しんしに事件に向き合う姿勢も、幅広い人脈とそれを動かすだけの話術も持ち合わせた、本当に優れた警察官で。


 しかし何より、燃えたぎる正義の心を映し出したような瞳が印象的だった。


 犯罪者たちの多くが、彼ににらまれただけで動きを止めたという伝説は、当時を知るベテラン刑事の多くが酒のさかなにする。いやまあ、一番にそれを語るのは、刑事の何たるかを誰より近くで叩き込まれた俺なわけだが。


 そんな最高の先輩も、ちょうど七年前の今日、この世を去った。


 安納あんのう超常現象研究所の爆破事件。


 俗に言えば「超能力」ってやつを研究する機関で起きたテロだった。


 その研究所を隠れみのにしたテログループが、四人の女子高生たちを拉致監禁。そのうちの一人を助け出したものの、連中が仕掛けた爆弾の威力に巻き込まれて……不死身とまで呼ばれていた英雄は、倒れてしまった。


 結局、病院へ向かう救急車の中で彼は息を引き取って。悪漢どもに撃たれたらしい傷と、爆破による全身の火傷は、鉄の男をも死に追いやってしまった。


(頼む……マサを、あの子たちを、守ってやってくれ……頼む……)


 最期まで息子や助け出された少女を案じていた姿が、今も頭から離れない。


 無念だったことだろう。俺にも上層部の命令を無視するくらいの気概があれば、きっと彼を一人で死なせることはなかっただろうに。


水早みはやさん!」


 背中に聞こえた大きな声で我に返る。


 警察署内とはいえ、物騒な顔してドカドカと歩いてくる長身が見えてきた。せめてこっちはいつも通りの笑顔を向けなければ。


「おお、マサ」


 大神おおがみ正仁まさひと


 あの人の息子で、現在は俺の後輩でバディ。今でこそ不安と怒りがないぜになったような表情をしているが、根っこはどこまでも優しい男だ。


「悪いな、こんな日に。こっちも今来たとこなんだけどよ」


「それより、今回の事件に赤マフラーが関わってるって話……水早さん?」


「まあ、ちょいと落ち着きな」


 今にも握り拳をどこかにぶつけそうな後輩の肩をぽんぽんと叩く。


 焦りは禁物だ。何しろ、確証がない話らしい。若手の直感を聞いてやるふところの深さは年長者の一人として必要だろうが、それだけで突っ走らせるわけにもいかない。


「とにかく行ってみようぜ」


 二人そろって指定された会議室へと足を運ぶ。ほとんど使われていない小規模な部屋だが、確かに内緒話をするには都合がいいかもしれん。


「お二人とも、お待ちしていました」


 出迎えた眼鏡の男が不敵に微笑ほほえむ。


 早乙女さおとめ歩生明あるふぁ


 大神正仁を熱血刑事とするなら、こっちは冷静沈着なエリート組。実際、まだ二十代前半にして署長の右腕とさえ呼ぶ声も多い。サイバーセキュリティ課のエースだけあって、常にタブレット端末を持ち歩いているところも、俺たちとはスタンスが違う。


「で、赤マフラー絡みの事件って、いったい何だ」


「大神刑事、風祭かざまつり交番はご存知でしょうか」


「そりゃ名前だけなら。でも俺がいたのは第四通り前の交番だから、ほとんど関わったことはないな。水早さんは?」


 話を振られたが、特に思い浮かぶようなことはないから首を横に振る。


 もちろん場所やなんかは覚えているが、そこでテロリストと関係がある事件なんてものは記憶にない。


「では……今朝、そこに勤務する巡査長が無断欠勤したという話はご存じですか?」


「おい待て、そりゃどういう意味……まさか?」


 そのまさかだぞ、とでも言いたげに眼鏡のフレームに手を掛ける仕草。


 嫌な予感が背筋を駆け巡る。


「交代待ちをしていた巡査が連絡を取ろうと試みたものの、携帯にも家にも繋がらなかったと。それでサイバー課の方でGPSを追ったところ……黒銀プリンセスホテルの近くにある自然公園で、壊された携帯が落ちているのが発見されました」


「プリンセスホテル……⁉」


 強張こわばった後輩の顔、その震える口から飛び出した声はかすれていた。


 無理もない。そこは二ヶ月前、あの無惨な事件が起きた場所で。マサにとっては、小さい頃から面倒を見てきた妹分がテロリストに利用されて殺された因縁の場所だ。


「それで、その巡査長はどうなった⁉」


「現在、その周囲を手のいている警官で捜索しているそうですが……まだ発見には至っていないようです」


 警官が消えた、なんて話を聞いちゃ、こちらも穏やかじゃいられない。


 しかし、何だろうか。この妙な胸騒ぎは。


「消息を絶った巡査長の端末から復元したデータを確認したところ、ネットの妙なうわさについて調べていたようでして」


「妙な噂?」


 お得意のタブレット端末で、その噂をまとめたと思しきサイトを表示するとこちらに差し出してくる。


「黒銀プリンセスホテルの幽霊……?」


 思わず口に出してしまったのは、あまりにもチープで信憑性のない記事だったから。概略だけまとめるなら、六月に起こったテロ事件で死亡した人間の悪霊が夜な夜な窓ガラスに映るんだとか。


「いやいや。書き込まれてる幽霊の見た目、バラバラすぎるぞ?」


「マサの言う通りだなぁ。鼻の長い女性、背の高い男性、白装束しろしょうぞくの白骨……ホラー同好会でもしてんのかい」


 この手の話は夏場にはよく聞く。


 学校が夏休みだからと、暇を持て余す若い子たちが話す定番の一つには違いない。


 七夕が過ぎたくらいの頃から書き込みが始まっているのを見る限り、おそらく肝試しの口実でも作っている連中がいるんだろう。


「私も最初は、その巡査長がこういうサイトを眺めるのが好きなだけかと思いました。しかし最近になってからの書き込みを見てください。ほら、ここです」


「赤い翼が見えた、って……オバケの次は動物かよ?」


「ええ、普通に考えれば噂に尾ひれを付けたいだけでしょう。しかしその赤い翼というのを見た人間が実際にいたと仮定して、もし見間違いのたぐいであったとしたら?」


「赤い翼を何と見間違うんだって……あ」


 なるほど、確証がないって話はそういうことか。


「赤マフラーが、あのホテルに出入りしている……?」


「可能性は否定できません。現在は取り壊し作業の準備中。業者であっても、夜間に出入りすることはないそうですし、最近は電気系統のトラブルがあるとかで作業がストップしているとか」


「しかし、早乙女くんよ? 何のために奴はそんなところに現れる? 自分が殺した相手の供養くように来るようなタマじゃないだろう」


 探りを入れるつもりで疑問を投げかける。


 さぁ、どう返してくるんだ、早乙女歩生明。


 この男の笑顔は、どうも嘘っぽくて信用ならない。ルックスがいいもんだから勘違いしそうになるが、眼鏡の奥に埋まった瞳が笑っているところを俺は見たことがない。


「私も午前中いっぱい使ってここまで情報を洗ってみましたが、確かに不可思議です。しかしあの赤マフラーの思考が読めるなら、とっくに逮捕までぎ付けている……そうは思いませんか、水早刑事?」


 ちっ、かわされた。


 わからないものはわからない、か。確かにそうだな。こちらには例のテロリストの人格についての情報があまりに少なすぎて、判断できる材料がない。


「そうですよ、水早さん! 野郎は自分の身を守るためなら、どんなことでもする卑怯者だ。絶対に許すわけにはいかない……!」


「わかったよ、マサ。だがお前はもう少し落ち着け。闇雲に突っ走っても捕まえられる相手じゃない。違うか?」


 燃え上がりそうになった後輩は、ハッとした顔をしてくれる。そうだ、それでいい。お前が暴走したら、それこそ浮かばれない人がいるだろう。


「では、お二人には噂の中心であるホテル周辺を探っていただきたい。巡査長の捜索の応援であるむねも現地の警官たちには伝えておきますので」


「わかった!」


 大型犬が吠えるみたいに威勢のいい声。マジでこいつ、前世はハスキー犬とかじゃなかろうか。


「それじゃ早乙女くん、引き続きネットの海を潜って情報を集めてくれや。俺らにはそういうのは向かないからさ」


「心得ていますよ。そちらの足を使った捜査でしか見えない真実もあるでしょうから。私は援護に専念させていただきます。ね、大神刑事?」


「ああ、安心しろ。俺らがきっちり真実を暴いてやる。それに、今度こそ赤マフラーの野郎の好きにはさせねぇ……!」


 ほんの一瞬。脳が凍り付くような錯覚に襲われる。


 隣に立つ後輩の声が、まるで別人のそれにすり替わったような奇妙な感覚。振り向けばそこには、怖いくらいにギラギラとした瞳。どこか夢を見ているようにフワフワとして、しかし獰悪どうあくな色を帯びた視線。


 そう、まるで狡猾こうかつに獲物を狩る獣がそこにいるような……。


「水早刑事?」


「え?」


「大丈夫ですか? 顔色が悪いようですが……」


「いんや、大丈夫だ。今日はちょいと暑くってなあ。老体には厳しい季節さね」


 何とか愛想笑いで誤魔化ごまかすが、胸の内に巣食う違和感は消えてくれない。


「水早さん、もし疲れてるなら俺一人でも行きますから……」


「バカを言いなさんな。こういう時こそ連携しなくてどうする。むしろついて来な!」


「はい!」


 大丈夫だと証明するつもりで、会議室のドアを勢いよく開いて見せる。


「どうぞお気をつけて」


 そんな言葉を背中に浴びせるエリートに軽く手を振った。あの瞳、やはり完璧には信用できない。こいつが何をどこまで知っているのか、まだ判断はできないが。


 とにかく今は一歩を踏み出すしかない。


 大切な後輩を伴って、俺は会議室を後にした。




 大神さん……、あなたの息子だけは何があっても守ります。


 たとえこの命に代えることになっても……。

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