EP05-参:夢と現のサイン


 闇の中。


 誰かがオレを見つめている。


 視線に振り返れば、白いワンピースの少女がこちらをじっと凝視していた。


 中学生か、そのくらいの年頃。セミロングの癖毛のせいか、それとも華奢きゃしゃな体つきのせいか、不可思議ではあっても恐ろしさは微塵みじんも感じなかった。


 いいや、そんなことよりも。


 うるんだ瞳を見ていると、こちらまで泣きたくなってきて。まるですがりつくような視線から、どうしても目が離せないのは何故なぜなのか。


「誰だ……?」


 オレの問いかけに、少し驚いたような彼女。しかし口をパクパクと動かすだけで何も答えてくれない。こちらが首を傾げると、しょんぼりとした表情で顔をうつむけるだけ。


 話せない、というより声が出せないで困っているという感じだった。


 しかし何を思いついたのか、彼女は必死な形相で手を動かし始める。


 それは何らかの合図のようで、しかし意味するところはオレにはわからなくて。


 この動きに合わせて開く口の形は……。


「え、ん、え、い、お……お、え、え……?」




「少年? おい、少年!」


 耳元で響く悲鳴じみた声があまりに大きくて、反射的に上体を起こす。


 見れば、ダークブラウンの長い髪が不安げに揺れていて。綺麗な顔が台無しになるような表情を見せられて、こちらの胸が締め付けられる。


「オーナー……?」


 いつの間にか、メンテナンス用の診察台に寝かされていた。


「大丈夫かい? うなされていたぞ」


「なんだか、不思議な夢を見ていた気がします……」


 少しばかり痛みを伴う頭を振って、眠りに落ちる前の記憶を引っ張り出す。


 荒々しい力を振るう〈実験体〉と、向けられた殺意の濃度。


 予想以上の性能と、不意を突かれた攻撃で混濁こんだくした思考。


 そうして死を覚悟した時に聞こえたのは、愛機が流すエンジンの轟音。


「不覚を取りました」


「いや、君のせいじゃない」


 寝台の脇に置かれた黒シャツを手渡してくれる女主人の瞳は、いつものマッドサイエンティストらしからぬうれいに満ちていた。


「なぁ、少年……。気付いていると思うが、あいつはおそらく〈スポンサー〉側の技術者が改造した〈実験体〉だ」


「こちらと同じベルト……ですね」


 オレの確認に、オーナーもうなずく。


 バイソン、ファルコン、カメレオン、ライオン、そしてドルフィン。


 聞こえてきた生物の名前こそ、こちらの昆虫ベースのものとはまるで違っていたが。あの敵は明らかに同系列のシステムを使っている。それだけは確信をもって言えることだった。


「前にも話したが、私が売り払った設計図を基にして、君の師匠は改造施術をされたと考えられる。そして買い取った〈スポンサー〉にしかそれはできないはずだ」


 思い出すのは、二年前にこの科学者が設計したサイボーグ計画の話。


 宇宙空間ですら生存できる肉体への改造。呼吸もできず、食料の当てもない絶望的な世界ですら生存を約束する頑強にして柔軟な機械と人間の融合。


 その成果の一つがオレであり……それより前に敵が造り出した〈実験体〉こそ、今は亡き師匠である。


「それにしてもあのライオン頭、君を狙っていたようだったが……何か心当たりは?」


「あの子のかたき。そう言っていたように聞こえましたが、誰かまでは……」


「だろうね」


 あの殺意は、明らかに怨恨えんこんの色に染まっていた。


 声に聞き覚えはなかった。しかし、今までオレが関わった戦闘の中で犠牲になった者の誰かという可能性は否定できない。オレだけは、否定してはいけない。


「赤マフラーの死神に殺された人間で、名前が公表されているのは……五月の事件と六月の事件での犠牲者か」


 一年前から始まったオレの戦いだが、今年の五月には暴走する〈実験体〉の潜伏場所が病院だったために百人もの死亡者を出してしまった。


 続く六月にも、街で一番のホテルが悲鳴と血でまみれた。〈実験体〉はその場所の運営者の娘であり……オレにとっては高校の後輩でもあった。


 もし一人も生き残らないほどの最低最悪と呼べる惨劇になっていたなら。想像するだけで胸が締め付けられる。


「これは候補者のリストアップだけで時間を取られるね……まったく」


 ぼやくオーナーの声に、こちらも自然と項垂うなだれてしまう。


 恨みを持つ人間というなら、死んだ人間の家族だけとも限らない。あの戦闘に巻き込まれて怪我をした者、損害を被った集団に属する者なども充分に考えられるのだから。会社でも学校でも、社会と何の関りも持たない人間などそうはいまい。


「犠牲者とその周辺人物……ふむ。数え出したらキリがないね」


「すみません……」


「君が謝ることじゃないさ。そもそも警察が〈スポンサー〉に牛耳ぎゅうじられているのも変わらないこの現状じゃ、どこにも頼りになる正義なんかないだろう?」


 敵の組織形態はいまだに不明瞭だ。しかし間違いなく警察内部に情報を操作している奴がいるのは確かで。それゆえ、この街はこんな非道な〈実験〉が行われていても、誰もそれをきちんと認識できていない。


 だからこそ街の内外への人の流動も止まることを知らず。むしろ夏の行楽シーズンゆえに、観光客が多いと伝えるニュースばかりを耳にする。


「逆恨みしたくなるほど酷い現実なら想像してやれる。だが、それで加害者になっていい理由になるのなら、法律なんか紙切れより価値が低いよ」


 半分は冷徹に現実を見据えての言葉だろうが。


 それでも、残り半分は励ましのように聞こえてしまう。


「ところで今日の店はどうする? ダメージが酷いなら休みにしてくれていいよ」


「いえ。検査で異常がないようでしたら、いつも通りにしておくべきかと」


「そうか。まあ、好きにしたまえ」


 一応は手足の感覚を確かめつつ、立ち上がる。問題はない。多少、右眼に違和感があるようだが、これにはもう慣れつつあった。


 鏡に映った自分の顔を見ると、白と黒のオッドアイ。


 黒い瞳……だったのだが。先月、七夕での戦いを終えて以来、この右眼の虹彩こうさいだけが白く変色してしまっている。別に視力そのものに異常はないようだが、とにかく見た目の違和感が大きい。


 こうなった理由もよくわからないが、何しろ改造人間を診察できる医者などおらず。唯一の近しい症状だった少女は、オレがこの瞳に変わった日には元の虹彩と視力を取り戻したと聞いた。


 どう考えれば、この違和感に納得できる理由を見つけられるのか。


 いや、どれだけ考えてもわからないことはある。今は立ち止まっているより、開店準備に時間を費やすべきだ。


 時刻は既に八時を回っている。あと二時間後には店を開けていなければならない。それと、オーナーに何か食事を用意しなければ。


 少しばかりあわただしく動きだした瞬間。


 不意に、夢の中に現れた少女の手の動きを思い出す。


「あの動き……どこかで……」


「ん? 少年、何か言ったかい?」


「いえ、何でもありません」


 口から滑り出た思考を脳内に引っ込め直して、準備に戻る。


 とにかくご主人様には食事だ。夏だから食欲がない、なんてうつつを忘れたようなことは言わせてはいけない。今から調べてもらう内容次第では、オレも腹を据えて挑まねばならない敵が現れたのだから。


 ふわりと浮かぶ少女の手の残像を、かぶりを振って追い払いながら。


「さて……何から始めるか」


 殺戮兵器でも怪物でもない、ただのアルバイトでしかない自分になれる場所へと、足を向ける。


 今のオレ、南野みなみの光一こういちにできることをするために。

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