EP05-壱:巨獣、強襲


 暗闇とは無縁の街、黒銀くろかね


 夏場は特に書き入れ時と言わんばかりで、こんなに夜遅くまでライトアップされた観覧車だのイルミネーションだのがキラキラと光っている。


 画面越しに見える港では、暖色の柔らかい光がコンクリートの上に円を描く。都市部と違って、騒がしすぎない光加減で、こちらの目にも優しい。


 しかし、この街の本性はくろだ。


WASPワスプ……Exterminationエクスターミネイション


 その証拠がまた一つ、ちりとなる。そうしてコンテナを飛び越え、海へと消えていく。


 さっきまで野獣のように暴れ回っていた怪物……〈実験体〉。


 埋め込まれた力をぎょしきれず、心まで食われた被害者。同時に化物となるしかなかった、この街の人間だったはずの誰か。


 そんな相手は、完全に消滅した。銀の仮面で素顔を隠し血赤のマフラーを巻いた死神の手によって。正確には強力な毒素を注入されて、体組織が分解されたわけだが。


 誰かを殺す怪物にちた以上、こうするしかない。せめて殺してやることが慈悲だ。無論、それを許せとは言えないが、一つの救いには違いない。


 それにしても。どうしてこう戦闘というのは、ただ見ているこちらまで汗だくにしてくれるのか。モニターの前で指示を出しているだけで無意識に握っていた拳の中は洪水のようだ。


『オーナー、周囲の防犯カメラは』


「問題なくハッキング済みだよ。戻ってきたまえ」


『承知しました』


 今日の彼は特にえている。敵を翻弄ほんろうする身のこなしも、被害を拡大させないような配慮も。これまで以上に洗練されているように感じた。


 いや、ここ最近はずっとこうか。


 先月の七夕、あの〈解放〉を意味する不思議な力を発現させて以来、我らが死神様は日に日に強くなっている。


 まるでかせが一つ外れたかのような身軽さで。しかも展開された武装には鋭さが増す。


 控えめに言っても敵なしだ。八月に入ってから、これでもう五体もの〈実験体〉を討伐している。


 確かに、どんな強国の軍隊と戦っても勝てると太鼓判を押したのは、設計者たる私ではあるのだが。それにしたって強過ぎる。ちょっと不安になるレベルだった。


「少年、身体に不調とかはないかい?」


『特にはありませんが、何か問題でも?』


「いいや。でも何かあったらすぐに言うように。いいね?」


『承知しました』


 相変わらず声のトーンは低い。いや、暗い。


 きっと、殺した相手のことでも考えているのだろう。どんなに恐ろしい化物を狩る力を持ったヒーローだとしても、やはり心は少年のままということだ。


 それは時に危うさでもあるが、しかし同時に彼の強さの証明でもある。


 南野みなみの光一こういち


 この技術の〈革新都市〉で、危険な技術者たちに資金と〈獣核ゲノム・コア〉なるオーバーテクノロジーを渡す悪意の元凶たる〈スポンサー〉……そんな視えない難敵を追い詰めると誓った、この街の騎士。


 同時に、私のエゴのせいで死ぬことも許されなかった少年。


 両親の死をきっかけに笑顔を失いながらも、泣いている誰かの笑顔を望む。そんな心をエゴと称して戦うこの街の英雄。まあ、本人はその呼び名を否定しているけれど。


 そんな彼に、〈支配人オーナー〉である私ができること。改造された身体のメンテナンスや各種武装の整備、情報収集に戦闘時のナビゲーションも。あとは隠れ家の提供か。


 かつて私と共に戦っていた男のエゴを、その血赤のマフラーと共に継いで戦ってくれる彼にはあまりに安すぎる報酬だろうに。


 それでも、互いの利益に一致しているからと、この契約はもう一年も続いている。


『……』


 不意に、バイクのハンドルに掛けようとした手が止まるのが見えた。


「どうした?」


『オーナー、索敵をお願いします』


「え……?」


『誰かがこちらを見て……ッ⁉』


 画面が暗転し、音が途切れる。


 即座に体勢を立て直してくれた彼の前には。




――巨獣。




 そう呼ぶしかないほどに大きく不気味な影が、二本の脚で立っていた。


 頭部だけならたてがみだと認識できる装飾。つまりはライオンの〈実験体〉だと理解できるのだが。


 首から下。様々な生命体を混ぜ合わせたような異形いぎょうが、みにくく映る。


 瞬間、息を呑む。自分の目を疑いたくなる。むしろ狂ったのは私だと言ってほしい。


「あのベルト……まさか」


BISONバイソン


 バイソン。敵のベルトからそんな音が発せられた途端。


 タックル。


 そうとしか取れない姿勢と、脚部の赤い発光。少年のふところへ飛び込んでくる機動力はジェットエンジンでも積んでいるのか。低くも荒々しい怒声と共にぶつかってくる。


『ぐぅ……⁉』


 両腕を交差させ防御をしたのだろうが、あちらの突進力が勝ったらしい。吹き飛ばされて宙を舞う情景がアクション映画のワンシーンのようにモニターを占拠する。


 それでも空高くで反転する死神。着地の反動を活かしてさらに距離を取りつつ、戦闘態勢だけは決して崩さないのが、彼のしたたかさ。


『どうした赤マフラー? そんなもんじゃねぇだろ……』


 聞こえたのは、静かながらも怒りに燃える男の声。


 突撃の狂暴さからして暴走しているのかと思いきや、しっかり自我を残している。しかも無差別的な攻撃ではない。相手が赤マフラーだと知ったうえでの行動だ。


 装着しているベルトの形状と聞こえてきたガイダンスボイスも踏まえて考えれば、私の技術を悪用した奴と関係があるかもしれない。


「少年、できればそいつから情報を引き出してほしい。あのバカを……君の師匠を改造した奴と通じている可能性がある」


 はい、とだけメッセージが返ってくる。この反応の速さからして、どうやら少年もそこに気付いていたようだ。


FALCONファルコン


 相対する敵の背中に展開されるのは、いびつな赤黒い翼。引き裂かれたものをぎして動かしているようにも見える。


 そんな違和感を抱かせながら、巨獣は空中へと舞い上がり。回転で威力を増しながらの急転直下。


 だが。


MANTISマンティス


 一閃いっせん


 こちらの右足の武装から抜き放たれた一対の刃。くるりと回ったカウンターキックに乗ったこちらの鎌鼬かまいたちが、タイミングよく飛んできた猛獣をはじき返す。


 だがあちらも空中で一回りすると、手足を地に着けてにらんでくる。どうも致命傷どころか充分なダメージさえ与えられなかったらしい。


 あのギリギリのところで回避行動とは。戦争屋でも改造したか。でなければ野獣的な戦闘センスとしか言えない。


『なら、こいつはどうだ……!』


CHAMELEONカメレオン


 カメレオン……? 今、カメレオンって言ったのか。


 すぅっ、なんて漫画みたいな擬音ぎおんが聞こえてくるような錯覚。あの巨体が、影も形も見えなくなった。


 しかし逃げたとは考えにくい。あれだけ意図的な殺意を宿して仕掛けてきて、位置情報の遮断というアドバンテージまで得たならば。


HOPPERホッパー


 案の定か。左足の〈バッタ〉が起こす反発力で垂直にび上がった死神。その真下、さっきまで立っていたコンクリートの地面がえぐり取られているのが視認できる。


 しかし先のタックルやスピンと比較すると、明らかに威力が出ていない。


 どうも中遠距離への攻撃手段も別口で持ち合わせているようだ。おそらくカメレオンの舌に相当する部位でも伸ばしたのだろう。威力こそ低いが、視えないところからの強襲は厄介と言わざるを得ないか。


 いな


 銀の仮面に輝く赤い複眼が、わずかな異変に屈折する光の位置を捉えている。あの一際大きいコンテナの上だ。


SPIDERスパイダー……Exterminationエクスターミネイション


 稲光がその場を制圧する。


 左腕の装甲から射出される〈クモの巣〉が、その空間に形成するのは磁場。威力自体はたいしたことはないが、光学迷彩で隠していたらしい巨体を露呈させるには効果は充分だったようだ。


『て゛め゛え……!』


 現れた怪物は、片膝をついて息を荒らげている。展開されたままの形状記憶合金の捕縛で身動きも取れないらしい。


 よし、思った以上にダメージを喰らっている。どうやら身体防護に使う分のナノマシンも消費してしまう能力らしい。


 いかに未知のテクノロジーの結晶である〈獣核ゲノム・コア〉でも、供給できるナノマシンには限界がある。設計にもよるが、基本的に高出力を出すためにはそれ相応の代価がいるのはどんな科学でも変わらない。


 しかしチャンスだ。これだけ弱っている今なら、情報を聞きだせるかもしれない。


WASPワスプ


 武器を構えてゆっくりと近づいていく死神。あくまで慎重に、しかし確実に敵を見据えた動き。我々にとって、やっと〈スポンサー〉に近づけるピースになりえるなら、どんな手を使っても情報を……。


『う゛ら゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ‼』


LIONライオン


 モニター越しにすら感じるのは、熱。


 その理由は、敵の顔面から放射されるまばゆ金色こんじき


 溶けだしていく〈クモの巣〉の拘束から理解できるのは、あの仮面の装飾は飾りなんかじゃなかったということ。それ自体が周囲に熱を発する装置であり、近づいてきた敵を焼き殺す武器だ。


『あ゛あ゛あ……くッ⁉』


 どうやら自滅覚悟の武装らしい。みずからが放った熱に焼かれ、その痛みに苦しんでいるようで。


 その隙を見逃すことなく、死神が地を蹴る音。


 引き絞ったのは右腕。敵が射程圏内に入った瞬間に繰り出されるだろう一撃は容易に想像できて。


 勝てる、と確信を持った瞬間に。


『まだ……う゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ‼』


DOLPHINドルフィン


 かざされた敵の左手。展開された武装の形は、イルカの頭。


 一瞬にして画面が暗転し、危険信号が鳴り響く。音の出所は、少年のバイタルを表示するモニター。見えたのは「脳機能、損傷」という今まで見たことのない文字の羅列。


『ぁぁ……ぅぐ、……ッ⁉』


 れ聞こえてくるのは必死に痛みをこらえるうめき声。それは間違いなく少年のもので。


『赤マフラー。あの子のかたき。ここで殺す……』


 まずい。あちらもダメージは残っているとしても、まだ動ける。対してこちらは身動きすら自由にならない。


 ここで攻撃されれば……殺される。


『ぅぁ……、く゛そ゛おっ!』


 近づこうとしていた敵は、頭を抱え始めた。


 まだ戦闘に慣れていないのか、それとも必死に理性を保とうとしているのか。どちらにしても、この機会を逃す手はない。


 こちらからマシンを遠隔操作する。最大出力は五百万馬力にも相当する彼の愛機だ。その力、ここで使わず、どこで使えって言うんだ。


 コンテナ側面を駆け上るバイクは、主人に向かってくる敵へ飛び込んで。


『う゛う……⁉』


 あと半秒ほど速ければ、あの巨獣を吹き飛ばせたものだが、贅沢ぜいたくは言えない。


 駆けつけた愛馬のハンドルを、銀の装備を付けた腕が何とか掴んだ様を視認する。今しかない。


 急発進させたマシンが、敵を押しのけて埠頭ふとうを後にする。


『く゛うっ……あ゛か゛ま゛ふ゛ら゛あ゛ぁぁぁぁ!』


 港に反響する怒号を無視して、漆黒のモーターバイクは進む。


 今はただ、変身解除寸前の少年を乗せて。

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