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 地下研究室は夏でもひんやりとしている。


 当たり前か。ここのコンピュータ類を熱暴走させないために各種冷房が完備されているんだから。このアジトを開発した機関はそういう点だけは評価に値する。まあ、〈実験体〉は最低最悪クラスの化物だったらしいが。


 ここに集められた機械たちの力を借りて、これまで戦った中でも特筆すべき〈組織〉について整理する。




 今年の四月に撃滅した『ASHアシュ-RA』。


 義手義足の開発を行う企業を隠れみのにした国際的テロリスト集団。その技術を買われて与えられた〈獣核ゲノム・コア〉と義足を連動させる〈実験体〉を運用。


 珍しいことに、〈素体〉にされた少女が生き残ったことを挙げるべきだろう。基本的に体内に埋め込まれるはずの〈コア〉を外付けにしていた影響か。


 彼女は現在も意識不明ではあるものの、親友や母親に見守られながら徐々に回復の兆しを見せているらしい。




 同年、五月。組織名は不明。便宜上べんぎじょう太合たいごう総合病院。


 病院を経営する親子が〈組織〉を結成し、息子である太合たいごうルーカスが〈実験体〉として活動。寝たきり状態の患者たちの脳内に忍ばせたナノマシンで、ゾンビのように動かす能力を発現。


 哀れな患者たちの治療法を見つける、という初志は〈獣化〉によって暴走を起こしたことで瓦解がかいしたらしく。最終的に運営者である太合たいごうルードヴィヒが仕込んだ自爆スイッチにより病院もろともを爆破することで壊滅。


 その際に百人もの死者を出したが、それでも助け出された少女がいた。事件の記憶を一切として忘れて、今は父親とその再婚相手のもとで新たな道を歩いているようだ。




 六月。この件は〈実験体〉を制作したのが〈獣核ゲノム・コア〉を配る元凶たる〈スポンサー〉、あるいはその関連組織であると推定する。


 一年前にたおされたはずの〈ネクロ〉が復活。その暗躍でこの街で芸能活動をしていた寺嶋てらしま姫澄きすみが〈実験体〉にされる。彼女の父親が主催する花嫁衣裳の祭典にて、その力が暴走しイベントは大混乱。


 結果として〈ネクロ〉を退けることには成功。暴走の影響で力を使い果たした彼女を、我らが赤マフラーの死神が殺害したことで事件は幕を閉じる。


 一方的に恨まれるだけだったとしても、顔見知りだった相手。それを殺すしかなかった少年には、こくな戦いだったはず。唯一の救いは、この一件で生き残った純粋無垢むくな少女が涙ながらに前へ進むと笑ってくれたことか。




 そして先週の七夕。一年前にも対決した〈組織〉である『UNDERアンダー-WORLDワールド』との文字通りの死闘。


 私たちが追う〈スポンサー〉、おそらくその直属の戦力と推測される〈ゲノム・チルドレン〉を名乗る強力で凶悪な敵。しかも他の〈実験体〉の暴走状態である〈獣化〉を促進させたり、〈コア・リンクシステム〉なる制御機構で支配したりする。


 危うく私の恩師やその孫娘がその毒牙に掛かるところだった。そういえば、その孫娘が窮地きゅうちおちいったときに見せた超能力。敵はそれを見て彼女を〈当たり〉と口にしていたが、その意味するところは今もわからない。


 少年の機転で彼女の使ったストローから唾液だえきを採取し検査した。が、健康優良児であること以外は何もわからなかった。


 二年前に両親をうしなった時から白く変色したという左の眼。それがこの戦いを終えた後、完全に元の色に戻っていたというのも引っ掛かる。失っていた視力ごと戻っているというのが不可思議だが。


 現状では情報不足のため何一つとして断定できない。



「もしかしたら、あの力の秘密はそこにあるのか……?」


 ひとちる。


 少年にとって、師匠を死に追いやった〈ゲノム・チルドレン〉との絶体絶命の戦い。その中で彼が見せた新たな姿。


 その時、彼に埋め込まれた〈コア〉が叫んだのは〈EMANCIPATIONイマンシペイション〉……〈解放〉を意味する言葉だった。


 通常の十倍近いナノマシン排出と、その密集によって各種武装にもたらされたのは純粋な力。改造実験体としての躯体くたいを設計した私が知らない形態である以上は、おそらく〈獣核ゲノム・コア〉側に設定された機構なのだろうが……。


 そもそも、この地球のどんな物質とも判別できない未知のテクノロジーが〈獣核ゲノム・コア〉だ。それを有能な技術者に配って回る〈スポンサー〉以外に、秘められたシステムを理解できるようには造られていない可能性が高い。


 だとしたら。


「これ以上、あの力を使わせたら危険なんじゃないのか……?」


 監視カメラを通して、その姿を確認する。黒シャツに青空色のエプロン姿の少年は、いつも通りにコーヒーをれているところで。


 黒い髪に白い肌。先の戦いの後に右眼だけが変色して、今は白黒のオッドアイ。本人は有事の際には眼帯が邪魔だから、なんて気にも留めていない様子だが。


 正直なところ、あんまり似合ってない。


 こんな変化はサイボーグ計画での設計にはなかったし、そもそも肉体の一ヶ所だけが機能を失わずに変色するなんて不可思議で。変身時の複眼は赤いままなのも理解不能。


『いらっしゃいませ』


 来客があったのか、スピーカー越しの少年の声で我に返る。


 あれ、そろそろ閉店時間のはずだが。こんなタイミングで客なんて珍しい。


 茜色が差し込む店内。それを彼の視点で観てみると、とうに還暦は過ぎただろうご婦人が立っている。落ち着いたグレーのワンピースや、眼鏡の向こうにのぞく瞳は優しそうで。人畜無害な印象、とでも言うのか。


 しかし、どういうわけか黒猫を抱えている。まさか探偵に依頼ではあるまいか。飼い主を探してくれ、とかそういうやつ。


『ごめんなさい、あなたが探偵さん?』


 ほら、やっぱりだ。


 当たり前だが少年は首を横に振る。


 最近はめっきりあのヘッポコ探偵が来ないのは確かだ。先月の事件で負傷したからなのか、それとも真面目に転職でもしているのか。あれについては、特に調べる気にもならないが。


『実はね、人を探しているの。今は二十歳はたちくらいの男の子でね』


 なるほど飼い主のことは知っているらしい。しかしこの街で人を探すとなれば、骨だろうな。下手をするともう息をしていないこともある。まあ、悪いが〈実験体〉絡みでないのなら、私たちが出る幕じゃない。それだけは確かだ。


南野みなみの光一こういちという名前なんだけれど、知らないかしら?』


 あまりの驚きで、危うく椅子からひっくり返りそうになった。


 おいおい、どういうことだ。まさか「南野光一くんファンクラブ」でも秘かに立ち上がったか。


『あなたが南野光一さん……本当に? でも、確かにそうだわ。智那ちなちゃんの書いていた通りの感じがする』


 ちな。記憶にない名前。いや、どこかで聞いたかもしれないが……思い出せない。


 どうも少年は聞こえた名だけで、この女性が誰なのかを理解したようで。初対面らしいが、ひどく丁寧に接客している。世話になった人間の親族だろうか。


『本当においしいコーヒーを淹れるのね』


 カウンター席から、そっとらした感想。そこに含まれる哀愁あいしゅうは何だろう。


 それに対して彼が返す会釈えしゃくが、どうにも沈んで感じるのは何故なぜだろうか。


 そんな二人を交互に見つめるこの猫が、どこか寂しそうに見えるのは気のせいか。


『本当に、笑うことができないのね』


 まるで彼が笑顔を失った理由を知っているような口ぶり。びくりと震えた少年には気付いていない様子だが。


 何も返せないでいる少年に、老婆は手提げのカバンに手を掛けていた。


『ごめんなさい。どうしても、あなたに見せたいものがあるの』


 手渡されたものは、一冊のキャンパスノート。どこにでも売っている型だが、少し古びている。名前のところには柔らかな文字が並んでいる。


葉音はおん……葉音はおん智那ちな……?」


 口に出して考えて、一秒。そうして、一年前の七夕に行き当たる。改造されたばかりの彼が対峙たいじした〈実験体〉……同じく改造を施された被害者の名前だったはずだ。


 あの時のことは、後で彼の脳内記録を閲覧して確認している。親友を殺すと敵の言葉にあおられた少年は変身し、複数の〈実験体〉と戦って。怒りに任せて、そのうちの一体を殺害している。


 それが、葉音智那。


 言ってみれば、少年が初めて殺した人間。同じ大学で知り合った友人だと言っていたが、あのセンチメンタリズムのかたまりみたいな少年が忘れようはずもない相手だろ。


 だとしたら、あの婆さんはその親族か。


 おいおい神様、ちょっとくらい希望を残してくれよ。死に物狂いで誰かを救ったヒーローに、こんな古傷をえぐるような仕打ちがあるか。


 ただでさえ不安だらけの身体なのに、心まで痛めつけることないだろう。


『あなたには迷惑な話かもしれないけれど……読んでほしいの。智那ちゃんの、あなたへの気持ちを』


 上目遣いが、切ない笑顔が、つらい。


 こんなものは優しさという名前の暴力だ。彼には拒否する権利なんかないじゃないか。それを読んだら最後、絶対に自分のおこないを思い出すのに。


 少年の指が、そっと表紙を開いていく。


 震える足が何を感じているのかなど、目の前の老婆には気付かせもせずに。

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