EP04-拾:七夕の願い事


 穏やかな寝息が聞こえる。


 注文通りにココアフロートを持ってきたのだが。


 いや、そもそも単なる人間であるオーナーには無理が過ぎたのだろう。モニターの前で突っ伏す顔は、いつもよりずっとやつれて見えた。


「ごめんなさい……」


 その肩にブランケットを掛けながら、独りつぶやく。


 限界を超えるほどの力を使った代償なのか、まだ手の動きが鈍い。人工皮膚の回復が間に合わないほどの激戦の後だから、仕方もない。


 これまでの比ではないほど〈獣核ゲノム・コア〉を酷使したせいで、包帯で隠さないとうっかり機械部分が見えてしまいそうになる。


 おまけにこの右眼の虹彩は、どういうわけか白く変色してしまった。あの笹瀬川ささせがわ翡翠ひすいという少女のそれと全く同じ色で驚いたが。


 もしかしたら、これがあの力……Emancipationイマンシペイションの影響なのか。とにかく人前で見せられる状態ではないから、眼帯をしている。


 流石さすがに改造されたこの身でも、片側の視界を封じられると多少は平衡へいこう感覚に誤差が出るらしい。率直に言ってかなり動きにくい。


 その手つきが悪かったのか、不快感に麗人のまゆかすかに動いたような気がした。


 もしオレに師匠のような強さがあったならば、きっと彼女をここまで追い込むことはなかっただろう。そう思うと、少しばかり切なくなる。


「あの日、オレのエゴを押し付けたばかりに……」


 思い出すのは一年前のこと。


 敵のアジトで変わり果てた親友を見つけ、奇襲と罠に激情して禁止されていた変身を行い、そうして師匠に生かされて逃げ帰ってしまった、あの日のこと。


 この地下研究室で、モニター越しにその一部始終を見ていたオーナーが言った。


(私を殺して、この街を出るといい……)


 自分が泣いていることさえ気付いていない、強がって笑おうとしている顔に、こっちまで胸が苦しくなったのを覚えている。


(私の持っているすべてをゆずろう。金も技術も、好きにしたまえ。戦闘さえなければ〈獣核ゲノム・コア〉の力はゆっくりとしか侵攻できまい。改造されたその身体じゃ幸せな家庭とやらは望めないだろうが、それでも生きていくことはできる……)


 そんなことを言い終えた彼女は、ボロボロのオレに掴みかかって。


(だから……私を殺して、この街を出ろ……)


 自暴自棄じぼうじきと片付けてしまえば、それまでの感情。


 だが、そうさせたのは誰だったのか。言うまでもなく、オレだ。


 あそこで師匠はオレを選んだ。撤退するべきなのは明らかな、完全に不利な状況で。取り残されたバカな弟子を、あの人は助けに来てしまった。


 幹部クラスと考えられる強さと〈獣化〉を促進する能力。明らかに〈スポンサー〉に近しいところにいる敵。〈リトロ〉と名乗ったあの凶悪な〈実験体〉……。


 結果的に、師匠は取っておいた切り札を、その身をほうむる自爆装置を使ってしまった。いや、オレが使わせてしまった。


(君を……私たちのエゴに付き合わせて、すまなかった……)


 本当なら彼女はオレが戻る前に自害もできたはずで。けれど満身創痍まんしんそういのオレにそんな風に告げたのは、何故なぜだったのか。


(だが頼む……殺してくれ……)


 その声を聞いて、オレが返した言葉。この人は、覚えているだろうか。


「今度はオレのエゴに付き合ってもらう……か」


 我ながらバカなことを言ったものだと思う。この人にとって、それが当てつけにしか聞こえないこと、わかっていたはずなのに。


(わからなかったのか⁉ あいつで勝てなかったんだぞ……あれだけ強かったあいつでさえ! 私にはもう〈スポンサー〉に立ち向かえる力なんかないんだよ‼)


 ヒステリックを起こすほどに叫んだ彼女に、それでもオレが要求したのは、力。


 すべては、師匠が遺したたましいの為。


 必ず〈スポンサー〉を追い詰めて、このくだらない〈実験〉を終わらせる。めぐるべき魂を幽閉して喰らう〈獣核ゲノム・コア〉を砕き、死にゆく誰かをとむらう者。それがきっと、オレが継ぐべき赤マフラーという存在。


(バカだね……。だけど約束しろ。その誓いを果たすまでは、君も逃げるな)


 何を当たり前のことを。そう笑おうとしたが、結局はいびつな顔をさらしただけ。ついでに、彼女には思い切り笑われた。


 だが、それで良かったと思う。一瞬だって彼女が笑ってくれなければ、師匠に申し訳が立たない。


「ばか……こーひー……こぼれるだろ……はしゃぐな……」


 珍しいことに寝言が聞こえた。もしかしたら師匠と二人でいた頃の夢でも見ているのだろうか。その表情もどこか幸せそうに見える。


「おやすみなさい……」


 ほんの少しでも彼女が安らげる時間があるならば、邪魔をしたくない。


 忍び足で地下研究室を後にして、いつもの喫茶店に戻る。


 窓の外は、弱々しい雨。昼過ぎからは晴れるだろうと天気予報が言っていたが、もう午後三時を回っている。しぶとい。


 ぼんやりと雨を眺める趣味もない。そうだ、あの短冊から思いついたメニューの下拵したごしらえでもするか。客が来るとも思えないが、後でオーナーに振舞ってみることにしよう。


 チョコレートに切り込みを入れて、いくつかの丸を作る。今のこの手では割と難しい作業ではあるが、リハビリと考えれば少し楽しいかもしれない。


 熱中していると、不意に来客を知らせる鈴の音が鼓膜を叩いた。


「いらっしゃいま……せ」


「お兄さん!」


 カウンターから出ていくと、いきなり抱き着かれる。小さな身体の温もりに、ホッとしてしまう。額に大きな傷当てをしているが、それでも満面の笑みが勝っている。


 そこで生じる違和感。あのケーキのような香りがしない。恐ろしいほどの衝動は起こらなかった。


 それにどういうわけか、昨日まで確かにしていたはずの彼女の眼帯がない。おまけに両目とも同じ琥珀こはく色。どこにもあの白さは見当たらなかった。


「こら、翡翠ひすい! 怪我をしている人にいきなり飛びつくんじゃない!」


 後ろからは張りのある声。祖父の方もところどころ湿布しっぷを張っているが、おおむね元気であることに違いはなさそうだ。


 いったい、どうしてこんな昔ながらの教師みたいな人間に教わって、あのマッドサイエンティストが出来上がるのか。いや、筋を通すために命まで投げ出そうとしたところは、あまり感心できないが。


「ごめんなさ……あれ、お兄さん、その目……」


「ええ……ちょっとケガをしまして。でも、特に痛くもありませんから」


 不安げなその視線の方が痛い。こんなとき、少しでも笑えたなら、きっと安心させられただろうに。ここばかりはどうしても上手くいかない。


「孫が世話になったと聞いて……すまねぇ! 慰謝料でも治療費でも、いくらでも言っててくれ。金で解決しようなんて虫のいい話をするつもりはないが……この子を守ろうとしてくれたって聞いて。何かお返しをさせてほしいんだ」


 深々と頭を下げる笹瀬川ささせがわ清兵衛せいべえ博士。いくら頭を上げてくれと言っても、なかなか聞き入れてくれない。律儀りちぎというか昔気質むかしかたぎというか。どちらにしろ、金などもらってもオレには使い道がない。さて、どうしたものか。


「それなら、七夕限定メニューを試していただけませんか?」


「え?」


「あ、ココアフロート♪」


 昨日の味を思い出したのか、嬉しそうに瞳を輝かせる孫娘。ありがたいことに孫娘の声に興味が出たのか、頑固な彼も促すままにカウンター席へ腰かけてくれた。


「もしかして、お兄さんもあの赤いマフラーの人に助けてもらったの?」


 キッチンに入ったところで、はずんだ声を掛けられる。もしかして、この子にとって昨夜の出来事は、トラウマになるような恐怖より、助けてもらえた喜びの方が大きいのか。どこまでもプラス思考というか、ポジティブというか。


「赤マフラーといえば、凶悪なテロリストと聞きます。怖くはないのですか?」


「ううん、ぜんぜん! あ、うーん、ちょっとだけ、こわかった……かも」


 良かった、この子にもちゃんと恐怖を知覚する機能が残っている。自分で言うのも何だが、あの姿を間近で見てまったく怖くないなど感覚がマヒしているとしか思えない。


「でもね、守ってくれたよ!」


 それでも否定する顔には、夢を見るような笑み。それはまるで絵画の天使のようで。


「悪い〈かいじゅう〉に負けそうになったときも、助けてくれてね。でもあたし、食べられちゃうんじゃないかって思って、いっぱい泣いちゃったの。そしたらね、やさしく頭をなでてくれたんだ」


 うるんだ瞳に、綺麗なしずく


 あの瞬間、オレが踏みとどまれたのはその光のおかげだったのだと気付く。大事な人を生かしてほしいと願った、美しく尊いきらめき。死んだ親友がオレに託した最後の言葉、それに通じる輝き。


「あたし、とちゅうで気をうしなったんだけど、それでもお星さまみたいにキラキラと光って、それにすっごく強かったのも、おぼえてるよ!」


 嬉しそうに話す笑顔を横目に、作業を続ける。オーナー以外の人間からそんな風に戦闘をめられたことがないので、正直、こそばゆい。


「だけど、ちゃんとありがとうって言いたかったなぁ……」


 心底残念そうに溜め息をいた少女は、しかしどこかまだ夢心地のようで。


 対して、ちらりと見えた祖父の顔。どことなく後悔の色がにじんで見える。


 もしかして、あの去り際。悪いことを言ってしまったとでも思っているのか。叫んだことの多くが事実だったろうに。


 この老人とオーナーとの関係など聞いた情報以上は推察できないが。それでも彼が全て間違っていたわけではいないとは思う。師匠やオレに使われた技術を他の人間に適用していたら、もっと酷い未来があったかもしれないのだから。


 なら、今は死神としてではなく、喫茶店のアルバイトとして伝えるだけだ。


「赤い外套がいとうの悪魔、というものをご存じですか?」


 きょとんと小首を傾げる少女と、少し意外そうにする年配者。まあ、こんな民間伝承にもなれないような話など、すたれていて当然か。


「この街には昔から、悪いことをする人を食べてしまう怪物がんでいるんだとか。夜に家を抜け出したり、人のものを盗ったりする人は、その餌食えじきになるとも」


 淡々とした言い方のせいもあってか、少しばかり怖がっている様子がうかがえる。だが大事なのは、この後だ。


「逆に言えば、この街の人たちをよく見ているとも言えます。そして赤マフラーとは、赤い外套の悪魔が現代によみがえった姿だといううわさも、どこかで聞きました」


 嘘は言っていない。師匠はその伝承を聞いて血赤のマフラーを巻いたと言っていた。なら現代版「赤い外套の悪魔」ということで通してしまってもバチは当たるまい。


「もしかして……今も、見守っててくれているのかな?」


「おそらく。感謝の気持ちは、きっと届いていると思いますよ」


「そっか……えへへ♪」


 はにかむ孫娘の姿に、祖父も目を細めている。


 良かった。その笑顔でいてくれたなら、それだけでいい。


「お待たせいたしました」


 差し出されたグラス、その上に載ったものに少女の目が釘付けになる。


「パンダさん!」


「はい。アイスココアのパンダ添えでございます」


「かわいい♪」


 おそらく店で出す商品として考えれば、ひどく雑な一品だろう。バニラアイスの上にチョコレートで飾り付けただけのココアフロートだ。


 だがそんな考え方自体が無粋ぶすいだろう。この笑顔を浮かべる少女は、純粋にその形を見て楽しんでいる。


「どうしてパンダさん好きなの知ってるの?」


「持っていたポーチがそうでしたし、短冊にも描いていらっしゃったので。この商品もそこからアイディアを頂戴ちょうだいしました」


 そっと視界の端に、七色の虹を描く笹を収める。一枚も短冊を飾られないかもしれなかった葉を彩るのは、彼女の願いの欠片かけらたち。その中の一つには、愛らしいイラストが大きく描かれている。


「やっぱりお兄さん、めいたんていさんなんでしょ?」


「いいえ。ただのアルバイトですよ」


「あ……お兄さんが、わらった!」


 大きく見開いた瞳と、少女の満面の笑み。


 それが証明してくれるのは、オレにも降り注いだ奇跡。どうやら今回の事件結果に、オレの鉄面皮も少しだけ影をひそめてくれるらしい。


 ああ、今ならはっきりとわかる。


 この一瞬だけでも、オレは笑えているのだと。


「去年の七夕にかけた願い事が、ようやく叶いましたから。つい、嬉しくなってしまいまして」


「おねがいごと? どんなおねがい?」


「内緒です」


 人差し指を口元に当てる。上がった口角を維持できていただろうか。


 いつかの、あいつの……信太郎しんたろうのような笑みが、オレにもできていただろうか。


(ボクは光一とずっといっしょにいるからね!)


 百点満点の笑みではなかったとしても、今は充分か。


 窓の外。雲間に差した光に、にじを描いているのが見えた。




 必ず〈スポンサー〉は追い詰める。たとえそれがオレのエゴだとしても。級友を生き地獄にとし、親友も師匠も死に追いやった元凶には、終止符を打ってみせる。


 だが、どれだけ憎い相手でも二度と制御不能の殺意におぼれてしまわないように、決意だけは心に刻もう。


 信太郎のような、この街を照らす太陽になどなれはしないとしても。


 師匠のように、恐怖に囚われ迷う者を導く月明かりにもなれないけれど。


 それでも止まらない。失ってはいけない光がほうむられるのを見ているしかできなかったオレにできる最後の足掻あがきは、生きて戦うこと。それが多くを殺す道だとしても、止まるわけにはいかない。


 この血赤のマフラーを巻いて戦えるのは、オレだけだから。


 いつかその罪を問われるとしても、構わない。閻魔帳えんまちょうでも何でも好きに書いてくれ。どんな地獄に堕とされても、文句なんて言えないから。それだけの罪をこの死神の力を借りて、オレは犯してきた。


 だが、それでも。この道の果てにある世界は、どうか。




「あたしが大きくなったら、おしえてくれる?」


「はい、翡翠様がオレと同じくらいになったら、きっと」


「えへへ♪」




 優しい誰かの幸せな笑みが、ずっと続いていますように。


Fin

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